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2002年07月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年07月31日(水)

エックス脚とO脚について


 クラシックバレエは、軽いエックス脚だとポジションが良い感じに決まる。
だから当然、O脚はとても苦労する。

でも舞踊をやらないでずっとただのO脚で生涯を過ごすのはもっと大変なんじゃないかとこの頃思っている。

O脚というのは加齢とともに悪い方に進むらしいのだ。
大人になっていようが、もう、何にもなれない大年増だとあきらめていようが、やっぱり思いついた時からでも脚の修正にとりかかった方が良いかもしれない。美観とか見栄とか美容のラチ外の、健康として。

 私の生徒にかなり重症に見えるO脚がいるのだけど(て、言っただけで3人に一人は自分のことだと思うかも知れない。そのくらいに日本人のほとんどがそうだ)いつも重心が悪くてぐらぐらしていた。

始めて教室で見かけた時は、絶対に舞踊は続かないだろうと思ったくらいに色々な事がダメに見えた。
でも、本人は絶対に悲観しない。
いつも明るく前向きで胸がはちきれんばかりに楽しく稽古に励んでいた。
ああ、こういうアプローチもあるのか、と私の方が感心するくらい。

そうしたらだんだんO脚も筋肉が正しい所についてきて、普段の歩きでも違ってきたというのだ。
ああ、そういうこともあるのか、と又感心。

だからレッスンがもっと楽しくなって来たって言うのだ。
え?今まで以上に?
...また感心する私です。

 生まれつきっていうのはどうにもならない。
でも、どうしようもないことじゃないんだな、てこの頃は思う。

平均寿命がこんなに延びて、昔の女性に比べたらもう、信じられないくらいに若作りの私達なのだから見かけのごまかしだけでいいや、ていうものぐさはやめないといけない。
やっぱり大人だからってあきらめずに本格的に取り組んで行くべきなのかもしれない。物なんかいくら買っても仕方ないのだもの。何が買えてもそんなに嬉しいと思う気持ちは持続しない。朝に夕に喜べるほどの物ってそんなにあるとも思えない。
やっぱり自分が何かを出来るっていう喜びに勝る物はない。

 教師になって実例を見て(臨床って感じね、ほとんど)そういう心境に至りました。でも、それだからこそ本当に正しいレッスンでないとマイナスに行ってしまったら大変なのだ。
更に目を鋭くしてあやしい生徒を見ないと!
と決意も新たにしているこの頃です。

PS.やっと集中スケジュール組みました。事務局が手分けして見直し中です。あと一日二日でアップです。遅くなってごめんなさい。開講まで3週間しかないので皆さんHPにご注意くださいね。

●2002年07月30日(火)

セビリアの宵はジャスミンに染まって....



ここ数日ものすごい暑さだ。
昨日は信号待ちでぼうっとしている間に、道路脇の掲示板の温度が40度から41度に上がった。今日も朝から目くらましのような、見ただけで溶けてしまいそうなすさまじい太陽が昇っていた。

いつもは、あんな池みたいのでどうするのかな、なんてニヒルに構えていたが、こうなると隣家のプールがうらやましい。うちの庭から飛びこみたくなる。

 今こうして窓を開け放していると、夜の闇からひっそりとジャスミンの芳香が漂って来る。
夏と言ったらジャスミンだ。

何年経っても私は始めてスペインに渡った夏の夜な夜なが、この香りとともに思い出される。それは私の心を占める何かになりつつある。
白い5弁の清楚な花。
かごに並べて売り歩くジャスミン売り。
セビリアの夏の夜のなんと甘美で美しかったことか。

