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2001年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2001年01月30日(火)

【トマトもジャガイモもなかった国】


 仕事が済んだ帰りの飛行機で、パリからマラガまでの時間を二人の南米人と隣合った。一人はなかなかたっぷりしたペルーの年配の女性で、もう一人はエルサルバドールの男性だった。二人とも出身は南米の国だが、随分と賑やかな居住歴を持っていた。あちこちの国のお話しが聞けてとても楽しかったが、二人はそれはウィットに富んだ、おしゃべり上手で私は終始笑い転げてばかり居た。
 ペルーのおば様の方は、その昔、白豪主義で有名なオーストラリアの青目金髪の青年の熱烈な求愛のもとにかの国にお嫁に行き、30年近い人生を送ったのだと言う。ご主人の親戚も今は少なくなり、子供達も独立したところでおば様の妹さんがスペインに来てここで老後を過ごさないか、としきりに恋しがって説得にかかったらしい。ついに夫婦してそれでは、今度はラテン系の国に住んでみようという事になったのだと言うのだ。
始めは旦那様の国、50代後半からは、もういいでしょう?ここからは私の番よ、みたいでなかなか面白いと思いません?こういう暮らし方もあるんですね。マラガ県というのは南スペインでも有数の避暑地で夏になると外国人が現地のスペイン人人口を上回ってしまうのだ。おば様が選んだマルベージャという避暑地はマラガでも最高級の土地柄で映画俳優や貴族、富豪がひしめいているのだ。そこにちょっと高級な美容院のチェーン店の第一店舗目を開店したばかりだと言うではないか。ははぁん、道理で...。こんな飛行機の旅なのに髪がきちんと素敵にセットされていて、初対面からこのくらいの年配の女性はみだしなみがいいなぁ、と感心していたのだ。プロだったのか!
マルベージャは文字通りハリウッドの映画並のすごいパーティが連日あちこちで開かれているから、髪のセットや美顔術の確かな美容院は成功間違いないのだそうだ。私の髪にまでプロのアドバイスを戴いて、楽しく拝聴した。
 もう一人のエルサルバドールの男性は、ユル・ブリンナーみたいな坊主がりというか、剃髪しているのでちょっと見には僧侶か前衛のアーティストみたいだと思っていたら、なんとマルページャのスポーツ・クラブのオーナーという事だった。ご本人は随分と空手に年季を入れていて、先生は日本人だったと言うのだ。すっかり3人で意気投合してしまった。
 そこへ機内食が運ばれて来て、今度は世界のお料理について二人がさかんにうん蓄を傾けて興味深い料理談へと発展して行った。みなさん世界を股にかけたビジネスマンでいらっしゃるから、そりゃあ和食にも詳しかった。またまた気を良くしてしまったのだ。スペイン料理に話題が流れると、ここで二人はスペインなんざ、あの中南米の国を滅ぼした暗黒の搾取の歴史がなかったなら、トマトもジャガイモも口には入らなかったのだよ!と憤然と言い放った。無知な私はびっくりしてしまう。あら!トマトは中南米からもたらされたんですか?二人して「然り!!」じゃ、その前は一体何を食べていたの?
「ヨーロッパ人なんか暗い、中世の貧しさでNAVO(かぶ)をかじっているしかなかったのさ!」おいしい物はみーーんな中南米からもたらされたのだと二人はしきりと熱弁をふるい、通りがかりのイベリアのエア・ホステスがちょっと眉をひそめたような様子を、私は一人にやにやして聞いていた。
 中南米の研究も楽しそうだな、と思ったのでした。 

●2001年01月29日(月)

【ああ、普通の人〜!】


不定期便に出て来るバレリーナのエバには下の娘を預けているので、この所頻繁に会う。
 一昨日ついにとっつかまって自分のバレエ学校でフラメンコの部門を作るから担当しろと言われてしまった。前からちらちらと匂わせていたのを巧みに擦り抜けていたが、今週、がっちりつかまって申し出られてしまった。
どうせ子供を連れて来るんだから待っている間にフラメンコクラスやれ!
という人使いの荒さだ。エバと言う人は私に輪をかけてエネルギッシュなのだ。この人にかかると、いつもおたおたしてしまう。
 お昼を食べてすぐに連れて来て、なんだか一日で一番気の緩む、眠たい時間なのだ。好きにさせて欲しい。この時間は大概はインストから送られてくる15日ごとの生徒の状況なんかに目を通して、ふーーーむ、うーーーむ、と言いながら返事を書いて過ごすのだ。
 それよりも私の方こそエバを自分のスクールのバレエ担当に引き抜こうと考えていたのに冗談ではない。言い返してやると、まあ、とんでもないわ!今だって体が足らないくらいよ!とエバは叫んだ。子供のバレリーナ志願生だけで180人もいるという。へーえ?そんなに?資格制度も取り入れているから毎年、テストや発表会間近は死ぬ思いだと言う。
 エバと私はセビージャで一番遠い位置に構えているのだ。つまり彼女はすぐさまコルドバに行けるようにセビージャの東の端で活躍していて、私は西の丘に居る。移動に車で40分というのは、セビージャとしてはえらく遠いのだ。
 それじゃいっその事、みんなで寄り合って別の所に学校を建てようと、エバのセクレタリーが提案する。このセクレタリーもただの事務職ではなくてアエロビックのインストラクターなのだ。
どこに?と言えば、更にもっと東の地名を言うのだもの。だめだめー、私は西が好きなのだ。いっそ中心街か、どうせなら西の郊外がいい。
 とにかく今はダメよ。もう、オーバーワークだから、と言うとエバの恋人がどこがオーバーワークなものか、そうやって何もしないで読み物なんか手にして子供のレッスン中は何もしてないじゃないか、と冷やかす。どうしてその辺でも走って来ない?と鞭うつのだ、この私に向かって。
 この、いつ会ってもジャージー姿のエバの恋人は小学校の体育の教師なのだ。青年剣士、という感じのえらくハンサムな少し甘めのマスクと裏腹に、ばきばきのバンガラタイプなのだ。私にヒールブーツなんかやめてジャージー&シューズでやって来いと言うのだ。えー!?それでなくても一日中レッスン着ばかりでたまには普通の人らしい服も着ないとねぇ。いやだ、ジャージーなんか着るのは!私、あれ、嫌い。
ジョギングも嫌だ。私には本物のスポーツ根性はないのだ。軟派のスポーツマンなのだもの。

...でも結局は15日報告を手からもぎ取られ、気がついたらめっちゃくちゃにきつい腹筋法を教え込まれていた。スタジオでもなく、エバの優雅なスクールの玄関口に、二人して寝ッ転がっちゃって!
お迎えのお母様方が入ってくるなり、びくっとしていたっけ。
私のやり方は甘過ぎると、決断を下して、図入りのメニューをくれてしまった。向こう1ヶ月はこれで行け!だって。体育の先生って、苦手。
何よもう、こんなにやったら死んじゃうわよ!クラブでは消防隊員にしごかれ、医者のオスカー達にも一言いわれ、休憩の子供のバレエでは体育の教師に焼きを入れられるって、なんか悪夢のようです。なんでもっと普通の人がまわりにいないだろうか。筋肉マンばっかり..息がつまりそう。

●2001年01月28日(日)

【雪の国へ大雨の国からお見舞い】


 日本は雪だそうね。こんな事を言ってはひんしゅくを買ってしまいそうだけれど、雪なんてとても懐かしい。
 セビージャは突然ひょうが降って来る事はたまにあるけれど雪は降らない。子供達はまだ見ぬ雪に憧れ続けている。グラナダに行けばシェラ・ネバダの雪を見ることができるけれど、子供が望むようなかまくらを作るにはスキーウェアを着込んで山に登らないといけない。スキーもする気がないのに、重装備に固めてかまくらなんかする人はいない。
せがまれる度に困っている。
ウインタースポーツは苦手だ。色んなものを着込むのが嫌いだし、あのごつごつの靴が我慢できない。スキーはかなり危険だから捻挫も骨折もおそろしい。踊り手は滅多にスキー、スケート、乗馬はやらないものだ。
勿論、このスポーツを楽しむ人には羨望の眼差しを禁じ得ない。特に乗馬はどんなに爽快だろうかと思う。
スペインは乗馬は盛んなのだ。馬具もとても素晴らしい工芸品が手に入る。乗馬クラブは至る所にあり、これをたしなむのはそんなに贅沢ではない。アマソーナと呼ばれる非常に粋な女性用の乗馬服がある。これに、あのガロティンでお馴染みのソンブレロを斜めにかぶると、絵から抜け出たような艶姿だ。
4月の春祭り、フェリアでは御者つきの自家用馬車に乗っている人々と、乗馬服に身を包んだ人々は特権階級と見なされるのだ。フェリアで綺羅を飾るためだけに馬車を所有し、その馬のための郊外の牧場を所有し、雇い人にかしづかれている人々が今も健在だ。フラメンコは長い間、こういう人々に保護されてきたのだ。
 さて、今日もセビージャは大雨。気持ちが鬱々としてきてかなわない。だらけるに任せて仕事もだらだらとやっていたが、体が悲鳴を上げ始めたので午後からクラブに行った。土曜の午後の、しかも大雨で、マシンルームも体育館も私の独り占めだった。しばらく頑張ってシャワーで上がりにしようと思ったら、ちらっと目に入ったプールには人っ子一人いない。わあ、珍しい!途端に水泳もやる事にした。すいーっとレーンの真中でゆうゆうと楽しんで、そう、さすがに誰も居ないというのはなんだか淋しくなってきた。大して往復せずにやめてしまったくらいだ。帰りがけにお医者のオスカーが入ってくるのにぶつかったので、あなたは私のパヒナ・ウエブ(HP)に登場しているのよ!と言ってびっくりさせてあげた。目をくりっと大きくして嬉しそうにしていた。
 ゲストブックにアメリカ東海岸にお住まいの方からスペイン語のメッセージが入っていたけれど、どうもありがとう。ローマ字でいいのでみんなにも分かる様に書いてあげてくれないかしら?
それとも誰か有志が翻訳してみない?

●2001年01月27日(土)

【スペイン白書】


 毎度お馴染みの、世界の経済数値でスペインはヨーロッパ中でも順位がぐーっと下で、日本よりはるかに下で、式の文章をあちこちでみかける。
読んだ人はきっと何の疑いも持たずにふーーん、と思うだろうな、と考えるとこの国の恩恵に預かっている私は少なからず憤然とする。
数字というのは、かなり怪しいものなのだ。実情を反映させるのは難しいのに、相手が数字となると何故かやけに説得力があるのだ。人々に信憑性を与えてしまう。
 スペインの社会は日本と違って階級差が相当あるのだ。つまり、日本には滅多にいないような、中世の地主や貴族が健在で、俗に言う大金持ちがいる。ここも日本と大分違う事に、この大金持ちは芸術の後援者である事がとても多い。つまりアーティストや芸にお金を出すのだ。たとえば自分の誕生日にフェルナンダ、ベルナルダ・デ・ウトレーラなんかを飛行機に乗せて、呼び寄せたりする。
 こういうスペインのうーんと上の層と正極にうーんと下の層がいる。この階級の人達は日本では見かけにくい。よって上、中、下の三種を取り混ぜてならすと、日本の中ばっかりの国より下になるのだ。だからって滅多に優越感を持ってはいけない。「ほう、友繁晶子とドランテの七人合奏団が来日!ちょうどいい、私の喜寿の祝いに呼んでおくれ!」と東急の、あるいは西武グループの財界人が発想するか!?劇場丸抱え分のギャラを惜しげもなく払って?
 日本人のほとんどと同じような条件のスペインの中産階級は、もっと楽な暮らしをしている。土地が安いとか人が少ない、という他に一番分かりやすい例は、働く女性にはとても都合よくできているという事だ。みんなはよく私に、仕事と家庭と両立させて、と賞賛の言葉を投げかけてくれるけれど私はその度にもじもじしてしまう。スペインはそれがそんなに大変な事ではないのだもの。まず、私は日々の買い物をほとんどしない。ここでは、大小ほぼ全てのスーパー、デパートは日用品、生鮮食品、全部を電話で、あるいはフアックスで受け付けて自宅に届けてくれるのだ。やきたてのパンはパン屋が毎日配達してくれるし、何もかも自宅に届けてくれる。そのための手続きとかコミションは取らない。目で見ないと信用できない、という人は買い物をしてレジに山盛りのカートを残す所まで自分でやり、「何時に届けて」と言い置いて手ぶらで仕事に行ける。キッチンで一番厄介な皿洗いはほとんどの家庭に普及している皿洗い機が熱湯消毒付きでやってくれる。その上にお手伝いさんも、というのは普通だから仕事を持った女の人は全然苦しまないで済むのだ。主婦の活躍の機会がなくて離婚されるかも知れない、と密かに心配するくらいだ。
 こういう事の他に、例えば大手のスーパーには、赤ちゃん連れの人用カートがちゃんとある。子供が座れるカートは日本にもあるけれど、カートの上に赤ちゃんをそのまま寝かせて押していける簡易ベッドが作りつけてある、そういうカートがあるのだ。生後間もない子供を連れて大量の買い物は難しいから、という配慮がちゃんとしてある。ビジネスに熱心とは言えない国だから、こういう配慮は「商魂」というより「親身」、という気がする。何かの不都合があって子供を職場に連れて行く事もあまり気兼ねなしだ。小学校の男の先生が赤ちゃん連れで当校したのを見た事がある。一日の授業に多少差し障りがあっただろうな、と私は察しても他の父兄は決して文句は言わない。子供達にはいい勉強になったと思うのが常だからだ。こうやって家庭的で優しい人がこの国には育つのだ。うちの子供達は録音スタジオやテレビ局、ありとあらゆる所に出入りして父親の仕事がどんなものなのかちゃんと実感している。ここでは親子の絆が深いのは、多分こういう理解から生まれているのではないかな、と考えさせられるのだ。親が子供を、だけでなく、子供も親を、だ。そのためには社会がもっと親切で親身にならないといけない。日本の現状を見るとあまり楽観できない。年齢や環境別にくっきり分かれてしまっていて、それらを超えた相互理解や思いやりが崩れてしまって見えるのだ。もっと優しくならなくちゃ、日本人!まあ、親を置いて外国に永住する私は、いの一番に糾弾されてしかるべきなのだけれど....これを考えるととても辛い。弁慶の泣き所です。

