フラメンコ・オーレ フラメンコファンと練習生を一挙にスペインへ!
音楽・踊り・歌の本格サイト〜友繁晶子がスペインから応援

フラメンコ・オーレ!/スペイン発のフラメンコ情報サイトフラメンコ・アカデミー/友繁晶子の本格フラメンコスクールフラメンコについての質問/スペインについての質問/ご意見・ご感想スペイン語/***セビリア発信・つれづれ草スペイン発

フラメンコ・オーレ!

フラメンコって何?アンダルシアって?セビリア・セビージャ?スペイン地理・歴史専門書
友繁晶子大人になってからの舞踊子供から始めるフラメンコ・スパニッシュ・クラシックバレエ
何年やっても上手にならない!あなたへバレエのページ 速報・集中レッスンスペイン留学レポートスペイン研修旅行レポート2004フラメンコ・全パス/朝晩全てに出られるコースUP!
友繁晶子・公演のお知らせ


2005年07月のセビリア発信・つれづれ草
[HOMEに戻る] [過去のセビリア発信・つれづれ草一覧] [管理者モード]
●2005年07月26日(火)

こんな事だろうと思ったが...しかし


スペインには、二大セキュリティメーカーがあって
一つは、この間自分の会社のどこかの大支店が泥棒に遭ったのに
セキュリティが作動しなくて国を賑わす大逆宣伝になった。

この新聞切り抜きを盛んに使って もう一社が顧客をどんどん拡大している。私もこっちに売り込まれて顧客になった。
なったけど、なんとなく初めから疑っていた。

いつだったかこれも間抜けな電話局のテレフオニカが
この辺一帯に故障して回線が断絶した>
途端になんだかセキュリティが中断した。
いやーーーーな予感は的中。

電話回線に頼ったセキュリティってことは電話線わチョーーーーンと切ると 泥棒は天下晴れて国王陛下のようにして難なく入れるのではないの?
まさかよね?そんなお粗末な機器でセキュリティ会社の名がこんなに有名に伸びる訳ないものねぇ....
でも...理屈としてはそうなのかも!!??
会社に電話して聞いてみると相手は答えに窮している。
そんなぁ<図星なの?

電気屋のつなぎ着て、家に入るまでもなく回線切って
電気止めたら平然として狙った家に入れて盗めるじやないの!!

ここまで疑っておきながら実証してみるでもなくずぼらにしていたらやっぱり賊に入られた。

センサーがあっちにもこつちにもあるのに全然作動しなかったらしくて隣の家でもサイレンを聞いていない。
マドリー本部の中央コンピューターにも記録がない。ばこんばこんに鉄棒で殴られた機器がサロンに転がってるのに、機器が壊された記録も中央にないですと。

大窓から入るのに4X3メートルの鉄格子壊して、三メートル四方の二重耐久ガラス割らないと入れないのに、この窓までひんまげてセンサー正面に見ながら八メートルも近づいて鉄棒で殴ってもサイレンは鳴らないって、笑ってしまうでないの!

セキュリティ会社のテクニコが来て壊れた機器のチップを拾ってこれからマドリーで研究するって言う。
新しい機械を取り付けて全部まともだと太鼓判押す。
信じない私は、身長二メートルの元モデルだった凄い男性を使って新アラームとセンサーをテスト。

ここに立って、こうやって鉄格子がたがた壊して、窓ガラス割ってガラスが内部に飛び散る....うん、ここでアラーム鳴るよね、と彼。あれーーー!!??鳴らないじゃない!

で、続けよう、侵入する。ここで鳴るよね?と彼。ほとんど天井に頭が着きそうに大きいのだ。この人で鳴らないで、ダレで鳴る?

これが全然鳴らない。きっとそうだろうなと思っていた私は、なんだか立証されて嬉しくなる。

彼は、壁伝いにアラーム本体まで八メートルも歩き、50センチの至近距離に近づいた。ここで鉄棒の先でばこんばこんにアラームをやっつけるのは至極簡単。

じゃ何かーーーーぁ、センサーの真正面でオーーーラーーー!と手をひらひらさせないと作動しない?

科学者になれたかもしれない私は、ガラスで鳴らない時からこれは特定の対角線に立たないと鳴らないと解明しておった。

タマーラだったら側転で行けるかも知れない。

明日、センサーの30センチ先でセビジャーナスを踊ると初めて鳴るという実験を画像に入れて、絶対にこの会社に送りつけてやろうと思う。

ちなみにアラームが鳴ってから五分してもコールバックがないので、マドリーに電話してやった。カスタマーサービスに電話させますと言ってから三時間。

泥棒に入ってから部屋の色も塗り替えて帰ってくれるでしょうよ、盗みの後でね!

