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2002年08月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年08月25日(日)

フラメンコー感情について



集中レッスンが佳境に入る土日。
地方から参加の大決心の人達や、常設クラスの面々が一堂に会して
壮観となる。

 でも、どうしていつもこうやって始めの数日は驚くだろうかと昨日も考え込んでしまった。
何て言うかみんなの表情が読めないでしっくりしない。
自分が外人のように孤立する感じなのだ。
何ヶ月も会っていないという訳でもないのに、この感じはいつもおなじみだ。

みんなが戸惑っているように見える。
レッスンがつまらないのかな、失望したのかな、という感じがするのだけど
聞くと全然そんな事はないと言う。これは嘘と言うわけでもなさそうなのが益々不思議だ。
すごく楽しかったという意見を聞くともう、更に不思議。
じゃあ、あのしーーーーんとした顔、雰囲気は何なのかな、と思う。

東洋の神秘に戸惑う私です。

 自分が練習生だった頃を必死に思い出してみようとするのだけど、内気だったかも知れない。もっとも10代の子供だったのだから仕方ない。私がみんなに求めるような内的充実、成熟というのはあの頃の私にはなかったのだから。

 感情の表現というのは、上手になってからお菓子の仕上げの卵黄みたいに塗って光沢にするのではない。
下手なうちからちゃんとやらないといけない。
少なくともやろうとしないといけないのだ。
そうしないと血の通った魅力的な自然な表現というのがいつまでたってもできない。

フラメンコの素晴らしさは人の目にどう映るのかと研究したり、心配しなくていいことだ。

自分という人間の全てで勝負なのだ。

気に入っていただけたら幸い。そうでなかったらお互いに残念。
でも仕方ない。
そういうすっぱりとしたものだ。
媚びないところが素晴らしい。
そうね...敢えて言えばこの、真実一路って言う感じが私を今でも捕らえて離さないフラメンコの魅力なのかな。

 明日はいよいよ九州宮崎に飛びます。私のレッスンを楽しみに待っていてくださる100人近くもの練習生がいるそうだ。
びっくりしてしまった。
この土地の練習生はどんなかしら?やっぱり内気なのかな?
でも昨年のドランテとの公演では、三回もカーテンコールがあってなかなか情熱的な土地柄だな、ととても感心したのでした。

 私は自分の娘は踊り手にしないので、なるべく多くの人達に自分の体得したものを引き継いで欲しいな、といつも思っているのです。
 奇しくも本日は、長女ノエリアの誕生日です。あれやこれやで感慨深く、早起きしてしまった私です。

皆さん、今日のレッスンも頑張りましょう!

●2002年08月18日(日)

道草



 帰国間近でごたごたになっている。
仕事を片付けないといけないし、
明日は次の仕事のミーティングに行くのと
別の仕事の衣装を取りに行かないといけない。
できていると言われてから3週間も放りっぱなし。
フィットなんかし直さないといけなくなると時間がかかって面倒だ。
九月になってから行きたい気がする。

 おみやげの買い物も大変だ。
もう嫌になってしまったのでリストも見ない。
やれることには限界がある。
あっちに行くにもこっちに帰るのにもおみやげだから、年間、いっっっつでもお土産になりそうな気の利いたものを山のように買い集めている。誰に、というのでなく、とにかく良い物を見たら買い集めているって、すごい。
 それでも「あっ!!!いけない!」この人に何もない!になる。

 明日が殺人的に大変なので今日のうちにパッキングを終わらないといけないのに、朝から世界史やロシア革命史、スペイン舞踊史..音楽史なんかを山のように抱え込んで食事もしないで、子供に話しかけられても生返事でいる。

もう、六時間もこうやってる。

家族は私という変人に慣れているので誰も不平を言わない。
これは感謝しないといけないな、と頭の隅でちらっと思う。
でも思うだけ。

発表会がらみで、荷物が120キロもあるので、やる気がしないのだ。
試験前に小説を読んじゃうみたいに、これに手をつけないで、つけない事にいらつきながら他の事ばっかりやっている。
すごい荷物だけど、自分が持って行くわけじゃないから、ただ中身をちゃんと確認するだけなんだけど、めんどくさくて見る気がしない。
どの荷物に何が入っていて成田からどこにひとまず送るか、のメモを作らないといけない。