●2001年01月26日(金)

【インターネットの相性】


最近、「通りかかりの人」が有用な情報を即座に書き込みして下さるみたいね。
マーサ・グラハムのインフォは、私も見てみようとマウスを近づけてみたのだけど手の格好にならなかったのだ。と言う事は、自分であのアドレスをどこかに検索に出さないといけないわけ?そして又見つからないの、探しているの、検索やり直せとか言われないといけないのかしらん。

 輸入のもののCDはアク―スティカとか、プリメーラとか、それから以外とチャコットでも親切に教えてくれると思いますよ。
 ドランテは、EMY東芝と契約しているので、ここから出ていると思うけど、正直言って私はCD探しに行ったり買いに行ったりするの、苦手。PCも全然検索もできないの。無能ですねー、ホント。
 うちのHPだって時々出せないっていうくらいにひどいのだ。みんなみたいにWEBを華麗にサーフする事もない。だいたい、大きな有名サイトってトップページにゴチャ―と目次が出ていて、なんか夜の新宿みたいにチカチカするものがNEWとか出ていると、もうそれだけで嫌になってしまう。そんな事はない?
スポーツ、芸能、と分かれている中で私の活動はなんなのか、どこに分類されているのかわからないのだ。うちのHP担当のNさんが、こことここにうちのがリンクしてあります、とアドレス付きで教えてくれても、トップでげんなりしてしまって最後まで忍耐できた事がない。これは私だけなのかしら。こういう人、他にもいるのかしらん。
 凝ったページで色んな動く仕掛けがしてあったり、きっと写真が出て来るんだな、と予感できても、待っていられない。こういう素晴らしい仕掛けの自慢のページはトップが出きらないうちにやめてしまうって、短気過ぎる?
 検索って出来た試しがないのだ。あの、最初の空欄に入力するだけでめげてしまう。
そうして例えば今、探してますの、見つかりましたの、イラつかないようにPCも気をつかって表示してくれても、待っている間にブレリアの一振りでも踊っちゃおうかな、とか、イスからそっくり返って腹筋なんかやってしまうのだ。もう、かた時もじっとしていられない私みたいな人間は、オフィスのキャリアには絶対無理ね。PCのフタだけが開いてて主はのけぞったり、色んな事をしているなんて同僚が気味悪がるに決まっている。みんな私のHPは会社で見ているらしいから、試しにちょっとやって御覧なさいな、今、ほら。ぐわーっと腹筋なんかを。ど、どうしたんですか?と聞かれたら、いえね、スポーツとPCの共存ってどうかと思いまして....その、働く意欲が倍加するかどうか試しているんです。ケロケロケロ.....。クビになってもスペイン語さえできたら私が秘書に雇ってあげてもいいわよ。まだまだ素敵な計画がいっぱいあるのだもの、この先。ものすごく遠大な計画だから実現できないといけないので今は言えないけれど......。思わせぶりみたいで申し訳ないわね。二年待って。
ああ、わくわくしてしまう。子供の時からなんだかいつも胸がしめつけられそうにわくわくしている子だったのだ。多分いつもばら色ではなかった筈だけど、へこまされたとしても、健気に、あるいは克己の精神で、はたまた努力と性根のたまもので、というよりは、自然にぷくーっと回復しているゴムマリのような人生と言えるかもね。
回顧談に落ちついてしまったところで皆の退屈を誘うといけないから、この辺で。

●2001年01月25日(木)

【マチスタ】


徒然で書いてしまって、このマチスタは何だという、質問が来てしまった。あら、そう?知らない?日本で普及していないっけ?よく皆マッチョな〜とか言っているから知っているのかと思いました。
MACHO,MACHISMO,MACHISTAです。

順に、名詞&形容詞で雄とか強いとかぎんぎんの男らしさの代表みたいなヤツ
次ぎが、この主義、社会的傾向としての男性優位主義っていうか、ちょっと微妙に違うけどまあ、男尊女卑みたいなものかな。最後は、この主義の人の事。
語源は同じです。おお、これ、今度の用語集に入れないとだめかしらん。更新しないといけない。めんどくさいなー、やっと仕上げたのにー。見なかった事にしちゃおうっと、公然と。みんな本を開いたらこれだけは載ってないから楽しみに。脚注:見よゲスト・ブック!

アリちゃんの質問のせいで死ぬ思いだ。もう、2ヶ月これにかかりきり。他はほとんど上がっているのにこれがつっかえつっかえなので終わらないのだ。ものすごく丹念な調査を必要とするのですよ。
 でも、きっとこういう要求を出して来る子がいるだろうとは予測ついたけれど、やっぱり頭のいい子は、こういう何気ない2行で先生をこき使うのだ。

いわく、「過去の偉大なバイラオール/バイラオーラ、カンタオール/カンタオーラ、ギタリスト/ギタリスタが知りたいです。その人達のどこがいつ頃まで良かったのか、も」おお、言ってくれるじゃないの、いとも簡単に!
そうでしょうとも。へい、嬢ちゃま、見繕ってじきお届けいたしやす。

 一昨日、生徒のバタデコーラを引き取りに行って来た。
去年から上がっていたのだけれど忙しくて行かれなかったのだ。そうしたら先週電話があってホセ・ガルバンが見て大変気に入ってしまってアメリカ公演に持っていきたいから譲ってくれと言っている。ついては、いそがないみたいだし、あらためて作ってあげるから、これ、売ってしまっていい?....おお、とんでもない。それであわてて引取りに行って来たのでした。危ない...次ぎはいつ作ってもらえるか分かったものではないんだもの。三着なんて簡単には仕上げてくれないのだ。
 ついでに、今年の新入荷生地、新デザインの美しいのがあって、ラロ・テハ―ダがうんと気に入ってしまってどうしようかなー、と考え中というのを悪いけどうちのチーフ・インストラクター用にさっさともらってしまった。先生にお任せします!と言われているものはこうやって素早く決められる。
 どうしてこういう雑用までするのか、と人になじられるけど、私は自分の関係の舞台で手塩にかけた生徒がとんでもない格好して出てくるのを見過ごせないのだ。着物にちゃんと決まり事があってゆかたの上に袋帯なんかしないようにフラメンコの衣装にもこういう事が決まっているのだ。そこが外人の悲しさでかなりすごい事になっているのをよく見かける。あらら...と思ってもよその生徒には口出しはできない。自分の所にいる子にはきちんと教えないとね
衣装というのは踊り手の第二の皮膚なのだから、このセンスは舞踊のセンスの延長線上にある。
 セビージャはもう1ヶ月以上も集中豪雨に見舞われている。
12/8から降り続けなのだ。私のセビージャの稽古場は床が木なのであちこちカビ臭くて閉口している。レッスンが嫌になるくらいだ。実にうっとおしい。セビージャは空気の乾燥で有名なのに、この長雨のせいで各家電メーカーとも乾燥機が品切れだそうだ。
バレエシューズの傷みも激しい。一周間しないでボロボロになってしまう。こっちに来ている集中生が私の稽古場のボロ靴の山を見て絶句していた。く、く、く...この間テレビがドキュメント撮りに来た日なんか、まともな靴がただの1足もなくって焦ってしまったのだ。レオタードも穴のあいてないのがただの一枚もなくって本当に自分でびっくりしてしまった。いつもどうしているんですか?て?いつもレッスン中に3〜4枚のTシャツを次々着替えるんだもの。靴はダメになっていない左と違う色のダメになっていない右と組み合わせたりしてるの!はは!!プロってバンガラなのよ、知らなかった?

●2001年01月24日(水)

【ドランテ】


 ドランテと打ち合わせに入っている。
 初めてこの人のオロプロイのCDを聴いた時にあっ!!と衝撃。ああ、この人しか居ない!と思ったのだ。私の代弁者だと思った。つまり心の中に抱えている音にならない感情とか、痛みとか、懊悩とかそれら全てを音符に並べるとこうなると思ったのだ。なんで知ってるの?あなた...。そういうつぶやきが漏れてしまいそうに。
 CDを聴くほどに、これはダメだ。もう、踊るしかない、このピアニストはどこに居る?
WANTED!!
 
 結論:うちから車で5〜6分の家に住んでいたのだ。拍子抜けしてしまった。同じセビージャの西の丘。
近年、アーティストはみんなこの辺の丘に住んでる。
 初めてプログラムの打ち合わせで会った時の、衝撃はすごかった。
ドランテのCD聴いたことあります?一曲目なんて、とっっっても繊細な旋律で天才肌のデリケートな人のような気がしてしまわない?
 本人は思った通りやっぱり内気で、はにかみ屋なんだけど、ピアノに手が伸びるとすごいのなんのって。ジキルとハイドみたいになっちゃう。
 色んなアーティストからCDより実際の演奏の方がずっと素晴らしい数少ない人だよ、と言われ続けていたのだけど、どんな風にかイメージできないでいた。そうしたら、鍵盤に大きな手が伸びると、すごいのだ。グランドピアノがまるで子供のおもちゃピアノみたく小さくて、楽々として見えるのだ。そうして、さすがヒターノだけはある!ものすごい情熱と迫力で押していくのだ。
過去にピアノフラメンコで名を成した人はいるけれど、ドランテが一番素晴らしいと思った。ものすごく小さい時から伯父さんのレブリハ―ノと世界中を回っている。お父さんはあの、すばらしいペドロ・ペーニャだ。おばあさんは、しびれるようなカンテのぺラータだし、先祖にトマス・エル・ニトリを数えるのだもの。過去にも現在にもスペインで有名なフラメンコアーティストのほとんどが親戚だ。
だからただのお坊ちゃんピアニストではないのだ。家系もそうなら、紛れもないジプシーの濃〜い、熱い血潮が鍵盤に通って魂を揺さぶるっていう感じです。熱に浮かされた帰り道、ハンドルを握る手が怪しくなってしまったもの。

超硬派!というのだな、きっと。すごい安定で、ばりばりばり、と弾き始めるのだ。レコーディングっていくらでも手を加えられるから、実際にはCDのようにうまく演奏できない人はいっぱいいる。ところが、この人はものすごく男性的な、迫力の演奏をするのだ。嬉しくなってしまった。
 他のメンバーも天才ぞろいだから、なんか、こう、音が立ってきてずたずたにされてしまうっていう感じです。益々嬉しくなってしまった。
 もう、ゴリラに囲まれたジェーン、という感じね。
 だけど最近とみに感じる事なのだけど、このくらいの人を持ってこないと私の全てが受け止めてもらえないのだ。私の力にバックが負けてしまう、というか、ひるんでしまうのだ。互角にならない。
 私は共演者に少し押され気味、という状態が好きなのだ。この力関係になって初めてぐわーーーーっと燃え上がるような何かが肉体を突き抜けて天空に向かう気がする。踊りきった時にボロ切れみたいになれないと嫌なのだ。これが踊り手としての最高の栄誉であり、至福だ。
芸歴長いし、体鍛えてるし、なかなかボロ切れにならないんだな、最近。