日本で暮らした全ての年月は、スペインに恋焦がれて過ごし、
私の青春の全ては、スペインで過ごしたのだとあらためて思わずにいられない。私という人間を理解するにはスペインを知らなければならない。
そのくらいに抜きがたいものがもう、自分という人間の核を囲んでいるのだと感じる。
勿論、私の核は言うまでもなく日本と言う国への激烈な愛国の情と誇りでできあがっている。
しかしながら核を取り巻く物は、あまり和風ではないのだ。
でもよくよく思えば、これは何も今に始まったことではない。
日本に生まれた時から、あまり和風ではなかったのだから。
おそらくはそうした非凡さが起爆剤になって、この土地に落ち着くべくして落ち着いたのだろうという気がする。
私の中には確かに無理をしないでもスペイン人と気脈が通じる性質があるのだ。
前回、日本に帰って生徒を目の前にして説明をしていたら、
ギタリストと歌い手のへスース・エレディアがちょっとおかしな戸惑った顔をして私をまじまじと見ていた。

Que pasa?Y que mirais?(どうしたの?何見てるの?)

と問いただしたら、へスースはちょっと口篭もって言葉を模索してからこう言ったのだ。

Pero que bien hablas tu japones! Y que raro te veo 
hablando asi!

なんか日本語がやけにうまいんだね。でもってすごく変だね、君がスペイン語じゃない言語を話しているのは!

...あの時の表情は、何みたいだろう...日本語を話しているのを目撃すると、よくみんながああいう顔をして私を見るのだ。
そう、まるでお隣のさっちゃんに「私ってこの星の人間じゃないのよ」て、言われたみたいに....騙されちゃったみたいで、半信半疑っていう顔。

●2002年07月27日(土)

夏休み


水泳選手の長女が六月末にスペイン選手権出場を果たした事は皆さんご存知と思う。初出場でまだ体格が子供なのでメダリストにはなれなかったけれど、一応決勝に残り、6位に食い込んだので本人は満足していた。

やっと宿題が終わったので、次女の新体操に自分も行くと言い出した。
えー!?
試合が終わっても毎日水泳の方の練習があるのだ。
それでも行きたいと言い出したから止める理由もないので
二人とも新体操の訓練に連れて行くことにしてもうじき1ヶ月が経つ。
朝一番で昼まで3時間だ。
忍者になれるくらいのアクロバットを二人で毎日訓練されている。
あっという間にできるようになってしまう。
子供のエネルギーというのは見ていて気持ちがいい。

すると昼に帰って来て今度は次女も水泳の方にも行くと言うのだ。
で、二人してダブルの訓練を平気でやっている。
こんなにやれるものなのだな。

家にいるときは
「ママ見て!!」で、家中所狭しと人間手裏剣のようになって技を見せる。
業腹なので私もこれ、練習することにした。
側筋ならまぁいいけれど、背骨が危険に曝されるもう一つの方のアクロバットはさすがに断念しないといけない。
残念過ぎて子供に嫉妬しそうになる。

筋トレの原稿を書いていて笑いがこみあげてきてしまうのだけれど、二人ともものすごい筋肉になって来ている。
腹筋と背筋のすごさと言ったらない。
お腹から立ちあがって回転して行く訓練なんかを毎日やったらそりゃあすごい力がつく。筋トレの一日置きで休めとかなんとかいう原理はちょっと当てはまらないみたいだ。全然休んでいない。でも、日によってメニューが違うからこれが休みになっているのかも知れない。

 原稿を書くのに書籍や学説だけでなくて身内に見本がいるのは心強い。私の夫は時々運動のやり過ぎで松葉杖をついていたりするくらいにキ印なのだ。
土日の早朝にぐずぐずしている私達を見捨てて、バスケや水泳やサッカーに行ってしまう。海に遊びに行くというような日でもまず、プールで日課をタイムを計ってやってから全員やっと海に出かけるというくらいにうちは異常だ。

