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2009年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2009年01月30日(金)

モロン・デ・ラ・フロンテーラ


一昨日、下の娘が学校をお休みしてバレエ公演に出演した。
今月、もう学校を休むのが二回だ。
一つはセビージャでコッペリアの公演
そして一昨日はドンキホーテ。

セビージャの王立舞踊学校は とても恵まれた環境に位置し、
20世紀初頭に建築された それは美しい建物を丸々譲り受けて
いる。専用のドーム型の劇場まで有していて
日本生まれの私には夢のように素晴らしいと羨ましいくらいだ。
この劇場にセビリア市の公立小学校の児童を招待して
コッペリアは上演された。

一昨日は フラメンコで有名なモロンという近隣の村の一つ。
ファナ・アマジャが出た村だ。
有名なギタリスト、カンタオールが続出している。
モロン、レブリーハ、セビージャなどはフラメンコにとって無くてはならないゆりかごと言える。

そんな村の劇場で マチネーとニ公演もやったらしい。
ドンキホーテはバレエの中では結構フラメンコ寄りの激しい
難しいテクニックの多い出し物なので
情熱の南スペインでは受けがいい。

それにしても朝の八時から出動で 帰ったのは10時過ぎだ。
それでも翌日は3時間の稽古がある。
学校の試験や宿題もこの年になるとずっしりどっさり出る。
疲れて帰ってもまだ教科書を広げないといけない。

果たしてこの先高校に入っても こういう生活が続けられるだろうか。
娘の疲労の滲んだ青い顔を見て 少なからず躊躇われる私でした。

●2009年01月26日(月)

ラモン・デ・アルへシーラス


昨日 打ち合わせ中にあるギタリストから
ラモン・デ・アルへシーラスが亡くなったと聞いた。
今年もまた明けるなり フラメンコの巨人が一人行ってしまって
がっかりする。

皆さん ご存知と思いますがラモンはあの天才パコ・デ・ルシアの長兄にしてほぼ全半生、パコの伴奏者として活躍したギタリストです。

 彼はこの世紀の大天才の兄として生まれさえしなければ
一人で立派にこの世界に君臨できただけのアーティストです。
いかんせん、「バコの兄」という肩書きがいつでもついて回って
この兄は パコの保護者であり、マネージャーであり 協力者であり 共演者であるというセカンドの道を歩まざるを得ませんでしてた。それは確かに栄光ある世界で最高峰の道ではありましたが 彼個人としてはどうだったでしょうか....

そのギターの音色深く、素晴らしいテクニックと古い伝統の妙味をみんな心得ていたギタリストでした。
ニーニョ・リカルドを敬愛し、その芸風も確かに底流に持ち、
実にモダンの最先端をパコとともに進みながらも
深い、深いフラメンコの音をいつも持っていたかけがえのないアーティストでした。
歌の伴奏も妙で 本当に素晴らしいギタリストとして多くの人が記憶しています。

もう一人のパコの兄に、ぺぺ・デ・ルシアがいます。
この人は歌い手ですが ギターもそれだけで立って行けるだけ弾けます。とにかく この兄弟のギター合奏は圧巻で
本当に素晴らしい天才の兄弟です。
それこそ10歳にもならない頃から組んで きちんと髪をなでつけた子供の頃のアーティスト写真が今も残っています。

パコの伴奏もそれは子供とは思えない 高度なものでしたが
この年端の行かない歌い手のシギリージャスなど
本当に魂に届く歌い回しでした。
私はまだ日本に居たころ、よく彼らのレコードを聞いたものです。
歌い手だから弟の栄光からは逃れてブレイクできたかというと
やはり パコの眩しい光のために この兄もいつも「パコの兄」でセカンドの道に甘んじます。
兄弟の間で葛藤はなかったとは言えないかもしれないですが
古い良き時代の家族としてのスペイン人ですから
よくお互いを助け合って 長い芸の道を揃って登りつめたと思います。

そうしてパコが兄達から離れて ようやく1本になったのは
ごく最近の事です。

ラモンは いつでも長男として張っていた気が
緩んだのかも知れないですね
まだ若く、本当に惜しい人に逝かれてしまいました。

少なからず落胆しつつの 週初めです。

●2009年01月22日(木)

バレエ留学

昨日、ニューヨークシティバレエの夏期講習のための
オーディションがあったとアメリカの友人から知らせが入った。
この講習は、18歳までの全世界のバレリーナの卵が対象で
ただレッスンを受けるというのとはちょっと違う。
レベルが高くないといけなく、大方は落とされるらしい。

夏に一ヶ月余り、確か五週間の全寮制の合宿で
バレエ団側は これによって金の卵を発掘したい。
受けるほうは 勿論世界でも屈指のバレエ団だから
ただ勉強に行くだけでも有難い。取ってくれれば。

私の友人は このバレエ団と関係のある人なのだけれど
根回しできるかと言うとできない。
そんなに甘いオーディションではない。
外国で遠くていけない人はビデオを発送して見てもらう。
この締め切りが確か今月だ。