ドランテのあの、一曲目、生演奏だとCDの3倍くらいあるのだ。えー!?これやるの?驚いてしまった。奔流のようにドランテのアドリブが押し寄せて来る圧巻。目玉をくるん、と回したら「CDの通りにやってもいいよ」だって。
ダメよ―!これで行きましょう!これの方がずっと野性的だもの!フラメンコだな!!と感心してしまうリズムの躍動なのだ。雄叫びが聞こえてきそうな。
うん、もう、これで気に入らなかったら帰ってくんねぇ!と啖呵切りたくなるような、素晴らしさです。頑張るわ!楽しみにしていて。

●2001年01月23日(火)

【 一人歩き、ご用心!】


 仕事帰りの夜おそく、マエストランサ(オペラ劇場)の前を通りかかったら、ちょうど劇場がはねた直後で人々がざわざわと出てくる中に、何人か日本の女性も見かけた。
 セビージャを二分する形で流れているグワダルキビル川が劇場の前にあり、川には広大と言ってもいいような遊歩道がある。昼間はなんと言う事はないのだが、夜はかなり用心しないといけない。特に一目で外人とわかる日本人は。

 日本の女性が、この遊歩道をたった一人で歩いているのが目に入って私は、どうしようかと思った。
 ヨーロッパは、夜の外出を女が一人でしないのだ。必ず誰かのエスコートか、少なくとも友人の誰彼と出かける。恋人や夫のある人で、相手が出かけられない時は、外出そのものを断念してしまうくらいだ。マチスタと言ってもこうまで徹底していると、はみ出す気にもならなくなる。
 だから留学生はこの辺の機微をまず頭の片隅に入れておかないといけない。

 さて、くだんの女性。夜間の一人歩きはダメだ。遊歩道なんて歩いていたら、川べりに万一引きずられて行っても、助けが来ない。
 夜道を多少なりとも緊張して歩いている人に話しかけたら、びっくりするのじゃないかと気がもめたけれど見捨てて行くのも、とてもできない。逡巡しながら車を徐行して早くタクシーにでも乗ってくれないかな、と期待したがその気配がないのだ。思いきって、ウインドガラスを降ろして言った。
「ねえ、あなたこんな所を一人で歩いちゃ危ないわよ」
びっくりして飛びあがるかと思ったけど、そうでもなかったのでほっとして続けた。
「歩くのならいっそ、うんと車道に沿った側になさい。でも、タクシーをひろった方が安心だからそうして。夜道を一人で歩かないのよ」
自分でもうすうすそう感じていたのか、素直に「はい、そうします!」と言ってくれたのでほっとした。
少しスピードを上げて家路に向かおうとしたのだけど、背後でどうもタクシーがつかまらないようで難儀している様子がミラー越しに見えた。

ああ、と溜息。実は近くのホテルだったらいっそ送ってあげようかと思ったのだ。けれども、女性とは言え、知らない人の車に乗ってはダメと言われつづけていない?不用意に申し出てもいけないと思ってそこまでしてあげなかったのだけど、かえって心配で心残りになってしまった。
 
 ちなみに生徒がこっちに来ると心配の種が尽きない。外人でわからないから平気で危ない地区なんかに行ってしまうのだ。その上無防備過ぎて挑発的ですらある。日本のように女性が夜遅くふらふら出かけたりしないから、出かけたらすぐに怪しい素性の男性に目をつけられてしまうのだ、と思っていても大袈裟過ぎない。是非、これを思い出して欲しい。忍者のように周囲に気を配る事。フラメンコのお勧め酒場みたいな記事を頼りに一人で行かない事。
スペインは死刑がない事も覚えておくように。
恩赦でかなりの重罪人も、わずかの刑期で出てきてしまうのよ。出てきたらどこに住んでるか、どこに足が向くか、よく考えて。
ここは、日本ではないのだ。どう違うのかしっかり考えること。

昼間でも、洗濯物が表から見えるような地区に踏み込んだら緊張する事。日本の堅気の団地では、ベランダにいっせいにふとんなんかが干してあってもなんと言う事はないが、スペインでは絶対に洗濯物をビルの表に干さないのだ。そうしている地区というのは犯罪者の巣窟と思っても間違いない。
中心街のコルテ・イングレスに程近い、アラメーダは家賃が安いが絶対に住んではいけない。中心街=高級ではないのだ。ここは、よくない職業の女性とその関係の男性で有名な場末だ。
衣装製作家で有名なピリ・コルデーロの所に紹介されて行く時も往復はタクシーで。間違ってもバス停なんかにのんびり佇んでいてはいけない。あそこは向かいがトレスミル・ビビエンダと言われて名高い犯罪者地区なのだ。昼間でも発砲騒ぎが突然起こったりする。...いつもではなくってもね。

エン・ダンサがあるので最近頻繁に日本人が出入りしているサン・ルイス通りも気をつけること。ヤクの売人の出没で有名な通りだ。覚せい剤やらないもん、ではない。その関係の怪しい人種がうろついているということだ。
 一言で中心街と言っても、一本道を入っただけで様子がおかしくなる。
 歩いている人の服装と顔つきですぐピンと来るけれど、わぁ、スペイン、わあ、セビージャ!と舞いあがっていると案外気が回らないかも。
 タクシーに乗ったら、降りる時に、「私が鍵をあけて中に入るまで見ててね」と頼むのは常識だから運転手は大概そうしてくれる。僅かのチップをあげても、夜間はこれをやる事。
 日本と違ってタクシーは随分安いから、他の事でどんなに節約してもこれだけは節約しない事。
 愛情はお金で買えないけれど、安全はほぼ買えるという事をお忘れなくね。

●2001年01月21日(日)

【おお、はからずもスペイン語添削】


今日はとっても忙しかったので、週末でもあるし、つれづれをお休みしようと思っていたのにトヨシ君のスペイン語を見てしまって、捨てておけなくなってしまった。今度こそ書きたかったどうせなら、北辰一刀流!

 私が添削したものの、訳が違います。いつ会えますか?ではない。あなたがはじめに言いたいと思っているニュアンスに最も近い言いまわしが私の添削の方です。この添削につけたあなたの訳は違います。いつ会う?と会う事を決めてしまっているところがいかにも親しくていいのです。会わないわけがないのだからお友達だし早く会いたいなー、まで込められる。しかも短いからすぐ暗記できる。

食事かお茶でも...と言いたいあなたのニュアンスは、いつ会う?に入ってしまうし、この方が真意に近い。会ったら食べるか飲むかにキマットルのだ。電信柱で会って、別れない。それに始めの方の苦心の作文は、ちょっと変なのです。だから直したのよ。この方がスペインでは普通の会話だし。
その上、食事に誘うとお家に招待して手厚く手料理を差し上げることになってしまうし、きっとそこまではしないつもりだろうから、これを言うとおかしなことになってしまって、かえって「いや、家にはよばない」、なんて不穏な説明しないといけなくなる。(これってすごく薄情!)外で食事、となると言い出した方が全額もつのが当たり前なのでこれも覚悟できているか怪しい。普通は
Porque no  vamos a tomar cafe?だけど、夜会う時にコーヒーを飲もうというのもかなり変。相当ケチな響きさえある。うーん、うーん、と苦しんでしまいましたよ、私はこの添削で。自然で短くて、困らない文!

その次ぎの作分もかなり変。実はこれも、前述の言い方でよい。あれ一つでここまで含まれる。私が添削した文の訳は、いつがいい?です。
つまり、いつ、どこに迎えに行く?何時にする?=いつがいい?

最後のは、会えますね、OK?ではない。
「じゃ、きっとあおうね!」です。−mosの動詞の活用にする時は、お互いに楽しみとか、きっとそうしようね、が含まれるのよ。一人が一人に対して言うのではなく、共犯者なのです。日本語にない細かい配慮の言い方で慣れると便利。



恥をかかせちゃうみたいでお気の毒だけど、ダメよー、見過ごせない、これ。
みんなに教示しちゃうんだもの。
 あとの事とあなたの果敢なチャレンジはみんなも評価してくれると思うな。

 さて、順番がここだけ違ってしまいますが、
 私は晶子の生徒です。あの、ほら、タケトの奥さんの。(あの晶子ですよ)
という方が訳としては近い。〜のところのものの、ではない。コンマだから。

ヘスースとの出会いは私の夫の方が先なのです。それで私は後から知り合ったので、誰の女房、という紹介で知り合ったわけです。辞書では妻はESPOSAですが、スペインではよっぽどキザなヤツしかエスポーサなんて言わないのです。
総理大臣でも言わないくらい。MUJER=ムヘール=女
びっくりしちゃうでしょう?ここの下りで大概「え?」よね。マフィアか極道の妻か?
「誰それの女」という称号で呼ばれるなんて、フエミニストでなくても仰天してしまう。「ミセス誰それ」と同じくらいの軽さなのですけど実際は。

じゃ、夫は、HOMBRE=オンブレ=男  か、というとそうじゃない
しかるべき環境のしかるべき女性しか、MI HOMBREなんて言わない。
ほぼ絶対に普通の女性はこんな風にご主人や恋人を紹介しません。言ったら相手はのけぞるかもしれない。夫は、MI MARIDO=ミ マリードです。
マチスタよね、ホント。


ところで、私の、男性に対する秘密とデザートの関係、ばらすなんて許せない。もうなんにも言ってあげないあなたには!!お言葉ですけど私は弦楽器の天才には、とろとろに参ってしまうわよ。もう、うっとりと睫毛の先がそよいでしまうくらいに!もしも帝政ロシアの崩壊時に私が富豪の夫人であったなら、嬉々として亡命のラフマニノフの後援者になっただろうし、はたまたあの薄情者のジョルジュ・サンドなんか及びもつかぬ情熱と献身で労咳のショパンをきっと回復させたわ!世界の音楽史が書きかえられてしまうくらいにね!
 さあてと、威勢のいい啖呵を切ったところで、Dulce Suen~o!

●2001年01月20日(土)

【レッスンについて】


ゲストブックでレッスンについての質問がかさなったので、お返事します。本当は今日は神田お玉ケ池の北辰一刀流の千葉周作の事なんか話そうかな―と思っていたのに...
 フラメンコを7年も習っていてシギリージャやタラントにたどり着けず、アレグリアスを5曲、なんていうのはとてもお気の毒です。思うにこれは、上達しないから教えていただけないのではなくて、先生が不得意なのだという気がします。バタやパリ―ジョができないプロはスペインにだって山盛りいます。だから悪いというのでもありません。でも、日本の場合、とにかく教授活動している人が多いので、全部が全部先生が熟練とは限らないのではないかな?それでもその先生をとても尊敬しているとか、仲間といると楽しいならそれはそれでいいのではない?やりたい曲を別の方に習うとか、密かに力試しに自分でやってみるとか、方法はあります。

 一つの事ができないのに云々は、よく皆さん謙虚に口にされるけどこれも限度問題だと思います。昨日の麻衣ちゃんの例とは全く別の次元の事です。
フラメンコを始めたら一周してみたいというのは当然の欲求です。ちなみに私も昔、ソレア、アレグリアスだけで三年が経ち、次ぎにシギリージャがすこーしづつ振り付けられていたのでわくわく恋こがれていたのですが、なんと三年経っても振り付け終わらず、絶望して、こういう事がきっかけで習いに行くのをばったりやめてしまいました。そうして留学を決心して自分でそのためのレッスンを一人で毎日一年くらいやりました。思いつく限りの出来ない事を全部つぶし始めたのです。回転、ブラソ、コントラの習得、自分でやる振り付け曲、パルマ、つまりスペインに行ったら全部できている状態を下敷きにしてその上を習うレベルから始めようと思って。そうして行って見たら半年でマノーロ・マリンのクワドロに抜擢されてしまったけど。
 スペインに行ったからには基本から習い直すつもりでしたが、自分で思っていたよりレベルは高かったのです。ただ、踊り手として、女としての魅力はまだまだでした。
 私が言いたいのは、たったの一人ぼっちだってスペインに渡って感心してもらえるくらいのレベルにはたどりつけるという事です。むしろ自習がきちんとできるようにならないと、即興性のものは永遠に踊れないです。つまり本物のフラメンコができないという事になります。
 曲を振り付けたら見てあげるのでそれを一つの指針にして頑張ってやってご覧なさい。一日上京すればいいだけだもの。スペインよりは近い。

