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2002年03月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年03月29日(金)

 今年のカリキュラムと恩典についてー上級クラスー


 この所、アカデミーの下の方の子達がとても意気盛んだ。
入門から一年くらいの雄志だけでバレエクラスを秋葉に実現させたのを始め、中々行動力がある。
 自習の仕方がわからないなんて言う人はうちのスクールの一年以上の人達には一人もいない。これは本当に誇りにして良い事だと思っている。
 
 一方では上級生も中々奮闘している。
もう、上級はフラメンコの全てのレパートリーは終わってしまった。今回のマルティネーテが終了すれば、全曲を一周したことになる。

 これで一応の飢餓感はなくなったのだから、もう一度しっかりと落ちついて基本と取り組みながら、駆け足で過ぎ去った曲に今度こそ正面から向き合って一つずつバージョンアップして欲しいのだ。
アイレとかプロピオセージョとか、センティードというのがどういうものなのかを勉強して欲しい。塗り絵から脱却して正しいデッサン力を身につけ、本当のフラメンコに取り組んで欲しい。
ここからがいよいよ私が本当に教えたい物を教える時なのだから。

 今回の集中後のカリキュラムは、あなた達を見ながらしっかり立てたいと思ってます。どちらにしても五月からの授業内容は大幅に変えるつもりでいるのでしっかり読んでください。
昨今の厳しい社会情勢で、週に何日もレッスンできる人は少ないので、木曜のレッスンで何もかも網羅する事がもう無意味だと思っています。
 木曜は全ての上体や振り付けを完成度高く踊り込んで行くクラスにし、初歩的な基本練習に取られていた時間をこれに当てます。

 スペインでは外人相手のコースでもなければ、足だのなんだのの基本レッスンは普通はやりません。いきなり振り付けです。基本なんて当たり前のものは上級になって人に言われてやるような事ではないです。各自あらゆる一日の半端な時間を利用して念入りに自習してください。

 ただし、2ヶ月おきに私にチェックして貰う事。人間ドックみたいに。
このために私の年間の帰国を1回増やします。(ついでにここの行だけ3回読み返して恩に着てくれない?)4月,6月末,8月〜9月,11月末,1月末,こういうタームにします。

 集中レッスンは今回は適応できませんが、次回からテクニカのコースは上級生は全てに自由に出られ、受講料を半額にします。私からの奨学金だと思って下さい。
 年間振り付けは指定しますから、そのコースは後でクラスで問題なくできるように全て受講してください。
課題曲を発表会で踊る時の衣装は基本的にアカデミーが60%負担します。

こんなにしてあげるのだから集中では基本テクニカを取ろうかどうしようかケチケチしない事。如何です?

...で、あとニ週間ですから、会うなりここでの公約が惜しくなるような気分にさせないでね、よろしく。

●2002年03月28日(木)

Jueves Santo

セマナ・サンタの極めつき、今日は聖木曜日だ。
キリストが磔にされる日だ。
カトリック国のスペインでは聖木曜日は休日になる。
ただ、いつもの休日と違うのはこの日は不謹慎にゲラゲラ笑いながら大騒ぎしたり、フラメンコを踊ってはいけない。
タブラオも全てお休みになる。
フラメンコの公演もこの日はない。
何もやらないで神妙にしていないといけない。カトリックでない外国人も例外ではないのだ。そういう国にいるのだから、私は留学生よ、と言ってガタガタ練習したり家でもパリージョの練習などしてはいけない。

 街に出かけてみよう。
各教会にはサエタ歌いの名手が契約されていて、教会の筋向いか隣の家のバルコニーからまさに山車が入るときに歌うのだ。
それは素晴らしい。
群集は息をつめて聴き入るのだ。

 サエタ歌いとして有名な人々の中にはフラメンコのプロのカンタオールも多い。ヘスース・エレディアなどは今週はあちこちからよばれてとても忙しい筈だ。ペペ・ペレヒル、マノーロ・マイレーナなどという人々もいる。

 私はアントニオ・マイレーナの素晴らしいサエタを夜のとばりの中で聴くことができた。素人でも山車が通りかかる時に手を挙げて止め、歌うことができる。ただしものすごく勇気がいるし、上手でないといけない。
どんなに練習しても、これは興があるから、または勉強になるからと日本人だの外人がしゃしゃり出てはいけないと思う。
私は一応勉強もしたし歌えなくもないのだけどカトリック信者ではないのでまさかやらない。
 熱心なカンテ勉強中の方達、あるいはプロと自認する方達、やはりセマナサンタで歌って勇名を上げようなどとは思わないで欲しい。
宗教の行事は外国人は慎んで遠慮というものをしないといけないと思う。
スペインで留学生が色々な問題を起こすので、老婆心ながらここに注意を一応喚起しておきたいと思う。