夏に受ける合宿を年明けの冬に準備しないといけない。

下の王立舞踊学校に行っている娘をやりたいと思っていた。
けれどもバレエ科の担任は まだ幼いと乗り気でない。
シティバレエの二段ベッドの並ぶ寄宿舎を見るなり娘は
怖気づいた。えーーーーー!?こんな所で一日中英語?
とんでもない、という風情で とても説得できそうになかった。

子供の発育って数週間、数ヶ月で違ってくる。
今現在の精神年齢は必ずしも六ヵ月後と同じでは無いのだ。
大人と違ってぐんぐん成長する。

うるさい!!と横暴を決めて受験させてしまおうかどうしようか
悩ましい。

忙しいのにバーとセンターの全部を録画するのも七めんどくさい。やっぱりオーディションテープともなるとレオタードや髪形にまで気遣いする。

アメリカのしかもニューヨークっていうのが
スペインより危険な土地には行きたくない私としては気が重い。
パンデミックだ イラクだっていう時というのも今一つ心が明るくならない。

ロンドンだったら2時間なのだけれど
なーーーーんにも試験無いです
だーーーーーれでも来ていいですっていう
相も変わらない商業主義のロイヤルパレエ団は 面白味が無くて張り合いが無い。

子供の人格を形成するのか台無しにするのか
尊重するのか才能引き出すのか
もう なんていうか分からなくなりますね。
自分のしている事 しようとしている事は正しい方向なのか
もしかして全部間違っているのか。

子育てって 難しいです。10代に入ってから先は
本当に判断を迷います。
小さい時の苦労なんかなんでもないですね。
親の正念場というのは 最後の数年なのかなと思う私です。

●2009年01月20日(火)

怠けた後の鍛え方


 暮れで忙しくてお正月はやけに長く、暴飲暴食とまではいかなくてもご馳走攻めでフォアグラみたいになってしまってまずいとお思いの皆さんも少なくないのではないでしょうか。

毎年恒例の反省の時期が今ぐらいです。
先日、知り合いの外科医と話していましたら
人類の何人に一人だったかー失念ーかなりの多さに
驚くような三人に一人だったか五人以下だったような気がしますが多かれ少なかれ腰痛を訴えているのだそうです。

そのくらいに腰痛というのは当たり前の症状なので
もう外科医は何にも驚かない。
処置も無い。
同情もあまりしない。

ということでした。
でも これだけ医学が発達しているのに
関節とか骨とか骨格とかの治療は無いのでしょうか
この分野で来る人来る人に 治らないと言うだけの医学なのかと
不甲斐無いです。

ちなみに私にも腰痛があるのですが
これはフラメンコが原因ではありません。
長女が五ヶ月の胎児だった時に階段を踏み外して
子供を守るために酷い打ち方をしたのが原因です。

どうして階段を踏み外したか、無用心!ではないのです。
よく妊婦が転びますが 私も昔はどうして転んだりするだろうかと不注意を怪しみました。
でも、私が踏み外した時は
注意を万全の構えでしていたのに踏み外したのです。
つまり、妊娠によって体の機能が今までと違ってきていて
足がつったりします。
ももの付け根がつる人も多くあります。
これは突然に増える体重に慣れなくて足がつるのです。
なんでもない動作で、つまり経験上そんなことには絶対にならないようなことでなります。

妊婦の体は出産に向けて 日々準備しているので
例えば骨をおさめている筋などがゆるくなっています。
それは広げて子供を外に出すために備えて ゆるまっているのだそうです。この時期にぎくっとやって仕舞う事が多いのは、固定のベルトが緩くなっているからなのです。

しかもこうした体の変化は 感覚としては不慣れなので
中々予知できにくいです。

私の場合もそんな感じで ぎくっとなるべきでないところで
かくっと足が力が抜けてしまったのですね。
それで三段くらい踏み外しました。お腹をかばってしたたかに腰を打ってしまいました。
あれで子供に不幸があったら多分生きていけないくらいに
妊婦の私にはお腹の子供に対する母性が育っていました。
だから その後に続く腰痛が あの子供との引き換えだったのだとしても文句は言えません。

これから妊娠する方、いつかこの文が注意として役立ちますように。

さて、治療の効果的なのが無い腰痛は、どうするか。
かばうと駄目なんだそうです。
背筋、腹筋を今まで以上に鍛えて
骨に負担がかからないように強靭な筋肉で守ります。
今の医学では 唯一推奨できるのが 筋トレです。

効果は目に見えて実感しにくいのですが
逆に背筋、腹筋を怠けると 途端に分かります。
縦線が出るくらいまでには鍛えたことがあるのですが
縦と横に線が出るまでの根性が無かったので
今度是非 挑戦してみようと思います。

私は、今年水泳を再開して五日目です。三年くらい前は日課で1500くらい泳いでいたのですが引越しで止めていました。
堕落の後で再開してみると1000で飽きてしまうので 始めはピッチはこれくらいにして
だんだん上げて行きたいと思っています。