バレエ・サイトの原稿を点検している。
書きたい事はいっぱいあるけれど全部は網羅できない。
ストラビンスキーが結構いかさま師の盗作というかアイディア盗みで名高いところなんかおかしく読んだ。

世紀の大プロデューサーのデイアギレフは亡くなった途端に莫大な借金を残したという。
債権者達はどうしたのかな、なんて考える。
あの有名なモイラ・シアラーの赤い靴に出て来るプロデューサーは、きっとデイアギレフがモデルに違いない、と思いつき、これを調べ上げたくなる。

マリウス・プテイパとイワーノフの関係が興味深い。
前者は楽隠居してしまい、後者はかなりきつい貧乏生活だったらしい。くるみ割の振り付けの途中でプティパが病に倒れてイワーノフが引き継がないといけなかったのは、これがあまりの駄作なのでプティパが仮病を使ったらしいという推理まで読んだ。

可笑し過ぎ!気の毒〜〜〜〜!

確かにくるみ割は、お話としてインパクトがない。
あの素晴らしい、こんぺいとうの踊りやトレパックなんかがなかったらどうしようもなくかったるい。
チャイコフスキーが嫌で嫌で仕方なかった作曲なのだ。
チャイコフスキーって筆まめでものすごい書簡の量らしい。
...色々びっくりして驚いたり感動しながら、そうだ、終戦記念日なんだからってこの間から司馬遼太郎の著書なんかにも手を出している。
ここいらでまた、日本民族として胸を熱くし、蚊とんぼ程度の脳みそで真剣に何か考えたりする。

モーリス・ベジャールが、「もしも振り付け家として成功しなかったら
私は間違いなく今頃は精神病院で過ごしていたに違いない」と独白している。
え!?何?やっぱりねぇ....あなたと同じ事思いましたよ、私も。
あはは...

では、かようにキ印の私は、これからパッキングという佳境に入り、その後ひどいストレスを抱えた火花のようなレッスンをして、一日を終えます。

●2002年08月15日(木)

フラメンコーアイレとグラシアについて
       ーガロティン、カラコレス、グワヒーラス


 BBSにヘスース・エレディアのガロティンが素晴らしかったという投稿があったがこれは事実だ。
誤解を生むので注意して発言しないといけないのだが
平たく言うと暗い、深い、神秘のものはやりやすい。
プロと言われている人なら難なくやれてしまう。

ところが明るい物は神秘の物より段違いに難しい。

独特の気風と粋とアイレ、グラシアがなかったら箸にも棒にもかからないものはやるのが非常に、非常に、非常に難しいのだ。

もっと端的に言うと、上がってしまっていようが、逆上していようが眉間にしわ寄せて出てくればフラメンコなんだな、となんとなく納得させられるけれど
にっこり笑ってコケティッシュっていうのは100人中一人もやれる人がいなくて普通だ。(どうです?ここで自分の事を思ってにやっとしません?)

 あの素晴らしい、勉強家にして努力の人であるメルチェ・エスメラルダですらわざとらしい笑顔を貼りつかせて出て来るとみんなでがっかりするくらいだ。どんなにうそっぽいかと言うと私の長女が彼女のプラスティック・スマイルに4才の時に気付いて、不思議に引き寄せられて(つまりそのあまりの技巧の情熱が幼児の心を捉えたのだ!/こういう事もある!!)毎日、真似ばかりしていたくらいだ。
 脱線ですが、本当にこういう研究成果を得るたびに、もう母親になった元は取れたというか、子供に恩返しをしてもらう必要なんかないと思いますね。
子供は正直ですから心に浮かんだままを表現しますから、彼らがつまらないと思うものは大概の場合ほとんど没なのです。

 話を元に戻すと、私はガロティンは嫌になるくらい振りつけていますが、自分では踊らない。これを踊るにはこれ用のギタリストと歌い手が必要で、ブレリアの得意なギタリストと歌い手で兼用できないことが多い。