長女がこの間ポツリとこんなことを言う。
「ねぇママ、クラスの男の子で私のこと好きだって言ってくれるんだけど、一番頭が良くってとっても良い子なんだけど...」
「あら?誰?パブロ?あの、お病気になると心配して電話してくれる子?」
娘はこっくりとうなずくのだが、なんだかもじもじしているのだ。
「...で、何かまずいわけ?」
「それが、ね、25メートル53秒もかかるって言うの。......私、いやだなぁ、53秒だなんて...三往復しちゃうもん」

いつの日か娘達のおめがねにかなう男の子達がやって来たら、うちは選手村のようになってしまうのではないかと爆笑してしまった。
そうしたら今までカバーできていないスポーツなんか義理の母に親切にコーチしてくれたりなんかするかも。
おお、大分元がとれるかも。結構楽しみ。

●2002年07月24日(水)

電車ーその2

 
 鷺沼の早朝の電車で胸を痛めていたばかりではない。
 実はきょろきょろ見まわして色んな人が目に入った。
私って外人みたいに無意識にウォッチングばかりしているのだ。

 あの時間は断然男性が多くて、しかもみんなとても清潔な感じがしたのだ。
退社時刻とは別の趣。
同じ人ではないに違いないとさえ思った。

真面目な新聞を念入りに読んでいる人が多かったし
大人のくせに背広姿で臆面もなく漫画なんか広げている人もいなかった。
地味だけどアイロンがきちんと当たったシャツとスーツで、なんだかとてもラブリーな男性が同じ車両に3人くらいはいた。
これは始めての経験だ。
いつもはこんなに見かけない。

 子供は健気に重いランドセル背負って立ち尽くし、
会社員は清潔な身だしなみで早くから出社、
日本という国の清潔で真面目な朝....愛国の情に打たれました。

 私もこの雰囲気に近い服装だったらどんなに良かったかと残念でした。
朝だしレッスンだし、動きやすい楽な服しか着たくなかったし...となると赤いジャンプスーツしかなかった。
うーーーーん、クローゼットに半身入れて悩んだけど正装して隣の駅に行くのは嫌だ。赤いオールインワンパンタロンの服は7時前には派手過ぎ。
うじうじしながら電車に乗ったけれど、控えめな教養ある人々は不躾に私をじろじろ見ない。
ほっ!せめてもの救い。
自分がじろじろ見る。サングラスの向こうの目をしっかり見開いて。

 日本の夏の朝ってものすごく暑い。
ちょうど日が昇り始めの頃というのは昼より眩しい気がした。
ひんやりした中を歩くつもりでいたらとんでもない誤算で、行き違うお散歩の老婦人のお帽子が羨ましかったくらいだ。
見ず知らずの人にも挨拶するか、小腰をかがめて行きすぎる。
こういうのを本当のレデイっていうのだとまた感心する。
 7時前にどこかの家から掃除機の音が響いて来た。
わっ!凄い!
感心して通りすぎる私でありました。
また行こう、鷺沼スタジオ早朝レッスンに!

●2002年07月23日(火)

日本で思ったこと...計らずも


 そう言えば、7/8に日本で書いたつれづれの続きがある。
昨日の八時半が怖くて...の続きだ。
あの書物の後、7時前の電車に乗って鷺沼スタジオに朝練に出かけた。

 緊張の朝の電車はこの時間は混んでいなかったけれど、ゆったりしていてももう、人は立っていた。入り口近くに私の下の娘と同じようなはかない、いたいけな小さい子供が制服姿で一人、立っていてなんだか胸を突かれた。

 こんなに無理してどこぞの私立にやって、親はどういう期待をかけているのだろうか。近くの学校に楽に通わせてはいけないのだろうか。
そんなに大きな違いがあるのだろうか。
どうしてみんな文系、理数系に偏るだろう。

女の子で、いずれ結婚して子供も育てたいと思うなら例えば踊りの教師の方がずっと会社や官公庁勤めより無理がない。

 赤ちゃんに赤ちゃんが欲する時にいつでも胸を開いて、母乳を楽々とやって育てることができる。ベビーシッターなんかで苦労することもなければ、病気の子を誰かに託して苦しみにさいなまれながら八時間の勤務に就く地獄も味あわなくて良い。
レッスンに連れて行っても構わないし、生徒にちょっとだけ見てもらうこともできる。
自宅をスタジオ至近の距離にしてしまえば、夜のレッスンでさえ、夫だって小さい子供だって何にも不都合はないだろう。働く母を見て育つのは子供の心に誇りを育てるかも知れない。
夫だってまんざらじゃないと思うのだけど....?

