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2002年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年01月31日(木)

スペイン留学

 やっぱりみんなはスペインに留学しないと本物ではない、つまらない、と思うかも知れませんが、私が来た頃と違って最近はものすごい日本人だらけなので来るとがっかりするかもしれないですよ。

 私が留学した80年あたりにはセビリアに来る発想の人はほとんどなく、みんなマドリーのアモール・デ・ディオスにひしめいていました。
 日本に居た時から、どうしてこのスタジオにみんなして行くのか疑問だったし、留学しても日本人と群れていては効果が半減なのではないかと思っていました。それに日本人ズレしている現地の講師にどうしてみんなして習うのかな、と。
 例えばメルチェ・エスメラルダやグイート、トマスやシロー、それは良い先生なのかも知れないけれどどうして人と同じことばっかりするのかな。
(えー、これらの先生に師事してかちんと来る方はこのページを読まなくていいです。私は当時の私の気持ちをお話ししているので本当の事だしそれで何かの参考になる方もあるかな、と思う気持ちからなので)

だいたい、フラメンコと言ったら南なのにどうしてマドリー?
なんでセビリア、と発想しないのか。
不思議。
どうして先に行っている日本人を頼ったり、参考にして自分も行くのか、などなど。

 だからこの、マドリーの有名スタジオには足を踏み入れませんでまっすぐセビリアのマノーロ・マリンに出向きました。

 昨年、このマノーロのスタジオに生徒の件でお願いに行ってクラスを見学した時に「あららら?」と思いました。
何が違うのかわからないのだけど、全然様子が違った印象でした。
帰り道に考えたら、昔の環境と全く違ってました。

つまり、私が通った頃にはマノーロのスタジオには日本人は私しか居なかったし、生徒のほとんどはみんなスペイン人だったのです。

 この日に目にしたのは山のような日本人と、一目でそれと分かる外人ばっかり。先生は昔と同じマノーロだし、スタジオはこの人の物だけれど、環境が全く違っていました。
スタジオも同じ通りではあっても、今とは違う建物で、入り口にマノーロの義理の兄なんかが厳格な顔してマネージメントしてなかったし。(リタイア−したのでここ近年、バルセロ−ナから出て来たこのおじ様はマノーロのクラスのお金関係を一手に采配しているそうです。ついでにこの方の奥様、マノーロの実の姉は中心街のサパティージャ・コラールで踊り靴の販売をしてらっしゃいます。)

昔はマノーロが一人でノートにマメマメとレッスン代を計算してつけていたし、通りからすぐに入って来れるのでよく、昔ならした今はアル中のおじ様が飛び入りで入って来てひと踊りしたり、そういう楽しいことがいっぱいありました。
今みたいにギタリストがマイクつけてクラスやってるなんて事はなかったです。
 私の夫はマノーロの専属ギタリストだったので、家に帰ってこの感想を話してみたら、最近の若手ギタリストはみんな音が小さいのですって。マイクに慣れてしまっているので大きい音が出ないのですって。なんだか淋しいですね。中世の男性のが今より体格が良かった、て聞かされるみたいに。

そんなこんなでマノーロは名声と共に違う環境、違う先生になってしまった。
マノーロのためには嬉しいけれど、私は生徒には勧めないかも。
だからマノーロに習いに行くというのは昔とは同じではないです。
昔のマノーロのような、日本人のいない、現地人ばかりの「誰か違う先生」を見つけて行くべきね。

ここはスペインなんだし、そういう人はいくらでもいるんだもの。

それにどこの教室でも「私はここのモサよ」みたいに目を吊り上げた人が必ずいて、新入りの、昨日ついたばかりの別の日本人を見下すのだもの。わざわざいじめられに行く事もないと思うけれど、ここまで来て。

マノーロのスタジオの三件隣かなにかにスタジオを開設して、人でなしのように言われていたハビエルのスタジオは最近、日本のフラメンコグッズやイベントを手広く経営している会社が買い取ったというので、直に日本人のすごい手腕の教室経営が始まることでしょう。
ああ、ラクだわ、と嬉嬉として身を委ねるか、避けて通るかは人の自由だし、「あっぱれ経営者、さすが日本人は凄い!」という皮肉でない、驚きを私は持ちましたが。

●2002年01月30日(水)

フラメンコのビデオ

BBSをちょっとのぞいただけで道草してしまったので、
時間がなくなってしまいました。

今朝方、日本から電話が入って、La Noche Flameca のビデオが爆発的な人気だと言われました。
日本にも入っていたなんて知りませんでしたねぇ。
あれ、とてもいいビデオなんです。