 セマナ・サンタは間近になると各銀行などでスケジュール冊子が配られる。何時にどこの通りをどこの教会の山車が通るというのが克明に書かれている。JRの時刻表かと思うような詳細さだ。
 昔この時刻表を手にしたマノーロ・マリンに連れられて、中学生みたいにして路地から路地をくぐってお目当ての山車を効率良く見て回った楽しい思い出がいつも胸によみがえる。
ナサレ人と呼ばれる三角頭巾の怖い、黒服の巨漢達が手に手に松明をかかげて行進する様はまるで中世のおどろおどろしさがあって今でも震え上がる。
頭巾には目のところだけ穴が開いていて、とても恐ろしい。

怖い〜〜〜!と思ってすくみあがっているとやおら近寄って来てキャンディーをくれたりなんかするので、益々混乱してしまうのだ。

●2002年03月26日(火)

驚く私に驚く家族



 セマナサンタが日曜から始まって、子供が月曜の朝、いつまでたっても出かけなくて....???
聞いてみれば、1週間の休みだと言う。
「なんだってぇ?」

 勿論、こうして私が驚く事自体が驚異なんですが。
 つまりスペインにこんなに長く住んでいながら、子供も昨日今日学校に行き始めたわけでもないのに、聖週間とフエリアには丸ごと1週間、しかも二つともくっついていて休みになるのを毎年、その都度、驚く。

 いつも子供の事が何にもちゃんとわからないで忙しく暮らしている。
こういう無知というか無関心は多忙とは全然関係ない。
性格の問題なんだとなんとなく良心のとがめを意識しながら思うともなく思っている。ちゃんと反省するのは痛みを伴うので自己防衛本能で、しない。

 この間のつれづれで子供が後ニ年で10才だと書いて本人に何かのついででコメントしたらびっくりされてしまった。
まだ8才ではないと言うのだ。七才で、小学校の一年生ですと!

おや、本当かえ?....と、驚く。
上の子も私が思っていた年より一年少ないというのだ。
というと何かえ?私は二人の子供の誕生の年を二つとも薄ぼんやりと間違えるのかえ?
おお、継母のようだわね!!
急いで改行、急いで話題のチェンジ、急いでもっと楽しい話し。

...でもいつでも子供の生年がわからないのだ。
日本で平成何年生まれ、という記入欄があると必ず冷や汗だ。
じゃ、覚えたらいいじゃないの!
うん、そうよねぇ...どうして本気出ないだろう。
自分の車のナンバーも覚えていない。

みんなの不得意レッスンについては、がたがた言う私なのにね!
できないってはっきりしている事にどうしてさっさと潰さない?て。

 多分私が何もかもきっちりさせようとするのは、というかその努力すらしなくてもそうなる習性になっているのは、自分の専門だけなんだろうな、と考えてみる。

 本の校正で週末ずっと徹夜に近かったのでついに風邪をこじらせてしまった。木曜まではご機嫌な振り付けがまとまりかけていたのに。まとまりかけの時には一日も休んではダメなのだ。せっかくのテクニックが土砂崩れになる。
だからいつになく嫌なんだけど今日も続きをやリに行かないと。

シルベリオ・フランコネッティの肖像のトリミングが気になって仕方ないのだ。帰ったら出版社とミーティングしてがっちり話し合わないといけない。
どうしてこうやって全部に気がついてしまうかな、と時々思わなくもない。

これだから仕事ではほぼ絶対に失敗しないけど、これだからこそ、いつもとても多忙だ。


●2002年03月23日(土)

夏のスペイン事情


 昨日は眩しくて目が開けていられないような一日だった。
ここのところ34度の記録が出ている。

 確か先週くらいまでは寒くてセーターが手放せなかったのだ。
長袖は出番なく、突然サブリナパンツにタンクトップの登場だ。
 この季節になるといつものことだけれど、なんだか頭がくら〜としてしまった。
この暑さに冬眠の体調がついて行けない。

それでいて、カラフルでデザインの豊富な夏服が着れるのはやっぱりウキウキして嬉しい。
 どこのブティックにも、美しい素敵な服がデイスプレイしてある。飾り付けた人の気持ちの浮き立ちがそのままウィンドーに反映しているような楽しさだ。
一つだけ気をつけないといけないのは、スペインの色というのは日本の環境の中ではとても派手で、絶対に外人なんだろうな、と多分思われてしまうことだ。
 電車に乗ると人の視線がどうしても離れてくれないことがよくある。
見ちゃいけないからいい加減にしないと、と本人は自制しているみたいなのに、どうしても珍しくて見てしまう、という遠慮がちな視線がずっと続く。

まあ、うぬぼれが過ぎない?と言わずにィ、違うんですったら。だんだんどこかにおかしいものでもついてるのかな、と不安になって来るんですよ。
スタジオに着くなり生徒に聞いてしまう。
はぁはぁはぁ、なんか、どこか変だった?これこれしかじか....