それから、レッスン前のストレッチですが、これは本来、クラスで先生の号令のもとにやるものではありません。時間がもったいないですから。最近、ダンスをやる人が増えたため、基本的な「踊りを習う心構え」がわからない人がほとんどですが、クラスが始まる前に、スタジオが空いていれば早目に行って、空いてなければ廊下や着替え室で、できる範囲で自分でやっておくものなのです。
つまり始まった時にはもう、体が準備できていないといけないの。各人にその即席のメソドがあっていいのです。素早く効果的にできるものを工夫するのよ。これはもう、「あったりまえ」のことなのです。終わった後も素早く体をほぐしておく。誰に何をいわれなくても、です。教わっていない、何にも言われない、ではないの。例えばあなたみたいに、どうも翌日体が調子悪い、と証拠をつかんでいるのだからすぐ、自分で工夫しないと。言われた事だけやっているようではあまりに、鈍感すぎる。本当だったらこれだけでもう、適性がない、と判断されてしまうのよ。わかる?だからってあなた、簡単にしょげない。お世辞や耳に快いことばかり言われていても仕方ないし、私としてもそれでは誠意がないでしょう?せっかくここに来てみたのだから。
 踊りはね、機転が利かないといけないの。見てるだけで、察する事ができなくてどうやって感受性だの、心の深層だのにたどり着く?ああいうものは上級生になったらある朝、急に身に備わっているものじゃないのです。生まれつきと、そしてうんと初期の段階から感覚を研ぎ澄ませて訓練するものなのよ。先生に言われなくてもね。
うちの子達もひどいんだ。年中私に言われているの。ボタン留めて、靴下はかせて!とヌボー!と突っ立っていないのよ!私にかがんで靴下はかせてもらおうなんて考えないで!て。そこに靴下がある事も、ボタンの留め方も教えてくれなくても当たり前なのに、私はそれはやらない。優しい、世話好きの愛情深い母親みたく年中、ほら、靴下、ほら、忘れてる!と注意してあげてる。これだけでも有り難いと思わないといけないのに、更にボサー!と年頃の娘が母親にボタンまで留めてもらおうとしていちゃあ、あんまりだ、情けなさ過ぎる、舞踊以前だ、て。何度言ってもガハハ―と笑うばかりで張り合いないんだけどね、うちの子達は。叱られ慣れているし、はじめっからうちで入門した子は有り難味がわからないから身につまされないのかなー。トヨシ君、先生、よくこんなんで我慢しているなー!くらいの事は言ってもいいんじゃない?物事の本質がどこにあるか、メガネかけなおしてみておくんなさいよ、と。
 菊地さん、世の中厳しくなっているのでインターネットで失業しないで。
モダンなフラメンコ、別に欲張りなんかじゃないですよ。フラメンコの自習って特に足なんかやっていると肩が凝ってきてしまう。私はああいうものを前後にやって3分で体をほぐしてしまうの。昔からそう。回転やあらゆるテクニックが全部網羅されている曲を振り付けて、ジャン!と踊って今日もOKという便利さ。途中でもたもたすると自分の体の重さ、技術の低下が一目でわかるし。この夏ぐらいからああいうものをじゃんじゃんやります。一曲かけて通しで踊れるものがあると楽しいですよ。普段の地味なレッスンの彩りだし、ストレッチだし、励みになるし。なんと言っても踊りは楽しくなくっちゃね。

そうそう、この人に答えていなかった。集中レッスン生の方、いつもプログラムにはいやになるくらいいっぱいブレリアのクラスありますよ。特に初級は、基本だけのクラスでも中身には必ずブレリア入ってます。全てのクラスには多かれ少なかれブレリアはいつもついて回っています。私の集中にこれが抜けるなんて有り得ないです

●2001年01月19日(金)

【グラハム・テクニック】


 マーサ・グラハムという、現代舞踊の革新的なテクニックと作品を残した踊り手で、本拠のグラハム舞踊団は確かニューヨークにあった筈です。舞踊学校も昨年の五月までありましたが、全てのモダン舞踊が抱える問題同様、ついに経営を支えきれずについこの間閉鎖されました。それで、ここの校長だった方をスペイン政府が招いて、私達は集中レッスンをして戴いたのです。
そういうちょっと悲しい経緯がありました。

 グラハムの舞踊団には大変優れた踊り手が大勢いて、世界中に公演し、また教授活動をしています。日本人も確か何人か居た筈です。
あの素晴らしいヌレエフとマーゴット・フォンテーンもグラハムにゲストとして招かれて彼女の振り付けでモダンを踊っています。

 それはともかく、現代舞踊を志た人でグラハムを避けて通る人というのはかえって珍しいくらいなので、日本からも沢山アメリカ留学して、本校の集中レッスンなどに参加したことのある人は居ると思います。
 でも、とても難しいテクニックなので一朝一夕には習得できません。呼吸を含めた体のコントラクションが非常に難しいです。私が受けた感じでは、クラシックの基本が最低、5年くらいは必要だと思いました。クラシックが体得できていて、それから崩す、という感じです。膝で支えるテクニックが多いのでフラメンコで痛めつけられている体には更に悪いと思いました。思ったけれども、とても魅力的だったのでちょっとズルしながら(膝をかばって)感じだけは押さえてみました。(先生はとても厳格な方だったから私のこの態度は良く思われませんでしたよ。私は自分が教師だからこの辺の機微はすぐ感じる。でもフラメンコが本業だから「全身いけにえ」にはできない、かわいくない受講者でした)

 麻衣ちゃんは気がつかないみたいだけれど、この間の集中でグラハムの上体のエクササイズ、入れてみましたよ。みんなものすごく気に入ってしまって、ただのはじめの体こなしに、と思ったのが全クラスでやる羽目になったものです。ドランテのCD一曲目の冒頭のです。わかった?みんながきゃあきゃあ騒いで「カッコイー!」あれよ。ブラソはフラメンコにアレンジしてありますが、根幹はグラハムです。
 何を勉強してもいいのだけど、今はまだモダンはやらない方がいいと思うな。まず正統派のフラメンコをきっちり押さえて変なブラソや足の運びを矯正する事に徹底する。それからお金と時間のゆとりが出来て、かつ、自分の目が確かになって本当にちゃんとした先生か見分けがつくようになってから、ちゃんとしたクラシックのバレエをやる。....でもバレエは必ずしも勧めません。フラメンコで言われている事をきちんと自習していればちゃんと姿勢も軌跡もできるようになるから。変なところに習いに行って混乱してもいけないし。
私は生徒が芸域を広げる事に水をかけるような事は決してしないけど、フラメンコがまだめちゃくちゃ、だからバレエやろう、というのはだめです。フラメンコの前にバレエ、もしくはフラメンコが落ちついてから、バレエです。そうしないとどこに行っても、つたなくってぐちゃぐちゃで、全部ががんじがらめの何もやってない人より下手な人になってしまいます。わかる?しかも運悪く、自分の目ができていないものだからその辺に習いに行ってとんでもない教室でとんでもない指導されちゃったらどうする?もう13才じゃないから、うっかりするとやり直しがききませんよ。私の書く物読んでわくわくする気持ちもわからなくないけど、まあ、ちょっとお待ち、です。その前にこの間言い渡した地味なレッスンちゃんとやってなさい、です。みんなのレベルが素晴らしくなったらグラハムの団員だろうと誰だろうと私が連れて行ってあげるから。怪しい所にうろちょろ行かないで落ちついて稽古してらっしゃいな、もう本当にうっかり何も言えやしない。確か割りと最近の不定期便でバレエを習いに行くな、みたいなの書いたはずよ。よ〜く読んでね。

上級クラスはこの夏ぐらいから最低限度のバレエレッスンは私がプログラムしてあげるつもりでいます。これと、集中の自習とスペイン語でおそらく当分は目いっぱいになるのじゃないかしら?CDも聴かないといけないし、本が出たら、あれやれ、これやれ、ってそれは今年は大変よ、きっと。
 グラハムテクニックを知らない、というスクールは怪しいし、(みんなやらないといけない、という事ではない。これほどの人と活動だったのだからせめて知識として知っている筈という事)仮に知っていても素人に教えるのは無理なのじゃないかな。筋でも違えられたら大変なのじゃない?あれはいきなり素人がクラスに出てできるものじゃないです。
 ちなみに私は、今週は背中が擦り傷だらけ。ものすごくかっこいい背中から倒れる振り付けで、「あなたはやめときなさい」と言うのを、嫌だ、やりたい!でこのザマです。
 見た事もない素敵な振り付けで、嬉しくなってしまった。ちょっと胸がどきどきしたくらいに。これはいつか、何かの時に是非やりたいな、と思いました。そうねぇ、たとえば引退間際かなんかに。
 色んな事を勉強しているからって、「だんだんフラメンコから離れている」という訳ではありませんよ。誤解があるといけないので言っておきます。私はバレエはフラメンコより前からです。10代の後半にどうしてもお金と時間が続かなくなって一時中断しています。その後再開して長いです。最近やっている事は、子供の頃からやろうと思っていてついに実現できなかった事で、フラメンコ・プーロを追求の何十年もの間は、他のジャンルのものの影響を自分の芸域の中に許しませんでした。フラメンコのプロ・ダンサーとして21年経ったので、やっと自分に許可してもいいかな、というのが最近の私の芸の傾向です。

●2001年01月18日(木)

【サイレンの導入について】


 今日は、解剖学の講義なので(モダンバレエの舞踊団のメニューによく出てくるのだ)時間がもったいないので朝、打ち合わせの後にクラブに直行した。
暇な時なら解剖学もやってもいいが、忙しい中を時間作って無理している時は能書きより実践と行きたい。
 ジムで早速ガタガタやっていると、遠くでもう、着替えて帰ろうとしている男性の声がする。「いやぁ、このバイラリーナは、もう何年もここで見かけないぞ!!どうしているのかと思っていたよ!」驚いて目を凝らすとオスカーだとわかった。彼は医者なのだ。しばらく前までは彼の非番や、診療オフ時間と私のジム入りとが微妙に合っていて、よく、同じ時間に一致していたのだ。
 私には社会保険の主治医もちゃんと居るが、本当の意味でのかかりつけの医者は、クラブで会うお医者なのだ。ここには、私が勝手に自分のお医者と決めているジム仲間が3人居る。よって眼科医と外科医と内科医を独占している。
 お医者なんか面倒くさくてとても行けない。予約を入れて、時間作って行くなんて!
 いつもクラブで、鍛えながらなんでも相談してしまうし、聞いてしまう。親切になんでも教えてくれるのだ。この前オスカーに会った時に腹筋の正しいやり方を相談したら、触診されてしまったのだった。「あ!」と思ったけれどなんとなく恥ずかしがるといけない、と思って真面目な顔を作っていた。
 お医者って、診療でない場でもちゃんと職業人の意識になれるのかなぁ、それともちょっとズルだったかなぁ、と今一つ疑ってしまったけれど....まあ、たかが腹筋だ。
 オスカーに色々サジェスチョンしてもらってから、確かその後にエンリケという別の友達とちょっと笑ったのだ。この人は心理学の専門家で、色んな面白い話しをしてくれるのだ。時々「読んでご覧よ」、と言って本も紹介してくれる。この人のお祖父さんも精神科医だったのだ。...で、「スポーツクラブにおける医者の心理」なんかを分析したりして...二人で笑ってしまった。
 ジムではあんまり頻繁にこういう面白い人達と会いたくない。話しが実に興味深くて、運動にならなくなってしまうのだ。
 ともあれ、ここに来るとほとんどの専門家はみんな自分のものにできて助かる。どこにも行かなくともここでみんな用が足りてしまう。私のような人間にはぴったりの場所なのだ。
 二年前のブルーノート出演の時は、飛行機の組み合わせが悪くてどうしてもセビージャでなくマラガ発にしたかった。マラガはここから3時間ぐらい車で行かないといけない。万一にも車がスムースに行けないと大変だと思うと気がもめる。....で、どうしたと思います?消防署の隊員を運転手に雇ったのです。何かまずい事があったらすぐに最寄の消防車で送ってもらえるように!
う〜う〜〜う〜〜〜!どいてー、通してー、飛行機に遅れる...!
そんな事できるのぉ?まさか!て?
できちゃうんだなぁ、これが。消防隊員のジム仲間は3人いるんだもの。
ああいうお仕事の人達って、普段からすごく鍛えているんですよ。よってマシン関係はかなりの専門家だから、すぐに他の人の運動方法に講釈がまじる。
だめだめ、そんなやり方は!ああ、また!違うってば!!と、いちいちうるさいのだ。私はこれを割りと素直に拝聴している。
だから飛行機にはちゃんと間に合う。

