フラメンコ・オーレ フラメンコファンと練習生を一挙にスペインへ!
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2003年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2003年01月27日(月)

タンゴ、タンギージョ、ブレリア

 OFSから出たてで日本には入りたてか?という
カルメリージャ・モントージャのタンギージョUが中々素晴らしい。
この間タンゴと言ったので見つけられない人があったらごめんなさい。

これはタンギージョ・デ・カディスとは全く違います。
聴き始めると「????」となるかもしれない。
ならないとなるとちょっと....聴き込んで!と言うしかない。

なったとして「え!?どこがタンギージョ?」と不安になる人、正常。
これ、ブレリアじゃないの?と勇敢にも思う人さらに二重丸。
ははぁん、ここからかぁ....
と胸を撫で下ろす人はAプラスくらいあげてしまう。
どこからリズムが違うかちゃんと当たっていればね。

 これ、とても不思議なリズム形式で、タンゴなのにブレリア。ブレリアなのにタンギージョなのです。どんなにでも刻めてしまうリズムになっているからとても耳が鍛えられる。
 初日にこれでやれるか試してみてあんまりにも無残だったら
あっさりと普通のタンゴにしますよ。
とりあえず登頂は試みましょう!

 夕べは上の子が選手権を勝ち抜いて来て盛大な夕食だったので
成長期の、オリンピック候補の選手と食卓を共にして、つい同じように食べてしまった。全く成長期でない、一日泳いでいたわけでもない私は罰として
11:00から1:00amまでスタジオにこもって一通りやる。
死の舞踏は、最後まで仮縫いが終わった。
忘れないように構成をメモってある。
なんだかご機嫌な出来だ。
実にダイナミック。
みんなはヒーヒー言うだろう。わはは!
おお、楽しみ。

●2003年01月26日(日)



 昨日やっとアカデミー寄宿舎に鏡が入った。
寄宿舎には半地下があり、ここにスタジオ工事をしている。
中々忙しくてスーパーバイザーは工事が進められないで困っている。

鏡はダーーーーッと入ったが、今朝落ち着いて見てみると結構ザツ。
秋葉原スタジオより少し広い。同じような感じに鏡がついている。

月曜に文句言わないといけないが、相手は2度手間が嫌だから
必死に説得してかかろうとするだろう。
何事によらずスペインでの生活は厳しい。

こう思って日本を美化すると日本でもきつい目に会ったりする。
どこでも工事は厳しい。良い職人は少ない。

 私の次女が通っているこちらの体育館は片面の壁が工事途中で、ない。
この冬の寒空に風が吹き曝して来る。雨の日は奥まで濡れる。
私はあまりの寒さと冷たさとで辟易としてしまってとてもレッスンどころでなくなるが、選手達は眉も動かさずにもくもくと訓練している。

新体操の訓練は大きな12メートル四方くらいのじゅうたんを敷き詰めて行う。これが雨水のためにしっとりしてきてどうにもかなわない。
不潔だし、気味が悪い。でもこんな薄弱な事を思ってレッスンを切り上げて
しまうのは勿論私だけだ。
スポーツ系の根性は本当に見上げたものだと思う。

この体育館の粗末さと言ったら南スペイン一なんじゃないかと思う。
床はじゅうたんの下はなんとコンクリート打ちっぱなしなのだ。
勿論、背骨にも膝にも悪い。
誰一人、骨折も捻挫もしていないと言う。
奇跡のようだ。

この劣悪な環境でありながら南スペイン一の新体操チームを誇っている。
貧しい条件の中から美しい蓮の花が咲く例えのようだ。
来年は木の床の新体育館に移れるらしいが、スペインの来年はうんと先かも知れない。まず、そうだろう。
成長期の子供達に一日も早くコンクリート床とさよならの日が訪れて欲しいと毎日思っている。

鷺沼も秋葉原もクッション床で、それは丁寧に検証して作らせている。
こういう健気な子供達を思って少しは気を入れて精進してもらいたいものだ。

あなた達の友繁先生は、午後はコンクリート床で3時間の訓練をしている。吹きさらしの体育館で....修験者みたいだ。見掛けだけは(笑)

●2003年01月21日(火)