 ただの普段着みたいな時など、思い当たらない。

開口一番、「色が派手かも知れないです。日本ではそんなに全身ピンクとか着ないし.....」

 ああ、そうか、と納得する。なるほどね、みなさんとってもシックで黒ばかりだものね。(うーーん、そうとも言えないか。そう言えば私はよく目が釘づけになる!女学生の行灯のようなどぼーっとした靴下などに)

 逆もある。日本でシックなベージュのドレスなどスペインで着るとダサい!て映る。ベージュも着るけれど、こちらでは白と合わせて爽やかにまとめることが多い。結婚式などによばれても長いドレスを家から着て行く。その辺をその派手ないでたちでそぞろ歩いても違和感がない。お振袖で電車に乗るくらいに普通だ。
やっぱり洋服の発祥地だからかしらね?

 明日からセマナ・サンタが始まる。日曜はDOMINGO de RAMO と呼ばれている。みんなどこに行くのか!?というような気張った正装で街を歩き回るのでこの一週間は服装に気をつけないといけない。
どこの靴屋もブティックも新調する人ですごい賑わいだ。
セビージャは世界の都市の例にもれず、ジーパン、ラクな服のモダン化の波が押し寄せてはいても、やっぱりスペインでも一番くらいに着道楽の街なのだ。

 ビデオのマティルデ・コラールの巨体の下に映ったピンヒールに驚愕した人は少なくないと思うけれど、ああいうご婦人がまだまだいっぱいいらっしゃる!

●2002年03月21日(木)

コンプレックス

 
 劣等感は下手な人だけの専売特許ではない。

傍目には羨ましくなるような素晴らしいプロの中のプロという人でも、昨日入会したばかりのセビジャーナも踊れない棒きれみたいな一般人より激しい劣等感にさいなまれている人もあるのだ。

 人間だし、そうかもしれないと頭では想像してみても実際にその例を見てみないと理解できないだろう。

 私はここ近年ずいぶん目を丸くしてそういう場面に居合せている。

フラメンコでは滅多に気がついたことがないのだが、バレエの集中レッスンなどでは、バレエ団で活躍しているようなプロがクラスの後で泣き崩れているのを呆然として眺めたことがある。
 クラシックバレエというのは非常に厳格な型があって、小さい時から修行している人というのは滅多な事では泣き言も言わないし、ハガネのような根性が練れているので弱味は出さないものだ。
 レッスン中の集中力は恐ろしいまでだし、克己の精神にがっしりと心身ともに鍛えられているのが普通だ。先生に見てもらえないからと言って文句を言うわけでもない。見てくれないだけの理由があるのだろうと健気に反省して精進するのが普通なのだ。ここが素人と違う。

 でも一面ではどんなプロでも、心のひだに思うように技術の克服が出来ないもどかしさと悔しさに身悶えするような焦燥感を抱えているらしいのだ。それが何かの拍子に持ちこたえられなくなって爆発するものらしい。
どうして?というような時に限って突然涙を貯めたりするのだもの。
おろおろしてしまう。

 昨年の事だ。世界の何本指に入る、というようなモダンバレエ界の巨匠の集中講座に私が(勿論、間違って)登録した時など、レッスンが終わった後にさっきのはものすごい難しさだったからちょっと一緒に残っておさらいしない?と、見回しても誰一人として残らないのだ。
変ネエ、いつもはすごく熱心なのに....やっと団員のアマンダを捕まえて誘ったら、血の気の失せた顔で「悪いけどとてもダメだわ。あんまり不甲斐なくて肩を触られただけできっとヒステリーになってしまう、私」そう言っていつもは愛くるしい熱心なバレリーナの彼女は力なく退室してしまったのだ。
「....」
おさらいしようかな、というのはついに私だけになってしまった。

このアマンダという美貌の女性は、
耳まで脚が上がり、4才から中断なしにバレエ一筋で来て、王立芸術院でバレエ科の免状も取ってあり、アンダルシアモダン・バレエ団の正式団員で奨学生でもある人なのだ。
 まるで生きている価値がないと言われたみたいにして帰って行ったのだけど、後姿に痛ましい苦悩が残っていた。

あれだけ出来れば私なんて飛び上がって喜んでしまうのにな、と呆れる思いだけれども、本人は自分のレベルなんかでは嬉しくもなんともないのに違いない。こんな事もできなくてダンサーとして将来がないのではないかと思ったのかも知れない。ここがバレエは選択科目だという気持ちの私とは全然違うのだ。

 多かれ少なかれバレエというのは、あらゆるレベルの人が自分の中で苦しい葛藤を抱えているものなのだという事が多くのプロの集中講座に出てみて実感できてきている。
 先生と言われる人にも際だった特徴があり、近年随分考えさせられる事が多い。...このお話しはまた、いつか。

 ところで、私の娘がバレエを習っているのはフラメンコに必要だからではない。誤解があるといけないのでここに言明しておく。私は自分の子供には踊りがどうしても教えられない。だからと言ってその辺の教室に入れる気にはなれない。
 優れたバレリーナで信頼できる友人がいるのでこの人になら預けてもいいと思っている。それだけの事だ。人の子供ならいくらでも優しく教えられるのに自分の娘だと鬼のようになってしまうの...え?あなた達にもだって?甘い、甘い、あんなもんじゃないんだ。フラメンコを習うとしたら他所の先生に習いたいな、と遠慮がちにつぶやいているくらいに恐ろしいのだ!

