●2004年04月30日(金)
バタ・デ・コーラ アレグリアスを踊るのは久しぶりだ。 自分のための振り付けだと全然まとまらない。百回練習すると230通りくらい出て来てしまってちっとも決まらないのだ。こんなものでどうだろう、と言うところでビデオに撮ってみてセルフチェックをする。 あと三日で踊り込めていないといけないという焦りで、いつになく一人苦しみもがく。 あーー誰かに意見言ってもらいなぁ、と言うのでホセ・ガルバンに電話して昼過ぎに見てもらう。 結論から言うと、こんなことしても結局はどうにもならないということだ。 余計仕事が増えた。 もっとこうしたら?とホセはどんどん足を入れる。 私は足をガタガタやるアレグリアスは好きではないのだ。 ホセに「どうしてコーラを持って足やらないの?」と聞かれてしまった。 バタ・デ・コーラを着たらコーラの先まで体の一部として扱うというのは、コーラの得意なアーティストの鉄則だ。 フリルがどんな感じに動くか、というのまで計算して私は足を構築する。 コーラをえい!!!と持ってどかどか足をやるなんて無粋の骨頂だ。 ここに疑問を持たれてしまうと、つまりホセはどう思う?と聞く相手ではないみたいだ。 ちょっと驚いてしまった。 私はコーラは流したままで足をやるのよ、と言うとへえーーーーと言う。 頼りないなぁ...... ついには、その振り付けは誰がした?と聞く。 自分に決まってるじゃない。 そんな訳ないだろう、という顔だ。 マテイルデ・コラールに習っていたんだろう、て言う。 ああ、又出た、と言う感じだ。 私の芸風はマティルデに良く似ている。 それは私の感性が、あの感じの踊りの系統だからなのだ。 マティルデの踊りは大昔にいっぱい見た。直接に習っていなくてもそれはにじみ出てしまうものなのだ。 マテイルデ・コラール(多分もう67才くらい)はピラール・ロペスを手本にしている。 遠くマカローナとかマレーナと言うような前時代の大アーティストの系譜も汲んでいるに違いないのだ。 そういう芸風を私のアレグリアスは汲んでいる。 ホセのように私を良く知っている人でも、こういう古い伝統のものを外国人がやれてしまうことにどうしても戸惑いがあるみたいだ。 私はこの系統の踊りは自分の血と肉として身についてしまっている。 今、私の集中生がこちらに来ている。 このごろどっちを見てもモダンなクロスオーバーフラメンコばかりだから、こんな大時代がかった アレグリアスってかえって新鮮だと言う。 ほう、新鮮!!なるほど..... マテイルデはもう舞台に立たないし、正統派のその愛弟子のぺパ・モンテスもあまり見かけないとなると 本当にこういう踊りをする人がいないのかも知れないと始めて思った。 海のようにゆったりとした、粋に溢れたアレグリアス。これは振りが簡単そうでいて、もの凄く難しいのだ。 ブラソ一つ取ってもぎくっとやってはいけなくて全部が曲線としてつながっている。 そのつながりの最後がちゃんとコンパスの最後に持って行かれる。下の句が合う、みたいなリズム知識がないといけない。 つまりはこれを踊るためにはそういう伝統の知識が絶対にないといけなく、スペイン人でもやれる人は滅多にいないのだ。この頃は特に。だからホセは呆然としてしまうのかな。 月曜にホアン・オガジャ(長年クリスティーナ・オヨス舞踊団で振り付け担当)と練習する。 カデイス県(アレグリアスの本場)の出身だ。 この人に意見を言ってもらった方が確実かも知れない。 ま、とにかく誰かに見てもらうという発想が間違い。 自分の目だけで出るべきなのだ。舞台には。 あとは観客が料理してしまう。 それだけだ。
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