 グワヒーラス、カラコレス、タンギージョなんていうのは、バックアーティストがこの分野を得意にしているという事がとても少ない。有名、無名には関係ない。そういう情緒を持っているか否か、なので持っていない人と共演したくない。
私はスペインではこの分野が得意なアーティストとして評価されている事が多い。そしてまさにそれだからこそ、契約の更新で苦労しなかったのだ。スペインの女性はこの分野が苦手な人が多い。奇しくも日本の多くの練習生と同じ。
外国人なのにスペイン人に勝つ分野はここよ。(分ったんだからすぐ取り組んでみて!)
いつも秘訣教えろー、教えろーと言うくせに教えてもちっとも実践しない。もっと簡単で楽な秘訣が出て来るまで「教えろー、教えろー」の怠惰なあなた達だと正体がだんだんわかりつつある私です.....

 結論:今回の発表会で生徒がヘスースの歌でカラコレスを踊る。羨ましくて嫉妬しそうだ。私、これ、踊りたいなぁ!昔、舞踊団でヘスースと一緒に仕事をしていた頃、彼の16才の娘(今は押しも押されもしない名舞踊家のジョランダ・エレディアです)はまだレパートリーが少なかったのでずっとこの曲を踊っていて、私はできなかった。でも、へスースの熱唱素晴らしく、いつかやらせていただきたいな、と思っていたのです。

 あのね、うちのアカデミーがたまたま会社や自宅の近所でうちに入って、始めからこういうものなんだな、て何の疑いもないに違いない生徒の皆さん、こんな事はほとんど有り得ない幸運なんですよ。よーーーくかみしめてね。
ヘスース・エレディアの経歴見て御覧なさい。こういう人に歌わせるのは私は本当は申し訳ない。

ああいう歌で扇子をはためかせ、バタデコーラで優美に舞うというのは、ホント、女冥利に尽きますよ。もう、心がアンドロメダまで舞い上がるっていうものです。粋にカッコ良くやってね。
やらないとひどいぞ!折檻するぞ!

●2002年08月14日(水)

歴史に残るアーティスト達


仕事をし、稽古をし、帰国の準備をしながら次の仕事のリハーサルに関係し、そしてくたびれた頭で、次々と音楽家と振り付け家とダンサーの伝記を読んでいる。くたびれるーーーと言いながら私というのは、きっとこういう生活が好きなのに違いない。

うーーーわくわくする!!
歴史の裏側を読むと偉大な作曲家も身近に感じる。

素晴らしい作品が出来あがる過程というのは、そんなに素晴らしくなかったりする。
チャイコフスキーがくるみ割の作曲が嫌で嫌で、期日が迫っても全然やる気がしなかったとか、面白い!
どんなに苦痛か手紙に書いたりしている。
面白いなぁ....
おまけに初演では、評論家の意見は好意的でない。

モーツアルトの(突然こういう風に脱線したまままた読みふける)お葬式には奥さんのコンスタンスが列席していない。誰一人行かなかったのは何故なのか調べていたらすごい推理小説もどきのストーリーまで出てきてしまった。
天候がどうだったのか、なんてところまで行ってしまった。うーーーむ....この日、身重の奥さんを傷つけて自殺した人まで出て来る。
謎が深まったところでこのまま行きたいけど、と進路を元に戻してヌレエフが列車の中で生まれた生い立ちに突然飛んでしまう。
(この私の狂気について来ない方がいいですよ、疲れちゃうからここで読むのをやめた方が....)

そうこうしているうちにバランシーンが興行に失敗して路頭に迷いそうだったのだ、という下りなんかをまた読んで、あの素晴らしいモイラ・シアラーがその伝記でバランシンがピアニストよりピアノがうまかったショックな出来事を記述しているところにはまり込み、両親が音楽家だったというのまでたどって
驚いたりする。

いつも出て来るデイアギレフは自分は踊れもしないし、音楽もできなくてどうしてこういう豪華な舞台を次々実現できたのかな、と常々不満だったけど大富豪だったというのを発見。
なぁんだ!それでマチス、ピカソ、ストラビンスキーとお友達ね!
...と片づけてはいけない。
大富豪はみんないいプロデューサーかというとそうではないのだから。

...うーむ!蚊の脳みそで感嘆し、あらら!と驚きながら深呼吸。

ああ......なんと愛しいアーテイスト達!
粟立つような天才も、まぶしいプリズムの輝きも、みんな消えて行ってしまうのだな、なんと切ない生きとし生けるもの.....