踊りの教師だから産後もすぐに体型は挽回、産後のいらだちもない。
すぐに復帰。家庭と無理なく両立できるこういうプロフェッショナルに育てようとどうして思わないかな。
芸術関係に進ませれば勉強はがみがみいらいら詰めこむ必要もないから心優しい子供に育つのではないだろうか。
何で進学校にばかり行く?
見よ!日本外務省のあの体たらくを!!
国家も民族も誇りでさえ意識にない、世界にも稀なる腑抜けを無機質な教育の中で培養してどうする?
あの人達は相当の学歴を手にしていたのではないのか?

....早朝からなんだか心はちぢに乱れてしまいましたね。

鷺沼で夜の遅いレッスンを終えて外に出ると、もう10:00近い夜なのにうちの子供と同じような年恰好の女の子がかばんを持って一人で信号待ちしていたりするのですよ。
始めの頃は日本の事情を知らなかったので、びっくりしてどうしたのか話しかけようかと思ったりしたのですが、塾帰りだとだんだん知るようになって哀しい思いがするのです。

どうして自分と同じ詰めこみ教育をしようとするのかな。
自分を鏡に映してみて。
そこに聡明で理知と機知に溢れる女性を見ますか?
じゃ、どうして何か別のことを考えない?
せめて愛する子供のために一度は何か物を真面目に考えてみたらどうなのだろう。いくら詰めこまれた教育だってそのくらいの発想はできるだろうに。

勉強はほどほど、でも楽しい手芸や絵画や音楽や、人の歴史の中に生まれたものを感じ取る、親しむ時間を作ってやろうという考えは浮かばないのだろうか。生まれてきたこの世界と歴史を深呼吸させてみよう、てどうして思わないだろう。

自分の血と肉と痛みから生まれた分身、かけがえのない子供に真面目になれなくて人生の何に真面目になれるだろう。
一体、他の誰を愛せるだろうか。

●2002年07月22日(月)

スペイン事情ーエンビデイア、ジェラシー、嫉妬、ってねぇ....

今朝、9:00過ぎに電話局から電話がかかった。
OFSの事務所の回線工事だかなんだかの連絡だが、オフイスの電話に誰も出ないと言うのだ。もしかして会社員全員、バケーションなのかと言うのだ。

あら...時計に目をやれば、こんな時間に居る訳がない。
「会社は10:00からですから又お掛け直しいただけます?」
というと
「なんだって!?10:00?私は朝の八時半から仕事しているのに!」
「.....!」

なんか電話の向こうで怒ってる。

私はいい加減頭に来てしまったので言ってやった。

「ねえ、あなた、会社と言っても仕事は色々でしょう?あなたは八時半で威張るけれど退社は二時じゃないの。(それっきりもう、一日仕事ないのよ、皆さん!)
レコード会社が八時から録音しようとして誰かアーティストが六時起きで来る?夜中まで仕事していることもあれば休日もない仕事よ。
第一、公務員の電話局員がクライアントの出勤時間で嫉妬するって、私、びっくりしてしまうわ。笑いがこみあげちゃうけど」

相手は少しもじもじして、違いない、とか言っていたけど
私は朝から気分を害した。

二人並んで朝の食卓テーブルで日本語のおさらいをしていた子供達は
「なんだって?」と言う。

下の娘でさえ、
「だってママ、Cada trabajo tiene su horario よ」と言う。うん、なかなか偉いもんだ、その通り。
八才の子供ですらこのくらいの理屈はわかる。

