●2002年01月31日(木)
スペイン留学 やっぱりみんなはスペインに留学しないと本物ではない、つまらない、と思うかも知れませんが、私が来た頃と違って最近はものすごい日本人だらけなので来るとがっかりするかもしれないですよ。 私が留学した80年あたりにはセビリアに来る発想の人はほとんどなく、みんなマドリーのアモール・デ・ディオスにひしめいていました。 日本に居た時から、どうしてこのスタジオにみんなして行くのか疑問だったし、留学しても日本人と群れていては効果が半減なのではないかと思っていました。それに日本人ズレしている現地の講師にどうしてみんなして習うのかな、と。 例えばメルチェ・エスメラルダやグイート、トマスやシロー、それは良い先生なのかも知れないけれどどうして人と同じことばっかりするのかな。 (えー、これらの先生に師事してかちんと来る方はこのページを読まなくていいです。私は当時の私の気持ちをお話ししているので本当の事だしそれで何かの参考になる方もあるかな、と思う気持ちからなので) だいたい、フラメンコと言ったら南なのにどうしてマドリー? なんでセビリア、と発想しないのか。 不思議。 どうして先に行っている日本人を頼ったり、参考にして自分も行くのか、などなど。 だからこの、マドリーの有名スタジオには足を踏み入れませんでまっすぐセビリアのマノーロ・マリンに出向きました。 昨年、このマノーロのスタジオに生徒の件でお願いに行ってクラスを見学した時に「あららら?」と思いました。 何が違うのかわからないのだけど、全然様子が違った印象でした。 帰り道に考えたら、昔の環境と全く違ってました。 つまり、私が通った頃にはマノーロのスタジオには日本人は私しか居なかったし、生徒のほとんどはみんなスペイン人だったのです。 この日に目にしたのは山のような日本人と、一目でそれと分かる外人ばっかり。先生は昔と同じマノーロだし、スタジオはこの人の物だけれど、環境が全く違っていました。 スタジオも同じ通りではあっても、今とは違う建物で、入り口にマノーロの義理の兄なんかが厳格な顔してマネージメントしてなかったし。(リタイア−したのでここ近年、バルセロ−ナから出て来たこのおじ様はマノーロのクラスのお金関係を一手に采配しているそうです。ついでにこの方の奥様、マノーロの実の姉は中心街のサパティージャ・コラールで踊り靴の販売をしてらっしゃいます。) 昔はマノーロが一人でノートにマメマメとレッスン代を計算してつけていたし、通りからすぐに入って来れるのでよく、昔ならした今はアル中のおじ様が飛び入りで入って来てひと踊りしたり、そういう楽しいことがいっぱいありました。 今みたいにギタリストがマイクつけてクラスやってるなんて事はなかったです。 私の夫はマノーロの専属ギタリストだったので、家に帰ってこの感想を話してみたら、最近の若手ギタリストはみんな音が小さいのですって。マイクに慣れてしまっているので大きい音が出ないのですって。なんだか淋しいですね。中世の男性のが今より体格が良かった、て聞かされるみたいに。 そんなこんなでマノーロは名声と共に違う環境、違う先生になってしまった。 マノーロのためには嬉しいけれど、私は生徒には勧めないかも。 だからマノーロに習いに行くというのは昔とは同じではないです。 昔のマノーロのような、日本人のいない、現地人ばかりの「誰か違う先生」を見つけて行くべきね。 ここはスペインなんだし、そういう人はいくらでもいるんだもの。 それにどこの教室でも「私はここのモサよ」みたいに目を吊り上げた人が必ずいて、新入りの、昨日ついたばかりの別の日本人を見下すのだもの。わざわざいじめられに行く事もないと思うけれど、ここまで来て。 マノーロのスタジオの三件隣かなにかにスタジオを開設して、人でなしのように言われていたハビエルのスタジオは最近、日本のフラメンコグッズやイベントを手広く経営している会社が買い取ったというので、直に日本人のすごい手腕の教室経営が始まることでしょう。 ああ、ラクだわ、と嬉嬉として身を委ねるか、避けて通るかは人の自由だし、「あっぱれ経営者、さすが日本人は凄い!」という皮肉でない、驚きを私は持ちましたが。
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