●2001年01月17日(水)

【やっぱり限界】


 ゲストブックもおずおずと書き込みが増えてきていますが、せっかくなのでいちいち要望に答えたいのだけど、もっと詳しく説明して!と言われても、出きる事と出来ない事があります。特に呼吸なんて言うのはとても文章なんかで言えない。
別に出し惜しみするわけではないけど、とても無理だわ。やっぱり目で見ないと分からない事ってあるでしょう?がっかりしないでね。

 体が硬い人のアドバイスも文章でできない。なぜってどんな風に硬いか、見ないと危険だと思うの。病気の治療をお手紙でするみたいで....。
 バーにいきなり脚を乗せてガ―ッとリンバ・リングもしてはだめなの、みんな知っているか心配。これこそ、体が温まってからでないとやってはいけないのよ。上達のために無理は多少はしないといけないのだけど、どの程度までしていいか、というのは適切なアドバイスをしてもらわないと素人には判断が難しいと思います。例えば、私は舞踊歴も長いから、経験としてどこまでやっていいのか、どういう痛みは我慢して平気か、そういう事がちゃんと分かっているのね。この痛みは普通じゃない、このエクササイズは止めた方が無難、とか。
 だから、レッスン方法も本当は信頼できる先生に一度見てもらった方がいいのよ。やってはいけない事もあるかもしれないから。
 スポーツでも舞踊でも、健康にいいものばかりとは限らないの。一歩間違えると大変な事もあるのね。だから基本的な毎日のように繰り返してやるものだけでも、それで続けてやっていいか早い時期にちゃんと確認した方がいいのです。特に骨格の矯正のようなレッスンはね。
 それからどうやったら上手くなりますか?式の質問には答えようがない事が多いです。根性入れてやればOKよ。としか言えないもの。その、根性を入れる前にそれでいいか、確認するのと、どういう方法で、と言う事は専門として言えるけれどね。ただ私がうるさく言うのは、レッスン方法がすごく悪い人が結構多くて、何年もそのまま根性入れてやってしまいました、という人を集中レッスンでは本当によく見かけるのね。だからなるべくこういう不幸な例は未然に防ぎたいな、と心を痛めています。そのためにもこういうページを広く全ての人に開いているのよ。
 フラメンコを始める人は、うんと大人になってからの人が多いので、無駄に失ってしまっていい年月なんてない人の方が圧倒的なのです。三年で一周し、5年までにひとかどの踊り手になり、精神力、魂、創造性、即興や自在さ、そういう本当のものを息吹として吹き込むのに更に5年はかかると思わない?自分の年から計算してみたら幾つで花道が渡れるか、はっきりしますよね?
そこから逆算して、頭の隅には冷厳に現実の残り時間をちゃんと理解していないといけない。そうして初めて、楽天家になる。
きちんと理解しておけば人のことなんか何も気にならないし、自分のプログラムは自分でコントロールしている満足感と、そして充足が心に静かに生まれてすがすがしく過ごせると思うのよ。自分の周りの人なんかを小さな尺度にしない事よ。日本という小さな国の、自分の所属する小さな教室の、そのまた取るに足りない一クラスの仲間なんかをね!
 いつも宇宙のはるか向こうに心を遊ばせているような、素敵な楽天家にならないと。頭の隅にちゃんと現在位置が分かっている、そういう楽天家よ。
 フラメンコの素敵なところは、引退がない事ですもの。自分自身を踊るものなのだから、自分が自分をやめるまで、道を極めて行けるのです。若い人に負けたり、容姿でも負けない。自分という人間は二人と居ないのだから。だから焦ってはダメ。小賢しくこせこせしないでやれる舞踊なのだもの。巨匠と言われたエンリケ・エル・コホは身障者だったのだから、わかるでしょう?この一事を取ってみても。
 さて、今日はとっても寒いのにこれから打ち合わせに行かないといけない。うーー、嫌だなァ....家でぬくぬくと宇宙の果てに心を馳せていたいですねぇ。その、友繁先生ご推薦の、素晴らしい楽天家として!!

●2001年01月16日(火)

【ジムで何をしているか】


 ゲストブックが活発だと、今日は寝ちゃおう、と思っていてもつい、薄情な気がしてしまう。

 ジムで何をしているか....

毎日やっている事は同じなのだけど、時間がすごくタイトな時と平常通りの時と、かなり徹底的にやれる時との3通りのプログラムでやっています。
 一番最後のは参考にならないかも。足腰立たなくなるまでやる。その後サウナに入って夜は死人のようになったりするのは、大抵外国から帰った次ぎの日。飛行機や、旅の疲れや、何よりもグダーッとしている体を一端がたがたに分解して熟睡して、翌日からしゃっきりさせるためにやる事なのだけど、これやらないと割りと疲れが尾を引くし、怠けたい気持ちでだらだら際限なく怠惰になるので、活を入れるのよ。あとは何か悩み事があるとか、気が沈んで仕方ない時に、このメニューの出番になるみたいです。そうねぇ、失恋した時にいいかもしれない。お勧めのメニューね、きっと。

 普段はあんまり長くやれないの。30分くらい。自転車は退屈だし嫌いだからやらない。いきなりウエストをツイストするのを座ってやるのと立ってやるのと各200回くらい。ものすごい速さで。それから胸筋、背筋、腹筋のマシンで、各100回くらいづつ。胸と背中の筋肉は色んなものでいっぱいやります。座ってもちあげる重量あるじゃない?あれは、18〜20キロくらいの重さで。
 習慣として一つの事を続けて何セットもやらない。ぐるぐる色んなマシンを回りながら何往復もするっていう感じ。おそらく効果としては同じものを何セットもやらないといけないのだと思う。私は、ジムの前にバレエを2時間やっている事が多いので、根性が続かないのでやらないだけです。
 それでも30分あると結構やれる。そうして筋肉が温まったところで、体育館に上がって(クラブには500平米の広さで、天井も7〜8メートルの体育館があるの)大抵この広い空間に私一人。ここで残りの30分を、バーレッスン一通りと柔軟の割りときついのをやります。それから、ピルエットとシェネなどの回転をいやになるまでやってお終い。そうしたらダ―ッと階段降りて行き、下に着込んでいた水着になって、1階のプールに飛び込み、だいたい、1000メーターくらい。ここまでで、朝9時から午後2時。バレエで始まるから研究所からスポーツクラブに移動とシャワー入れて。そうしてへろへろになって午前の部はお終い、あー、お腹がぺこぺこだーという感じで車に飛び乗り、一端帰宅です。
 まず、筋肉が温まってからでないと脂肪が燃焼しないというのが通説だけど、温まるような事をしているとそれだけで勢いがなくなるし、やる気が萎えてしまうの。だから、自転車やっていると、帰りたくなってしまう自分の気持ちの方が恐ろしいから、退屈するものはやらないの。参考になるかしら?こんな意見。毎日続けなくちゃいけない事って、少し理性から外れてもいいと思っているの。なぜっていつでも最高の気分ではないでしょう?体も最高のコンディションの日の方が少ない。だから「とにかく、やる!」これを優先させるの。
足を強くする運動とかは特にやらない。太くなるのと同様の疑いがあるから。どちらかと言うと上体を鍛える方により、気をつかうかな?私は足だけのバイラオーラ、好きではないのです。いつでもしなやかなブラソとか、肩や背中の使い方に重点を置いています。自分の感性がそういう方向を向いているし、自然とそうなる。今は呼吸を筋肉の働きとコンビネーションするテクニックを勉強しています。これ、できるようになると爪の先からオーラが出てくるのよ。素晴らしいの。おそらく昔からこういう勉強がしたかったのだと思います。ただ、時間がなくてそんなに何もかもできなかったから。
 みんながフラメンコでつまづくのと同じように私もいつも何かしら勉強しているから、苦しい気持ちや時間のやりくりの大変さは同次元でよくわかるわ。
 要は如何に自分をだましだまし続けさせるか、て事だと思うの。面倒と言えばまあ、そうなんだけど、何かが出きるって、何か物を持っているより素敵だと思わない?
では、おやすみドゥルセ・スエニョ!

●2001年01月15日(月)

【問題のチコッ!】


   問題のチコッ!

 おお、約束の週末だ。記憶に間違いがなければ、確かソロ・コンパスのウトレーラだと誰かが言っていた。
 延々と聴いていて、変だなあ、チコッ!なんてないぞー、と探しまわっていると、このCDのプロデューサーが何を探しているのか、と危ぶむ。かくかくしかじか、と言うと、そんな!CDのどこに入っているか言わなかったらわからないじゃないか、と確か私がゲストブックでこの間した返事と同じ事を言う。
そうなのです。何々CDの、何番の、こういう歌の合間の、と言わないとわからないですよ。ちなみにウトレーラ版ではなくって、ブレリアIIのモロン版ブレリアの三番目、冒頭の、
  Lastima que yo tenia 
  se fue a Alemania  の辺りで言っておる。
これの事でしょう?ついでだから言っておきます。みんなもよ。こういう事がちゃんと言えないと、スペイン人と本番の打ち合わせ、できませんよ。
ソロ・コンパスがどうして優れているか?
私の夫が作っているからではない!!
CD自体の質とか構成の工夫のほかに、
ちゃんと歌詞がついてるものが沢山あるからだ。
ジプシーの崩したスペイン語は、普通のスペイン人でも歌詞を拾うのに苦労なのに、こういう便利なものが、あえてみんなのためについているのだから、CDを買ったら踊り用だけでなく、隅々まで利用しないと。だてについてるおまけではないのだ。

歌を目指さなくったって、踊り手の必修としてこのくらいの歌詞は覚えないとブレリアなんかいつまでたっても踊れません。
こういう事をちらっと言っただけで「おお、やっぱり先生は厳しい」「ひー」「ふー」「はー」と言う。どこが!?百人一首だって上の句を聞いて下の句がわからなければ取れない。そのくらいのルールは当たり前の事なのだ。正しいスペイン語を一からひもとけと言ってない!歌のスペイン語だけでもやらないといけない。これができると会話も楽になる。一石二鳥なのだ。
私がつねづね思うことに、すぐに何かというと皆、基礎から習いに行こうとする。
どうして手元にあるものからつぶそうとしない?
手元にある10の資料でとにかく今からやろう!と思わない?どうして来月学校に入って教科書買って...と思う?どうせそんなものは買っただけで満足して続かないのに?
基礎ってなんだと思う?ごたごた言ってないで今すぐやってみる心構えの事よ。
この心掛けだけ持っていたら、なんだってすぐにできるようになるのよ。
 私はフラメンコをみんなして厳しく激しく習えと言っていない。のんびりやればいいのだ。趣味なんだから。クラスで一番ぐずだったとして、だから何?本人が楽しくしていられればいいのよ、あくせくしなくって。私に限って言えば、そういう人でもかわいい。
すごく愛らしい気がすることさえ、ある。かわいくない子はね、うじうじ劣等感にさいなまれながら、その実地味な努力もせず、根が怠け者なのに上手くなるコツだけが知りたいと思っている人。そんなコツは私が知りたい!教えてー!今すぐーーー!!!
ただ、少しでも早く上手くなりたい、もっと高度な事やりたい、と切実な気持ちになったら別だ。そうなったら機転を利かせて色んな努力をしないとなれっこないわよ、と言っているだけ。より以上のものを求めたら、より以上の努力なしには得られない、しごく当たり前のこと。だからスペイン語をやる。手元の歌詞は手当たり次第に暗記する。NHKのスペイン語会話もタダだし、続かないながらも何かは累積するからやる。踊りの練習もあるからまぁ、このくらいで時間は目いっぱいの筈。これだけで全然かまわない。
フラメンコの歌詞の暗記だけで、私はスペインに着くなり日常会話に不自由しなかったもの。こういう例を聞いただけで、とりあえず嬉しくならない?