...こう、ごたごたになりながらですね、バカみたいですが思うのですよ。
芸術は素晴らしいって。その混沌、その偶然、そのドラマがあるからこそ。

興奮していないでもう寝ないと!

●2002年08月11日(日)

妊娠とフラメンコ....一口に言えない複雑な期間

 BBSに妊娠初期のフラメンコ練習生の質問があったので、こちらにお返事します。今現在、生徒に何人かいますし、いつも困っている人は多いようなので、何かお役に立てれば幸いです。

 母親がいてくれるに越した事はないでしょうが、もう私達の母親ですら核家族に育った人達なので、子供を6人も7人も産んでいない。

大家族で姪や甥も混ぜて子供達の面倒を見たわけではないので、一人か二人を産んだ経験談はあまり役に立たない事も多いみたいです。

 私の母は、私が断固母乳で育てると言っているのに、赤ちゃんにこっそりミルクを飲ませたりして、あの時の失意と悔しさは忘れられないと思いました。
(案外すぐ忘れましたけどね....)

 慣れない授乳で疲れているし、その前のお産で消耗しているし、自分の理想が周囲の頑迷さに負けたりすると、もう、身も世もないようになってしまう。すこーーーし、精神のバランスは崩れます。後で振り返れば反省できるけれど、そのさなかにいる時はゆとりがないです。

 つわりもとても苦しい。半病人のようになってしまい、私の寝室は二階なのに、それでも窓の外を通る人のコロンや整髪剤の匂いでもむかむかしてしまう有様でした。
けれどもああいう激しいつわりがなかったなら、きっと踊ってしまって取り返しのつかない事になっていただろうと思います。自然の力は偉大です。そのようにして安定期に入るまで赤ちゃんを守るのですね。
ですから、暑い夏につわりはとてもお気の毒ですけど、あなたの赤ちゃんを守るためなのだと信じてみてください。でも、あまりにひどい時はお医者で手当てしてくれるようですよ。こう言う事も例の本に詳細してありました。

 妊娠初期は安静にしていないといけないのに、安定期に入ると今度は運動をしないといけない。栄養に気をつけないといけないけれど後期に入って太りすぎてしまうと赤ちゃんが危険に曝されたりしてしまう。大きなお腹で転ばないように、と皆が言ってくれるけど、まさか!気をつけているんだから転んだりしない!て、憤慨してみたりする。
なのに、私は転んでしまいました。

ここのところは良く、聞いて。

つまり、こんなに重い体重に慣れていないので、突然脚がつってしまったりするのです。不注意で転ぶのではないの。こういう体の重みに慣れていないし、バランス取りに慣れていない。ぎくっとやってしまったり、その反動で転ぶ。
こんなに鍛えている脚でも、あっ!となったのですから、くれぐれも忘れずに慎重にして下さいね。

 お産の後の大変さはまた、筆舌に尽し難いです。幸せな家族が赤ちゃんを囲んで笑み崩れている、ていうのはそれはそういう日は皆無ではないけれど、色々な事で夫婦喧嘩も多い。
 日本では{産後の40日の憂鬱}って言ったりする?
スペインでは、妊婦が産後に陥る、ちょっとした虚脱と鬱病気味な状態をこう呼びます。
こんな言葉があるくらいなのだから、多くの人がそうなる。

 空しい気持ちに、自分はもしかしたらものすごく不幸なのかも知れない、なんて思い込んだり、赤ちゃんの授乳や離乳食がうまく行かなかったりする悩みが重なると、もう、とってもきついです。
もしもこれに自分の職業的な焦燥とか、家族の様々な不幸や不運が重なると、もう人間の考えうる最大の試練か何かを生きているようかもしれないです。

