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2010年01月のセビリア発信・つれづれ草
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●2010年01月23日(土)

マンハッタン

今朝、雨の音を確かに聞いた気がして庭を見るとしとっている。やっぱり降ったのだな、と思いつつ犬に餌などやっていたら、森の匂いがした。

冬ではあるけれど身を切るような寒さはなくて部屋を暖房しなくても平気な日が結構ある、セビージャの冬は、私には好ましい。

NYの友達が零下何10度とかになると言い、絶対にどんなものか想像できないでしょう、と笑った。
多分 朝学校に行く時間に外に出るとあまりの冷たさに肌が痛くなるくらいなんだろうなと思った。
一冬の暖房費に100万円は使わないといけないと言われた。....それは、嫌だ。

ね?ここでの生活はとってもお金がかかるの。と彼女は言ったのだ。
映画に出てくるような豪邸に住んでいて、庭先には湖もある牧歌的な風景がマンハッタンから二時間くらいであるのだけれど、そうして校長先生という多分普通の平均的な仕事よりずっと収入はいいのだろうけど それでも毎月月末まで行けるかどうかという苦しみだと言うのだ。

これ以下の人はいくらでもいるだろうに、こんなに生活が高くてどうするのかなと思ったものだ。

東京の物価も高いと言われているけれど 高い物に走らなくてもいくらでもそこそこにいい物はあるし、外食がとても安いと思う。

NYでは とにかく旅行者は外食だから本当に大変だった。
何が嫌って店でチップをあげないといけないのだけれど16%が最低ラインだというのだ。
夕食をすると翌日の昼食ができるくらいの額をあげないといけない。たまったものではないのだ。

本当に悪い理不尽な習慣だ。店主が従業員に保障すべきものを客に払わせる。いつでも現金で一ドル札を沢山持っていないといけないし、タクシーに乗ってもその辺で食べても、いちいちお札がチップに消える。
テイクアウトの店ですらチップのカンが置いてあるから持ち合わせがないといたたまれない引け目を感じる。

こういう余裕が無い人はどうするのだろう。
学生はどうするのだろうと思ったりした。
だいたい許せないのが空港のカートが有料なのだ。
飛行機の旅は苦しい。チェックインとアウトと何しろ荷物を持って辛い物だ。両手もふさがっていて常にごそごそ何か出さないといけなくて憂鬱だ。
それなのにカートががっしり錠にかかっていてなんだか不安なクレジットカード通し機にカードを入れないとカートが抜けないようになっている。本当にちゃんと出てくれるのか不安もある。

こんなものは旅行してくれる人のために世界中無料だ。日本だってあのフランスだってドイツなんざ無料のお茶コーナーがある空港さえ存在するくらいだ。

本当にいじましく嫌な国だと腹立たしい。確か飛行機も荷物の二つ目からいくらとかってお金を取られた。重さに関係なく取ることになったと言われて驚いてしまった。笑

アメリカの子供に大きくなったら何になりたいかと聞くと大金持ちになりたいと答えると言ってショックを受けた若い日本人の先生が居たけれど 私だって着いた一日目くらいにお金のことばかり考えざるを得なかった。

そういう雑多な思いを、今朝、森の匂いの中でふと思い出した。
ああ、ここまで高飛びしていて良かった、とほっとしたものだ。

衣食住が清潔に足りている。買い物に出て基本の物で高くてぞつとするということがここには無い。

私には 昔からお金に対する上昇志向が無かったのだけれど、それはどうしてかと言えば、満足に稽古ができて、果物と野菜がいくらでも新鮮なものが手に入れば それがすなわち極上の生活だったからだ。
今でもそうだ。
車のトランクにぎっしりの野菜と果物を買っても三千円ってとこだ。こんなに安くてお百姓さんはやっていけるのかと心配してしまう。
NYと違って果物をキロ単位で買う。それも二キロでいくら、とか、みかんなんかは六キロいくら、と札が出ている豪快さだ。

だからここの人は結構貧しい人でもアメリカ人よりずっとビタミンの行き届いた食事をしている。

車で数十分も行くとみかん畑がいくらでもある。ここに入って一つ二つみかんをとっても見つかっても叱られないらしい。週ごとにこっそり取りに行く人もあるかもしれない。そんなおおらかさがある。オリーブの実なんていうのはそこいらにいくらでも生っているから、摘んできて漬物にできる。

街路樹のオレンジはマーマレード用なのでそのまま食すには向いていないけれど あんなのはいくら取っても誰にも叱られない。いくらでもマーマレードが作れる。

私には この国はとっても好ましい。
色々ルーズで時間がかかるけれど とりあえずはゆったりしていて
人々はまぁ清潔で身奇麗にしている。チップはあげなくても平気なことが多い。あげるとしたらお気持ち次第、というところだ。