●2002年03月20日(水)

ふきのとう

 
 日本大使館から小学校の教科書を送っていただいている。とてもじゃないが全教科などやれないので、国語だけざっとおさらいさせている。(だから理科
や社会の日本語の語彙力はゼロだ)

 朝、私がまだベッドにいるうちから子供は階下の階段に座って朗読するのだ(ひどい母親なんです、このように子供のがちゃんと言われた事を守って学校に行く前に日本語をやって行くのです)夢の中で読みを訂正しつつ起きて行って、がたがた言うわけです。いつまで素直に言う事聞いているだろうか、と思いながら...

 しかし、スペインの学校の方だってかなり難しくなって来ているので日本語を朝の登校前にさらって行くというのはとても過酷な気がしている。学校から直行で毎日水泳があり、帰宅は夜の9時半なのだ。宿題は移動中の車かクラブのカフェテリアや着替え室で済ませている。
もうどこにも時間が余っていないのに、学校からはもっと勉強させろとしつこく言われている。その度にそんなに言うなら転校させると反抗している。

 小学校でも落第のあるスペインでは、あんまり恥ずかしいことではないので、1年くらい落第させようかと最近、本気で考えている。

 下の子は二年生の教科書をさらっているが、春になると必ず「ふきのとう」が出て来る。またですか?という感じだ。
勿論子供はこれが何の事かわからない。
悲しいことに親もなんだかわからないのだ。
ー知ってるってぇ...雪の下からがんばって出て来る植物で、だから子供達よ、君等もこのように頑張るんだよ、というとても啓示的な、しかし現実にそぐわない、言わせてもらえばいい加減にしろ、といらつくような美しい比喩でしょ?

 子供の父親がある日、「またふきのとうか!一体教科書を作っている奴は能がないな。オレが子供の時からいつもこれだぜ。あの頃だって都会の子供なんかふきのとうなんて一度も目にしたことがないというのに!」
...そう言えば私だってお会席か何かで原型のよくわからないものをそう言われて有り難く?いただいたくらいで、1回も土の中でふんばって、頑張って、なんていうこの偉い、立志伝的植物を見たことなんかないのだ。
八代続いたれっきとした江戸っ子で田舎なんてものは親戚中探したって一つもなく、知ってる野の草、お馴染みの、というのは紫露草がやっと、という生まれと育ちなんだもの。
「ふきのとうって何?」
今年も聞かれる。うーーーんと。えーーーと、ほら!ここに描いてあるこの絵じゃないかなぁ、と思うんだけどね、違うかしらん?

子供は美しい眉を寄せ、生真面目な顔をして私の指さす絵にじっと見入っていた。
....その真面目さに、なんとなく居心地悪くなる私でした。

●2002年03月18日(月)

バーレッスンについて


 BBSで見かけた時から、あっ!と思っていたのですが、忙しくてこのテーマを取り上げられずにいました。
 確か早く秋葉原にバーが来て欲しいな。あれでバーレッスンがしたいな、という無邪気な投稿でしたが、今のレッスンは間に合わせではないのよ。

 実は1年くらいはバーをやめたいな、と思っていたんです。

バレエにはあのバーにつかまってレッスンするのがそもそもそれらしくって憧れの一つだろうとは分っているんですが、バーレッスンというのは下手をするととても危険なのです。
 バーの使い方が分らないと(そして中々分かる様になれない)寄りかかるクセがついてしまって体重移動や正確なポジジョンが何年も習得できなくなります。あれはほんのお姫様のようなか細い力のない手でふんわりさわっているだけが正しく、がっちりつかまっては絶対にいけないのです。
つかまったその瞬間から体重と軸がずれてしまいます。

 日本ではまだあんまり普及していないのかも知れないですが、センター・バー(違う呼び名かも)と言って、中央で何にもつかまらないで全エクササイズをやる方法があります。私はこの方法のレッスンを週に少なくても3回はやっています。
とても苦しいの。
支えるものがないのでものすごく正確にやらないとけなくなります。
つまり、これがいいのです。

 思うに最短距離で軸が体得できると確信しています。それからバーにつかまるよりはるかにアンデオールが小さくなります。これは骨格と筋に間違った角度を強制しない本当の実力で踊る、即、戦力になるレッスンなのだと言う気がしています。前から知っていたのだけど、あんまりきつい稽古なので実践していませんでした。

今年から心を入れ替えて始めています。

今度帰ったらちらっと教えてあげましょう。
本格的に実験結果が出たら報告してあげるから、あと3年待って欲しい。
多分、最終的に違う舞踊を目指す人にはなおさらいい訓練なのだと思います。
クラシックでもその真価は疑う余地がないですけれど。

 2年くらい前から解剖学も勉強し始めています。そのうちHPにそういうコンテンツも出しましょう。

 バーはとってもそれらしいですけどね、いかなる舞踊も最後はバーなしでちゃんとコントロールして踊れないといけないのです。
だからバーがないと何もできない踊り手にならないように常にチェックしながら体得して行く事を忘れないでね。
????でもいいから。とにかく、心に引っ掛けておいて。
いつか!!!!という日がきっと来るから。

●2002年03月15日(金)

筋肉のトレーニング、どうする?