グワヒーラスについて

 これは私の当たり役というか当たりヌメロで、セビージャで最もコケテイッシュにこの曲のアイレが出せる踊り手と賞賛されたことがある。(今はもっとうまくなっていると信じたい)
キューバ大使がお目見えの時に請われてご前舞台に是非、とこれを踊ったことがあるくらいだ。
 日本のスタジオに飾ってあるとりどりの色のスカートの写真がそれで、あの衣装も自分でデザインしたばかりか、染色から始めて手作りした。
フリルの曲がり具合は振り付けでどちらにスカートを持つか、という計算の元にしてある。
衣装屋にはここまで細かい指示はさすがにできない。
いらつくより自分でやってしまった方がずっと早い。

...というのは子供ができるまでの話し。
(水泳と新体操の選手を二人も持つとなんだか気忙しなくてミシンの前に座る気だけは起こらない。彼女達の世話が大変だからではない。負けまいとして大変なのだ。)

 グワヒーラスと言う曲は、熱血のジプシーには本当に苦手な曲らしい。
過去にさかのぼってもこれが女らしく、甘く、エレガントに踊れたヒターナを見たことがない。彼等の感性にこういう種類のものがないのだろうと思う。
キューバから逆輸入になってフラメンコ化したために、外国の、つまりキューバのカリブ海の粋さというものがある。これが出しにくいらしい。
全員に、とは言わないけれど日本人にはこの手のものはやりやすい素質がある。私達の感性の底流にはこういう女らしさというのが共通してあるからだ。

今回の集中では極めつけブレリアで熱血のヒターノ系ブレリアをやり、このグワヒーラスでスペイン人に太刀打ちできてしまうフィールドとして挑戦。
二つの違う感性は、勉強として面白いだろうと期待している。

更に、死の舞踏のブレリアはグワヒーラスに必要な身ごなし全部と、熱血ブレリアに大切なマルカールとコンパス感が全部盛りこんである。舞踊の総決算のような振り付けだ。

 いつも集中プログラムをする時にはこんな風に一生懸命関連付けして考え抜くので何日もかかってしまう。受ける人はそこまでとは思わないでつらーっとしているのかもしれないのだけど....
その他のテクニカ系は、前回、前々回、あるいはいつも気になっている、みんなができにくいものを抜粋している。この抜粋シリーズはおそらく何回かの周期で色々の応用を加えたり削除しながらプログラムに登場する筈だ。

マントンテクニカは、振り付けとしてやっている。
既にセビジャーナスで一応のテクニカをさらった人に更に高度なテクニカとして利用できるし、あのセビジャーナスのマントンがやりたいな、と密かに憧れている初歩の人にも取って応用できるものだ。
マントンはしんどいけれど、あの練習は筋トレになるので胸と腕が弱らないための運動として活用できる。かつ、マントンが上手に振れるということはすなわち腕の軌跡がちゃんとできるということなのでブラソと上体が抜群に良くなる。踊りが下手な人ほど早くマントンを持つべきだ。

あと....2週間ちょっとですね。私も楽しみ。

●2003年01月16日(木)

フラメンコーその修行


 今週は筋トレがやれそうにない。
午前中はフラメンコの振り付けと集中レッスンのプログラムを作成していて
午後は新体操で選手に混じってまずは実技と鍛えの体験をしている。

朝、目がさめるとさめなけれぱ良かった、と思うくらいに毎日がきつい。
ベッドから下ろそうとしている脚が筋肉痛で情けない。
お尻から背中までが徹底的にやられている。

どんなに鍛えていても時間が足りないから盲点になっているところはあり、ああいう激しいスポーツに参加すると途端に思い知る。
ま、ちょっと我慢していると鍛えられてそのうち疲れ知らずの鉄のような体になれる筈だ。
フラメンコでやりたいと思い描いているテクニックが新体操の技に結構多い。
勿論あんなにアクロバットである必要がないから私にはちょうどいい。

今私がやっているフラメンコというのは15才くらいの頃にいつかはこんなのが、と思い描いていた芸風なのだ。やっとここに来て実現のフイニッシュに向かっているみたいだ。とりとめがないようでいて基本大綱はちゃんと実施に向けて長期計画しているのだな、と今更ながらに呆れる。

私達はみんな迷うし、自信を無くしたり、思い悩み、道をちょっと間違えたり引き返したり、色々なことをするものだ。フラメンコの良さというのはそういうのもみんな待ってくれることだ。遅すぎる、てことがない。
容姿も年齢も何も関係ない。生きている限り付き合える芸術だ。
とっつきが良くてそして長い道のり。