旅行者はほとんどの場合あげるべきだと思うけれど ここでの生活者は必ずしもそうでなくても許される。これでなくてはいけない。
その商品ぎりぎりしか買えない人だっているのだもの。
コーヒー一杯だけをやっと飲みにいく人だっているだろう。

街が清潔で ゆったりしている。
これが 実は宝物なんだな、と思った。
森の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

皆さんも良い週末を。



●2010年01月19日(火)

子供時代

自分が子供のときはどうだったか 思い出そうとしてもよく思い出せない。
昨日は 下の子供があまりに毎日が過酷かなと考えていて自分の中学時代はどうだったか今朝反省しようと思っている。

スペインは毎日ものすごく憂鬱なお天気で、暮からずっと降り続ける雨のためにどこもどこも湿っぽくて いけない。
こんな日になると必ず、学校に行くのが嫌で仕方無かったことを思い出す。校舎の湿った匂い、じめじめとした廊下。

勉強は良くした方だったろうかと考えると そうでもなかった気がする。理数系に弱くて苦手で本当に嫌だった。あとは勉強しなくてもすらすらできる事だけを頼みに何にも真面目にやらなかったような気がしてびくっとしてしまう。遊びに出かけていたわけではないけれど家で好き勝手な手芸とか読書とかばかりしていた。
自分で好きに使う時間がいくらでもあった気がするのだ。

それに比べて私の次女は、土日も含めて全然ない。
これで部屋が片付いていないとか 何か出しっぱなしと叱っても
無理かもしれないなと思う。
いつも時間に追われていて ほっとしているときがないのだ。

朝の八時から夜の九時近くまで ずっと学校と舞踊学校で潰れるというのは 本当には辛いかもしれない。週末は勉強でそれぞれ半日は無くなる。これって結構かわいそうかな....

普通の子供は、学校から帰ったらちょっと休憩して勉強を始めるのは夕飯の後くらいからか...?
みんな塾に行っているとして これは毎日なのかしら。

私は塾に行かない、あの時代でも珍しい子供だったからちょっと分からない。
バレエと声楽をやっていて少女モデルの仕事もあったから
毎日午後は忙しかったけれど、楽しみの、自分でやりたいことばかりしていたのだから苦にならなかった。それに勉強はほとんどやらなくて詩ばかり読んで迷走?していた。
あれはあれで子供らしい生き方だったと思う。

夏休みも家で母親がうっとおしがったから、割合家に居て色んな作品を作って楽しくしていたように思う。工作と手芸が大好きだったから そんなことばかり来る日も来る日もしていたような...

それから比べたら 私の娘は呑気にしていられないっていうのが
かわいそうかもしれない。その上、母親がかなりうるさいと来ている。反省しないといけないかな


●2010年01月15日(金)

しかし.....


いよいよ 水曜日に全員のレッスンが終わってから選ばれた三人のみが先生から振り付けをしていただく、というのが始まった。
舞踊学校に出かける前から終わりが八時半だと言われて よくよく考えてみると三時半に出かけて八時半というのは いかにも長くないか?

家に着くのは九時を回ってしまう。

私はプロだけれど バレエのプロクラスの一時間半を終える頃にはもううんざりするくらいに辛い。それを娘は二倍のクラスを毎日している。つまり三時間。

この上に特別な振り付けを一時間というと四時間も休み無しにということになる。その前に一般の子と同じに学校に行っているのだ。

これじゃあ 特別に選ばれたあなたのために振り付けしてあげるのだ 喜べと言われて本当に喜べるだろうか。
私があの、希望で胸もはちきらんばかりの15歳の少女だった頃に こういう過酷な環境だったとして飛び上がって喜んだだろうか。
なんとも言えない。


それに苦手の数学と物理化学の試験が目前で心を苦しめている。

だいたい、プロの教師でこういう生徒の環境を知っていて四時間目の振り付けをやるだろうか。

水曜に振り付けが終わるはずの八時半に迎えに行ったけれども心配していた通り、時間に終わらないのだ。九時になって真っ暗で大雨の降る校舎の外に出て来た。
やっぱり とても不憫だ。

げっそりとした小さな体が見えたら なんとも言えない思いがした。
それは 学業がなければいくらでも飛び上がって喜ぶだろうし、ソロパートをいただくのは嬉しいに違いない。
しかし どう考えても朝から出ずっぱりの一日で、三時間ものバレエレッスンの後に休みも無くそのまま振り付けというのは プロでも厳しいのではないかと思う。