アカデミーとしては教材に指定したいかな。

この間CDが出ましたよね?
同じ会社のOFS社です。

あのCDを聞いて、私の集中でやっていたハレオは、実はこうなのか!!と驚いたという人の声が聞こえたけれど、
あれの映像が出ましたから、こういう身振りなのか!!
でまた驚くのはとてもいい勉強になると思います。
こういう逆の導入というのはインパクト強いですからね、覚えると思うな。
ハレオの掛け方、そのときの身振り、どこでどんな感じか。
パルマの〆方、終わり方の合図、全部入っています。
(君塚さん、これ、このスタジオこの間見学したでしょう?旅行の時に)

初心者用のつまらないスローなビデオなんか見る暇があったら、こういう本物のを何回も見る方がずっと勉強になります。真似してみる。障子を〆切り、ふすまを立てまわしてこっそりと。
次ぎに堂々と。

パストーラ・ガルバンの素晴らしいティエントスなんかも確か入っていたので、ははぁん、腰はあんな風にゆったりなのか...と感心しつつ勉強してください。=初級生、この間の集中で曲が上がった人達。特に。

バックにホセ・ガルバンがハレオしたり目立たない応援をしているのも本物ならでは、だし。クワドロの醍醐味が満喫できます。

 それから確か誰か流行のタイトの衣装で踊っていたので、今年のうちの衣装の主流はセビジャーナスは特にこのラインなのでよく見て研究しておいてください。ちゃんと踊れるのだから。昔はみんなこういうので踊ったのですってよ。流行は繰り返しなのですもの。
では、これにて。また明日

●2002年01月26日(土)

【No.867】 タイトル[徒然を読んで・・]
先生もスペインに渡った当初はなぜマティルダコラルがすごい踊り手であるかがピンと来なかったというのを読んで安心しました!
実は私はまだピンとこないのです。カンタオーラなら納得行きますが・・
だからやっぱりメルチェエスメラルダとかの方が好きだったりします。
これってやっぱりフラメンコを理解できてないってことなのでしょうか・・
............

 とても大事なことなので、頑張ります。

あれがどうして素晴らしいのかが分かるのは、とても大変です。
スペインの風土と人心が理解できないといいと思えないからです。

例えば、メルチェ・エスメラルダの方がずっとわかりやすいです。

なぜなら彼女は世界に通じる踊り手としての体を持っているし、努力家で、新しいものにチャレンジするし、エレガントにして大きい舞台でも映えるし、そういう分かりやすい芸域で生きているからです。

誰もが納得しやすい。好き嫌いは別として。

 私はメルチェのアーティストとしての努力とか方向性にはとても敬服していますが、フラメンコとしてはやはりマティルデのものすごさに勝てないと思っています。

 マティルデという人には、フラメンコの伝統としての奥行きとか、うねりというものが核にしっかりとあり、これを中心にたっぷりとした肉付きで、いかにもアンダルシアの、セビージャの土壌から生まれた生粋のフラメンコの女性の舞踊を伝えています。

 同じセビージャ出身でも、早くからマドリーに出てインターナショナルな芸風を目指したメルチェとは重みが全然違うのです。

 だからと言って簡単に軽んじてはいけませんよ。

そんな低い次元の話では勿論ないのです。トップとして十分に評価されるべきアーティスト同士だけれど、という前提のもとの評論を展開しています。

 洗練されて行くと必ず一方では土着の、地の底から這い出してくるような霊気をなくします。
 努力と練磨と洗練は、フラメンコの精霊から遠くなりがちです。何と言ってもあか抜けして洗練されてくると、どんどん遠くなるのです。これはどうしようもない。

 最近、バレエナショナルが益々面白くなくなって来ているのは、団員がみんなバレエダンサーだからです。じゃバレエはダメか、というと勿論そういうことではない。
鍛錬された贅肉のない立派な体がおデブに勝つか、というと勝つとは言えないのです。
 ああいう難しい、朝の8時から毎日レッスンしないとできないような凄い事ばかりで出来ているプログラムがフラメンコの極地か、というとそうではない。あれもいいけれど、息苦しい。

マティルデは出て来ただけで何か圧倒する。

彼女はフラメンコという前世紀からの踏襲と歴史の香をまとって現れるのです。
足はうんと簡単な事しかやらない。

でも、そういう単純な構成の中に輝くばかりの技量というものをたっぷり見せるアーティストで、観客が何によって沸くか、よおくわかっているアーティストです。いつでも必ず観客の呼吸を感じとって栄光のうちにフイニッシュを決めようとする踊り手で、真の巧者だと思います。