さて、筋トレもやれそうにない、と言う方は
水泳を。効果があるくらいに水泳を活用するには
水中で汗が出るくらいに必死にやらないといけないのだそうです。だらだら泳いでいると水中でいることに対抗して体は皮下脂肪を蓄積して冷たくないようになろうとするそうですよ。
つまり だらだらしていると余計太る。
てきぱき泳ぐ。

筋トレも水泳も時間が無い めんどくさい
そんな人はエレベーターを止めてみるって手があります。
えーーーー!!??疲れるぅ.....
じゃあ、そこでまん丸に太ったままでいなさい、手間の掛かる子ね。


●2009年01月18日(日)

クラス再開のお知らせ

長らくお休みしていた私のセビリア教室ですが
今度セビージャの中心街で再開することとなりました。

場所はトリアーナ橋を中心街に向かって渡った目の前です。
マノーロ・マリン、ベタンソの教室から徒歩10分で着きます。
中々便利でしょう?

●月曜から土曜の毎日12:30-3:30

習う方が二人とか三人で組まない限りは 団体レッスンは
こちらでは常設しません。個人レッスンが中心です。
お友達とまとまって申し込みは可。

基本的には スペインの常識で毎日一時間から一時間半。
こうでないと振り付けがはかどらないので。
又、長期滞在ではない場合は 中々一曲が仕上がらないですから続けて「記憶喪失」になる損を防止します。笑

ブレリアやタンゴの小品の場合は二回から三回で完成。

飲み込みが早くて進みが特急で行ける場合は 一曲五日で完成。
これは個人差があるので どんどん進んでかまわないというのでしたら 私はハイスピードで振り進みます。習う人がここまでと区切るまで私の方では出し惜しみしません。

次に一般的に丁寧に見るところがあったり、苦手を克服しながらだと一曲にだいたい10から15時間が中間値です。毎日で2週間くらいで曲が完成。

他所の教室と掛け持ちで頑張っているので隔日でないと出来ない場合は それでもいいです。

が、振り付けしている場合にはなるべく日数を空けないで詰めて振付けるようにしましょう。効率が悪くなりますから。

仕上げにカンタオールとギタリスト依頼して録音可です。
クラスは毎日ビデオ、録音自由です。ただし画像は自分を映してくださいね。

普通、こちらに留学する舞踊練習生は 毎日二つの教室、先生を掛け持ちします。
間の時間で復習し、一日五時間平均練習しています。強行で来る人は三人の先生を掛け持ちしますね。
お勤めに行かない分、全部お稽古に回す感じでしょうか。
夜はタブラオを見学して 勉強。

中々ハードに頑張っています。

............申し込みはメールで。

氏名

固定電話と在宅または在勤中のお時間。

必ず受信できるメルアド

希望のレッスン内容
基本の徹底か 曲か。
特殊テクニカの習得か、など。

ご自身の舞踊歴、あれば。

希望時間帯。

希望のレッスン開始日と滞在期間。

以上7項目を開始の一週間前までには申し込んで下さい。
スペインに来てからでないと目途が立たない場合は
こちらにいらしてから始めたい日の最低三日前に電話でご連絡下さい。



●2009年01月16日(金)

エル・モンテ劇場


パーキングがとても困難な中心街のその又本当のど真ん中にあるのがエル・モンテという銀行の持ち物である劇場。

これはセビージャに来た事のある人ならすぐに様子が頭に浮かぶと思うのですが、あの有名デパートのコルテ・イングレスのなだらかな大通りを坂登ったところに位置します。
シエルベス通り入り口を右手に見て通り越し、
アルバ公爵邸を目印にしてあとちょっとだと元気を出すと向かいにあります。

ララーニャ通りに直接面しているのだけれど ちょっと見にはまさかこんな大通りに劇場?と疑わしい。
けれども舞台に立っている人の顔が後方でもよく見えて
出演者と観客の距離が最短でとても良い劇場です。

最近、この銀行が合併されてしまったので
モンテの名前はカハ・ソルに変わってしまいました。
テアトロ・トゥリナなんて聞きなれない名前になってしまって
はて、そんなのはあったかな?と考え込んでしまいますが
旧エル・モンテ劇場と同一です。

懇意のピアニストが ここで一昨日コンサートを開いたので
氷雨降る平日の夜、万難を排して行って来ました。
ここの所セビージャは 朝にフロントグラスが凍っているというのも珍しくないくらいに寒く、しかも雨が降ってじめついてい、
人は家から全然出たがらないだろうというくらいに悪天続きです。
しかもクリスマスでさんざん出かけて
さんざんプレゼントにお金を使い果たし
もういい加減普通の生活に戻らなくては!と思い始めている
年の始まり、暖房の利いた部屋で家族と団欒していたら
もう絶対に身支度して出かけたくない。
止めなさいよ、ほら、というように雨まで降り出す。

