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2003年04月のセビリア発信・つれづれ草
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●2003年04月25日(金)

追記あれこれ


>これは本当に素晴らしい。速度も理想的だ。

と友繁晶子が絶賛するので翌日「ソロ・コンパスのスーパー・ラピドシリーズ、グワヒーラスの12番」を探したけれどそんなものはなかった。
あらら??
そうしたら同じシリーズだけれどグワヒーラスのUのえーーと、12?16?のギターなしの♪200でした。これです。どんどん頑張れてしまうのは。
彼女が出す数字だけは疑ってかかろう!

という訳で申し訳ありませんでした。お許しくださいませ。陳謝です。

あっちでエッセイ、こっちでつれづれ...していますが、確か昨日のバレエエッセイで子供は愛情深くレッスンしろかなんか言っておきながら、午後のレッスンでは自分の子供を大勢の前で脅しつけた。

「生意気な口きくと承知しないよ!」である。
振りつけのできない点を指摘したら「自分はちゃんとやってる」なんて抜かすのだ。誰に向かって口きいてるのよ、あんた!である。

かつ、ひそひそおしゃべりを止めない別の子供二人に遠島を申しつけて体育館の隅に流してしまった。
次席コーチを通して二度とやりません、許してくださいと言うので、言葉を違えたら家に帰ってもう二度と来るなと言い渡した。
(スペインの親が偉いのは、こういう事になってもまさか教師に文句を言いに来ない所だ。昔の日本のようにちゃんと躾る権利が教師に委ねられている)

 うっかりしていたけれど、子供というのはすぐ調子に乗る。
こういう場合はがぁん!とやらないといけない。
ただしくどくど説明したり、ねちねち叱ってはダメだ。一言か二言。
あっさり、ぐっさり、にべもなく、だ。

トレーニングが終わりに近くなった頃、帰りの車で母親の大剣幕にもみくちゃにされないかと心痛の娘が目にいっぱい涙を貯めて
「さっきは本当にごめんなさい」と言う。
「もう3回目よ。今度はないからね!泣いたら承知しないわよ」
こっくりうなずいて、涙は一粒もこぼさなかったのでこの話しはここでお終いだ。
両極端みたいだけれど、アメと鞭って言うのは大事だ。いつも鞭でもいつもアメでもいけない。匙加減は難しいけれど叱る時は徹底的にきつくないとなめられてしまう。大人の気持ちに少しでもひるみがあると、利口な子供達はすぐに嗅ぎ取る。するともうちょろい人として格下げになって言う事をきかなくなる。本気でないといけないのは、当然なのだ。
子供を甘く見てはいけない。

●2003年04月22日(火)

本日はつれづれ....

ソロ・コンパスのスーパー・ラピドシリーズ、グワヒーラスの12番は素晴らしい。うかつだったけれど、昨日気がついた。
それまでこんなのは出してみた事がなかった。あれはリピートにしていると何時間でも振りつけが進んでしまう。ギターがついているとどうしてもギタリストのフアルセータに左右されてイメージが固定してしまうのだけど、こういうものでトレーニングすると泉のように表現が自由に湧いて来る。
これは本当に素晴らしい。速度も理想的だ。

 ところでこんな事をやりながら「近代における中国と日本の暗明」なんていうのを読んでいる。漢字が苦手だから袁世凱、孫文なんかはさすがに分かってもそれ以外の人名で四苦八苦して何回もふり仮名に戻らないといけない。
この間項羽と劉ほう(漢字変換できず、)を読んだ時もこんなに難しい本が日本で何万も売れたっていうのは日本人て凄いなァ、と感心して自分に落胆した。
子供に西郷隆盛の伝記を教えようとして四苦八苦してこういう物を読んでいる。日本史の話しになると子供はこの退屈な教師に呆れてもうあんまり聞いてくれなくなっている。
うちの子供はみんなスペイン国籍になってしまうだろうから早く親の言う事を聞いてくれるうちに日本史をたたき込みたいと焦るのだけど、失敗ばかりでギブアップだ。二人とも何にも知らない。
 夏休みに帰国子女相手に日本史教えてくれるところはないだろうか....
そのうちにスペイン人のように無理解のまま日本批判なんかするんじゃないかと思うと、胸が潰れる思いだ。