ただ、インターナショナルになりにくい。

カマロンがどんなに不世出の天才と言われても世界に出て行かなかったように、マティルデのような踊り手は土着のこの、大地の中で大いに芸を見せる人だと思います。

フラメンコは輸出できない。
ああいう芸はここで見ないと納得できにくい。

マティルデのどこが素晴らしいのかが的確にわかるためには、自分のフラメンコ観が大いに変わり、舞踊へのアプローチも全く違って来ないと理解できないです。

あの人の芸というのはとても深く、重く、芳醇です。「洗練」の対極にあるのだな、と捉えると少しは理解の入り口に立てるかも知れません。

以下の人はことごとくマテイルデの門下です。

ミラグロス・メンヒバル
カルメン・アルベニス
アナマリア・ブエノ
ローリ・フローレス
イサベル・バジョン
ラファエラ・カラスコ
ペパ・モンテス

そして、マヌエラ・カラスコも若い頃ブラソがとても悪かったので直してもらいに通ったのだと本人から聞いています。

 マテイルデはフラメンコの黄金時代の何もかもを見ています。そして芸に取り込んでいる。不可解な鍋をかき混ぜる魔女のようにその芸にはドゥエンデが宿っています。ただし、この人の得意とする分野は、怨念風では決してなく、明るい愛嬌とエレガンシアに代表される分野です。
タンギージョ、アレグリアス系のものは本当に優美でしたね。

 私はこのアーティストは飽きるくらいにいっぱい見て、納得できたのはせめてもの幸せだったし、財産だと思っています。つまり彼女の引退の前に間に合って幸運でした。

 このごろのフラメンコはみんなとても難しくなっているけれど、軽い。どんなにベレンがいいと言っても、私はやっぱりマヌエラ・カラスコが舞台に現れただけでほっとしますね。
嬉しさが全然違う。

メルチェはマドリーの人だと思っているし、あの人が出て来るとフラメンコを楽しむというよりは、その努力の痕跡に感心しながら技術面にどうしても関心が行ってしまう。

芸に感服するという無意識がなくなります。

ただし、彼女のメデアは素晴らしかったと記憶しています。ローラ・グレコのメデアは更にバレリーナとしての芸の確かさで見せていました。二人とも好演していたし、二人ともまったく違ったわね、と2年くらい前にマティルデと話した事があります。

だけど、メデアの役は、何と言っても見ていてとり肌がたつくらいにおぞましいまでに迫力があったのは、マヌエラ・バルガスでしたって、マテイルデが言ってました。

あまりのおそろしさにイスからずり落ちそうになったそうよ。
これは私はきっと本当だろうな、と信じます。
マヌエラ・バルガスというのはそういう人みたいだから。

 何か参考になったかしら?
理解するのはとても難しいと思います。

私はマティルデの門下には1度も入っていないのだけれど、よく人に彼女に習ったのでしょう?と言われたものよ。
それくらいにあの人の今活躍しているアーティストへの影響は強かったと思う。

つまり習わなくても似てしまうの。

どこかであの人の芸を呼吸してしまうのね。
知らないうちにセビージャの流儀としてのブラソが身に染み付いてしまうみたいです。
これは、私はとても感謝しています。
セビージャの特徴は、上体とブラソにあるのだもの。
ここのバイラオーラの誇りよ。

「ヒラルダは踊る事ができない。なぜなら腕がないから」

ヒラルダというのはセビージャのシンボルです。この塔は女性の名前がついているけれど、踊れない。何故なら女にとつて1番大切なのはブラソだから、という意味だそうよ。留学したての頃に習った比喩ね。

.....で、ブラソ、優美にね。私の門下ならなお更。バレエで鍛えてもらって。これと上のバレエの一件は別ものよ。
 

●2002年01月21日(月)

【セビージャ、本日ちょっと曇り】


 今帰ったところで、送るばかりになっている原稿にまた手を入れている。
ほっんと、際限がない。
 パコ・デ・ルシアがリカルドの弟子だったことを書き忘れていたのだ。
パコの父親とニーニョ・リカルドが友達だったのだ。こういうどこの本にも載っていない事は書き忘れてはいけない。リカルドの家族から直に聞いた話なのだから。アルへシーラスに行くたびに教えていたということだ。

 ニーニャ・デ・ロス・ペイネスとリカルドは近所の上に仲良しだった。確かそれで、墓地でも隣り合わせなのだった。リカルド夫人から伺ったことがあった気がする。あれは一緒にお墓参りに行った時で、君がそこを買うなら僕等もここに買っておこう、という話をしたということじゃなかったかしら?
明日、コンチリに電話して聞かないと。
リカルドの次女のコンチリも確かもう70才になる筈だ。
この人は歌がうまく、自身で作詞もよくした。
主人のギター伴奏でよく歌ってくれたものだ。
私はこの人からマルティネーテを習った。

 そう言えば、アントニオ・マイレーナと一緒に写真を撮っていたっけ、というのもこの間から思い出している事だ。なんとマティルデ・コラールとアントニオに挟まれて撮ってある貴重な写真だ。一緒にラジオ番組に出演している。
ほー−んとだ。これは結構価値があるかもしれない。
今度の本では自分の写真はなるべく出さないようにしているのだけど、これは出してしまおうかな。マテイルデも一緒な貴重な一枚なのだし。
いいかしら?私が入っていても?