 家族が少なくて手伝ってもらう事も話し相手にも事欠くようなら、少しの無理で続けられる趣味なら捨てない方が、精神的に乗り越えられると思いますよ。
うちの場合だったら、赤ちゃんを預ける人がいなかったらそのままスタジオに連れていらっしゃい。
ベビーカーのまま、中に入れてもいいです。みんなも大目に見てあげましょう?時々、片手にしっかり抱きながらのレッスンになってしまうかもしれないけれど、気晴らしになると思うの。

どちらのスタジオにもキッチンは全部完備しているからミルクの温めもなんでもできますよ。

 人類の歴史の中で母親がこんなに孤立した時代というのは現代を除いてないのですってよ。みんなで少しずつ支えてあげましょう?母性を大事にしない国家に将来はないのだもの。母性は大事にしてあげないとよ。日本はなんだか逆に辛く当たる傾向があるから。

 とにかく、色んな事が大変。でも、赤ちゃんを抱いた時に
「ああ、今までどうしてあなたなしで生きて来れたのかしら?」て、そうつぶやくと思うわ。頑張ってね。応援しているから。

●2002年08月09日(金)

フラメンコ・シューズー足のトラブルに対処する在庫



 今、こちらに来ている生徒が私の稽古場をのぞいて呆然とした。
 視線が釘付けになっている方角をたどれば、靴の山。

「ああ、これ?これは私の靴の在庫。状態に合わせてこの中から選ぶの」
そう言っても怪訝な表情が消えないのは当然だ。
すさまじいボロの山なのだから。

ちょっときまり悪い。
めちゃくちゃに裂けているものもある。
これらは足に怪我をしている時にサポーターや包帯をつけたままちゃんと履ける靴なのだ。

親指が悪い時は、こっちの裂けてる物
小指の時はこっち側が切ってある物、
こんな風にさまざまにビリビリのものが大カゴにいっぱい。
右と左の状態も違うから右が緑で左が赤い靴、なんていう検眼用みたいな組み合わせもありだ。

リクラでできているブーツも時々利用する。
もう、稽古のし過ぎで足が痛くてどうしようもない時用なのだ。
そういう時にはやわらかいブーツで振り付けをする。
あるいは振り付けたばかりの自分の振りを踊り込む。
負担が最小でちゃんと稽古できる。
どんなに足が腫れていても平気。
後でアイシングすればすぐ挽回だ。

 いつからこういう工夫をしているのかもう、思い出せない。
でも、バレエダンサー達も履き慣らした程よい崩れ方のシューズは穴が空いても履いている。あんまりひどく指が出ると上からソックスを重ね履きしてもまだ愛用している。
それとよく似ているかもしれない。
やっぱりきついレッスンの多いプロの考える事はとどのつまり似ている。

キューバ国立バレエ団の引退バレリーナに一年くらい師事していたことがあるが、トウシューズが弱くなって来るともう一度オーブンで焼いてノリを堅くするのだそうだ。
その温度調整は間違えるとマル焦げになって勿論台無しになる。
私はこういう知恵、プロの苦心から生まれたアイディアというのはそこにアーティストのその芸への必死の工夫と愛情が深く察せられて、なんだか心からの笑みが浮かんでくる。
トウシューズをもう一度焼く...すごいアイデイア。
誰がいつ、思いついたのだろう。

●2002年08月05日(月)

フラメンコの楽屋裏ー練習のストレス


 昨日からずっとギタリストの電話番号を探して半狂乱になってしまった。
リハーサルの時間は決まっているのに場所の打ち合わせができていない。

歌い手の一人は外国から今日戻って来る。
もう一人は他県から車を飛ばして来る。
もう一人に電話したら「おおーアキーーコ!寝たのは今朝方の5時だったんだよぉ」と恨めしそうな返事。夕べ舞台だった人の朝寝を邪魔してしまった。
ごめん、ごめん!