これは当日券が伸びないだろうと 私は空を見上げて
人の事とは言え、胸苦しい思いでした。
かつて自分の公演に雪が降ったことなど 重ねて思い出されました。

あの著名なるトマティートのコンサートの時に
客席に10人しか観客が座っていなかったことなども思い出し、
何が何でも前列に座らないと、と寒くてもう真っ暗な夜の街に
ピアノコンサート目掛けて敢然と出かけたのですが
客席はそこそこ埋まって 半分は大丈夫だつたような気がしました。この寒空の氷雨によくまぁ来て下さったと主宰者のようにほっとしました。

演奏はグラナダドスというスペインの作曲家のものでしたが
ピアニスト自らが昨年説明してくれたところによると
この曲は ほとんどスペインで弾かれないので外国でも
無名に近いそうです。
けれども本当に良くできたバランスの良い作品で
ドイツなどの大作曲家のものと比しても遜色が無いのだそうです。これをスペインはもとより 世界に広めたい野望があります。その第一回のコンサート。

ピアノコンサートの大変さは、一人で出ずっぱりということで
ピアノの前に座ると いきなり難しい出だしで あとはもう引っ込むこともなく 次々と難題に取り掛かるという進行でした。

ブレリアで開けてみて、続けてタラント、ソレア、マルテイネーテと連続するように それは傍目にも厳しく映りました。
そんなこんなで ついつい舞台人の私はありとあらゆる発見をし、心配し、誰よりも盛大な拍手をしようと努め、結構体力の要る鑑賞でありました。

良いコンサートでしたけれど 何しろ寒くて雨、というのを忘れていない観客は 
割合家路を急ごうと意識の底で思っているので
アンコールの後、演者はすぐに出て来ないとタイミングを逃すと思ってはらはらしました。一時が万事、こうやって先回りして心配する私です。

ちゃんとすぐに出てきてショパンで〆てくれたのでほっとしました。

こういう一年でも滅多にないほどの最悪の日は
家族と団欒、だらだら過ごすのもそれなりの美はあるのですが
やはり敢然とコンサートに出向けば
ああ、良かった と自分の決心を褒めてやりたい気持ちにもなります。

夕べは ホセ・ガルバンが同じ劇場に出ていたのですが
うっかり達成感で忘れてしまいました。
彼は確か70歳?ぐらい?
これは 舞台人としては絶対に機会さえあれば見ないといけなかったです。老いてさらにどんなフラメンコを見せるのか
しっかと目の底に焼き付けておくのが 一つの時代を終わろうとしている その狭間に生きるアーティストの修行でもあります。

あとでホセに電話してお祝いだけでも言わなきゃ。

では皆さん、良い週末を。お元気で。

●2009年01月15日(木)

くるみ割り人形


デュッセルドルフのバレエ団がやって来ている。
昨日、王立バレエ学校に行っている方の下の娘が
学校を休む許可証にサインしろと紙を差し出す。
社会科見学だかーそんな訳は無いー
舞踊学校の何かの練習か
ーそれにしてはオペラハウスって豪華に過ぎるー
何かと思ってはみたけれど 毎日忙しいし、この娘は
本当に口重くてよく説明しないので面倒でうっちゃっておいた。
サインだって忙しなく出かける夜の帳の中で言うので
学校に提出するその大切な書類の文面も読まないで
走り書きにサインするテイタラク。

ただてさえ思いっきり悪かった一月期の通信簿で
一日だって休んで他のところに行くのは気がかりだ。

マエストランサで何の練習か....?

送って行くと、この巨大な劇場前に一目でそれと分かる
バレエ少女達が大勢さんざめいている。
かわいらしくて 美しい光景だ。
....それでいてまだ 何のためにここに来ているのか
分からないまま。

後でやっと知るところによると
なんとデュッセルドルフのバレエ団が来日じゃなくて
来西ってのも語呂が悪いな、とにかく公演に来ているその初日らしいと分かる。
初日のマチネーを 特別この地のバレエ学生と
おそらく一部の中学生達に親善教育としての公演なのだ。
なかなか 良い企画だ。
日本でもこういうことはするのかしら?おおいにやっていただきたいものですね。

うちの娘は、ビクトル・ウジャーテのかなり良いバレエでも
すぐ退屈する。それが今夜の公演にも行きたい
もう一度見たいというので それは余程良かったのかなと
早速問い合わせてみたけれど なんと五日も続けて公演するのに
もう全部ソールドアウトだって言う。

あの劇場は確か2500は入るから一万人以上の動員だ。
人口70万の都市で この動員率は凄い。
ついでにここ一二ヶ月うちにある ピアノコンサートや
オペラも見てみたけれど ほとんど空席が無い。
スペインの生活水準から言えば かなり高いチケットでも
特にオペラはあっと言う間に席が無くなる。

こういう所が セビージャの捨てがたいところだ。
劇場に入れば 普通は男性の姿が女性と同じだけ見える。
男性の足が劇場にこんなに足しげく向くというのは目出度い。

かくしてカップルの文化水準が まずは同様に保たれるのかと
感心。

いつもチケット確保に乗り気でない私はーだってそんな先の予定が立てられないーかくして招待券でないと本当に行かれない。
招待は無駄にしてはいけないので 万難を排して行くけれど
自分で買った券は どんなに懐が痛んだとしても
万難を排する努力は 最後にはできないのだ。