スペイン人は分からない。
八時半から始業の業種は大抵、国家公務員だ。
彼らは午前中で仕事が終わりなのだ。
その上、どんなに役立たずでも一生、追い出されない保証付き。
だからみんな公務員になりたがるくらいなのに、なると感謝しない。

ここでは夏は夜の10:00まで日が沈まない。
つまりずっと昼間なのだ。
なのに午後二時に仕事がぴったり終わって、15分くらいで帰宅できたら、一日はとても長く有効に使える。
ヨットを繰り出す人だっているし、サイドビジネスでもう一儲けするのもいる。なのに、朝のもーーーーのすごく早い時間に働かないといけない!て大抵の公務員は不満に思っているのだ。
八時半に一端出社してから公然と朝ご飯に30分、出ていいのに!!!
労働基準法でこの朝ご飯タイムは保証されているのだ。
これだけでも日本人の私は頭に来る。
なぜって彼らは仕事を真面目にやらないし、何時行ってもよくアテンドしてくれない。

今回の出版に際して、著作権関係の官公庁に電話したらあまりにラチがあかなくて、絶望したくらいだ。
担当者がいつ掛けても朝ご飯中で席にいない。
最後には、「いっつも朝ご飯!」とつぶやいてしまったのだが、電話に出た若い男はこれを聞きとがめて激怒した。

「朝ご飯の権利は僕らに正当に与えられている事で、だいたい僕らは朝の八時から仕事しているんだぞ!!!」
まあ、その語気の荒かったこと!
まるで母親を侮辱されたみたいに怒ってしまったのだ。
八時というところは早朝四時、くらいの調子で発音していた。
しゃらくせー!かなんか言えるとこういう場面にぴったりかも....

というわけで私はこの手の威張り方には非常に我慢ができない深い経験と怨念が蓄積している。

ついでに言うと、銀行の窓口はクライアントがお金を預け入れると嫉妬する。
自分の支店ではない、別の口座も知り合いの分を密かにチェックしていて残高を克明に記憶していたりするのだ。

何故知っているかというと、一流銀行に友人がいて、この人がある日、何にも聞いていないのに、誰それはいくらいくらも持っている!そして毎月いくらほど出してなんにも仕事もせずに貯金で暮らしているんだよ、と私にパーティの席でささやいたのだ。
たまったもんじゃないと思いません?

....そして彼らは首にならない。
八時半が怖くて日本に行けるかって!威張るな、アタシを誰だと思ってんのよ!なぁんてね....また桜吹雪だ...

●2002年07月21日(日)

帰国ー帰国

 日本に帰ってもスペインに帰っても帰国で、ただ帰国と言ったらどっちか分からない。
心理的母国は日本に違いないのだけど、ほっとするのはスペインの方だ。
なんと言っても大人になってからの全部はスペインで過ごしている。
人生のほとんど全てのイベントはここが舞台だったのだ。
踊り手としての環境は私に限ってはここでないと成立しない。
ここが私の実質的な基地に違いない。

 日本から帰ってすぐに出かけたスポーツクラブの朝、向かいのマンションの入り口ドアで鍵をがしゃがしゃやっていた男性がつと私を見る。
すかさず
HERMOSA!!!と、ピローポを投げかけた。
知らん顔して通り過ぎないといけないのだけど、思わず下を向いてにんまりしてしまった。

どうもありがとう、朝からわざわざご親切に!て言いたい気分だった。
ああ、スペインだな。帰って来たんだな、という気持ち。

 日本でさんざん「先生、毎日リゾートウエアですね」と言われていたけれどセビージャでは更に拍車がかかる。
何せ40度になる土地だ。
ショートパンツからにょっきり脚が出ているし、
大きな襟ぐりのシャーリングブラウスは胃のあたりでおしまい。
おへそなんか出して歩いていたら
やっぱりHERMOSAかもしれない。