いいことずくめみたいだけれど、一つだけ。
スペインに行きさえすれば飛躍するって思いがちな点だ。
私が留学した頃とは違い、山盛りの日本人がどこのスタジオにも出入りしている。だから悪いってわけではないけれど、地味で基本的な努力というのはどこの国にいようとしないといけない。
スペインの魔法で上手くはなれない。
コンパス外すな、音質鍛えろ、歌覚えろ、曲種熟知しろ、そういうのは四畳半一間でやれることなのだ。

世界の果てまで行っても下手な自分からは逃げられないっていう言葉、忘れないで欲しい。せめて私の門下に入ったなら。

●2003年01月14日(火)

計量カップなしの本番

 先日、あるスポーツ関係者と雑談していたら、水泳の最も優れたコーチとして有名な誰それは専門が航空宇宙科学(?)とかで自分は泳げないという。
この航空「なんとか」科学のカッコ内はこれで正しかったか定かでない。
でも驚いたので、水でなくて空であったのは確かだ。

 人を教えるのに、その専門の実技ができる、できない、が大きな要因になるだろうかという疑問は私はずっと持ち続けているテーマだ。
逆のアプローチで検証してみると、
自身が優れたアーティストが必ずしも優れた教師ではないのは確信を持って言える。
両方備えている人もあるが、そうでない人をスペインでいっぱい見ている。踊ると素晴らしいのにそれを教えることが全くできないか、もたもたしているか、逆にいらつく、という人はいっぱいいるのだ。

あんまり教師として魅力的ではないが、踊りの習得のためのメカニズムを良く捕らえている人というのは数は多くないけれどいる。こういう人は優れた舞踊家より教師としての資質は上なのだ。

 最近、世界レベルのコーチやトレーナーと接触があるので色々考えさせられることが多いけれど、一つの技術を習得する場合、その技術をものにするための栄養と休養、使う筋肉の鍛錬、持続させるためのメカニズムの研究ということを緻密にやらないと勝てない、ということが良くわかる。
ただの根性でがむしゃらにやってはダメなのだ。常にそのやり方でオーケーか検証しながらやらないといけない。

 私は、というとこんな緻密な考えは根気が続かないので全部目分量というか感覚だ。ただし、そんなにはこの大筋から離れていない気がする。

料理をするのにいちいち調味料に到るまで計るとほとんど同じ成功を間違い少なく手にすることができるが、目分量だと同じ味が出るとは限らない。
けれども目分量の良さは、時々期待以上の素晴らしい仕上がりになる喜びだ。
芸術と勝負が全てのスポーツとの差はここにあるかもしれない。

大筋は科学、本番は目分量、私はこれが一番性分に合っているみたいだ。

●2003年01月10日(金)

 マリア・オリベーロ

 20数年前の新宿エル・フラメンコにマリア・オリベーロというバイラオーラがソリストとして来日していた。カルメン・レデスマなどと同じグループで白いマントンに多色の刺繍、黒い帽子で登場する彼女のガロティンは、優美で愛らしく、セビリアのグラシアに溢れていた。

 勉強家のマリアはその後、王立舞踊学校の課程を外部試験(今はこの制度は廃止)で終了した。彼女がこの受験に取り組んでいる頃に私は渡西したのだった。
....あれから20年。

 私の次女が王立舞踊学校に入学すると、ダンサ・エスパニョーラの初めてのクラスで、担当教授に真っ先に名前を呼ばれて、あなたのお父さんとお母さんを知っていると言われたらしい。
この教授こそ何を隠そう、あのマリア・オリベーロだったと今日知った。

学校でマリアとばったり出食わしたからだ。
コーヒーをご一緒した。
「娘はどんな?マリア。真面目にやってる?」
「ものすごくむら気。ほとんどレッスンに身が入らない」
「.....」
「すごくカンのいい子ね。もしかしてあなたのスクールで相当やっているんじゃない?だからつまらなくて仕方ないんだと思うけど?」
逆にマリアに質問されてしまった。
「いいえ、私はあの子には何も教えないの。バレエを真面目にやっているのよ。それから水泳もカップをもらってくるくらいにできる。運動能力があるのよ。あとは家でも一人で踊っている。生まれつきダンスが好きな子なのよ、マリア」
「一年生だから出来ない子達と一緒で、退屈なカリキュラムなのよ。私にはどうすることもできないのよ。決まりだから」
「実はそれで悩んでいるの。ここを止めさせてくれって娘が言うの。バレエレッスンが一番耐えられないらしい。あなたのエスパニョールは結構楽しいみたい。この先、持ちこたえられるかわからないのよ」