私の不明のためか あまり聞かないバレエ団なのですが
物凄く良かったということです。衣装も始めのシーンも大変に凝った演出とか。

惜しい....日曜の最終公演間際に行って見ようかな
当日キャンセルが出るかもしれないです。一枚なら。
一人でバレエって寂しいけれど 見ないよりは寂しく無いですね



●2009年01月14日(水)

ニューヨークシティバレエ


世界の有名バレエ団の中でも
特に素晴らしいと思うバレエ団がニューヨークにある。

下の娘を是非ここの夏季合宿に参加させてはどうかと言うお話が
あるので 昨年からずっと考えているのだけれど
どうも決心がつかない。

期間が一ヶ月余りというのは 初めてでは長くて辛いかも知れない。
しかも完全に寄宿舎制なのだ。
一ヶ月、英語圏で寝起き。

私が14歳だった子供の頃にこのお話しが来たら挑戦しただろうか?

テロに狙われている世界一危ない都市に 英語もおぼつかなくて
一ヶ月、行けたかどうか分からない。
尻ごみしたかも知れない。

夏期講習にもビデオ審査があるので その締め切りが二月だから
もう撮影しないと間に合わない。夏の講習の試験が二月。
こういう速度で生きていないので 無理がかかる。

スペインから出してどこか別の国に勉強に行かせたいと思うのだけれど、候補の国が浮かばない。

日本と言うと二人して漢字にコンプレックスがあるので
異口同音にNOと言う。
海外に住む友人の所も みんな日本語がよくできないことに
他の言語以上のコンプレックスがあるので 
大概日本に行くのはバケーション以外では子供達は嫌がるというのだ。
ほぼ日本人に見えるのに、当たり前の漢字が読めないし
会話でもちょっと変なのが 別にかわいいと思うのに
本人達は劣等感を持つようなのだ。

 昨日のニュースで今、ロシアは民族主義が強まって
外国人殺害と暴行が急増したという。日本大使館員が5、6人から凄惨なリンチを受けて重態だと聞いた。
いづれロシアにバレエ留学させようかなと思っていたので
呆然だ。

一度は行って見ようと思っていた中国も
これだけずさんな環境問題と 自国民でも亡命ー環境亡命とでも言おうかーする国に何も見聞広げに行くことはないだろう。
ドブ川の水で作られている氷、毒の野菜、下水から拾って売られている食用油なんていうのを見ただけで もう結構だ。
それにあの 反日。

津波や台風で恐いアジアの国々。
私の漠然とした地球が家、みたいな楽感的な理想は
ことごとく潰されてしまいそうだ。

心配なのは 世の中が不況で悪くなると
必ず「敵」を必要とすることだ。
中国がこのままどんどん悪くなると 政府の反日に矛先をそらす
政策はもっと苛烈を極めるだろうし
朝鮮も同様だ。

やっぱりあれらの国は中国に倣って「小中華思想」で曇っているから 日本はもう遅すぎるくらいの反日情報戦争に
何とか早急に手立てしないと大変だ。

ずうっと感じ続けていることなのだけれど
核だミサイルだと言っている間に
本当はあれらの国のインターネットで繰り広げられている
情報戦争で 既に日本はやられてしまっているのではないかということだ。目に見えて目立たないだけに
気付いた時には 包囲されてしまっているのではないかしら。

薄々と感じていことが 最近 あちこちのニュースで証言されるので辛い気持ちがする。世界にばら撒かれて動画や口コミで日本を貶める「部隊」は、推定40万人という記事を昨日読んだ。
13億の国なら人会戦は お手の物かもしれない。
そうして もう始まって何年にもなるという。


●2009年01月13日(火)

バレリーナ

友人のバレリーナがー名前を出すと本人の迷惑になるのでここは伏せますーある国の有名バレエ団でソリストで活躍中だけれど
まだ20代の若さで 酷使のためにあちこちが痛いという。

ああ、やっぱりと思う。

あの激しい訓練もさることながら
プロで一流ともなれば それはもう体力とか健康の限界を超えて
不健康のもっと向こうまで越えて
自分の体を潰して 美を紡ごうとしてしまうのです。

大事な舞台前に捻挫したり 色んな事故も起こります。
モルヒネだかなんだかを注射しても出るって聞きます。
だってあのトゥシューズで何時間も出れば
ただのコールドだって体力の限界です。

大変な職業です。
リフトもあるし、あれ、滑って大怪我させるってこともありますし、大変に危険です。

本当のプロなんかにはならず、
有名バレエ団にも入れず
ただバーレッスンとセンターだけやって
普通にバレエを愛して終わる一生のが
ずっと健康にはいいです。

とっても美しくって
たおやかで 美の女神みたいな
世界一級の才能のバレリーナの苦悩を聞いて
深い溜息とともに こんなことを思う 今日の私です。


●2009年01月11日(日)