さて、脱線して肝心の答えを言ってない。CHICOです。でも、これはこれを言っている人のハレオのクセか、もしくは歌っている子がCHICOって言われている子か、だと思う。一般的なハレオとして誰もが言うのとは違うみたいよ。とりあえずこのヒアリングはあってたじゃない?めでたし。
 横山さんご質問のヘスース・エレディアのレコードは素晴らしいのが2000年12月にOFSから出ています。カンテ・デ・トリアーナという題で、へスース・エレディアの魅力が十分にその熱唱を通して聴ける。このCDの中で歌われている、ソレア・デ・トリアーナはとても難しくて、誰でも歌えるわけではなく、やっぱり彼はうまいな、素晴らしいな、と納得できます。ナンでもフラメンコのレコードの事で知りたい事があれば、プリメーラの社長さんに聞くといい。あそこにはなんでもあるし、あの社長さんはもともとギタリストで、チコ・吉田と言ってね、それは鳴らしたものだそうよ。別にプリメーラの回し者ではないけど、ナンでも聞いてみたら親切に教えてくれる知識も経験も豊富な方です。石川さんが気になって仕方なかった、チコさんでもあるしね。

●2001年01月13日(土)

【踊るプラトン、ソクラテス、はたまた親鸞、日蓮か!?】


 昔、ある有名なフラメンコ教室の主催者が、スペインの自宅に尋ねてきた。雑談中、
「踊りを教えるという事は、私の生き方を教える事だから」と誇らかに発言したので、
私は仰天した。即座に本人に、まさか!それは違うんじゃない?踊りの教師は踊りについてその生徒より秀でているだけで、人生という尺度のもとでは、その生徒よりよっぽど下等かもしれないじゃないの!(尊大に過ぎるな!!は、かろうじて飲み込んだ)
...でどうしたっけ?そうね、と言われなかった事だけは確かだから、気を悪くするか、しらけたかのどっちかだけど、不思議と後が思い出せない。きっとこの人の発言が
私にはあんまり強烈だったから、その後がぼんやりしてしまったのだ。

 人生から与えられた条件や環境や全てのもろもろが人それぞれに違うのだから、たかが踊りの教師くらいで、人生を教えるなんざ、僭越すぎてジョークみたいだ。
そんな禅坊主みたいな事をクラスで発言するから生徒はフラメンコを小難しく恐れてしまう。踊りの教師は踊り方を教えればいいのであって、水泳の教師が沈まないコツを教えるようにして、技術の習得を無心に教えればいいのだ。
踊りの心だのなんだのは、技術の訓練を通して生徒が感じるもので、精神的なものは付帯状況としてついて来るものだ。
あまつさえ、自分の大して自慢にもならない、失敗だらけの、暗中模索の、筋が通りそうでいてその実あんまり通ってもいない、生き方なんかを人に押し付けてどうしよう?
なんだなんだ、あなたは伝道師か?
それともいっそ、セシル・ローズか?て。ねぇ?
それは、ブレリアを踊らせたら目を覆わんばかり、本気かえ?と疑いたくなるような
(ゴメン、聞き流してくれる?あっさりと)人だっているかもしれないけど、こんな人だって靴を脱ぎ、スカートを変えたらビシーッとしたキャリアに変身って事は日常茶飯事だ。
かっこ悪いのは、ただただ、踊っている時だけなのだ。(これも聞き流して)
あまつさえ、
人格、人徳、哲学分野では、貧弱なフラメンコ教師の太刀打ちできるような次元ではないかもしれない。ただ、踊りが下手、というだけなのだから、勘違いしてはいけない。
彼女達のあの姿は、クラスの時だけなんだから、人生の指針なんか示さなくて結構!
余計なお世話というものだ。

 私は、スペイン生活が長いから日本人と出会い、知り合うのがすごく楽しい
日本に帰るとやたらとその辺の人にでも、話し掛けたくなっちゃうくらいだ。
まして新しく入会して来たり、集中に参加してくれる生徒だと、なんでも知りたい。うちに長くいるような人でも、どんな特技と専門を持っているかわからないからある日突然何かのきっかけで特技を思い知らされる。つまりこの驚きと発見が私は楽しいし、
アカデミーをやっている事の役得だと喜ぶ。
 踊りの振りとなるとさっぱりだけど、ものすごく几帳面な探求心旺盛な人なのだと
何かの事務処理で知ったり、公演チケットの数を数えるのにみんなしてもたもたしてたらちょっと...と言ってザワーっと鮮やかな手つきで扇形に開いてたちどころに数字を出す人が出て来たり、普段が地味だとこういう時の新鮮な驚きと言ったらない。
そういうきっかけで何が専門の人なのかが分かるのは、それが自分の職業と
かけ離れている程に、私には一層楽しみだ。
 おお、と呆れる下手さだったとしても、(そうか、トヨシ君がみんなよくあんなに先生に言われてへらへら笑っているな、というのはこの事か!)何かで意外に心根の優しい子だと発見するのは無上の喜びだ。
つまりこうやって私はみんなから人生を学んでいる。
 アカデミーも、私は踊り以外に能がないから、みんなが少しづつサポートしてくれないとやれない。私の不得意分野を軽減してくれるから、稽古に専念できるし、レッスン内容も良くなる。相関的なものだ。一方的というのは、要するに何も面白味がないという事だ
 
本も、書くのは私だけどどういう本にして欲しい、というのは間接的にみんなが示唆しているのだ。そうして、最後に決断するのは私だけれど、みんなの希望というのは何かしら反映されるのではないかしら。みんながいなければこんなものに手を染めないだろうし、人との関わりの中で、仕事というのは成就していくのよね。
 ゲストブック、ありがとう。更にご意見、お待ちしてるわ!

●2001年01月12日(金)

【挿絵の楽しい本?、目には地味な読む本?】


 今、こちらに来ている集中生に、本の原稿を見せたら面白い、面白いと連発する。何かシビア―な意見を聞かせろと言っているのにべたべたに誉めてくれてしまってダメなのだ。本当かなぁ...自分の先生だからすべっても転んでもいいと贔屓しちゃうんじゃないのぉ?参考にならないんじゃないのかな、こういう人の意見は。すると、とんでもないです、きつーい目でちゃんと読みましたと真面目くさる。いよいよ信用できない。ああ、困った。
 活字が多くてイラストがあまり入りそうにないのだ。
絵や写真があるととても楽しいものだけど、結構重要な項目が多くて削れない
 広く一般の練習生に満足してもらえるように、あまりに詳細で専門すぎるところは削ろう、という意見が一部ある。

私は、そうなると断腸の思い。だって創価的な本ならいくらでも出ていて、私はやっぱり深く突っ込んだ、長くやっているような人でもはっとするような内容にしたい。全くの入門生が、どれどれ?とひもといて、けれども20年もやっている人でもえー!?そうだったのかぁ、と感激してくれるものに仕上がらなかったら嫌なのだ。平易で読みやすいけれど、入門の子はただそうかな、と素直に読んで、長い人はいちいち目からうろこ!そういう本にしたい。だからこの本の価値は赤ちゃんには、ただの消化のいいカステラ、大人には隠し味や風味にびっくりするような上等なお菓子、そういう風にしたいのだ。

わかります?そうすると、書き足したい事があり、割愛したくない秘密の話しありで、絵のスペースがなくなってきてしまう。
 どんな本かと言うと、入門から上級までの思いつく限りのみんなの質問に全部答えているの。これ一冊あったら、謎がみんな解ける!みたいな。
嬉しい!今日から安眠!起きた時にはすっかり上手くなっている「錯覚」の起きる、そういう本。
3月までに完成予定だけれど、もう、ほぼ出来ていて、予定ページが少し超過してしまったのです。絵をやめるか、文章を削るか、どちらかしかない。
どうしたらいいと思う?
えー!?そんなぁ、見てみないと分からない〜、でしょうけれどちょっと想像してみて意見聞かせて欲しいな。
 ぱっと見に、イラストなんかが少なくて地味に上がってしまうけど、中身がぎっしりしていて一冊でほとんどなんでも網羅されているのと、色々絵もあり、面白い。それなりに分かりやすい。もっと知りたいテーマは次号、第2弾のシリーズで。というのと、どっちがいい?(どちらも持ち歩ける大きさよ)
 私は、シリーズにしたいと思うのだけど、専門家は(一冊目がよければね!
2冊目が出るかどうかわかりませんよ、みたいな厳しいニュアンスでした)
あらぁ、すごくいい本なのよ。私にしか書けない事がいっぱいあるのよ!と言いたかったけれど、「うちの子って頭が良くてその上気立てがいいんです」みたいに聞こえてしまうだろうと、主張は控えた。
 意見聞かせて欲しいな。本当に、お願い!今週末までゲストブックに短くていいので協力して。してくれないと私、かなり気を悪くするから、と脅迫までして人格の形成なっていないところをさらけ出し、世のエレガントにしてインテリジェントの人々の冷笑をものともしない厚かましさで...待ってるわ。

●2001年01月11日(木)

【得意なこと、ダメなこと....】


みんなずるくて私に直接メールを送ってくるのだ。ゲストブックでなく。
今日はこれのチェックだけで時間切れ。
今度から個人メールはお返事やめちゃおう。
スペイン語のかなりな添削までさせられてしまったから
今日はもう時間がない。
これから仕事に行かなくてはならないの。

ドランテの地方公演は、4/4が九州で、後は調整中と聞いています。
私のリサイタルではないの。自分で主催しているリサイタルではないので
マネージメントはプロダクションがしています。決まり次第、お知らせできると思います。2月には決まっている筈です。ドランテはレコーディングが詰まっているので、あるいは難しいかも。ゲストブックにご質問の方、もし地方都市の方で、思いきって東京に来るべきか、どうしようか、とイライラしているのだったら本当にお気の毒。こういう事って本当に調整が難しいみたい。私はそういう意味では外国のアーティストなのです。
このコンサートも、わざわざ日本によんでいただいているの。ゲストとして。
 純粋なリサイタル、というのは何千回も舞台に立っていて、半生にたった一度しかやっていないのです。
私は、興行やその事務処理とか経営とか、そういうことに才能が無く、ただ、踊るだけ。
いつもいつも踊るだけです。
教えるのは、その延長だから自分にあっているし、少しも苦痛ではないです。
 物を書くのは、息抜きになるし、みんなが楽しい、楽しいっておだてるから
つい、本気にしちゃうしね!

 三年ぶりに会う集中生が先月から、スペインに留学している。
フラメンコをやめようかどうしようかさんざん悩んで続ける決心を固めたらしい。その経緯は省略していきなりやって来た。長くはいられないけど、とりあえず、もう、なんか教えてくださーーい!!出されたものはなんでも、お皿だってたべちゃう、という勢いだ。
 集中生と私はこんな風に、つながっている。地方だったり、音信不通でも私はいつでも心配しているし、向こうも信頼してくれているのがよくわかる。私を見るなり、ものすごく嬉しそうな顔をするのだ。そこら中にいっぱいスペイン人がごろごろしているのに、
まるで私を見て初めて、スペインに来た実感が湧くかのように!
 おかしな子達ね!!ま、こういう所が生徒のかわいいところだけれど。
 誰に習ったらいいか、暇を作って(出来ない時もある、ごめんなさい)プログラムしてあげるのだ。あそことここと、見学してらっしゃい。ピンと来なかったら、この人。てな具合。
 私は、だいたいが本人が希望する曲の振り付け。3週間ぐらい個人レッスンを続けていると目に見えて上手くなってくる。1ヶ月も続けられると、もう、別人みたいになって本人も私もまさか!というくらいになる。その後帰国して半年くらい経つと、残念ながら、あらら?
というくらいに違ってきてしまうのだけど。
でも、繰り返しの中で確実に力は累積してくるから、そう嘆かなくてもいい。
 こういう、集中生の中には、物慣れていて、「先生、また雑草が生えてきました。上京します」、という慣用句を発明する子もいる。...芝刈り機でぶーん!すっきり刈ってしまうのが私の役目。造園家なのだ。デザインのヒントと見本を出すのが私、花を咲かせるのは向こうの役目だ。
 ああ、もう本当に遅くなってしまって!遅刻もいいとこ。又明日ね、日本も寒い?