ユダヤ人はどこに流れて行ってもちゃんと子供に教理と学問を授けたというのに、私はとてもじゃないけどそういう器ではないらしい。

子供は毎日トレーニングでぐったりしていて1分の時間も余っていない。こっちももう死に体になっていて、さあさ、勝海舟はね....という気分にはなりにくい。
幕府、徳川家、勤皇と言うことばが不用意に出ちゃっただけでもうここで足を取られてしまう。「それ何?」
前にも後にも戻れなくなる。
アルハンブラ宮殿全盛の頃は平家が....という具合だけど、聞く方もめんどくさいし、私ももういいや、みたいになる。ママの子供の時のドジ話しのがよっぽど喜ばれる。で、ついこればかりに終始してしまう。

 ある日曜の午後に水泳娘が竹取り物語りをスペイン語訳していて驚いた。ものすごくいい文章で訳せていた。目がハートマークになってしまったが、題名をどうするかで頓挫してしまった。
カグヤというのはものすごくまずいスペイン語だ。これだけで誰も相手にしてくれないか、かぐや姫は汚辱にまみれてしまう。竹というのも雅な感じがしないのだ。スペイン語にした途端に安物になってしまう。カゴメとかカグヤとかは本当に嫌になるくらいにまずい言葉だ。
どうしてぇ?と聞かないで辞書で探してみてください

●2003年04月21日(月)

ラファエル・カンパージョ

この間ラファエル・カンパージョが言っていたことだ。
とつとつとして語る彼独特の口調は、いかにもフラメンコの人らしくて好感が持てる。
「僕は毎日一時間半か二時間の練習をする。人によっては9時間とか5時間という人もいるけれどさ(ちょっとウソっぽいぜ!の目配せしてから)僕はこれしかやらない。でもものすごい集中力でやるんだ」

私は納得してしまう。

これを読んでいる人は、この集中力というのをうっかりして見逃さないでくださいね。彼等の集中力というのは鬼気迫る物凄さですからね、念のため。
始めたら絶対に止まらないですよ。
その上男性の踊りは足が中心になるから、これで必死にやると足腰立たないくらいの凄さです。

 で、彼は続ける。
「Colocacionは大切だからちゃんと顔のつけどころ、腕、そういうのも練習する。ピルエットもやるし沢山の退屈で嫌いなものもやる。練習ってそういうものだからさ、抜かないよ。」

へえー、やっぱりそうか偉いな、と思う。
そういえば彼はバレエが嫌いだったとキューバ国立バレエ団の先生から聞いたことがある。でも最近の若手はみんなバレエレッスンを欠かさないからついにレッスンに来るようになったと言うことだった。この人は2回転ピルエットなんか割りときれいに決める。足元もきれいだ。私が生徒に小姑のようにうるさく言う足元だ。足元がすっきり決まらないとカテゴリーが落ちるのだ。踊り以前の問題。

 「練習って退屈なものだからね、いっつも同じことばかりやって飽きないように工夫している。そうでないと長い芸の道を歩いて行けないよね。今日はいつも気になってるあれを徹底的に研究しようとか、懸案のこの技術をものにしようとか、日毎、週毎、長期のやつとか色んなこと考えては飽きずに頑張ってるよ」

 本当に当たり前のこと。
こんなのは当然過ぎて言うまでもないことだけど嫌になってしまう人、飽きてしまう人、やらなきゃいけない事ってどんなに逃げて行ったって逃れきれない。いつも言うでしょう?どんなに目先を変えたって下手な自分からは地球の果てまで行っても逃げきれないって。
だから、そういう飽きっぽい、軽薄でバカな自分を騙す工夫を凝らさないと。
何かで成功するかしないかは、みんなここにかかっているのだ。

物事の本質を見据える冷静。そして根気。
生涯を賭けた研究も芸事も、みんなとどのつまりここに来る。
他に行きようがないのだ。
新しい事なんか有史以来もう何もない。

●2003年04月13日(日)

集中レッスン5/16(金)〜25(日)