日曜だ!寒さにめげずパール判事研究

BBSで動画を教えていただいたので 真面目に取り組もうとして
出して見ましたが なんとこれがNHKの番組だっていうので
たちまち「あら、変ね」と言う気持ちになりました。
インドまでロケに行くし、さすがNHKだ お金かけると
感心していましたが 何が出てくるのかとドキドキ
最後をどうしめくくるのかと不安。

NHKっていうのは 私が気が着いた時点からは少なくともずっと
国民のための番組ではなくて政府見解に立った 政府と異なる事実なんかに焦点を絶対に当てない放送局なのです。
田母神さんの国会中継をしなかっただけでも
どちらに就いている放送局なのかが証明されています。

国民に事実を教えない。
国家にとって火急の番組なんかは組まない放送局で
受信料不払いで これを是正、あるいはNHKを解体しようという
国民の動きすらあると最近聞いています。

お断りしておきますが 私は80年からテレビをまず
見てませんし、たまに帰国したときだけでもNHKの偏向性を感じるのです。「パール判事は何を問いかけたのか」という題だから
問いかけたのはこれだよって種明かしがきっと最後にあって
それは絶対にNHKが持って行きたい方向だろうと察したのです。

私は ちょっとここで「フツーのフラメンコダンサー」にも関わらず、こんな凄い予感が出来るようになったかと 少し自分に驚きました。最近、日本国民も騙されてばかりではないって言いますが、まさに私なんかはその一例なんじゃないでしょうか。
つまり、私のような者まで真剣になり始めた、という。

NHKは入念な取材、古い資料の検証、立派な構成で視聴者に
この法律家の高潔さを印象させ、感動させ、そうして最後は
日本政府見解に基づいた何かを出してしめくくるんだろうなと
私の予感をどんどん裏付けて行く構成でした。
いよいよ終盤、
ほらね、やっぱり出た、これが目的だったのね!

今盛んに問われている自衛隊の集団的自衛権
憲法の改正とか違憲性 焦点になっている9条
あと南京虐殺は無かったとする大きな流れになんとなく
やんわり反対の意見を示唆している感じがしました。

そんなぁ 疑い過ぎですよーーーーと思われるかな
と考えなくもなかったですが、変なところで小林よしのりさんという方がこのNHKの番組にやっぱりひっかかっているのが分かりました。私は最近よくこの方のお名前を見かけるので 今度よく研究しなくては、と思っているのですがとりあえずは私と同じ危惧を持った人があつたのだな、と印象を強くしました。

現代史はごちゃごちゃしてますがね、ちゃんとした元をちょっと見るとそんなには間違えないみたいです。
保守を装って日本を貶めようとしている知識人も
いるんだな、ということに気づきますし、ただ本を売るために
うんと露悪的な事を書いてヒットさせる功名心だけの売国の方、
そういうごたごたの中でゴミをよけて真実に近づこうとするのは
始めは大変みたいですが すぐにパターンに気づくので
慣れます。

negritaさんのお勧めに従ってNHKの最後まで見ていくと
PCの画面の右側に関連した別の動画が出てきますので
ついでにこれも見ました。

「パール判決書」論争について−勝岡寛次氏に聞く1/5
http://jp.youtube.com/watch?v=EOlivtETNHw&feature=related

そうしたら中島岳志という若い大学教授が書いた
「パール判事」という本が出て、反響を呼んでいるのですが
捏造だとして厳しい検証が行われていました。


Wikiで中島岳志を出してみてください。
中段から下にかけてがとても面白いです。

小林よしのりさんの大攻撃があってその中にNHKの
この番組についても触れてありました。

現代史を勉強して行くと、そもそも史実を捻じ曲げるジャーナリストとか大学の研究者がいかに多く存在するかに驚きます。
悲惨なのは、この捏造のために無実の人が死刑になったりしています。日本という国が外国から不当に叩かれる原因となるのも
多く、このような人達の記事や露悪的な暴露本です。
次にこれをかついで外国に日本を売りに行く人達も出ます。

見解の違いとか 価値観とか そんな生易しいものではないのですね。翻訳の捏造とか主語を変えて全く反対にするんです。
原文と比べるとすぐに分かるみたいです。

これねぇ...こういうことする方の経歴見ますとね
ご立派な学歴だったりするんですよ。
私は現代史を追いながら こういう日本人にもとても驚くのです。

このところ、本当に濃度の高い勉強をさせていただいています。
ここまで生きてきて わかんなかったですねぇ 色んなことが。
自分は何していたんだろう、と思いますね。
ま、まだ遅くないから、頑張りましょう、

ともあれ、駆け足の近代史なので間違うこともあると思いますが
まずは一通り頭に入れて、咀嚼して、半返し縫いで
じっくり取り組んでいこうと思います。まずはその第一段階です。
いわば「近代史 仮縫い大筋編」
本縫いができる日まで 頑張ります。

●2009年01月09日(金)

学習近代史ー疑問に思うこと

車のフロントガラスが凍っている朝です。
0度を記録しました。明日は雪が降るかもしれないとまで言われています。日本は如何ですか?