私はいっそのこと打ち明けてしまった。
カスタネットだけでも家でなんとか上級レベルに仕込んだら来年は飛び級させるように尽力してみるとマリアが言ってくれた。
「何月に試験?」私は一応聞いてみた。
「いいえ、試験なんてなしよ。私がクラシックの先生と相談して掛け合ってみるつもりよ。」
...なあるほど!こうやって特例も教授間で認めることもあるのか。

 それでも何といってもたったの8才だからいっぺんに三年も四年分も飛び級はさせないからそんなには期待できないだろうと思う。

 ともあれ、友人に会えて嬉しかった。ソロコンパスのプロデューサーこそ、このむら気の子供の父親だと言ったらマリアは緑の瞳を見開いて驚いた。
「私、ソロコンパスは全部持っているのよ。グワヒーラなんか素晴らしいわ。レッスンや振り付けにはいつでも使っているのよ!」
毎度ありがとうござい、とは言わずににっこり。

 三月には勅使河原三郎のスペイン公演があるから是非、二人で出かけましょう!という楽しい約束を交わした。

●2003年01月07日(火)

筋トレの効果てきめん!

 最近、とても驚いていることがある。
筋トレの効果が目に見えて出て来ていることだ。

 嫌で仕方なくて始めたウエイトトレーニング=重い物なんか稽古バックでさえ持つのが嫌なのに、何の因果でわざわざ重量を持たないといけない?
...これが理由だ。けれどもトレーナー氏はやらないとダメと言う。こうやりなさい、と言われてしまってる。...で、毎回イヤだ、イヤだと思いながらやっていた。そう、僅かに1ヶ月くらいで「あら?」気のせいかしら?と疑ってみる。2ヶ月目には子供の目にも「あれ?」と映ったのだからいよいよ本当としか思いようがない。2ヶ月経って日本に仕事に行って習慣が崩れてしまった。日本に行くとわさわさしてウエイト関係の筋トレはすぐに習慣を崩してしまう。
スペインに帰って始めたらまた一から、とはならなかった。すぐに取り返せた。しかも中断しても累積の効果がはっきりと出ている。

結論=中断の期間は何事によらず短いに越したことはない。そんなに落胆して投げやりにならなくても天は見捨てない。(何事も気落ちしてはダメということかしら?遅くないかもしれないのだから)

 けれども同じ日にやっているさまざまな部所が全部同じ顕著な効果を見せているわけではない。ここが不思議な所なのだ。
普段やっていない所ほど効果の出方がめざましい。
だから運動嫌いの人なんかがちょっと本気を出すと私より効果がすぐに出るのじゃないかしら、と思ったりする。

 私の場合、胸筋は踊りでやる程度にしか鍛えていないのでウエイトをやるようになってから発達がめざましい。なのに腹筋は相当やってもあんまり目に見えて来ない。はて、どうしてなのかトレーナーに伺った。

腹筋はずいぶん長年やっているからこんな程度ではもうダメで、床の水平より更に沈んだ負荷をつけたのでやらないとダメと言われてしまった。腰の下に何かを入れてもっと沈んだところから起き上がるとか重量を持ってもっと苦しくするとか(ぞっ!)
最近、自分で考え出した方法でかなり苦しい400回プログラムを実行中だ。
日本に帰る1ヶ月の間に何か見えて来るか実験継続予定。

腹筋というのはバレエ教師のほとんど全てに言われて来たことだけれど毎日やらないといけないらしい。トレーナーも他の事はともかく、これだけでも毎日やりなさいと言う。こうなったら逃げ道はなく、毎日やるしかない。できることなら逃げたかったのだけど...例えば筋トレというのは他の筋肉は一日置きくらいがかえっていいのだもの。これもそうだったらいいのにな、と思うくらいに毎日ってめんどくさい。

 皆さんも私の集中にはさまれた期間は実践と応用に取り組まないといけないけれど私もこの間は遊んでいない。次に飛躍するために日々(嫌々だとしても)努力している。踊りの方はもっと積極的にやっているけれど、ちやんと嫌いな物も課題を決めているんだからお互い怠けずにがんばりましょう!