この国でビジネスを起こすのは簡単だ。
この程度でいいんだったらフラメンコの合間ででもできそうだ。

はーーーーーーっはっはつはーーーー
あーーーーーはっはつはーーー

窓開けっ放しで行こうかな、日本に。何しても無駄だから

●2005年07月11日(月)

鉄棒にぶらさがる


頭から真っ逆さまにぶら下がると
きっと素晴らしい効果があると
確信しているのに、臆病でできない。
高い所が怖い。
あーーーーくやしいーーーー体にいいと思うなぁ

それでここから腹筋ができるようになると、ハリウッド映画の
監獄の場面にも出演できそうだ。

無実の罪で獄に入れられた主人公は(脇役でもいいけれど)いつかきっとここを出て真犯人に目に物見せてやるという復讐の怒りで
逆さ吊り腹筋をやる。
見る見る筋肉がついて、片手の腕立ても楽々とできるような体になる。
ああ、カッコいいなぁ....片手腕立て!!!!憧れる

.......と、馬鹿な空想をしながら鉄棒の高さを三メートルにできないかなぁ、と自分の臆病さを秤にかけながら私はうなる。

 昨日はものすごく難しいコンパスのブレリアを振付けられた。
ご存知ブレリアは、たった12拍しかない。もう出しようがないくらい決まったアクセントしかない筈のブレリアだが、まだやったことのないバージョンがあったかと呆れた。

これが意外とできにくい。
できにくいのに、これこそ私そのものの振りだと思う。
自分から出てきて当然な、自然な何かがあると直感する。

全然違う感覚の人の、物凄く研ぎ澄まされた何かを勉強し直すというのは、とても奥深い。

それはまるで、ボキャブラリービルディングをし直して、もっと自由になれるみたいだ。言い表せなかった本当の情熱が、やっと迸り出てくるみたいに嬉しい。

これからアカデミーにもじゃんじゃん色々な企画をしようと思う。
企画が嫌いな生徒のことは考えるのをよそうと思う。

人が何着服を着替えようと、人の勝手であるように、着たい人が着て、着たくない人は着ないでもくもくとマイペースでいればいいのだ。
今まであまりにマイナスの方向に合わせ過ぎたと思う。

私はアーティストでエンターテナーなのだから、思うままにいっぱいオファーしようと思う。

命は苛烈に生きてオレンジ色の閃光を放たないといけない。
(なんでオレンジなの?なんで?←うるさいっ!!オレンジって気がするからよ)

そう、オレンジです。ファイアーオパールのような
赤や緑や青の光がちらちらするような、オレンジサファイアがスパークリングしたみたいな、ああ、あの色!

消えてなくなる日まで彗星のようにスパークリングして
いっぱいの星屑を撒き散らさないと!!

ああーーーカッコいいコンパスだなぁ....
今度パーカツショニストのとこにも弟子入りしよう。

コントラの右34度寄りとか、23度寄りみたいな難しい一拍に苦しむ最近の私です。人生、向学の苦しみがなくなったらお終いです。
水泳娘にプログラムされた、手無し平泳ぎ100回連続と、バタフライの足だけを、もう!!いや!!!というまでやる午後です。

やっぱりこれくらいやらないと私は自分でなくなってきます。

あーーーーーうじうじぐにゃぐにゃした事は嫌だ。
物事はストレートで潔くないとね。

自分を取り戻そう!!!スポーツよ、永遠なれ
舞踊よ、沈むなかれ。

フラメンコよ、ああ、フラメンコ、
母なる精霊のフラメンコよ!!!!!!

ではーーー調子に乗ってないであの辛い水の筋トレ行って来ます。何その、ほんの庭先までです。あはは...



●2005年07月08日(金)

情熱の片道切符

 吉田先生とお話していて、久々に自分と同じ種類の人と会話した心地良さを感じた。
つまり根っからのアーティストということだ。

 自分の人生の行く先とか、保身を考えないで、というより考える暇もないほどに胸苦しく芸への憧れと追求で半生が過ぎて行く人のことだ。

史上に残る多くの有名無名の全てのアーティストは、おしなべてこの情熱の塊を力にして精進して行く。

年を取ってからどうしようとか、保険があるとかないとか、そんな下らない事は一度も考える暇もないくらいにして、そうであることが当然だと迷いもせず、迷わないといけないのかとも気付かずに来てしまう人達だ。

「あっという間でしたね.....」

本当に、本当にそうなんだろうな、と私は共感する。
この言葉の重みと真実を身をもって理解する。

「今、面白くない踊りしかできない人が多いのは皆、自分のサラリーとかそんなことにばかり意識が行くからなんですね。僕らなんかは、自分の好きなことをやらせていただけるのだ、という嬉しい有り難いという気持ちしかなかったです」

 舞踊の教授としてのプロと、舞踊を舞台で踊るプロは、その厳しさにおいて勿論全然同質ではない。

 踊りのプロというのは性格がアバウトな人は一人もいない。

どんな小さな欠点もその場で稽古して潰すくらいの神経質な、できないと明日は生きていたくないとまで思いつめるような、常に急き立てられた精神の人にしか務まらない。
こういう人は、当然社会的には普通ではない(笑)