さて、昨日までの勉強結果です
南京から始まってどんどん枝に入り、幹に戻ります。
お陰様で大分分かってきました。
本気でやりだすと多分三日もしないで全体像がちゃんと見えます。なんと怠慢だったことかと反省。

何度も言っていますが、私は日本人でありながら
スペインの文化と歴史の中でだけ育ってしまう二人の娘のために
勝手に外国で産んで育ててしまった罪ほろぼしのために
日本史を総ざらいしてスペイン語で書いて残してやるべく
まず自分が勉強をし始めています。

日本の伝統文化について書き残してやる一方、
なんと言っても西洋で槍玉に上がる近現代史
特にパールハーバーやあの大東亜戦争がどういうものだったのか
中国を侵略したのか 韓国人を強制連行したのか
南京で虐殺があったのか、などについては特に真面目に調べないといけないという使命感に駆られています。

これらは日本で盛んに研究がされるようになっていますが
日本人の場合はまだ日本国の中で無関心でいられる。
毎日のように責められないし、対外的に日本国を代表して返答する必要もありません。
けれども 私の娘は歴史の時間に攻撃されたりします。
ここで受けて立って理路整然と国家を代表して
外務省もやらないような立派な答弁ができないといけません。
このような場に返答が出来ないような国民は 外国に出てはいけないというのが私の持論です。
国民としての誠意だし義務だと思っています。
パスポートを交付されたら そのような心構えで飛行機に乗らないと不甲斐無いです。

ましてや これだけ反日国の政治宣伝が効いて世界中が南京虐殺を信じ始めていて 真珠湾も又取りざたされ、原爆投下があっても当然の報いだったのだとまで言われ始めたら もう私はフラメンコですから わかんないです そうですね 虐殺したんでしょう、すみません、では済まないわけです。

子供に正しく教えておかなければ!
孫子に残る史実を正しく知らせなくては!
ひいてはスペイン語圏の人々に少なくとも発信しておかなければ!
...これは自分がやらないといけない仕事だと日々自覚を新たにしています。

そうしていざ考えて見ると 私は小学校から高校までのどの社会、歴史の時間を振り返っても 近代史を習った覚えが無いのです。学生の時に少し不審に思いましたが 深く追求もしませんで疑問符だけで今日に至りました。

ここ数日、南京や満州事変や その他名前を聞いただけでぞっとして避けてきた全てを掘り下げているうちに 気がつくのです。
あの間違った戦争というのは 私達が罪の意識をもって誤って突入したあの戦争は 本当はどうだったのか、ということです。

戦争にいい戦争も悪い戦争もありません。それはみんな悪いです。でもあの第二次世界大戦というのは 本当に避けられなくて
真珠湾を卑怯に攻撃して起きた戦争なのか、という単純過ぎるけれどちっとも知らない事実に突き当たります。

あれは自衛戦争だったのだという意見があります。
侵略したくて始めたのではない、そもそも侵略とは誰が着せた
濡れ衣なのか、ということです。

なぜ起こったのか、はとても大切なことです。正確に科学的に冷静に これを検証してみないといけません。

あれは もしかして長い事常識のように言われている
日本人の犯した間違いなんかではないのではないか?
軍部に引っ張られて突入した戦争というのは 本当だろうか。

私は勿論ずっと 巨大化した軍隊が心ある知識人をなぎ倒して
戦争に引っ張り込んだのだと信じていました。

どうも違うみたいだな....というのがここ数日の勉強の結果です。
武器を取る前に 真珠湾に行く前に 戦争は始まっていたのです。自活の道が断たれてしまって このまま自滅するか
それとも誇りをかけて立ち上がるかのどちらかしかなかったようです。これは日本人よりもむしろ当のアメリカの学者などの研究でも明らかにされているようです。

ここでもう一つの、ではどうして私達はこのように信じてしまったのか、と言う疑問。
洗脳はどのように行われたのか、と言う疑問。

公職追放とGHQの検閲、焚書、そして勿論プロパガンダが出てきます。

シリーズとして四つありますが その一つだけでも見てみてください。10分です。西尾幹二さん。(独文学者、評論家。電気通信大学名誉教授)の大変分かりやすい検証が出ています

「GHQ焚書図書開封1」4/4(H19.2.1)
http://jp.youtube.com/watch?v=IBqk_AJHHh0


●2009年01月08日(木)

クリスティーナ・オヨスのフラメンコ博物館

museo del arte flamencoという名称だったように記憶しているのですが セビージャの大聖堂のあたりからくねくねの道を
怪しみながら行くと そこに博物館があるのですが
私は多分あと二分と言う近さまでいつも通るのですが
建物まで行ったことがありません。
地図を片手の外人に何度も行き方を聞かれて ちゃんと丁寧に教えてあげるんだけど 笑 自分は行ってません。