BBSでまた話題がぶり返していますが、やっぱりあの映画はともかくも、ジョー・コッカーのYou can leave your hat onは素晴らしい。
あの歌は筋トレには根性が出る。
フラメンコだと色んな事を考えてしまうし、クラシックも気が散る。けれどあれだと気が散らずに本当に頑張れる。楽しいし。
夕べなんかあの、10回と続かない腕立て伏せが20回もやれてしまった新記録。これ、かけなかったらこんなにやれないのです。あはは...音楽も選曲によってはこんなに頑張れてしまう。
当分は筋トレ、苦しいプログラムの超柔軟はジョー・コッカーのしびれるような歌唱力に便乗しようという私です。何を使おうが続けた人の勝ち。

●2003年01月05日(日)

またもやパコ・デ・ルシア

 パコのドキュメントビデオは大変に興味深い。
その最後はハンモックに揺られた巨匠が、
「アーテイストっていうのは創作に血のにじむような努力をするって言う。そんなのは嘘だ。苦しみに苦しみを重ねて精進するって言う、でたらめさ。僕らはこうやって何も考えず、何にも努力しないで、こんな風に人生を楽しみ、味わい、何にもしやしないのさ。いい生き方だよ。じゃあ、また。さよなら!」
そう言って麦わら帽に顔を隠してお昼寝の図.....で、エンドになる。

うーーーん....それこそ嘘だ。
私はパコがコンサート前にイライラそわそわしてコーヒーをがぶがぶ飲むのを知っている。
ふえーーー!もう三日もろくに練習してないんだ、て手なんか開いたり閉じたりして苦しそうにするってラミレスから聞いた事もある。
ああ、セビージャのコンサートだって言うのに三年前と同じプログラムしか用意できてない、辛い!て、困っていたというのもこのコンサート前に人から聞いた事がある。

ハンモックでゆらゆらお昼寝の人なんかでないのは絶対に真実の筈だ。
どんなにその芸でゆとりの一流のアーティストでもおよそアーティストと呼ばれるちゃんとしたカテゴリーの人で苦しまない人はいない。

 あの、マフィアのようなマテイルデ・コラールでさえ、何千回と踊っているに違いないたったのアレグリアスを踊るだけでも出番の前にほとんどヒステリーのようになると側近から聞いたことがある。

名人と言われる人は、何回も何回も同じことをおさらいするもので、舞台に上がってしまっていてもまだおさらいし、頭の中で繰り返し、完全を期したいという習性になっている人をこそ指すのだ。

 パコのあの結びは、プロデューサーの指しがねか、彼一流の見栄と演出に違いない。真の意味でアーティストというのは舞台裏は決して見せないのが本当なのだから。

●2003年01月03日(金)

オーケストラ


 やっぱりパコ・デ・ルシアは素晴らしい。
ここのところずっとパコを聴いている。
OFSのプロデューサーが彼のドキュメントビデオを持って来ているのでまだ1度も落ち着いて見ていないのだけれど、ちらちらと見た感じではなかなか興味深い話が満載されている。

 彼がアランフェス協奏曲をオーケストラと録音した時のことをパコ自らが語っている。クラシックのオーケストラとの共演はとても緊張を強いられて自分はいつもの本領が発揮できなかったと告白している。
あのようにきっちり何もかもが決まっていて大勢のアーティストが一糸乱れぬ指揮のもとで作る音楽というのは、ただただ間違えまいとする努力に硬くなり、辛かったようだ。
うーーん、と唸ってしまった。
あの不世出の天才、パコでもねぇ...
実は私もオーケストラが苦手だ。思っただけで緊張する。特にパリージョなんか持ってクラシコを踊らされるのは堪忍して欲しい。皆さんと合奏、という事になってしまう。緊張のあまり息もできないだろう。指揮者のタクトが気になって集中できなくなるかもしれない。

共演するならアドリブの音楽のアーテイスト達だ。ジャズ、ボサ、ワールド・ミュージックだろうか?
これなら本領を発揮できてご機嫌だ。

 でもオペラのカルメンで二幕と四幕を踊ったのは、確かに楽しかった。
あれはカルメンだったからゆとりだったのかも知れない。

上野文化会館のオーケストラボックスには東京フイルハーモニーがフルで入っていて、たった一人の私のために演奏されて、ぞくぞくするほど素敵でした。
そう言えば、全然上がりもしないで大した度胸だったのは若気の至りだったのかしらん?確か...20才になるかならないか、と言う頃でした。
またやりたいかも知れない。

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