 スペインに来ている生徒までインターネットカフェで私のHPを読んでいるとさっき電話がかかって来た。
ごめん....忙しくて全然会えないのだ。

ぽこっと時間が何かの都合で今みたいに空く事はあるのだけど前もってちゃんと約束して空けることがとてもできにくい。
「先生ーーー、筋肉トレーニングその他について私も知りたいですーー!」
「いつ出ますか?」なんて言われてしまった。

 今朝、予定のアポイントが流れたのでこのところ質問が多いトレーニングの認識についてまじめなお答えをしておこうと思う。

 どこを重点的に、ということはあまり意識しない方がいいかもしれない。まんべんなくやるに越した事はないのだ。
けれどもプロではないから、そんな筋肉もやらないといけない?と
驚くものなのかもしれない。

 上体が弱いと足が早くならない。
 足が弱いと上体がしっかりしない。
 柔軟を少しでもこころがけないと無用の事故に(私的な生活でもですよ!)
 合う。

 毎日5分のこころがけは、週に1度一時間よりずっと尊い。

 始めに突然決心して力まない。

まず、ここら辺が重要な心構えです。

 ジョギングは私は勧めないです。
なぜかと言うと私自身が外科の権威と言われた医者からそう進言されているからです。
あれは背骨に負担がかかるらしいです。負担と鍛えは違うので、うまくやればいい効果があるのかもしれないけれど、失敗するかもしれない要注意のものは時間もないのでわざわざ手を出さなくていいと思うのです。ただ汗をかけばいいかというとそうではないのだから。

 腕や脚の内側、という気のつきにくい筋肉トレーニングは何も踊りのためでなくても美容のためにとても重要です。趣味でやっている踊りの上達のためのちょっとした努力というのは、みんな辛がるけれど美容と健康に直結している鍛錬なのでやるべきでしょう?

いつも言っているように、顔ばかり高価なクリーム、高価な化粧品に依存してしまいがちだけれど、その人の印象というのは顔のアップではなくて全体的なものなのだから。
 顔はすごく美しいけれど歩くとよちよちしている人とか、老いが(若いのに)全身に出ている人は日本に特に多い気がする。

これは外国を通って帰国する私の偏見のない目にそう映るのだから、信頼度はあると思うのだけど....?どうかしら?一考の価値はあると思わない?

 相談に多いのがいくらやっても、できない、うまくならない、というのがダントツだけど、本当にそんなに賢くいくらでも稽古しているのか反省してみるといいかも知れないです。こういう反省は私自身がいつもしていることで、自動チェックというか自動コントロールとして見直しは常に必要です。

 もしかしてものすごーーーく頭の悪い方法で、かなりずさんな、なんの益にもならない事をいらいらしながらやっているのかも知れない、という疑いを持ってみるべきかもしれないのだから。
これは有り得る事ですよ。誰にでもね。
一つの目安は、効果が実感できない場合です。そんなにものすごく長くかかる事は滅多にないのだから。一つの手がかりになります。

 自分で突きとめられない場合には専門家にチェックしてもらう。
これは大事な事です。早く手を打たないとまずいかもしれないから。

 何でもそうですが、間違った方向に努力を重ねてしまうともとに戻す努力が必要になってしまいます。戻ればいいけれど戻れない場合だってある。筋や何かを損傷してしまってからでは遅いですもの。
 踊りのための努力は、趣味であるのなら「美容のためなんだ」と思ったら何にも辛くないかも知れないですよ。おまけで黙っていても付いて来る特典なんだと。

それでも辛かったらいいじゃないの、もう、何にもやらないことに決めてばくばく好きな物食べていくらでも太り、筋肉はあんまりなしでマシュマロみたいになって平然とその事実に不満なく受け容れて人生を全うする。
ああ、いいな、人生って!そう達観すれば立派です。
ぐずぐず人をうらやんだりしない!
きっぱり!
皮肉じゃないですよ、勿論。真面目。
つまり、選択の問題よ。どっちにするかの。

 

●2002年03月14日(木)

春はあけぼの...

 もう夏のにおいがしていたのにこのところお天気が一気に崩れてきて
今日なんざ、昼間にヒョウまで降った。
イヌネコに降った。
ドッグス アンド キャッツ。キャッツ アンド ドッグス
すごいですよねぇ、スペインの陽気って、不順と言ってもここまでねぇ...

 高速道路の、いつも怖いなァと思いながら通る辺りでは車が四台くらいグシャグシヤにつぶれてパトカーの青いランプが点滅していた。
 怖いと思っている箇所、3箇所くらいで立て続けに事故を見た
...やっぱり!