なんとしても 難しい物だ。私は教師にこそ問題があると思うけれど こういうことは言えない。

もしも私がこの教師の立場だったら 毎日10分の振り付けを一週間続けて行う。三時間のあとの四時間目より この方がずっと効果的で疲れないと思うのだ。

いやはや、子育てしていて色々な理不尽を見かけるけれど なんともしてやれない。二兎追うのも本当に辛いものだと思う、

●2010年01月10日(日)

先生に呼び出し食らう母

題名の通りです。
私の15歳の娘のクリスマス前にもらってきた王立舞踊学校の通信簿の下に父兄面談を欲すると先生が書かれていました。
ああ、またかぁ...という失望を抱えたままクリスマス休暇に入ったのだけれど明けて初登校すれば途端に明日のクラスの後で、と伝言が来る。

もう逃げれないと思って行けば、先生が憂い顔で言うのはこういうことだ。
主任教授、筆頭インストラクター、校長、現代舞踊の講師まで
舞踊学校の全教師が異口同音に 一番身体条件と資質が備わっているのがうちの娘だというのだそうだ。

もう、次に来る言葉が分かっている私はうなだれる。

にも関わらず 本人がいつもちんたらしている。
どの科目も最高点をやれるのに 態度が今ひとつだからやれない。
力が有り余っているのに本気を出さない。夏にニューヨークから帰って来て一段と輝いていた時期があったけれど 最近はまたちんたらしているというのだ。

母親の熱意だけで強制されて来ているのか
家庭内でいざこざでもあって本人が悩んでいるのか
一体どうしてこんな勿体無いことになっているのか

と聞かれて言葉に窮してしまった。一番目は五分くらいはあるかもしれない。二番目はそうではない。三番目はこっちが知りたい。

毎日レッスンが長くて学業に障るから本人が辛がっているのは本当だ。一日だけ早帰りの日があるのだけれど それがうちの娘にだけ白羽の矢が立って一時間、何か振付けると先生からお話があったらしい。ぶーぶー文句を言っていたのだけれど、そういう態度は絶対に出してはいけないとの私の忠告も聞かずに 喜びもしないで引いたらしい。普通だったら飛び上がって喜ばないといけないのになんだか嫌そうな顔をする と心外な様子。

早帰りの日なんだからもう一時間というのは嫌なのだ。しかも周半ばの水曜。気持ちは私は分からなくないのだけれど やっぱりまずい。

なんと先生は これからコンクールにも出したいと思っているというのだもの。
この、教師もうらやむ身体条件なのに どうしてこうも本人が欲が無いのか、と聞くのだ。

本当にねぇ 私にこのよく上がる脚と完璧なアンデオールとダンサーの母親が居たら良かったのに と思わずに居られないくらいだ。
豚に真珠と言いたくなってしまう。

バレエコンクールに出したいと先生が言っているのに
本人の最大の希望は近所のアイスクリーム屋で夏にウエイトレスにどうやったら雇ってもらえるか、なのだ。もう去年からこればかり言っている。ウエイトレスのバイトがしたい!あの憧れのアイスクリーム屋で!!

もう馬鹿かと言いたい。

仕方が無いので 全部本当のことを言ってしまった。
よく言えば 物凄く幼いのです。悪く言えば本当に馬鹿な娘です。
学校でも年中 心ここにあらずだと注意され続けています。今学期は三教科落としました。次でリカバーしないと中学が卒業できない危なさです。忘れ物多く、ぼんやりです。15才というよりは12歳かと言う気がしています。末っ子でもたもたしているとみんなでじれてやってしまうという環境から こうなったのかも知れません。
もう いつでもぶん殴ってでも焼いてでもお任せします。
本当にこういう種類の人間を見たことがありません。

と。先生も困惑顔で本当に申し訳なかった。
もう一つ ちらっと思うことは王立舞踊学校のレッスンがつまらないのだ。瞠目するような何かが毎日あれば こうはちんたらしないのじゃないかなと 思う。ニューヨークのプロがぎっしりのクラスではこうではなかったから。

けれども バレエはどこに居て誰と居ようと自覚次第でいくらでも一人で素晴らしくなれるのだから言い訳にはならない。

最近の子って言う言葉で片付けてしまおうか、悩ましい。
確かに何かが足りないのだ。必死とか懸命とか そういうものだ。
新体操時代にはあまるほどあったのだから 魅力が足らないということなのだろう。
私は密かに そう診断している。けれどもこれは先生には絶対に言えないのだ。