5/16金・鷺沼
8―9:30ブレリア極めつけ

5/17土・鷺沼
1‐2:15始めてのクラシックバレエ
2:30−3:30テクニカ超基本/なめらかな動き
     体の使い方=コンパスと上体・手
3:30−4:30 テクニカ超基本/切れ味
     決め方のコツ=アイレと重心・足
4:30−5:30 振り付け/タラント・初中級

6:30−7:30ブレリア・振付・死の舞踏
7:30−8:30 ブレリア・振付・最終回

5/18日・鷺沼
1:30‐2:30テクニカ超基本/なめらかな動き
     体の使い方=コンパスと上体・手
2:30−3:30 テクニカ超基本/切れ味
     決め方のコツ=アイレと重心・足
3:30−4:30 振り付けグワヒーラス
4:30−5:30 振り付けグワヒーラス
6−7:00振り付けタラント
7−8:00振り付けタラント

5/19月・鷺沼
8−9:30
ブレリア・モデルノ

5/20火・秋葉原
7−8:00コントラとパルマ
8―9:30タンゴ・モデルノ

5/21水・秋葉原
(8―10:30 全国公募オーデイション)

5/22木・秋葉原
7―8:00振り付けバンベーラス(初級レベルのみ)
8―9:30タンゴ・モデルノ

5/23金・鷺沼
8―9:30振り付けバンベーラス(初級レベルのみ)

5/24土・鷺沼
12‐2:00スタジオコンサート

(3‐5:00全国公募オーデイション)

5―6:15始めてのクラシック・バレエ
6:30−7:30振り付けグワヒーラス
7:30―8:30降り付けグワヒーラス


5/25日・鷺沼
5―6:00振りつけタラント
6―7:00コントラとバリエーション
7―8:00振り付けグワヒーラス
8―9:00振り付けグワヒーラス

●2003年04月12日(土)

ラファエル・カンパージョ


 Joven MaestroシリーズのDVDだかビデオだかの何番目?としてラファエル・カンパージョのが出来たらしい。

昨日OFSのマスターテープ試写会に参加というか通りかかって見せていただいた。中々素晴らしかった。こういうものの撮影とか録音にいつも立ち合いたいと思いつつ、ちっともスケジュール調整ができずに惜しい。

録音スタッフの話だと同じ機材、同じ床、同じ条件なのに足音が全然違うのだそうだ。こういう普段の観客なら気づかないような精密なところでアーティストとしての天分が分ってしまう。録音は恐ろしい。

 今回のビデオでもラファエルが自ら芸に対する気持ちをインタビューで答えている。これはとってもいい考えだと思う。マリア・デル・マル・モレーノの時にも感心したけれど、真実の声が聞けるのは興味深い。聞いた感じでは決して虚飾のない本当の気持ちだというのがよく分る。

DVDやビデオの撮影はCDよりずっと面倒らしい。
だからどんどん行きましょう、とはならないらしい。でももっとじゃんじゃん出して欲しいな、と心待ちにしている。夏までに物凄い企画があるのを知っている。でもこれはぺらぺら言ってはいけないと釘を差されているのでここで言えない。残念。

この春には私もいよいよセビジャーナスシリーズを出そうと思っていたけれどバセオの月遅れの雑誌を見たらもう、飽きるくらいにこの手のビデオが出ているのでその気が失せてしまった。それに日本の関係者とのやりとりもいつももったりしていて呆れる思いだ。
仕事と言ったらスペインのがうまく行くというのはどういうことなのかしら?
ここは生産性が低い筈なのに。

集中レッスンの下書きプログラムは今出来ました。
明日までに細部の見直しをして、とりあえずここで発表してしまいます。
申し込み用紙とか、一覧表とかはあとからのアップになります。とにかく何が何曜日なのか、というのが早く知らせられたら、と急ぎます。

フライトが決まらなかったのでご迷惑おかけしましたが5/16〜25に決定できましたのでやっとです。

●2003年04月09日(水)

どうせ日本人だからって気持ち...