それなのに無理な割り込みや、どきやがれ!式に、迫りに迫る嫌なヤツっている。今、事故現場通ったばかりじゃないの!後ろに向かってクラクションが鳴らせたらいいのに。
 
 もう、筆舌に尽くせない大雨なんです。それなのにフェリア会場には大方のカセ−タ(小屋の事よ)が出来あがっていてまったく感心してしまう。
毎年感心してしまう。
20年は感心し通しだ。

だってセマナ・サンタがまだなのに4月のフエリアがもうできちまっているんでさぁ。

 この、どんなことにもラチの明かないのろい国が、遊ぶ事だけは1ヶ月も前にちゃあんと出来てしまう。

フェリアは私の帰国と共に始まるのだけど、ご存知ですか?毎年、決まっている日程の何週間も前からもう、内々には始まってしまうことを?
そう、きっと今週末辺りからカセータに人が賑わって飲んだり食べたりしていると思いますよ。

そして毎年、絶対に大雨が降るのに、ここの人達はめげない。
雨でどろどろの土を足元を濡らしながらでも出かける。
生後何ヶ月という赤ちゃんがいても人ごみに平気で連れて行くのだ。
いつどしゃ降りになるか分らないって言うのに。
すごい根性。
 そんなにする程面白いものでは決してないのに.....

 私なんてフエリアってあまり好きではない。大抵のフラメンコのアーテイストってフエリアが嫌いなのだ。フェリアというといつも悲しい気持ちになってしまうのだ。
あの大勢の人。
楽しい思いがしたいなぁ、とさまよっている群集の中にいるとなんとも儚い、辛い思いがしてしまうのだ。

なんでぇ?楽しいじゃないの、フェリアって!変な人ねぇ!

こういう情緒は、なかなかアンダルシア人には理解しにくいものらしい。

ま、いいかな、こっちはこっちで...。
春はあけぼの....とつぶやいてみたりなんかしちゃうのだ。
東洋の神秘のところのものの私としては。

●2002年03月13日(水)

人さらい

 
 私の上の娘が水泳の選手だということはこのHPの読者のみなさんなら
うんざりするくらいによくご存知だ。

 どうして水泳の選手になったかというとこの子供の父親がかつて選手だったので、娘がよちよち歩きの頃からカメのように背中に乗せてプールと親しんでいたのだ。
 3才で25メートルを泳ぎきり、5才でセビジャーナスの4番まで踊れてコンクールで最年少で決勝に残っていた。
 ところが、この子にフラメンコを教えるつもりでいた私が外国公演でちょっと留守にした間に、父親にかっさらわれてしまったのだ。

娘はあっと言う間に選手になり、シンクロナイズスイミングのコーチや他の県からスカウトが来るようになってしまい、もう2度と舞踊の方には返してもらえなくなった。
 水泳で挫折しないかと密かに思わないでもなかったが、クラシックをやるにはもう肩幅が広くなってしまってちょっと辛い。逆三角のすごい筋肉のかたまりになってしまったのだ。うーーーん...

 下の娘は情緒が舞踊向きにできているので、断固油断せずにクラシックバレエに引っ張って行っている。
 ところが年中無休の水泳クラブと違ってしょっちゅう休みが続くバレエは(祝祭日、バケーション)スポーツには負けてしまうのだ。
つまりそういう間に水泳の方に引っ張って行かれてしまう。
夏の合宿、選手権とイベントの多いスポーツの魅力にバレリーナは羨望の眼差しでとてもまずい展開になって来ていた。
姉が羨ましくて仕方ない。水泳のが楽しそう...

 この間日本に行っている間にこっちの娘も父親が水泳のクラスに入れてしまったのだ。
こっちの子は実は父親や姉といつもくっついているから3才にならないうちから泳げていた。
フオームは舞踊もやっているからとても美しい。それで入るなり選手に抜擢されて上のクラスに昇級してしまったというのだ。
二人とも奨学生になってお金が一切かからなくなってしまった。
優勝カップも三個を数えてしまったらしい。
この間私がイタリアに行っている留守に急展開してしまったのだ。

 夕べそういう報告がもたらされて、私は一挙に奈落に突き落とされた。
水泳根性娘ばっかり、嫌だ!
一人くらい死守したい!
...そういう才能に生まれついている子なのだから手放したくないのだ。

 その場でロイヤル・バレエにメールを出して何才から受けつけるかと聞いてしまったくらいだ。律儀なイギリス人は今朝一番でちゃんとお返事をくれている。10才でないとダメというのだ。2年のうちに父親にさらわれてしまう!
これは、私は辛い。

マドリーの権威、ビクトル・ウジャーテにはこれから電話するつもりでいる。
子供の意思に結局は任せるとなると、絶対にスポーツに勝てない気がして憂鬱だ。バトルの前から敗北が見える。

ホエーー!メカゴラレチェ!と叫びたい気分。

●2002年03月12日(火)