おお、これがアントニオ・マイレーナね、歌聖として名高い。うーーむ。
へ?この方が、踊り手?本当に?え!?セビージャで一、ニを争う大家?
こぉんなに太っていて????
ほんとかなぁぁぁぁ、踊り手の体に見えないけどなぁぁぁ。

これ、マティルデを見た時の私の偽らざる感想です。
そしてこの辺りから、自分が思っていたのとスペインのフラメンコは違う!
というショックの始まりでしたね。おデブでないと許さん!というくらいに真打と言われる踊り手のことごとくが、みんなスリーLより巨大。
この人がセビージャの全てのアーティストの先生。一番エレガントな踊りをする人、と言われる度に耳を疑いました。
幸いな事に、マティルデが引退の前に、それが事実であることが納得できましたが、エンリケ・エル・コホには間に合わなかった。見極める前にあちらが亡くなってしまわれたからだ。
 
 皆さん、毎日本の事前登録してくださっているそうで、ありがとうございます。まだですかぁ、とも言わずに。
かた時も忘れていませんが、見直しに余念のない私です。巻末の二枚以外は全部書けていますが、見直す度に気になるところが出てきてしまう。今も疑いの焦点になっている年代を三つほど、問い合わせに出しています。
 あーーー、これが終わったらミステリーか何か書きたい!早く期末テスト終わって生き返りたい学生の気分。
 今、最後のバズルのツーピース待ち、ていうところなので、まだぁ?もう!だけはやめてね、お願い。
毎日十分、苦しんでおります。保証します。

●2002年01月16日(水)

【セビージャ、本日快晴!日本晴れ】


 長いプロセスの仕事では、その道端から色々な小道に入り込んで
益々複雑になって行くことが多い。
 道を聞いて、間違った方向を指さされたり、信じて行ってしまってとんだ手間どりだったり。

あるいは無駄足ではあったが、そこから思いがけない素晴らしい専門家と期せずして知り合いになれたりして、全ての労苦は報われたと確信できたりする幸運もある。

 今日、3分前まではもう絶望していた仕事が、最後のたった一本の電話でまったくの光明が見えて有頂天になっている。
これはお祝いしないといけない。
 わはははーー!とまず笑ってみようかと思うくらいだ。

 このところ、明け方になんだかうなされていたというのだもの。
どうも、私は何の仕事でも三本ぐらいシーリアスなものを同時に抱えていると
夢でうなされるらしいのだ。
 その一つに本の仕上げがあったが、書物ではなく、写真の版権をめぐって最後の段階で暗礁に乗り上げていた。
 もうこれさえ片付いたらすぐに印刷に回せるというのに、全然解決を見なかったのだ。2年も費やしていて、まだ.....
自分の力の範ちゅうになくて、人に決断を待たないといけないものというのは辛い。なんともできない。手をこまねいているしかない。

 もう写真なしで出して欲しいという意見も待ちきれない人から上がっていたが、今世紀初めの踊り手など、写真がなくては私はとてもその魅力を感得できないと思って苦しんでいた。

 真のフラメンコの歴史は遠いほど、何かよすがとなるものが欲しいに決まっている。それが読者に対する親切というものだし、ここまで頑張ったのだから力の及ばない所はなんとか及ばせて実現させたいじゃないですか!

 なんとここまでで、スペインのフラメンコ学者の中でもとりわけ長老と言われた方達の協力、版権をめぐってセビリアの敏腕弁護士による懇切な助言、公証人による一連の作業アドバイス、マドリーの著作権協会、新聞社、記者達、イエズス会、こんなに大勢お世話になってしまった。
そして皆さん、声をそろえて、「...で、僕たちも読めるようにスペイン語版も出してくれるんだろうね!こんな珍しい、テクニックや歴史に言及している本なんだからさ!!」