 私は子供の頃からこう思った事が1度もない。
ああ、日本に生まれてしまったのにこんな劣悪な環境でろくな教師にも恵まれないでいたら絶対にちゃんとした踊り手にはなれない!...という激しい、切ない、胸苦しい思いで小学生時代を過ごした。

あの理屈は子供ながらに正鵠を射ていた。
子供だからちゃんと真実がストレートに見えるとも言える。

誰に言われたわけでもなく、楽器店に走り、ベークライトでできているカスタネットを求め、レコード店に走ってサビーカスのSPなんかをとにかく買ってきた。
そしてカスタネットは右は小指からばらばらやるのは知っていたけど、左はリズムだけというのには気づかずに、こっちもばらばら4本指で訓練を始めた。
両手でとにかくばらばらっと、毎日。そのうち誰かが直してくれるから。運指だけは鍛えておかないと手遅れになるって。(ああ、この子を救ってやれたらな、て今の私は思うのですが...タイムマシンは無い)

気がついたところからうんとやっておかないとスペインの少年少女達にどんどん置いていかれてしまうって必死だった。

台所のたたきで柔軟だけは欠かすまいと思って縦横180度というのは必ずやって、その他幼い頭で思いつく限りのブラソの訓練を自分で始めた。これが10才になるかならないかの子供の頃の私の始まりだった。

「日本人だから本気出さないといけない」、これだけがあの頃から今に至るまでの、そしてこれから先にも一筋に続いている私のセオリーだ。
どうせ日本人、ていうのと一見似ていなくもない。
でも、多分全然違うのだ。

江戸後期の日本てどんなでした?
戦後の日本は?
世界の3等国じゃなかったです?
でも何において3等だったか、ですよ。精神において、では決してなかった。

日本人の資質には伝統的に鋭い洞察力と驚くべき克己の精神があるのだと思っている。それを私達は割りとすんなりできる。何かに対する燃えるような憧れ、これこそ遺伝的な要素なのではないかしら。

私は逆に、もしもスペインに生まれていたらきっとフラメンコはやらなかったのではないかと思っている。だから日本に生まれてそんなに悪くはなかった。それに日本人はいつまでも若いからこんなに長持ちしている。スペイン人だったらとっくにぶよぶよになって病気だって併発しているに違いない頃に、まだ筋トレで向上しているなんて、回りのアーティストを見たって他に見当たらない。....自慢話に聞こえたら私の本意ではありません。今更自慢なんかしてどうということもない。ここにこういう例がいるから元気出して欲しいな、ていうのがいつも自分を引き合いに出す動機です。
ご参考になれば幸いです、ていう気持ちです。

●2003年04月08日(火)

モデルノ、 フラメンコ・モデルノ、アンティグオについて

これは皆さん良くわからないという質問が多いのでご参考までにまとめておきます。

 モデルノの対極にあるのはアンティグオです。Moderno―Antiguoという図式です。簡単に言えば、伝統的なフラメンコと現代的なフラメンコということです。
ではどこまでがこの範疇に入るのか、が焦点になると思います。

フラメンコーアンティグオ
フラメンコの起源にまでさかのぼります。だいたいが18世紀ぐらいが辿って行ける一番古い文献です。ただし、この芸能は文字を持たない、外国人、流浪の民がもたらした芸能なので、書き記した人とこの芸能のアーティストは同一ではありません。
研究家というのは主にこの芸能を実際にはやらなかった人がほとんどです。

アントニオ・マイレーナでさえ、その研究書は大学教授と共著しています。よって伝聞、伝承の芸能であるということを忘れてはいけません。伝承のものは皆、少しずつ解釈が違い、本当のところはどうだったのか、という重箱の隅をつつくような議論は無効です。有名な歴史に残るようなフラメンコの歌詞でさえ、少し違って語尾などが何通りもあったりします。これはこれで良し、という気持ちが必要です。

フラメンコーモデルノ
どこまでをモダンと解釈するかによります。
フラメンコに対して革新が行われた、というならギタリストで言えばニーニョ・リカルドなどはその音楽性、優れた独自性であの時代には確かにモダンであったと思われます。同様にしてサビーカス、ラモン・モントージャですらモダンでなかったとは云い難いです。けれども今から見れば彼等はアンティグオの中に入るとも思えます。時代は流れているからです。