いつも急いでいるのと
行って中身見ようかなという気分でもないし
いつか誰かを案内しがてらにどうせお付き合いしないといけないだろうからと 先延ばしにし。

最近、ここの内部の人から伝え聞いたところによると
この博物館は、国の援助とか市のバックアップ無しの
全くのクリスティーナの私費を投じて作られたので
入場が少ない日は彼女は大変ご機嫌が悪いんだそうだ。

確か、新聞で見た時には九億円か何かでした。
凄いお金です。
こういう「私費」を持っている人
ここまで稼いだ人の まぁなんと大したアーティストだと
思ったものです。
羨ましいなぁ と思いましたね
これだけあると 結構いい仕事ができる。

クリスティーナは何年もの間不動産を見て歩いていたので
ちょうど総合舞踊学校を持ちたいと思っていた私とことごとくかち合ってそこいらで彼女の足跡を見ました。(私はどうしたのかって?それはもう挫折です。莫大な資金とコネが必要で、クリスティーナを向こうに回し、傍には下手するとタダで行けちゃう王立舞踊学校があるのに とても互角に組んでやれないですからね この奨学金が下りる王立に自分の娘を入れたくらいで息切れです 笑)

クリスティーナ何探してるのかナァと
思っていた数年がありました。
あちこちの不動産屋さんから情報が届く。
彼女は住まいまでも売りに出していたので
余程大きな計画があるんだな、と思っていました。

それは広大な地下駐車場用地だったり
とにかく大きな広い物を 彼女は探していました。

これは舞踊学校を建てるつもりだとピンと来ましたから
彼女が中心街に出すとすると 
小さいところはみんな潰れちゃうかなと推察。

でも、いざ開店してみると割合閉鎖的みたいだし
今後もっとおおらかな展開をしてオープンにならないと
やっぱり群雄割拠のフラメンコの現状はそのままなのではないでしょうか。

九億円も投資してしまうと やっぱり毎日入場券の出を気にして
いらいらしちゃうのかな。

経営者というのは 辛いですよね。

個人でやる事業は 例えば同業者や協力者相手でも「どうぞ一度見学なさって」みたいなことをしなくて 
何とかして入場券買わせたいと思うらしいので 
みんなプロは敬遠。

フラメンコのプロは券を買ってまでクリスティーナの博物館を見学しようとは思わない。

招待されれば宣伝してあげようとか口コミで人に勧めてあげようとはするでしょうが。
こういうところに 自分の懐を大いに痛めた人の吝嗇が出てしまう。

どうなのかな、この先。
スタジオも広く内外に開放すれば
一大フラメンコ発信地として栄えると思うのだけど。

辣腕の姪っ子がマネジャーですから
これから頑張ってもらいたいですね。

●2009年01月02日(金)

読者からの贈り物

暮の31日に郵便屋さんが家のブザーを押す。
何かなこんなに押し詰まって...と出てみれば
小包みが渡された。

差出人に覚えが無く、不審に思いつつ開けて見ると
現代日本史の新書が入っていた。
どなたかがEMSで送って下さった模様で
とても驚いた。

中には手書きのお手紙が入っていて読み進むと
ー私の住所は どうも衣装屋さん経由で常連のために特別教えてもらったらしいー
一応、そのことへのお詫びが書いてあって
ここの所の私の近現代日本史への取り組みにとても
心が動かされて 何とか一助として一読して下さい、と説明があり、私はとても感動しました。
色々読みたい本はあるけれど 全部は手に入らない。そんな中で日本のあの戦争は断じて「侵略ではなかった」と詳細に説明されている本は とても貴重だ。

ただの空論ではなくて科学的な調査と資料で分析し
読者が納得できるように書いてあるというので
お正月早々 私としてはやけに堅い本だけれど
有難いなと思って大晦日の晩から読み始めている。

次の衝撃的な言葉に釘付けになった。

「戦争には必ず 相手がいる」

「第二次世界大戦は、この戦争を企画し、準備し、そして実施した者がいた」と。

この言葉は米軍上層部の内部告発ですが 誰を指しているのかというと勿論 日本ではないです。

ルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル、そして背後にスターリンが居たと言っているのです。彼らが日本を戦争に引きずり込んだ。そのように米軍の将が言っています。

日本は確かに戦争をしたけれども あれは侵略戦争ではなかったと。自衛であったのだと書いてありました。

まだ10ページしか読めていませんが 心を洗われる思いがします。平和を希求する者は 戦争を理解しなくてはならないと言うそうです。

平和を願って止まない私は 謙虚に一から得意分野でない
あの戦争を勉強します。

暮の忙しい時期に 私のためにこのような真心のこもった贈り物
ありがとうございました。本当に襟を糺して勉強させていただきます。

鏡餅を送って下さった方もありがとう。
子供に初めて見せてやることができました。
いつもお正月に欲しいと思いつつ つい手が回らずに居ました。
心から お礼申し上げます

皆様にも 良いお年を。

http://www.flamencoole.com/

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