 ここのところだけ、あんまりうまくないにやにや笑いでごちゃごちゃつぶやいて逃げに入る。
 
 とにかく、パズルの最大のそして最後の一つがそろったので、これから
大いに追い上げ段階に入ります。

 今回の人脈とそしてここから得た知識と励ましによって、来年、スペイン舞踊史に関わるような素晴らしいコレクションとしての写真集も出版できるかもしれません。

 これが、イエズス会の修道士から子供の頃に、私に贈られた秘蔵の舞踊写真で、スペインでは絶版になっていて古本屋にもないのです。
 本国ではどこにも見当たらない、そういう宝物みたいな物を実は私は持っていたということを、今回関わった皆さんから知らされました。
 この写真達こそが私の幼い胸に強い憧れを焼き付け、ついにスペインの地に呼び寄せたに違いないのだし、この写真に始まって今があるのですから、これはなんとしても復刻に値します。これこそは世界中で発行したいな、と思っています。注釈のスペイン語は自分でやるけれど、英語をやってくれる人があるといいんだけど....。英語なんて忘却のかなたですから、何しろ。

 PS.今日は大いに時間遅れてしまって、レッスンにすっ飛んでいかないといけないので、スペイン語は明日の朝までにアップします。お許しを。

●2002年01月12日(土)

【セビジャーナスのCD・ビデオ】

 みんなのために何かいいセビジャーナのCDはないかな、とこの間から考えている。覚えやすいのはOFSの「忘れ得ぬセビジャーナ」版だ。スローテンポが多いので歌詞カードを見ながらゆっくり復唱できる。まずはあのくらいの歌を覚えて欲しい。
 習いたての人がたどたど踊るのにもいいテンポだし、お茶の子さいさいの人がじゃ、しっかり上体を考えながら練習するのは?という時にもって来いのテンポだ。

 ローラ・フローレスに会いたくて、カルロス・サウラのビデオ「セビジャーナ」を大騒ぎして探した。
 この不世出の偉大なるアーティストが病に倒れて久しい。

 一緒の舞台に立ったことを昨日の事のように思い出す。

そのカリスマ性、存在というには言い尽くせない程の存在感で舞台を一人でいっぱいにし、観客席をなぎ倒さんばかりの興奮で酔わせ、劇場を、野外を、はるかかなたの地平線にまでエネルギーを放射する驚くべき女性だった。

 もうここまでで私は涙がこらえられなくなる。

あの、どんな賛辞を山積みにしても足りないアーティストは、その人生もまた壮絶だったのだ。
 ガンのおそらく末期に入る頃に国税局の激しい追及が続いて何もかも手放さないといけない不幸に見舞われた。
 国民的人気歌手で、フラメンコでは何をか言わん、今世紀初めからずっとスターであり続けた伝統の踊り手で、どんな一級アーティストもこの人の芸には謙虚に頭を垂れ、それに続く天才はついに発見することが出来ないというようなスペインの血と砂とむせるような情熱から生まれたその人は、もしかしたら、政策の逆プロパガンダとして使われてしまったのではないかと囁かれていた。
 長男はドラッグに侵されて、母親としては身を切り刻むような思いで彼の更正に苦しみ、その間も舞台にあって常に人々の羨望と驚嘆の的であり続けた、そういう女性だったのだ。

 ビデオに登場したローラ・フローレスの生年を、急いで自分で書き上げた原稿から拾う。

なんとこれが撮影された頃には60代の後半なのだ。
皆さん、とくとご覧じろ、バタデコーラはタイトスカートですよ。
うっかりしていましたね。タイトのコーラで、70才近い人はかくも軽々と踊っているのです。
しかも内部はガンに侵されているわけです。
これからそんなに経たずに亡くなってしまったのですから。

 こういう人を見るとああ、まじめに精進しなくては!と反省しますね。深く、深く反省してしまう。もう、自分はクズだ、という気分にさえなる。
お正月からこっち、腹筋も200とやっていない。
コーチに会っていない。
会わないと会わないことに慣れてしまう。

そりゃ仕事は忙しい。この世に忙しくない人なんて滅多に居るものじゃないんだから、これは理由にならない。

ただ、まったき真実としてはですね、堕落するのに努力は要らぬってね、ははは、それこそ息をするように簡単に堕落してしまう。
息をするように簡単に踊るのは有り得なくとも.....。

●2002年01月10日(木)

続・衣装

 なかなか活発な意見が上がってみんなの気持ちが輪郭として浮き上がって良かったです。
 インターネットは便利ね。励ましのメールも沢山いただいてしまったわ。
退会した生徒からも衣装の貸出しの申し出がありました。
みなさんご心配下さってどうもありがとう。

 私は基本的に揃いの衣装というのは、生徒のためにあまり入れないようにしています。
万が一(?)上手くなってソロが踊れるようになった時にその始めの一着で踊れるようにとの願いを込めて、色は全部違うものにしているの。
ロマンチックでしょう?その根拠。
それにいくら下手でも(!?)好みだけはうるさいもので、人と同じ揃い物なんて嫌!!!て思っているものよ。違う?