こうなるとますます混乱してしまいます。今、私達が生きているこの何10年か、という限定で言えば、フラメンコの革新が行われたのはパコ・デ・ルシア以来と定義して間違いではないと思います。

カンテでは当然、パコと少年時代を共にしているカマロンです。

踊りではどうか。まず頭に浮かぶのはマリオ・マジャです。彼はモダンなフラメンコの先駆者と言えると思います。グラナダのヒターノであって、フラメンコでは絶対的に人からとやかく云われる筋合いでない出自として、という意味で探れば、です。

アントニオ・ガデスはスペインではバイラオールと思われていません。彼はバイラリンと解釈されているのであえてここから外しました。
同様にしてホセ・アントニオも非情にモダンなフラメンコを常に発表してきた人ですが、肩書はバイラリンですから、この場合は討議から外しました。


踊りの定義は大変に難しく、モデルノを踊る人はアンティグオと関係ないかというとそんなことはないのです。
例えばイスラエル・ガルバンなどは10才前後に全ての伝統的フラメンコは卒業してしまっています。その後はバレエや創作やジャズ、クラシック音楽、小説に題材を取って模索の時代を20年続けても当然じゃないでしょうか。
では彼はなんでしょう?フラメンコ・プーロじゃないでしょうか?勿論、その基盤に今もあの基礎は流れていて、随所にその片鱗は見えます。踊ろうとすればアンティグオだけで構成もできます。
今は非常にモダンなものを踊るフラメンコの踊り手、という定義に一応落ち着きます。

同様にして、現在活躍中のジェルバ・ブエナなどはデビュー当時はマヌエラ・カラスコのコピーばかりしていて今と芸風が別人のように違います。
サラ・バラスは母親がフラメンコ・スクール経営者ですから古めかしいものはみんな踏襲している筈です。同年代のマリア・デル・マル・モレーノは、子供時代に一緒に彼女とカデイスの古いアレグリアスなどを踊っていたと先頃話していました。
あの、ホアキン・コルテスでさえ、本当にはとても伝統的なものを踊っていたとこの間マティルデ・コラールが話してくれました。ですからあんなに邪道みたいな裸の踊りをしてもマティルデは批判しないと言うので私は驚きました。
「国立バレエの時代もホアキンは不遇だったし、後方でちっとも目立つことができなかった。だから頭良く、あんな奇抜なカッコウで出てきたり、ナオミ・キャンベルと浮名を流したりして逆輸入的にスペインで名を成しても私は彼のために喜ぶだけよ」というコメントを、コーヒーを飲みながら私に語ってくれました。マテイルデは言わずと知れた、フラメンコの古い古い踊りしかしない人の権化のような存在で、あんまり誰の事も誉めないことでも有名です。
けれども、あの心優しい、素晴らしいカンタオールのチャノ・ロバートはホアキン・コルテスが上半身裸で出て来るともう世も末と思うらしいです(笑)

モダンなものを踊る人の基礎には大抵たくさんの回転技術があり、バレエダンサー出身か、フラメンコと同時にバレエをやった人か、一度もバレエはやっていないのに5回転くらいできるようなヒターノもいます(例:ホアン・ラミレス)。ともあれ、パコ・デ・ルシアに代表されるようなモダンなリズムが随所にちりばめてあるようなフラメンコの踊りがすなわちバイレ・モデルノであると定義できます。

全部を総括して間違えてはいけないのは、モダンとアンティグオは共存しているということです。同じ家族、親戚同士でこの両方のアーティストが存在し、一人の人の中にも二つの流派がどちらかが主になって生きているのであって、対立していがみ合っているわけではありません。
スペインフラメンコはこのように厚い層でできています。

●2003年04月07日(月)

コンクール

 こちらの郵便受けにコンサートの招待券やコンクールのお知らせが舞い込むようになってから久しい。

 スペインのアーティスト協会正式会員として認められたのははるか昔だったけれど、それでも当時としては私の前には誰も外国人で会員になれた人がいなかったのだからセンセーショナルではあった。新聞社なんかが取材に来たりした。
今度は教師として、スクールの主催者としてのご招待が来るようにもなったというわけだ。