フラメンコ学者


 ヘレスにフラメンコ学会というのがある。
権威に弱い日本人はそう聞くとすぐにフラメンコの本拠地、
フラメンコの殿堂なんだな、と思い込みがちだ。

 確かにフラメンコ学というのはあるのだけど、そして色々研究はされているけれど、そもそもこの芸能は伝承だし、伝承している人達が放浪者だし家がなくて定住していない上に最下層の外国人であったわけだからスペイン語が学問の分野で流暢に扱えた人がいないのだ。
学者はみんなフラメンコのジプシーでない人ばかりだ。
(例外にアントニオ・マイレーナが居るが、この人は大学の先生と組んで共著している)

それは何を意味しているかというと、この権威には家元が不在だということだ。家元が不在のものを有り難がってはいけない。

 でもそう冷静に判断した上で少し有り難いと思って利用するのはよい。

 フラメンコの写真とかビデオが閲覧できるようになっているからだ。

でも一方ではかなり怪しげな事もしている。
外国人をターゲットのクルソ=集中講座を広く世界に向けて発している。
重要な資金源だ。
さすがにヘレスだけの事はあるな、ビジネスに敏感だな、と感心していたら
今度は、フラメンコの免状を出すと言い出して呆れた。

フラメンコの賞というのならまだ分る。(これはコルドバがやっている。ほんと、セビージャって何にもやらない。一年置きのビエナルだけだ。無能な公務員ばかりだ)

でも、免状って何だ?
誰が誰にくれてやるというのだ?
免状制度にしたら真っ先に落ちるのはジプシーだろう。
制度やしばられたもので表現できない感情を託したのがフラメンコの本質ではなかったか?
反体制なのだ、フラメンコって。

はい、サパテアードの試験、はい、ブラソの過程、と言って誰か通るか?
カルメン・アマジャなんかはブラソの人ではなかった。ああいう人は落とすのか?落とさないのだとしたら基準がない事になる、ないなら最初からやるな。

金儲けに専心しているのだ。

 フラメンコというのはもともととても商業的なものだったのだから何をやっても自由なのかも知れないけれど、私は非常に不愉快だ。なぜならこの免状に群がるのは外国人だからだ。
そのうち、この免状を取りました、という看板を教室に掲げたい人でひしめくかも知れない。

 フアル−コという踊り手がいた。お爺さんの方だ。
この人の時代にはコルドバのコンクールに優勝した踊り手達が競ってポスターに「コルドバのコンクール優勝の誰それ」と掲げた。フエスティバルというと
このコンクールの基準を有り難がってみんな名前に冠した。名前に付けたいためにコンクールに応募した。やらせもいっぱい出た。審査員や主催者に取り入ったり愛人になってもらう人もいっぱいいた。

 そこでこの、フラメンコの直流の、ジプシーの燃え立つ炎の、かの天才ギタリストのラモン・モントージャの親戚の、類稀なる生粋の踊り手であるフアル−コは、でかでかと掲げたというのだ、自分のポスターに。
「フアル−コ、シン・プレミオ」と。

何にも優勝していないフアル−コ!と。

わかります?ここに込められた痛烈な皮肉が。

●2002年03月10日(日)

3回転ピルエット


 車でいつものロータリーに差し掛かったら、宝石のように輝くおおつぶのいちごが木箱にどっさり入った山盛りが目に入った。傍らには少年がぽつねんと番をしていた。
この季節になるとこういう光景に出会う。
農家から直接車に積んで適当な路上で売るともなく売るのだ。

 木箱は大きくて、ひと箱に2キロくらい入っている。
これが今年はトレス・エウロだと言う。五百ペセタくらい。350円というところかな。
外国人は国を問わずにみんな安いのに嬉しくなって飛び付く。スペインでも果物屋よりずっと安いので結構みんな車を止めて買い求める。
私もひと箱助手席に置いて走り去る。

 このところもう、夏のような陽気だ。かというと途端に裏切り者のように冬がぶり返すので全シーズンの衣類をみんな出したままで待機だ。

 それでも街には美しい夏のタンクトップが溢れているし、色も晴れ晴れするようなピンク、ブルー、黄緑のパステルが氾濫している。
 今年は親友のデザイナーの意見を入れて思い切って全く違う趣味に傾くことにした。店内にはこのところ聴き慣れたユー・フィール....スーパー
セクシィ・ガールなんてのが、がんがんかかっていて思わず3回転ピルエットで応酬したくなってしまった。
こういうのがかかっていると、手足が動き出してしまって困る。
踊りたくなって我慢できなくなる。

それで言いなりに服を総取り替えしてしまった。
すごい商法ですよねぇ、目と耳から購買させる。香水も匂わせている店も結構多い。こうなると全部向こうの思い通りの五感に訴える催眠術にかかる。

 実は私はクラシックなドレスが大好きで、ジーパン全盛の学生時代から誰も思い付きもしない50年代の古風なドレスで通していた。夏のレースの手袋とか、そういうものも10代の頃から大好きな少女だったのだ。クラシックとフオークロア。
勿論、周りにそんな変な子は一人もいなかったけれど。