一人一人に似合う色とか、柄を考えてあげたいし、飾りクシや小物との組み合わせは、大勢だと大変だけど、本来は私はそういう事を考えるのが好きなのであまり苦痛ではないです。それにどんなに素敵に見えるかと思うととても嬉しくなってしまう。(限度もあるんだけど)

 唯一揃えたいと思うのは衣装に合ったカラーシューズです。
私は色物の衣装に黒い靴というのは、とても我慢するのがきつい。きついけれどいつも我慢しています。

平気、これもそのうち大量にスペインから送らせるから。今回はダメだけど、そのうちにやりましょう。
合うサイズを試着なしというのは難しいので適当に選んで送り、展示会にしたらいいのよね。衣装もいつもそうだけど、その場で合うものを買えばいいのよ。あぶれちゃう人は滅多に出ないし。あれは前回に衣装でやって好評だったし。またやりましょう?

 衣装についての考え方はスペインのプロの間でも千差万別です。
一般に、マドリー辺りはあまり気にしないの。平気で着古した物を着ていたりします。
セビージャは、他の何を詰めてでもしゃっきりとした物を着ます。ここは着道楽の土地柄です。多分、衣装ではスペイン一の評判があります。普段のみだしなみにもとてもうるさく、赤ちゃんの時からベビーコロンをふりかけているくらい。

 私は踊りの衣装というのは、踊り手にとって第二の皮膚だと思っているのでいい加減な物を着ているのを見るのは辛いです。

それにやっぱりスペインが長いので、こういう衣装には、こういう着付けでないとおかしい、とか、伝統的な着方とか、精通してしまっているのよ。

日舞の人が着物に詳しいように。

日本ではあっ!!!と思うようなミスマッチは沢山見かけます。外国の物は外国の伝統があるのだからそのセンスと決まりを体得するのは難しくて当たり前ですが。難しくもなんともない、ていう専門家が幸い私なのだから、これは私の役目でしょ?

 だからみんなが勝手気ままに着てしまうと、長じゅばんに兵児帯とか、お振袖に貝の手の帯結び、みたいなものをいっぱい目にしてしまうハメになり、当人はいくらそれでよくても、私はとても悲しい。
 それでいつもコダワリのある人間が下働きに苦しむハメになるのだから自業自得なんです。まあね。(うちの母は適当にしろといつも端から見ていて呆れるのだけど....はは、呆れてばかりの人です、気の毒に。こんな娘持ってしまって)

 高価な物を着ろと言う事ではないですよ。ちゃんとした物をきちんとした習慣によってセンス良く着るということです。

これは踊り手の条件です。

踊りというのは色彩とか、空間とか、人の無言のエネルギーを感じられるようでないとダメですから、これはただの見栄でなくてとても大切な修行の一つです。
バックアーティストも、衣装も、振り付けもきちんとしていると、残る焦点は踊り込みだけで、この唯一の欠陥だけに専心するのはとても、とても大切な事です。
テーマはたったの一つだ、ていうのは。

これだけが、あなたにかかっている問題なのだ、と論旨がはっきりするということこそ、うちに来ている人が、なぜ私に習っているのか、という原点です。
まあ、先生、素人のてなぐさみにそこまで考えなくていいですよ、というのなら、うちの全てがこの論理で崩れ去ります。カリキュラムも、何もかも、手抜きになってしまう。
私はスペインからわざわざ長旅をしてそういう物を目指すのは嫌です。

一人もプロにならなくて結構。手慰みの域を出なくても結構。ただ、私の姿勢とアカデミーのフォローはこの上がないくらいに完全にしておきたいです。それがムダで余るのならいいじゃない?足りないよりは余る方がいいです。

 さてと、ここで結論。

混沌たる意識の入門生、混沌から覚めつつある初級生中心に次回帰国までに、(おそらく3月までに)主なプログラムの衣装を150着送ります。生徒会が
展示会をスタジオでいっせいに並べてやってくれるそうなので、出かけて行って試着。好きな物を選ぶ。買いたい人は買う。レンタルの人はレンタル。早いもの勝ち。衣装つかんで考えたい人は、好きなだけいつまでも考える。
どうです?これで。
 
 出ない予定、迷っている人も一応後学のために出かけて見ておく。次回になるほどこういう事になっているのか、と思えるように。そうするとインストラクターや事務局にうるさく質問しなくなって嬉しい。