このカッコウで出かけたらまずいかなぁ、と家族に一応は聞いてみたけれども皆で何にもまずくないと太鼓判を押すものだからそのまま車を駆って出てきてしまったのだ。
子供の意見は髪型とフアッションについてはほとんど信じることにしている。
腕に刺青をしろというのと、おへそにピアスは?というのだけは取り入れていない。
でもこれだけ沢山気の利いたおへそ用のピアスが売り出されていると少し気持ちが動く。通行人の半分はしている感じだし。

やっぱり電車に乗らない生活だとフアッションは大胆になる。
50センチ以内に他人が迫っているようだと生真面目に明きの詰まった服を着ていようとするものなのかも知れない。
色も地味なエレガンスに偏る。

スペインの夏は色の氾濫だ。
まぶしい太陽にはショッキングピンクやレモンイエローがやっぱり美しい。
色をまとうと気分も明るく、楽しくなる。
みんなせめてレッスン着は色を着ましょう?
フラメンコなんだもの。
そうして内気の殻を少し破る。
この辺りから始めてみるのもいいんじゃないかしらね。

●2002年07月17日(水)

念力で引き寄せてしまうバレエ、プロダンサー

 さて、いつまでもBBSにちょろちょろしていないで本格的な書物をしよう。実はネタが多すぎて困ってしまってこういう事になっているのだ。
日本行きの飛行機の模様もエキサイティングだったし、帰りも可笑しい事が結構あったのだ。
日本にいる間も面白いことがあった。
帰ってくるなり楽しいこともあったし、今日はいよいよ念力でバレリーナを一人引き寄せてしまった感じだ。

この所本当に不思議に思うのは、何も今に始まったことではないけれど、何かを深く追い求めていると必ずその本人か本部かその関係者にばったり出くわすのだ。私の人生というのはまさにこういう事の重なりの中にあるんだな、と思う。自分が引き寄せてしまうのか、水脈を見つけるみたいに自分の方が自然にそっちに行っていることが多い。
そして驚く。
いつも驚いてばかり。
だから退屈したことがない。

 とうもろこし畑だのみかん畑だのオリーブの林を抜けて草深い村に、スペイン有数の新体操のコーチとチームを毎日尋ねていることは前にお話した。
末娘をこのチームでしごいてもらっているからだ。
今は夏休みで毎朝3時間訓練に時間帯が変わっている。

この八才の娘には、まずクラシックバレエを徹底的に仕込もうと思っているのだが、その辺のバレエクラスには入れたくなくてあがいた結果、
レベルがプロ向きなのでとりあえず新体操に入れることにした。

この新体操は週に二日、外部のバレエ講師を招いてかなりきついバレエレッスンを選手にやらせている。
本当はこの夏あたりからマドリーの高名なビクトル・ウジャーテのバレエ団に夏季留学させたいと思っていたが、(自分もろとも)
日本との行き来が頻繁で多忙なのにスペイン国内でまで移動を激しくしたくない。まだ子供も小さいし....来年でも...と思いつつ目下の新体操がとても厳格で気に入ってしまったので、ま、ここでいいか、と満足していた。

私は今朝は、初めてこのバレエ講師にお目もじして、お話を聞くことができた。背が高くて、手足がものすごく長いこの若い女性はとても几帳面な生真面目そうな人で、セビージャ出身には見えなかった。ただの講師でもなくて本物のバレリーナだな、とすぐわかった。

それにしてもこんな草深い村にしてはどうしてこうも何もかもレベルをそろえて一流なんだろうかと信じられない思い。
村のPTAが経営しているんですよ。信じられます?
セビージャの中心街にはこんなすごいチームは全然ないのだ。