●2001年01月10日(水)

【木の下に置手紙!おお、よかった!】


 ゲストブックに書き込みするのが緊張してしまう!驚いてしまった。ホントに?
誰もあなたの事、知らないのに?芸名で書いてもいいのに?PCに向かいながらびくびくドキドキして後ろを振り返ったりするわけ?
そんな事言わないで気楽にして。外部だっていいじゃないの。なお更書かなきゃ。
そんな風では日本のフラメンコは少しも良くならない。
 何を書いていいかわからないって、私の文章読んで、ここが良かった、ここは今一つピンと来ないけどどういう事?とか思うでしょう?それを言ってくれたらいいのに。
そうしたら続きを書いてあげるんだから。私だって誰かが何か言ってくれないととても続かないわ。今日だってすごく忙しくってなんとセビージャにいないのです。これ、ホテルから書いているの。グラナダよ。すーーーーごく寒い!!外は。
 それで今日はお休みしようと思っていたけど昨日の今日だから子供のダダみたくなっちゃうな、と反省し、ゲストブックをちらっと見たら足跡のいくつかがちゃんと人間だとわかったので、なんとなくほっとして、やっぱりパスはダメか...と。
 マリさんは書かなくて当然みたいにおっしゃるけど、私はそれでは嫌だな。みんなの事をもっと知りたいのだもの。何を教えたらいいのか、参考になるし。もともと本だってゲストブックがヒントになったようなものです。ああ、こんなに困っている人がいるんだな、と。特に地方の人にはなお更捨てておけない気持ちになるのです。
(ところでマリさんありがとう。やっぱりこの四っつはダントツに多かったです)
 この間生徒にアンケートした時に、まあ、これだけ色んな疑問を抱えていてどうしてゲストブックに書かなかったのかしら!と呆れました。だいたい、HPに直接手を出して懇切丁寧に答えるアーティストなり、先生なりがどこかにいる?
利用しなくちゃあ!私はよく、自分がまだうんと駆け出しのわからないことだらけの時に、私のような先生がいてくれたらどんなに心丈夫に過ごせたかなー、と羨ましくなるの、あなた達が。うらやましい、ていう感慨だな、まさしく。
 一度だってつまらない質問だとそっぽを向いた事もなければ、いい加減にした事もないのにどうして聞かない?
どんな事にも出し惜しみという事をしたことがないのに。
何にも惜しくないのだもの。ぜーんぶ持って行ってくれてかまわないのだから。私はなくならないのよ、全部教えたって。毎日ものすごくいっぱい勉強しているのだもの。それにいつだって集中レッスンにスペイン人も連れて行きたいと思っているのよ。早く実現させたくてうずうずするくらい。けれどもみんながいつまでたってもまともなパルマもできるようにならないから、これじゃあ連れて来てどうしよう、と思ってしまうだけなのよ。歌の集中だってやりたいの。ウトレーラの素晴らしいカンタオーラがいるのね。踊りもすごくいいの。来てくれるって会う度に言われているのにもう、断るのが恥ずかしいくらいだから、なんとかなって欲しいなー、といつも思っている。
 そんな訳だから私に飽きて、他の流儀とかやりたそうだったら直ちに誰か連れて来てダブルコースをめちゃくちゃに充実させたいな、と夢見ているっていうのに....。
 本当の意味でのフラメンコの基礎がもう少しなんとかならないと、正直言って飛行機に乗ってまで行っていただくのが申し訳ない。お金を払えばいい、ていうものじゃないから。
あと一年くらいで誰か連れて行かせて欲しいなー。長くても二年だな。
 では又、明日もお便り下さい。私も楽しみにしています。わ!早く寝ないとーー!

●2001年01月09日(火)

【ザ・ミステリー】



  今日から仕事始めの人もあるとかで、日本もいよいよ長いお休みも終わって平常が戻って来たらしい。
 それにしてもこのつれづれが始まってからのHPのカウンター数がものすごいので、何かの間違いなのじゃないかと、わざわざHP担当のNさんに問い合わせたくらいだ。

これはきっと集中レッスンのお知らせを待っている人のせいかな、と思って昨日あわててお詫びを載せた。
...でも、どうもそればかりではないみたいだと言う人がいる。
まさか、この短いコメントが面白い訳でもないと首をひねる私だが、一晩に150人くらい一気にアクセスが来て、この数字が本当だとしたらなんだか私は気味が悪い。だってそれでいてゲストブックには誰も何も書かないのだ。読んでいるのは通りすがりの知らない人ばっかり?有り得ないな。そんな事。
 生徒が半分は居ると思うのだけど、年賀状に始まって、本の話しを初めて耳にする人もいた筈だし、へスース・エレディアの近況、色んな事を言っているのにふーん...て、それで通り過ぎ。先生、こんにちは!でもない。もうこれ書くのやめようかな。
 私がPC慣れしていないからこういう感想を持つのかもしれないけれど、例えばこんな気がする。
 ツリーの下に小さいささやかなプレゼントを置いて寝る。朝起きると、プレゼントはなくなっている。廊下をぼんやり見ると100人くらいの足跡が残っている。ホント?悪い夢かも....。
 次ぎの夜も同じ事をする。翌朝また、確かに包みは持っていかれていて、今度は150くらいの足跡が残っている。まさか!!とぼんやりコーヒーに手をやる。ね、包みを開けたのがあなたなら、何か置手紙してみて、とその晩は書いてみたのに、次ぎの日も相変わらず、違う足跡だけが不気味に残っているのでした......。
 なんだか、ショートショートの世界みたいにぞっとしてしまうでしょう?
そ、そこに居るのは、 だ、誰?
オードリー・ヘップバーンの緑の館になってしまう。え!?誰がオードリーかって?
いえ、別に、ただなんとなく。まさか、そんな図々しい事は誰も言っていないって。
明日ゲストブックに誰も来てなかったら、もう、不定期便に戻ろうっと。
 毎日稽古がきつい上に、精神に異常をキタしたくないものね.....これ以上には。

●2001年01月08日(月)

【1月集中レッスン中止についてのお詫び】


1月の集中レッスンだが、昨年の12月に続けて1月というと、事務局の受け付けが間に合わない。
何しろお正月休みが長くて、無理かもしれないと気づいたのはスペインに帰ってすぐだった。みんなも終わったばかりでぼーっとしていて誰一人、年明けのせわしなさに思い至らないみたいだったし。
集中レッスンの申し込みは、いつもすぐに決めれる人もあるが、調整に時間がとてもかかる人もある。
 そこで、集中生で連絡がとれる範囲にアンケートを出してもらった。1月の集中レッスンをこの際キャンセルして、少し間が空いてしまうけれど、4月の一週目後半からでもOKかどうか。

 何しろ12月だ。前回参加者の過半数くらいには連絡とれたようだが、全員ではない。「私は聞かれなかった」と憤然とする人もあるいはあるかもしれないが、その場合は許して欲しい。過半数、
3/2くらいの人には聞けて、4月でもいいという支持が得られたので、そのようにしたい。
4月でよい、と言う訳では決してないと思う。私がコンサートの準備に専心できるようにという配慮あっての事と感謝している。それと同時になんとも言えずに不憫というか、後ろ髪引かれる思いだ。
 一応、1月、と心積もりしている地方の人達があるといけないので、少しでも早くお知らせするために、ここにお返事しておく。
 
 今まで、ただの一度も予定レッスンそのものをキャンセルしてしまう、という乱暴はした事がない。また、12月という事で、意見を聞けなかった人には心からお詫びする。いづれ何かの機会に埋め合わせさせていただく。たとえば夏の集中レッスンは、期間にも十分ゆとりを持って更に今までなかったようなプログラムも加えるつもりだ。
 
それにしても、集中レッスンは終わってしばらく復習するのと、次ぎのプログラムを選ぶのとで、どうしても2ヶ月は間があかないと、受ける人も、受け付ける事務局側も無理のようだ。けれども、3月はどの道年度末で忙しい人が多く、集中レッスンには不向きだ。どうも時期が悪くてうまく行かない。私もみんなの事がとても気になるのだけれど.....。ちょっと自習に根性入れといてくれない?
パルマも相当ひどかった事だし、この際....。
 お正月がこんなに長いのだから、12月のレッスンをこっちにずり込ませたら良かった。
本当にごめんなさいね。いくらドランテとの練習があると言ってもずうっとリハばかりやっているわけではないのだ。お互いプロだから、そういう事はしない。どこにアクセントを持って行くか、どんな感じに集中させるか、という打ち合わせは密にするけれど、それぞれが自分の分野を練る時間の方が長い。
 本当だったらお互いにちょうどいいタイミングとしては2ヶ月空いた3月だが、そこをもう2〜3週間待って欲しい。ドランテとの公演直後の、炎の立ち上るような100%異星人のような私のままでレッスンに突入します。あれ、良かったです、私も昨日のあれがやりたい、なんて言ってもじゃんじゃん振り付けてしまうから。楽しみにしていて。
        4月の集中は、4/7〜行うつもりでいます。期間はまだ未定です。3/20までにHPで発表します。今度こそ、きっとよ。本当にごめんなさい。楽しみにしていた人はお気の毒です。私もみんなに会えないのは、なんだかとっても淋しい気持ちよ。どんなにヘロヘロにくたびれている時でも、ここに、何かしら書くようにするので元気で頑張っていてください。チャォ!

●2001年01月07日(日)

【EN QUE QUEDAMOS?SI O NO?】


 昨年の発表会で来日してくれた歌い手のヘスース・エレディアが今日、日本に発つと言っていた。小松原庸子さんの公演に出演するためだと言う事だ。
 是非、秋葉原にたずねてみんなに会いたいと言っている。
 本当だったらこちらから連絡して(あなた達の事よ)お食事かお茶でもご一緒しましょう!と言わないとかなり不人情だ。間がもたない、困る、というのなら、じゃ、せめてクラス時間の前後にたずねて、と言う。会ってみんなでにこにこする。にこにこがもたなくなったら、ごきげんよう!来てくださってほーーーんと、嬉しかったです!お元気でね、またお会いしたいです!と、心を込めて、もう、悲痛な感じになってもいいので伝える。どう?これくらいならできるわよね!
 これを読んだらちょっとみんなで相談してみて欲しい。誰かがやるかも、でなく、たとえば、あなたよ!あなたがみんなと相談してみて。

 はじめから諦めてしまってはいけないけど、また、スペイン語だ!やんなきゃあ、と大騒ぎになると思う。今年こそ学校に通おう!とか。
 スペイン人を目の前にして通学を決心しても仕方ないのだ。
 辞書を片手にまず、作文する。簡潔なやつ。電話して相手に「わー!」と喋られるとそれだけで絶望してしまうから、まず相手をだまらせる。例えば「まず聞いてね、沢山話されると上がってしまうから」、という万能の言葉を、この先ずっとお世話になる魔法のフレーズを作文する。暗記する。メモで残しておく。「今のはSI?それともNO?」
これも万能の挿入句だ。「がー!」と喋られて、で、OKなのかな、いや、だめだの説明だったのかな、と結果が分からないかもしれない時の念押し。「もっとゆっくり、もう一度言って」、「やっぱりわからないわ、ごめんなさい」、も絶対必要だから作文&暗記&メモ。
 会話の第一歩は弁舌さわやかな芸を見せる事ではない。
ターザン式でいいから目的を果たす事だ。自分が話すことを想定しただけで陥る窮地は、カンタンに予想がつく。その最悪の状態から抜け出すための作文から始めるのだ。
「ああ、全然だめ!悔しい!!分かりたい!分かってほしいなぁぁぁ!」
これさえ暗記していたら大抵の状態から抜け出せる、例えば。その上結構笑える。お互いに。会話の第一歩は逆上しないで済む工夫をまず、する事だ。
下手な修飾語なんかつけない。接続法なんてのも、理解しなくてよい。
どうせすぐには役立たないのだから、そんな暇に
「動詞の活用ができないの!」これだけ暗記する。
何かと言っては、まずい時に連発する。そうしたら相手が今のは過去か、現在か、と聞いてくれるから、すごいジェスチャーで過去、とかわからせる。このくらいの苦労をすると、動詞の活用はあっという間に身につく。あのものすごい活用表なんか丸暗記しようとしたって挫折するのがおちだ。スペイン人と共に覚えるのだ。
つまり青くなったり赤くなったりしながら。
 電話というのはとても辛いし、勇気が要る。だから逆上して何も言えなかった場合に備えて、作文する。これも、1.あっさり通じる2.通じないで困る3.相手がOKと言ったのか、別の事を言ったかわからない。
まぁ、ざっと3通りの展開を予想して、これの答えとそれぞれの展開を用意しておく。
 順列ですよ、みなさん。ああいうものを学生時代にこってり仕込まれたのだから活用しないとね、原理くらいは。
うまく行った時のお別れの言葉と、全くの失敗だった時の切り方も工夫して、
作文&メモ。これで大丈夫。重要フレーズに赤印つけて、さあ、受話器に突撃だ。