引き続き、何かありましたらゲストブックにどうぞ。私が気がつかない、何かあるかもしれないし。
うーーんと、でも、私に衣装も縫えというのはやめてね。お金を出せ、だけにして欲しい。型紙なら作り方教えてあげます。今度の夏くらいに。

●2002年01月09日(水)

【衣装】


 今朝は衣装デザイナーと打ち合わせが入っている。
 昨年の暮れからのアポイントで、キャンセルが出来ない。

いくら言っても必ず何人かの返事が返って来なくて、除く全員分が揃っていても何もできずに腕組みしないといけなくなる。
今日は出かけて謝らないといけない。
実に憂鬱だ。

 来年からもう、生徒の衣装の心配をしてあげる事自体をやめてしまおうかと思う。
「好きな衣装を自分で買って着ていいですよ。」
これだ。実に魅力的な響きだ。

 だいたい、今年は各クラスでの説明が何かの拍子でまずかったのか、全校生で、ただの一着も衣装を購入する人がいない。(二人いたかも)
全員、全ヌメロにレンタル欄にマル印が入っていて、びっくりしてしまった。
こんなのはアカデミー開校以来初めての事だ。

 他所の発表会はどうやって運営されているのかしら?

曲によって全員お揃いの色とデザインで揃える筈だ。
これは勿論、衣装屋さんに出張していただいて測っていただき、全員買取だ。
何曲も踊る場合はその数の衣装をみんな買う。

あるいはどう譲歩しても、課題の1曲は誂えて、あとのはレンタルというのが常識ではないのかしら?

 うちではスペインに直に発注してしまうし、ビジネスとしてやっていないので、質がうんと上等なのにお値段は半額以下なのだ。

それでも一つも買わないというのは、本当にびっくりしてしまう。

スタジオコンサートもあるし、パーティもあるし、よそから頼まれるイベントもあるのに、一着も自前の衣装がないということはフラメンコを踊れる機会からとても疎遠になってしまう。

レンタルも普通の半分くらいの値段で生徒会管理で貸してあげているけれど、それだって3回も着たら買えてしまう合計額になってしまう。
本当にこんなに手元にゆとりがないのかしら?
1度買った衣装はあとで後進の人達に譲ることだってできるのに、それでも一つも買えないなんて事が本当にあるのかと疑問に思ってしまうのだけれど。
誰か教えてくれない?

 うちのアカデミーの筆頭スポンサーは私なので、全曲、全員、全部レンタル、と言われれば立て替えて買ってあげないこともないですが、本当によそのお教室でも先生が1500万も2000万も支出したりする?
とても信じられないけれど。

 例えば集中クラスは全部出たいような、もう3年もうちにいるような生徒には勿論、なんでも買ってあげるけれど、集中にはまだ出ない、入会してみてまだごく僅か、家が近いから入ったら存外先生はいい先生だったみたい、なんていうご縁のまだ薄い、いつやめてしまうかもわからない入りたての人に何十万円もの衣装をその人のサイズで何着も買ってあげるのはさすがに太っ腹の私でも、嬉々として、とは行かないのだけど。
 とにかく、びっくりしてしまって。
入門生、初級になりたての生徒中心に是非、お返事いただけない?
アカデミーアドレスでもいいし、ゲストブックでも誰かを糾弾(?)しなくていいような場合なら。
別に私は血祭りにあげられたりしないと安心はしているけれど.....

●2002年01月07日(月)

【レジェス・マゴ】


 クリスマスは、スペインでは正確には1月6日という日を迎えないと終わらない。
ここでは、サンタクロースではなくて、プレゼントをくれる人は東方の三賢人なのです。メルチョ−ル、バルタサン、ガスパール、の3人です。

 この国では、24日にプレゼント交換はしなくて、1月のお正月明けにします。
 今年の例だと五日の晩でした。

 街にも各村にも、素晴らしく飾り立てた山車(だし)が出て、三賢人に扮装した3人が街中の沿道に集まった子供達にキャンディーをわしづかみにしては投げて行く。
 これを拾いに行くのは子供達にとってはお正月、クリスマスの一大イベント。

 私は、こういうのにマメではないし、いつでも仕事で落ち着かない気分なので、子供が生まれてから1度も連れて行った事がない(....と書いて初めて薄情さに驚く。こういう事に何ら苦痛を感じない子供の父親が居てくれて本当に良かった!夜明けに穴ぐらから出て来る野ウサギを見に連れて行ったり、木登り、毛虫探し、そういうのは私の役目ではない、は、あり難い!二人とも全然私に似ないで「虫めずる姫君」に育ってくれていて嬉しい。私のようなサバイバルじゃない女性は、実は私は好きではないのだ。毛虫がかわいいと思い、遥かかなたの原野に目を細める女性っていいな、といつも思って憧れている。憧れるだけで、自分は虫を見てきゃーきゃー言っているのだ。情けない、つまんない、ありきたりな女だな、まったく!)