アナベルというこのバレリーナとは、今朝初めて会った途端にすっかり意気投合してしまい、色々たずねてみるとなんとわずか13才で親元を離れ、マドリーに6年もバレエ留学していたのだそうだ。
そういう少年少女がマドリーやバルセローナには大勢いるとは聞いている。
中々大変なことだ。
苦労も多い事だったろうと余計に親近感が湧いてしまう。

どちらでお勉強でした?バレエ団には入らなかったの?とたずねれば、ずっとあのビクトル・ウジャーテの元で修行してバレエ団員になったというではないか!嬉しくなってしまった。
目当ての留学先がまるで目の前にやってきてくれたみたいだ。
このまま娘だけ置いて自分は筋トレと水泳に行こうかな、と思っていたのに突然予定変更して選手と一緒にクラスに出てしまった。

「新体操の選手用なのでちょっときついレッスンなんだけど...」と言われたけれど、誰よりも熱心に最後まで頑張ったら「あなたのレッスン態度はみんなのためになるからこれからもずっと来て!」と言われた。
「皆さん、タマーラのお母さんみたいに言われた事をその場で何回もやってみる気持ちでないとダメですよ」なんて選手達に向かって演説までしていた。

良い生徒の役は、「私の理想の生徒」をやればいいのだから簡単だ。あはは...
自分の持っている実力と真摯な態度というものがクラスに反映されないのは教師にはとても辛いものだ。七月はどろどろになりながらでも、この先生を尊敬して一生懸命にレッスンに出ようと決めた。

それにしても...国の援助がさすがに足りないらしくてバレエ・バーが不足で、消火器や壁につかまっている子達がいたのだ。
「ねえ、バーは発注する予定はないの?」とレッスンの後でたずねてみるとアナベルは、「ああ、もう何年も主張しているんだけど一向にラチが明かないのよ」と溜息まじりの返事が返ってきた。

「私、誂えて寄付してあげるわ」
「信じられない!そんな事って起こるの?」
かわいい瞳をくるん!と回して見せた。

バレエ・バー、もう八本も誂えているのだ。あと4本くらいなんでもない。
この巡り会わせの幸福に比べたら、これでもぜんぜん足りないくらいだ。

鍛冶屋のぺぺは目を丸くするかも。そんなにいっぱいバーを作ってどうするの?て...
上達めざして家中の空間に設置してるとこなの!なんて言ってみようかな。

●2002年07月08日(月)

日本で書いてるつれづれ草ーセビリアからやってきてしまったもの


昨日あんなにクラスをやっていながら今朝は5時前に起きてしまった。
やっぱり時差でこうなのかしら?

それでいてとても爽快なのだ。
これから鷺沼のスタジオに行ってレッスンしてしまおうかと考えている。
クラスが詰まっていると自分のトレーニングができなくなるのでいつもよりずっと運動量は少ない。
だんだん欲求不満になってくる。
どろどろのへろへろになるまでやって来ようかと思っただけでなんだか嬉しくなるのだけど、もしかして電車が混んでいるのではないかと不安だ。
それに朝のお勤めの地味なスーツ姿の人が多い電車に違和感なく溶け込めるワードローブがない。
いつもこういう下らない事を考えていて機会を逸してしまうのだ。

一日中、どの時間だって電車の中で人にじろじろ見られるのだけど、朝でなければ別に平気なのだ。

私は大概、券売機の前に立っただけで緊張する。
電車に良く乗れないし、お金を入れるところもちゃんと見ないとよくわからなかったりするのだ。後ろに人が立って待っている時など初舞台のように緊張してしまう。挙句に違う切符を買ってしまったりする。
昨日は鷺沼に出来たエスカレーターのあまりの高度に脚がすくんだ。
熟練の通勤者の波が動いているような駅の時間帯にはとてもダメだ。
一人で浮いてしまう。

昔はこの国でどうやって生きていたのかな、とよく思う。

さてと、ゴタクを並べてないで奇抜で職業不明な姿のまま、堅気な電車に乗って鷺沼に早朝レッスン、行って来ようっと。

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