 そんな博物館趣味がここに来て何に傾いているかというと、ははは、笑ってしまうなぁ....ハードロック風だなぁ....ヒップハングのパンタロンにアマゾネスみたいなシャツやなんか....みんながこっちのが似合うっておだてるし、有無を言わさずにびょう打ちの「ええー?!」というようなシャツが次々選ばれてしまって、いいから、試着してご覧よ!と命令されて渋々着てみたら意外とラクなのだ。
動きやすい。
すぐに脱ぎ着が出来る。
ハイヒールはかないで済む。
稽古から稽古に移動も早い。
踊り手にもって来いかも。

 おへその上にピアスもしろと言う。
いやだー、そんな、耳だけでいいって、もう!
コーデイネイトにうるさいデザイナーをだまらせるためにインチキな刺青シールだけ買う事にする。刺青して、さてどこに行こう?
(益々父兄会に着て行く物のなくなる私です)

ヒョウ柄のコルセットタイプも着ろと言う。
なんかすごい事になってしまった。
でもスペインだったら平気かもしれない。
そんな女性で溢れかえっているからだ。
ヒョウ柄にハイビスカスのプリントがまざっている悪趣味のきわみみたいのまで街で見かける。こんなにすごくなるとただのヒョウなんか猫くらいの威力しかない。おとなしい、クラシック、て感じがするくらいだ。


こういうの、日本でも流行ってます?
スペインの今年はシースルーのシャーリングブラウスが圧倒的勢いで店頭に出て来て、道行く女の子達がこんなに透けてしまっててどうする?と囁きあってます。
マネキンによると下着もなんにもつけずに平然としていろという事みたい!?

しかし、流行というのはすごいですよね。
これだ!とフアッション界が決めたら、当然のようにその傾向の物しか市場に出なくなってしまう。
注文して個人的に作ってもらうしかなくなってしまい、そんな悠長な事はなかなかしていられない。

 それにしても、今年から街着がステージ衣装みたいになって来たことだけは確かだ。総アルティスタ時代到来かな?

●2002年03月04日(月)

フラメンコの衣装

 先週の水曜に全国の幼稚園、小学校では一斉に生徒はフラメンコの衣装で登校した。
翌日がアンダルシアの日で、お休みなので前日に祝ってしまおうということだ。
 我が家でも朝の7:30から着付けと髪結いに起こされておおわらわだった。あいにくと朝はとても冷え込んでこんな薄着で行けるような陽気ではなかったのだけど、女の子の情熱は春の不順な気候より熱く、わからないような工夫を母親は必死に考えて下着を重ねさせた。やれやれ.....

 それでも半袖というのはまだ見ただけで寒々しいので、衣装室から特別のマントンを取り出させた。
 
 なんだか感慨深かった。
このもう、決して作られる事のない白地に多色のマントンは、私がはるか昔、まだ子供もない頃にいつの日か娘が生まれたら与えようと思って買っておいたものなのだ。
 娘が生まれた後も、まだ床にフレコが引きずられてしまうので10年の歳月を待たなければいけなかった。なお少し引きずるけれど、できない程でもない。
このずっしりと重い、溜息の出るような分厚い刺繍のマントンは、マントン・デ・マニラと呼ばれる正統の伝統の作りで、もうはるか10年前でも市場に出ていない。こういう最後の作品を特別にマントン工場から分けてもらったのだった。
自分がおろしたい誘惑と戦って今日まで仕舞い込んでいた。

 それはもう、プロですから髪の結い方、髷のまとめ方、クシの粋な傾け方、スペインの他のただのお母さんにかなうものではありません!!!威張ってしまうのだ、ま、いいでしょう?子供は誇りにしてくれているのだから、ははは。
 そうしてこの年代物のマントンをまとったら、まあ、なんて美しい娘に育ったろうかと嬉しくなってしまった。

 学校に行ったら先生があんまりきれいだからアンダルシアのバッチを全校生徒に配る役目はあなたがしなさい、と命令するものだから恥ずかしくてもじもじしてしまったと帰ってから少しこぼした。
「まあまあ、いいじゃないの...それで?」
「上級生の担任の先生にもバッチを渡したら、受け取ってくれなかったの」
「おや、どうして?」
「だめだめ、僕は君につけてもらいたい、て。それでお兄さん、お姉さん達が笑ってた」

 びっくりしてしまった。こんな堅物私立の先生でもやはりアンダルシア男ですから、こういうお世辞を忘れないのですよ。
これは、ここでは良い事なのです。
このようなお世辞は毎日のようにここの土地では女性に言ってくれるのだけど、日本の謙譲の美徳と同じようにここでは一つの美徳に数えるのです。好言令色ではないんだな。

 学校が引ける頃、小さなかわいいフラメンコ衣装の幼稚園生が工作で作ったらしい画用紙の大きなペイネ−タを頭に止めて現れた。男の子は画用紙のネクタイ。いづれも白と緑の縞になっていたのが微笑ましい。この色はアンダルシアの旗の色なのだ。
街にフラメンコ衣装の子供達が溢れて、とても心和む一日でした。

http://www.flamencoole.com/

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