まず自分達でやってみて欲しい。本当に困った時だけ作文して送ってあげる。
この際だからみんなでこの段階くらいできるようにならないとね。
こういうスペイン語はNHKでもやってくれない。
語学学校に行ったら高度な作文で始まってしまう。
せっかく私の所に来ているのだから、こういう便利な先生と、そこから派生する機会は利用しなくちゃね。
 どうして私がいつも自分のリハーサルをみんなに見学させてあげると思う?そのうち自分がスペイン人にどうやって説明するのか、そういう事も合わせて勉強できるようによ。いつかは、これができるようにならないといけない。
 私は、この際、言ってしまうけど、85年にスペイン政府の技術通訳として大学の訪日教授団に随行した事があります。実は、教育関係の翻訳を三年くらいやってました。夜は舞台、昼はレッスン、朝に2時間翻訳、というまあ、目まぐるしくも楽しい日々を送っていました。ま、その時のお話しは別の機会に
 だからすぐに役立つスペイン語のコツなら私に聞いて。踊りだけでも経済の圧迫は厳しいから、スペイン語にはわざわざお金を使わない事、余って困っているのでない限り。
 でもフラメンコをやっていたら絶対にスペイン語なしではいられません。スペインなんかに行かないも―ん!とすねたって向こうからやって来るしね。度胸決めて、さぁ、やったやった作文。メールで添削してあげてもいい。じゃあね、頑張って。

●2001年01月06日(土)

【DIA DE LOS REYES】


 今日は、東方の三賢人の華やかで大掛かりなパレードが国中であるのに、大雨だ。子供達がみんな楽しみにしている日だというのに。
商店や仕事も、昼で終わってしまう程に大切な1月6日。
子供達がお父さんの肩車に乗ってパレードを見に行く楽しい午後。
この、三賢人には毎年、自営業のお金持ちなどが立候補して自前で子供達へのプレゼントを山車に乗せて、ばら撒くのだ。
 今は主に何トンものお菓子、それも主流はキャンディーだが、昔のブルジョア達の頃はこんなものじゃなくて、ちゃんとした汽車や人形などのおもちゃを惜しげもなく次々と車から山のように街道に投げて通ったと、おじいさん達から聞かされた事がある。
 スペイン人のお金持ちは芸術や、こうした人を喜ばせる事に貢献するのに生きがいを見出す人が少なくない。これは、とても素敵な、粋な事だと思わずにいられない。銀行などもちょっとした地元の舞踊団のために毎年衣装をあつらえてやったりする。わが国の三井、三菱も見習ってくれないかしらん。
 ここに住んでいると芸術が特権階級の保護のもとに栄えたという意味が皮膚感覚でよくわかる。タブラオに出ていた頃、よく、貴族やブルジョアがやってきてはアーティストにご祝儀が回ってきた。
 ゴヤの絵で有名な、アルバ公爵夫人は世襲で、現在の公爵夫人カジャターナは、フラメンコの大フアンで、特に私の出ていたタブラオのオーナーの後援者だったため、頻繁に現れた。お城にもよばれる事があった。なんだか19世紀の話しみたいで私にはとても楽しかった。そうした集まりには有名な俳優や詩人、文化人と呼ばれるような人達も大勢よばれて、ははぁん、これがサロンと呼ばれるものなんだな、と納得したものだ。今をときめく絵描き達とも知り合いになった。社交界というようなものは確かにスペインには健在なのだと身をもって知ることができた貴重な日々だった。
 仕事に出かける時にアーティストが目いっぱいおしゃれをして来るのも、舞台のはねた後、どんなところによばれるか知れないからなのだ。どこに出てもひけを取らない格好をしているのが、アーティストの心掛けだと暗黙のうちに知らされたのもこの時代だ。実際、着る物にはそれはうるさく注意された。タブラオのオーナーは、昔ピラール・ロペス舞踊団の踊り手だった人だから、もう、箸の上げ下げ、と同じくらいのやかましさで髪の結い方、着つけ、姿勢や歩き方にまでことごとく注意された。母親でもこうはうるさくなかったと呆れるくらいだったけれど、あれはあれであり難い事だったに違いない。
 さて、スペインのクリスマスの終幕、東方の三賢人のパレードとプレゼント交換をする日、1月6日をこちらでは、DIA DE LOS REYESと言う。何かというと、この日が終わってからにしましょう!と言うのは、
日本の「松がとれてから、」と多少似ている。
 ちなみに夕べは、午前2時からほぼ一時間おきに電話が鳴ってグロッキーだ。
夜通しはしゃいで遊んでいる誰かが、うちの電話にまちがってかけてきていたみたいだ。午前2時、次ぎが3時...勿論、間でも何回も。そして最後は朝の7時。どうも携帯電話に間違って登録されてしまっていて本人も知らずに誰か悪友を呼び出してやれ、という度にうちにかかってしまっていたらしい。
 これが誰かというと、どうも夕べ携帯で最後に話したドランテなのじゃないかと疑いを濃くしている。これから打ち合わせに行くところだ。ねぇ、三賢人の前夜祭で夕べ夜通しはしゃいでいたんじゃなぁい?....え!?なんで知ってるの?と言おうものならただじゃおかないぞ!!!

...で、聞いてみたらまさか!夕べは2時まで作曲していたけど、その後は赤ん坊みたいにぐっすり寝たよ!と言われてしまった。残る可能性は時間からして、日本の生徒が事務所と勘違いして自宅にフアックス送信しようとしていた事だ。おお、今夜は電話線引っこ抜いて寝てしまおう。午前2時からほぼ一時間おきに起こされていたのだ。万一にも心当たりのある人は永遠に謝罪もせず、名乗りも上げない方がいいと思うなー。許してあげないもの。2時から7時はご免と言うには、すご過ぎる。

●2001年01月05日(金)

【スポーツ脳みそ】


さすがに31日と元旦だけはトレーニングを休んだけれど、お正月の二日というと待ちきれないようにしてジムとプールで四時間過ごした。
何も今更みんなに向かって自慢しようという訳じゃない。二日もサボると、もっとサボりたい気分とは裏腹に、血液がにごり、末端の筋肉が腐ってきそうになって、安眠もできなければ目覚めも快適でないのだ。
どうしてこうなるかというと、長い間の習性で、活動時の最高潮に体が合わせられてしまっているのだそうだ。つまり運動がフルになっている時が普通の人が普通にしている時と同じになってしまっているので、何もしないでいると、普通以下、体がおかしくなってしまうのだそうだ。
 数時間、じっと机に向かっていると、もう死にたい気分になる。体中が壊死状態になってしまうというか、大変な事になる。
こうなると、ちょっとやそっと腹筋をして体をほぐす程度では、なんにも直らない。徹底的にやらないと常人になれない。
 昔、心臓の専門医に診てもらった時に、スポーツ心臓になってしまっていると言われた。この伝で行くと、スポーツ筋、スポーツ筋肉、スポーツ血液かもしれない。本を読む時もいつもじっとしていない。ヨガみたくいろんな事をやっている。読書する婦人画の優雅なモデルには、絶対になれない。
 告白してしまうと、日本で集中レッスンをしていると運動不足になって体調が崩れる。えー!?と驚く生徒が案外多いかもしれない。
すごいスケジュールなのに、と。そうかもしれないけど、瞬時も休まずにやっているいつもの自分のプログラムが毎日やれていないので、足りないのだ。
きついバーレッスンとセンター、水泳とジムをなんとか欠かさずにやりたいものだ。けれども水泳がなかなかできない。日本の昼間のプールはお年寄りの社交場のようになってしまっていて、まともに泳げるレーンがない。水温も高過ぎる。泳ぐ人専用レーンには、何人もがひしめいている。東京と横浜のありとあらゆるプールに出掛けてみて失望してしまった。
 ジムは、区や市の公共施設だと、専門家に指導を受けてからでないとやってはダメ、という所が意外と多い。アポを取って日をあらためないといけないからとてもやっていられない。私設のスポーツクラブだと短期間で会員にしてもらうのも大変。それに朝会員と夜会員とかに分けてあったり、とにかく何につけても規則がうるさい。やっとの思いで時間の調整をつけて、なんとプールを求めてある時、西葛西にまで行ったのに、飛び込もうとした途端、これから30分間の休憩です、と言うのだ。大きな立派なプールから人々が素直に上がり、言われるままに体操を始めた。私はこの30分しかなかったのだ。大人なんだから勝手にやらせてー!と叫び出したい気持ちでストレスが昂じてしまった
指輪だめ、ブレスだめ、ピアスだめ、というのはどこも同じだ。はずしているだけで持ち時間がなくなる。そうして何かしら無くす。内戦が起きたら速やかに国境を超えられるいつもの支度(?)は無用の長物と化す。
 鷺沼は駅前にプールがあるから、とっても期待している。日本でもいつものペースを崩さないで過ごせたら、とても嬉しい。

●2001年01月01日(月)

【2001年お正月】


みなさん明けましておめでとう!
 不定期便と並行してこういうものが書けるようになりましたが、なんだか慣れないので変な気持ちです。半信半疑。本当にちゃんと出るのかなーと。
 この頃の日本は暮れからお正月にかけての休暇が、スペインより長い。来年から12月の集中レッスンはずらしてお正月からやろうかな、と考えたりしています。益々地方から参加する人が増える中、続けて来れるように、という要望が高くなっているし。ご馳走攻めでげんなりしているところにばしーっとレッスン三昧というのは清潔ですがすがしい。何年か前にお正月の二日からレッスンを設定したらとても好評でした。早速フラメンコかえー!?...と、家族には白い目で見られたらしいですが。
 スペインでは厳密にはまだ1/6までクリスマスですが、仕事は明日の二日からフル回転です。暮れも31日の昼まで、というのが習慣です。学校だけが7日まで冬休み。
 1/6にはサンタクロースでなくて、東方の三賢人がイエス様に贈り物をたずさえてやって来た聖書のお話しになぞらえて、三賢人の山車が出ます。それはもう、とてもきらびやか。みんながプレゼントの交換をするのもこの日。クリスマス・イブではなくて。
 ともあれ、ここのところどうした訳か集中豪雨で去年からずっと大雨に閉じ込められています。
いつもはとても暖かいいいお正月なのに元旦の今日も雨模様。
近くの空き地にサーカスがかかるので、子供達は父親に連れられて今、元気に出かけていきました。
私は、サーカスがとても苦手なのでいつもついて行かない。空中ブランコがとても怖い。きっとジャンルは違っても芸人だから無邪気に楽しめなくて、はらはらしてしまうのが辛いのではないかと自己分析しています。身につまされてとても苦しいのです。
 去年から生徒のために、色々な翻訳をしています。これが中々のボリュームです。フラメンコの技術の他に知識の面でも教えたいと思うとレッスンなんかでは、とても時間が足らないのです。みんなはせっかく私という教師に習っているのに他の人の書いたものとか教則ビデオで混乱したくない、ともう何年も訴えかけていました。実際どこにも書かれていない事もあるし、大決心して何か本当にためになるものを出さないといけない、とだんだんと私も気持ちが追い込まれて来ていました。せっかくなので私にしか書けないような、中身がぎっしりしたもの、と思うと作業がとても大変。翻訳だけでなく、それを裏付けるような生きたコメントも入れて原稿を準備しています。
 実は、12月に帰国した時にサンプル原稿をある出版社に見ていただいたら、是非に、というお返事で、春までに完成したいと思っています。写真をふんだんに入れたいところですが、そうすると肖像権などで本の定価が跳ね上がってしまうという事なので、イラストも私が描きます。みんなが躊躇なく買えるような安い本にしたいの。スペインで出会った全てのアーティストの人となり、芸風を全部織り込みたい。私の22年のこの地で得た全てのフラメンコの知識と思い出と、そして未だ日本で知られていない、フラメンコの本当の、生きた姿と芸を紹介したいと思っています。
 昨年は、生徒のみんなから寄せられたアンケートも丁寧に検討しました。私がもともと描いていた構想にみんなの素直な疑問や悩みも全部反映させています。他にこの10年間に寄せられた外部の集中生達の意見も。私がいつも伝えたいと思いつつ、時間の制約で伝えきれなかった全てをこの本に集約しています。
全ての練習生のために、練習生の立場で書かれたものにしたいし。教えている人達にも。既に生徒を抱えてしまっているがために、人にたずねることができないような、教師が読んでも読み応えがあるような、そういうものを目指しています。
 元旦の今日も、何ページか書き進めるつもりよ。出来あがった時にどんなにみんなが喜んでくれるかと思うととても楽しみ。こういういいお仕事ができて、幸福です。
私のHPをみて下さっている、内部でも集中生でもない方、気兼ねなくなんでもゲストブックに疑問や質問お寄せ下さい。もう既にほとんど網羅したつもりですけど、せっかくですから、より良い仕事にしたいし。
 では、良いお年を。私もより良いアーティスト、教師、を目指して頑張ります。
みんなで今年も、セピアなんかでない、くっきりした色どりに輝く年にしましょうね!!

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