ええーーと、又脇道にそれてしまいましたね。

 スペインにもしも留学中にこの1月を迎えたら、お世話になっているご近所のセニョーラとか、いつも親切にして下さるお家に子供がいたら、何かおもちゃか、子供の喜びそうなものを買ってあげないといけないですよ。

いつも人にしていただくだけで、外人だから、女の子だからって甘えてばかりいないで、子供達に何か心配りしないと。

子供を可愛がる、というのは本当に日本の女性はできにくいみたいだけど、親というのは子供に何かして戴くってとても嬉しいものだから、何よりの恩返しだし、お礼になります。よく覚えておいてね、スペインでは、10代のうんと若い女性でもそれは子供のおもりがよくできる人が多いのよ。

 主に子供ですが、子供だけでなくて色々な人にプレゼントするのもこの機会が便利です。街はそんな人達でごった返し、本当に山のようなプレゼントを買い込んでいる人達を見かけます。
 
 前述の三賢人というのも実は、個人が立候補して、キャンディーを何百キロとか買って蒔くのです。そういう素敵なことをしたい男性っていいと思いません?こういうところもスペイン人のいいところよね。
日本でもお祭りになると莫大な寄付をするような紳士が今でも健在なのかしら?

 お爺さん達のお話しでは、昔はキャンディーなんかではなくて、山のようなちゃんとしたおもちゃを山車に積んで、手当たり次第に沿道にばら撒いて行進して行ったそうよ。この昔というのは、戦前の事のようね。つまり市民戦争前のすごいお金持ちが沢山いた頃のお話し。

 あのガウディのパトロンだったグエルにしろ、とびきりの上流紳士がよく、こういう事をしたみたいだし、今でもその名残りは確かにあります。
 日本ではどうかしら?
幕末の豪商まで辿らなくてもやっぱり居たのかな?

●2002年01月04日(金)

 【皆さん新年明けまして、おめでとう】



 
 徒然が始まって初めて新年のご挨拶をするような気がします。
そんな事はない?

 でもアカデミーページにちゃんと関わるようになったのは最近の事だから、今までは郵便を取りに行ったり出したりするのを人任せだったのに、自分の手で、ちゃんと出来るようになったという感じがします。

....さて、自分の手はともかく頭がねェェェ...。ユーロの幕開けとともにお店はどこもレジで行列ができて大変のようです。

私は買い物によく出れないのでまだ実感としてないのですが、昨日レジでペセタでもらったお金をユーロのおつり計算で...という店員をついに待ちきれなくて今度でいいから、ホント、今度にして、と逃げ帰ってきてしまいました。
レジスターに打ち込み失敗して3回やり直し。
仲間が3人寄って来てそうじゃない、ああでもない、とやりだしてしまった。
永遠に続くような錯覚が起きましたよ。

 新年に入って1度おつりをもらいましたが、なんとかペセタはなんとかユーロだからかんとかユーロのおつり!はい!出来た!
そう言われても間抜けのようになって手に乗せられた見慣れない、信用できないコインを見るばかりよ。

自分で検算する気なんて毛頭起きないです。

 ペセタが併記してない商品はやっぱり買う気が起きないし、ユーロっていくら166掛けろと言われてもこっちとあっちとどっちがいいか、という比較の時はいちいち掛け算して考える気がしません。
こんなんで、いつになったら安い、高い、兆度いい値段、て感覚で一瞬にして分かる様になるのかしらね。 
きっとみんな計算違いをするだろうし、検算しないといけないかも。

 国力の違うヨーロッパ同士で通貨を一緒にしてしまうと、スペインなどは物価がどんどん上がってしまうのではないかな。
もう、今年ユーロだと言っただけで去年の土地の値上がりと言ったらなかったし、そのうちロンドンとまでは行かなくても、主要都市の土地と似たり寄ったりの値段になってしまうかも知れない。

この国の魅力は土地が安い、生活の基本の物価が安い事なのに。

 これはとても魅力的です。事業を始めたい人は少しの元手で危険なく始められるし、失業している人は家族や親戚の厄介になっていてもそれほど深刻ではない。生活が楽ということは芸術家が生まれやすい土壌を提供するのです。
 その上お天気がいいとなると、かなり素晴らしいです。

 私の母は、あんな泥棒の国!と言うのだけど、何もかも満点とは行かないものですからね。日本とスペインと突き合せて二で割ると、かなり程よい感じになりますが.....
 

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