なんだか 申し訳ないのとで憂鬱に一日暮らしている。

●2010年01月03日(日)

おめでとうございます

新年おめでとうございます。
今年の皆さんのご多幸をお祈りしています。

さて、12月に入ってそう言えば御節が欲しいなぁといつになく思い、重箱にきれいな料理を並べてみたいと思ううちに北海道から送ってくれる業者を見つけたので これだけは作れない昆布巻きを発注しました。こんな素敵な物を重箱に詰めたらどんなにそれらしくて素敵かしらと思うとわくわくしました。
子どもは一度もお重箱にぎっしり詰まった御節を見ていないのです。
重箱が欲しいと思って 手に入れるまで10年以上かかり、あの見るからに雅な屠蘇器を手にするのに更にもう少しかかり、やっと揃えてもお飾りだけの運命。

なんてったって材料が揃わない。適当なおかずを詰めてごまかす味気なさ。

しかし この大晦日はついに頑張ったのでした。クリスマスの晩に伊達巻をえびのすり身で作ったら結構素敵な出来上がりで、味も市販の甘すぎのとは違って本格なものができました。これですっかり気を良くして 私はネットでささっと調べて ついにかまぼこまで手作りしました。

それはねぇ...売っているあのつるんとしたシコシコのかまぼこにはなりませんでしたが ちょっと笹かまぼこみたいな自然体の味になりました。簀巻きで形を整えて蒸したら結構見られた物になりましたよ。又気を良くした私は次回ははんぺんも作ろうと思ったのでした。

大晦日に作った伊達巻は、クリスマスのときより力を入れてオーブンで焼いたらちょっと失敗しました。けれども端を切り落としたらまあまあ許せる程度の見栄えのいいものにはなりました。

白カブとにんじんでナマスも作り、黒豆っていうには少し小粒で苦しいけれど黒豆のような物に錆びた釘も入れて いい感じに炊き上げたし、おお これは凄いと欲を出して最後の仕上げで煮切ろうとして忘れてしまって せっかくの黒豆はゴミ箱行きの憂き目に遭いました。....がっくりと肩を落とす。

栗きんとんは 材料はあるんだけれど スペインのサツマイモってにんじん色なんです。オレンジ。これねぇ 美しくないです。どうも色がいけない。まずい気がしてしまう。だから残念だけどオレンジの夕焼けきんとんだけはダメ。戸棚の奥に2007年が賞味期限の松前漬けの乾燥一袋を発見。古いーーーーと思いつつ えい、構うこたない、てんで漬けちゃった。あとは相当古いはずのきな粉も
得意の賞味期限無視で....海外の辛さです。こんなもん 日本に居たらどこでだって買えちゃうのになぁ...悲哀。

きうりを切って真ん中くりぬいてキャビアを飾ると なんとなくこんな物は伝統としてないのに 御節みたいに見える。そんなこんなであれこれ工夫してようやっと三段重がきれいに収まりました。
この誇らしさ、嬉しさと言ったらなかったですね。

元旦の朝は 大晦日から泊りがけで来ていた娘の友達に日本の伝統を講釈したりして重箱を恭しく捧げて行ったら「どらえもん」で見知っている子供達は喜びの笑顔。重箱を知っていると言うんですね、漫画の力は侮れないです。

そうしてみんなで私の美しい出来栄えの伊達巻を試し、あれこれつついてそれでもやっぱり最後はパンにバターのトーストが食べたいと言うので なんだかめっちゃくちゃの食卓となりました。あはは。
子供達に説明したり色々していて忙しくて 家族のあらたまった新年の挨拶がなんとなく軽く終わってしまいましたが まぁ このようにして大晦日から沢山人が泊まりに来るというのもいいのではないかと思いました。それでなくても親族を訪ねたりできないのですから 賑やかなのは歓迎しなくては。

夜は友人夫婦を招いて 朝と同じバージョンを出したら、こっちは大人ですから大いに喜んで携帯カメラで重箱の中身をばしばし撮る始末。下ろしたての粋な小紋も評判でした。小紋に合う帯というともうお太鼓しかないので 結構まともな着付けでクッションまがいのお太鼓姿でおもてなしでした。

でもねぇ いつも思うのですが
私って着物だけを見て想像しているほどには後で着てみると和服が似合わないなと。これは白無垢を着たときも同じ失望を味わいました。和服、似合わないし いつも着付けが下手なのに懲りずに着るんだなぁ...一人で頑張るお正月なので もう意地になって着る。

これ、ずっと続けようと決意も新たにした私です。
来年は黒豆を焦がさないで もっと腕も上げよう!
守ろう、お正月!!

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