この間のカデイスに始まって、クリスティーナ・へーレン財団のコンクールなど、スペイン各地で行われるフラメンコのコンクールに是非、お弟子を出してくださいという通知が名指しで来るようになって数年が経つ。
つい先頃のウニオンのコンクールのも来ていた。
本当に日本の生徒を出せたらいいのにと思って、なんとなく溜息が出る。

フラメンコってちゃんとやらないといけない勉強が決まっているのだ。
そういう点では抽象の踊りをやっているよりはずっと焦点がしぼりやすくて有難い筈だ。
私はおよそ出し惜しみという事をしないから、私の生徒は無駄なく潰す物、潰し方の早道を仕込まれていてまっしぐらに稽古できる筈なのだ。

趣味は趣味なりに、ただプロより薄味の仕上げではあっても全く根本は同じだからもうそろそろこういうものに準備できている人が出て来ていい頃だと思うのだ。
コンパスの勉強してます、って言ったって見るととても甘い。もっと頭良く、根性入れてやれないのかな、ていつも思う。

それから最近の日本の傾向として、落ち込むのが本当に早い。社会的に独立しているような「相当な年の女性」でも何て言うか成人の意識が希薄で、成熟していない。スペイン人と比べると10代前半の子供にさえここで日本は
負けると思う。

踊りは心意気なんだから、こんなんじゃ観客が納得できるようなものは踊れない。
「イスに座っている人々」は舞踊ができない人ではあっても腑抜けではないのだから勘違いしてはいけない。
技術は相当の覚悟で磨かないといけないし、精神は練りに練らないといけない。月曜から辛口だけれど、真摯に受けとめて欲しいな、と思っている。

●2003年04月05日(土)

スペイン留学

4月になってからこちらに全然何も更新していない怠慢さだ。
全国オーデイションでおおわらわだったし、集中レッスンは戦争との兼ね合いでにらみ合いが続いている。

 ロンドン経由で日本に帰ろうと思っていたのが、どうもイギリスは気が進まないので今さっきマネージャーに電話して相談したところだ。
今度は肺炎まで要注意になっているので長時間の飛行で感染してしまうとその国で留め置かれて隔離だと言う。

 それは辛い.....

 しばらく感染と戦争を避けたルートを模索ということになりそうだ。

 それでも留学、と言う人はいるもので、昨日から日本より習いに来てくれている人がある。名古屋の人で初対面だけれどあちらは私の書いた物はなんでも読んでいて何でも知っている風だった。習いに行きたいというメールは何ヶ月も前からいただいていた。

落ち着いてお話している時間はないのだけれど、フラメンコ歴は長そうだった。非常に熱心で毎日やって欲しいという。来週、私のスケジュールがタイトなのでそうも行かないかも知れないと言うと、土日もなんとかならないでしょうかと言う。だから今朝も早くからやって来る。

私からスペイン人の先生と教室もいくつか勧めたけれどまずちゃんとした曲を上げたいのだという。いつも細部がダメなのは自覚していたけれどどこがどう、ということをきちんと習いたいと何年も思いつめて来たと言うのだ。
この気持ちはとても良く分かる。
では、振り付けが半ば上がったらホセ・ガルバンやマノーロ・マリンのところにも見学に行ってらっしゃいよと勧めた。

長年スペイン留学を夢見て思い切って来た人にしては考えが落ち着いていて冷静だな、と感心している。普通は来た途端にあれもこれもあれもこれも、となって消化不良になるものなのだ。体調を崩すか、焦りのために落ち込むか、どれもみんな物にならないでもとにかく振り付けをどっさり持って帰ろうとするのはむしろ普通の人の辿る経路だ。

 セビージャ市内のスタジオに降りてあげる時間がないと言えば、郊外の自宅まで懸命に通って来る。帰りのバスが何時に通過するか知らないので、バス停は目の前だけれど小説を持たせて帰したりしている。
ここは、国際大学都市として拓かれている丘の上で、旧市街とはまた違ったスペインのバスツアーかも知れない。
こんな機会でもないと見れないセビージャの一面が知れて、それはそれで良いのじゃないかな、とも思う。


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