私は普通な人にばかり囲まれていると息が詰まる。
普通でない人といると本当に心休まる。幸福に包まれる。

テレパシーのように多くを語らずにうなづく時間が過ぎる

踊りの話が一言で出来てしまう楽しさは、本当にかけがいがないと思った。

 「ウラノワは、トウシューズの先まで自分の足でしたね。他の人はみんなトウに乗っていました」先生はおっしゃる。

「そうですか、やっぱり。あのプリセツカヤが賞賛していましたよね。ウラノワはものすごく軽いのだと。絶対にトウのカタカタした音を出さなかったと言いますね。ジャンプの着地にも音がしなかったらしいですね」

同じ靴、同じ床、同じ場所でも、そして世界のトップというような人達でも、個人の資質で全然芸が違うのだ。この差は何なのだろうというくらいに不思議な芸の極致を見せる人がいる。

「生まれ持った才能ですね」と、先生。

「そこそこのプロの親からものすごい天才が出たりしますよね」

「ウラノワの両親がバレエダンサーですね」

「最高の親を持つと往々にして子供は潰れますね。自分と常に比較して叱責するか、子供が萎縮するからですね。中ぐらいだと自分の子供の天才を常にほめて子供を上手に伸ばせますよね。この差ですかしらね?」

「あはは、そうですね、きっと。」

お話は佳境にと展開して行く。
1950年代からのダンサーとカンパニーの名前がじゃんじゃん出てくる。

ジョルジュ・ドンは、本当に始めたばかりの時に吉田先生とベジャールのところで一緒だったらしい。
「輝くような才能の持ち主でしたが、ものすごく怠け者でした。後生は知らない。どういう風だったか。」

怠け者ーー??
じゃ、後になって変わったんだ。鬼気迫る精神力だったと聞いている。

●2005年07月06日(水)

先週末、バレエダンサーで、パリを根城にしていらっしゃる吉田矩夫先生を自宅にお招きした。

ご自身がダンサーとして活躍していたのは40歳くらいまでで、以来もう20年ほどは振り付けや、ヨーロッパの有名バレエ団で団員の訓練をしていらっしゃる。

簡単に芸歴を述べると、東京バレエ学校にいらした17歳の年に
モーリス・ベジャールに抜擢され、ベルギーに発たれた。
この時点ではまだバレエを始めて三年だったというのでびっくりしました。男性としては珍しいですが、ものすごく体が柔軟で脚もどこまでも上がったらしいです。

すぐにパリオペラ座に入られてフランスへ。次にロシアに渡って、あの素晴らしいワガノワのバレエ学校にまだワガノワの息吹が残っている頃に入られる。

ワガノワが自分の果たせなかった全てを愛弟子のドウジンスカヤによってことごとく実現させたことはあまりに有名だが、そのドウジンスカヤが存命のロシアでワガノワ流の基礎をみっちりとやられた。これが後に大変な財産になったとおっしゃる。

ドウジンスカヤは既に高齢でしたけれど、昔の片鱗は十分まだ見ることができたそうです。ため息が出るほど羨ましいお話でした。

吉田先生をお迎えに上がると、ただ一週間のクラスを取っただけの生徒の私に、舞台の主役を努めたかのような大きな花束を下さって感激しました。

車を走らせている間に、ウラノワを勝るジゼルがないと言う私の意見に先生が大反応。二人で坂道を登りつめるがごとくにバレエ談義に夢中になりました。ここで貴重なご意見を沢山うかがい、本当に色々普段感じていたことなどに裏づけが出来て嬉しかったです。赤信号もゴーサインに見えてしまうほどお話に耳を集中させた私です。

お昼の二時にお出しする料理を前日から仕込むのは勿論のこと、朝の八時にお豆腐を作ったりした私ですが、前菜と食前酒をお出しするのは、メインを作るキッチンテーブル。

私はいつも大切なお客をキッチンに座らせてお話しながら最後の仕上げにかかります。絶対に一人もくもくと料理しないの(笑)
先生も到着するなりいきなりキッチンに拉致。
でも居心地良さそうに、冷たい飲み物を運びながら沢山お話してくださいました。

お食事の間もどこに食べ物が入ったか分からないような熱中振りで、二人で賑やかに舞踊の談義。先生が時折私の話にのけぞって大笑いする中、恥しがりやの二人の娘は、もぞもぞ。

 帰国の時期が合えば、日本の生徒に一日でもクラスをお願いしますとお約束していただけましたよ。

楽しいお話はまた明日から一つずつ。

http://www.flamencoole.com/

フラメンコ・オーレ!〜スペイン発フラメンコ情報サイト〜 メール


WebDiary CGI-LAND