●2001年03月29日(木)
【ラッタタ、ラッタタ、ラッタタ....】
ご免!昨日はくたびれ果てて眠ってしまった。 衣装はどうだったんですか?気に入りましたか?というメールがいっぱい来てしまった。 決めかねるので当日の舞台照明の下で見て決めようと思っている。本当はきっとこっちだろうな、とわかっているのだ。 舞台経験上、絶対の効果というのは決まっている。 色とか柄は一目見ると、照明下の効果は私にはもうわかる。 なんだか2倍の衣装を持って行くまでもないのだけれど、私はいつも間際に気が変わっても大丈夫なようにしておくのが好きなのだ。 バタデコーラは会心の作のが二つ上がってきて、どちらも既製のマントンで合う色がなかったので染めてもらった。長い付き合いなのでマントン屋も衣装屋も、みんな気持ちよく立派な仕事をしてくれる。こういうところが私をスペインで居心地よくしてくれる要素の一つだ。 衣装もマントンも、もう取りに行く暇がない、と言えば自宅まで届けてくれるという甘やかされ方だ。 昨日が最終リハだったので、メンバーにPCをセットして私のHPを直に出して見せてあげた。ゲストブックのプロフェの回答や、観光案内のボランティアの書き込みを解説してあげたりしたのだ。みんなとても喜んでいた。 舞台の前はあちこち遊びに行かないでちゃんと休養するのよ!と言ってもいい加減な返事ばかりしてあやしいのだ。修学旅行の中学生みたいにあやしい軍団だ。 朝起きて、寝不足みたいな顔していたら承知しないぞ、とすごんでもどこ吹く風だ。 昨日、突然ドランテが「アンコールが来たら何やる?」と言い出した。 ビオラのラフアエルが、いや、日本人はきっとアンコールの習慣がないよ!という。 そう?どうして?ないの? 次々に聞かれて困ってしまった。うーーーんと、どうだったっけ.... スペインや他の国みたいに観客がピーピー口笛だ、足踏み鳴らして大喝采、デモ、春闘、という情熱でアンコールをねだる事はないように思う。絶対にないとは言えない。ブルーノートの時はほぼ毎晩ものすごいアンコールだったのだ。でも、ジャズフアンは、そういう点であまり素人ではないから。 えー!?アンコールしないの?と不服そうにみんなが言う。 うーん、うーん...あったとしてもね、日本人は体力ないから拍手は続かないのよ。すぐに終わっちゃうんだから。 どうしようかな、出て行こうかな、と思っているうちに止んでしまったりするのだ。 へー!どうして?体力と関係あるの? スペイン人は一般人でもパルマがうまくてよくできるから、この調子で大喝采するのだ。言うなれば劇場全員がフラメンコのパルメーロでうずまっている感じ。だからものすごい拍手の渦巻きになる。 何を隠そう、長い修行の後に初の日本公演をした時に、あまりの拍手の違いに私は愕然としたのだ。 誰か、いい機会だからドランテがソロとソロの合間で止まった時に腹式呼吸の大声でバモハジャ!ダビー!とかオーレ!ドランテ!!なんて言って見たらいいのに。絶対に演奏に力が入る。アーティストにとって声がかかると言う事はとても励みになるのだから。みんなもせっかく修行しているのだし、勇気出してやるべきね。まちがって声が黄色くたっていいって。誰かと誰かと掛け声が重なってもかまわないんだから是非やってみてはどう?誰の迷惑にもならない。アーティストにとって全プログラムで1度も声がかからないという事ほどやりにくい事はないのよ。 そうして、もしも私達がみんなの期待に応えられたらアンコールしてみて。 拍手はね、たいていセビジャーナのリズムに落ちつくのよ。ラッタタ、ラッタタ、ラッタタとやるとただの「ぱちぱち」より長く続くし、くたびれない。1度引っ込んだアーティストが出て来るまでこうやってセビジャーナパルマで催促するわけ。てこでも動かないぞ、という感じで。これがつまり生演奏の素晴らしさだし、舞台の良さなのです。 ドランテはすごく熱血のアーティストだし、プログラムの最後にかかってくると血が燃えてとても素晴らしいから、1度も声がかからない、アンコールもしない、となると驚いてしまうかもしれない。 私はアーティストの立場としては、自分の出る公演についてこういう事を言うのははばかられるけれど、みんなの教師としては教えておくべきだな、と思うの。舞台というのは生き物だから、お客はその気持ちを何らかの形で舞台に伝えないといけない。受けるだけではないのよ。つまりお客の側からの何らかの投球がないと、絶対に舞台は生き生きとして来ないのです。 アンコール、準備していない。 ラッタタが来るかどうかにかかっています。 来たら本当にみんなでびっくりして楽しいかも。 それにスペインと同じパルマが響いたら、メンバーが「うっそだろう!恐れ入りました―!」になっておかしい!!
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