●2003年06月30日(月)
ポタヘ・デ・ウトレーラ 夏のフラメンコの有名フェスティバルを知らない留学生が多いらしい。 ポタヘ、ガスパチョ、カラコーラ、マイレーナのフェスティバル抜きで 夏のフラメンコは語れない。 最近は強烈なフラメンコへの知識とか貪欲な思い詰め無しで来てしまう人が激増だとこっちでも話題になっている。こういうフェスティバルが聞きたくて、見たくて留学した私達とは事情が大分ちがって来ているらしい。フェスティバルも衰退して来ているのかも知れない。 このポタヘでも地元のうんと若い世代はあんまり見かけなかった気がする。 どっちの現象も、何となく悲しい気持ちがする。 この間の録音でマヌエラ・カラスコから誘われて出向いたフェスティバルだった。 楽屋入りと同じ時間に彼女と一緒に入るか、入り口で招待だとわめけば無料で入れたけれど連れが三人も居たのでちゃんと払ってしかも開演時間を大幅に遅れて行く。 勿論、この目論見は正解で、夜の11:00でも始まっていなかった。 ちょっと乾杯して生ハムなんかを堪能した頃にうまく開演した。 それでも終演は明け方の五時近かったのだから、初体験の留学生達は懲りたかもしれない。 私もつくづく疲労困憊した。六時半にベットに行くって言うのは..... フエルナンダが出ないポタヘは寂しい。 妹のベルナルダもすっかり老けて、両脇から人に支えられて舞台に上がった姿を目にするなり涙が溢れそうになった。 ああ、この人の歌をどんなに焦がれて、レコードが擦り切れるまで聴いたことだろう! 留学するなりウトレーラのこの姉妹を訪ねて行ったのだ。 なんだか本当に胸が苦しくなってしまった。 あの素晴らしいペパ・デ・ウトレーラは病気が重いと言うし。 マヌエラが出て来た時は娘のサマーラなんだと思ったくらいに若々しく、この間の録音スタジオでの彼女より30キロくらい痩せて見えた。さすがに偉大なアーティストは違うと感心した。 娘の方がよっぽど老けて見えるのだ。 年季が違う、てこの事だ。 音響が抜群に悪く、それでもあれだけの事をやってのけたというのは彼女が神業の実力者だからだと見抜く。また、それゆえに感動もした。 実際、スペインの野外舞台は舞台で踊っている当人には本当に奇跡のように何も聞こえない。 ここは音響も照明も床も全てがまるでわざとのように劣悪だから、アーティストはとても鍛えられるし、凄腕になる。 だいたい七時前から楽屋入りしているのに出番が午前三時を回ってからって、辛すぎだ。 ああいう仕事をよく続けていられるものだと感心してしまう。 後で舞台から引いたマヌエラにお祝いを言いに行ったら 踊りたての苦しい呼吸のままに開口一番 エストイ、マタイータだと言った。(死ぬ思いという意味) 八人のバックを従えて踊ったら本当はもっと効果が絶大で当然だったと思うけれど 消えたり出たりするマイクの性能と足音が拾えていないのと、舞台の跳ね返しの音が出演者にきっと聞こえないためにばらばらになった(観客で気づく人がほとんどないくらいにマヌエラが強烈なリードを取っていた=これは死にそうだったろう) ああいう辛い舞台はマヌエラだから一応の効果を観客の期待にそえるだけもたらせるけれど、多分私だったらマタイータどころか確実に死んでしまっただろうな、とぞっとした。 スペインの舞台で普通の事をやっているアーティストを侮るなかれ、です。 あれだけ普通にやれるのは、神のような実力者だからなのだ、という観察もお忘れなく。 ジェルバ・ブエナが出ても、サラ・バラスが売り出しても、やっぱりマヌエラが舞台に立つと 本当に嬉しい。 あの、何もやらない人。 あの、振り付けがないただ立っているだけのソレアレス。 あの、何十年も一つも変わらない、いつも同じのソレアレス。 あの、ソレアしか踊らないバイラオーラ。 40才を過ぎたらきっと踊れないだろうとよく批判されていた人。 上体が無しだから女じゃないし、アルテが無いと酷評する人が大勢いる踊り手。 孫がいて、50に手が届くほどになっても誰よりも婉然と輝いている偉大なバイラオーラ。 この人を見ると胸が詰まる。 よくぞ出た不世出のバイラオーラ、という感動がいつも胸に迫る。 あの、ローラ・フローレスのように。
|