 どうしてこう整理が悪いのかと思う。
なくしたら大変だと思って手帳にメモった場面は鮮明に覚えているのにどの手帳にも書いていない。机の上には山のような書類。

 プロモーターに電話して探してもらってやっと携帯番号まで教えてくれる。
「ああ、パストール!あなたって素敵よ!最高だわ!!」叫んでしまう。

...で、本人にやっと電話。出るなり活字にできにくいような
激語を2、3。その上で、
「気が狂うかと思ったじゃないのぉぉぉ!!」また叫ぶ。
「お!なんだ、アキコ、後で電話しようと思ってたってば!」

....いつもこれだ。
だから私はリハが好きではない。
もういいって、本番でいきなりやろう!みんなプロだし、即興こそフラメンコの真髄だしさ、と良く言ってやる。
さすがに焦って1回は見てみようよ、と言うのが普通だ。
でも全員が集まらないといけなくても必ず誰かしらの子供が救急病院に行くか、女房の母親が骨折するかしてアーティスト氏の誰がしかは付き添いで来れなかったりするのだ。

「パンクなし、スエグラ(姑)は病院に行かない、道にも迷わない、いい?」こういう先読みの警告を発する。でも、何かしらあるのだ。

昔、ローリ・フローレスが練習中に二時間も遅れてやって来たカンタオールの姿を認めるなり
「なんでもっと遅れて来ないのよ!!」と叫んだ場面をいつも思い出す。

ははあん、スペイン語ってこういう風に言うのか、と感心したものだ。
この逆説に十分に怒りと呆れと、そして痛烈なユーモアが盛り込んである。
にらみつけた目は怖く、口元は少し笑っていないといけない。

フラメンコのアーティスト達というのはこんな揶揄で結構楽しんでいるのだ。かなり深刻な時でも痛烈なジョークが飛ばせないと仲間として上手くやって行けない。こういうコミュニケーション自体がもう、既にフラメンコのアルテであり、アイレなのであって、舞台に上って初めて引き出しを探すわけではない。つまり粋な人間じゃないとダメなのだ。
フラメンコって、そういう乙なものなのだから。

 さあてと、みんなで集まってどんな展開になるかなぁ。

でも本番でいきなりっていう方が好き。みんなが緊張と集中力で一心に私の次の動きに照準合わせているっていう状態はスリリングだし、やっぱり本当のフラメンコなのだ。

●2002年08月04日(日)

フラメンコーかつて語られなかった真実



 今、振り付けを進めていて明日はリハーサルがある。
家族はみんなプールに出かけているのに、私だけ稽古でどこにも行かない。
こういう週末の方が家族団欒というより多い。
父子家庭。

 先週せっぱつまって友繁にちょっと伴奏して欲しいと言ったら二日も待たされた。予約制なのだ。
仕方がないのでソロ・コンパスでずっと考えをまとめる。
リハの緊張が迫ってくるのでヤツ当たり気味。挙句にこれは使いにくい!ここと、ここと、ここがダメだ!なんて言い募ってOFS社の製品にケチをつける。

 いよいよ伴奏してもらったら
「足が多すぎる」
と早速ケチをつけられる。
「そこは何もするな」と言う。
えーーー!?これが全編でいっちばんカッコいい見せ場なのにぃぃぃ!
「いや、台無しだ。良くない」と言ったきり黙りこくる。

じゃ、これは置いといて、先。

「そこもうるさい。もっと全体に足を徹底的に無くせ」と言う。
えーーーー!?これ、やりたい。
「ダメだ。台無しだ。最低だ。せっかく上体がいいんだから全部アイレで通せ(誉め言葉?じゃ生まれて初めて聞くわ)ダサイぞ、そんなのは!」

じゃ、これも置いといて....先

「うーーんと、そこの所はもっとこういう風に弾いてみて。そのつもりで振りつけたから」
あるポイントでそうリクエストすると、
「バカ言うなよ、そういうトーケはスペイン中探したってぺぺ・アビチュエラしかできないぞ。他に誰もいないぜ。誰に弾かせようってんだ?」
「誰誰か、誰誰」←ここ、伏字。でもいづれ一流の人。
「できないね、絶対に。ぺぺ・アビチュエラしかいない」
「じゃ、ここはイメージ違っちゃう。ガラクタになってしまうわ」
「そういうことだ」

イライライラ....えーーーと、わかった!もういい、ありがとう。
追い払ってしばらく猛獣のようになる。
荒れ狂う。
これ、いつものパターン。

でもって最後はリズムなり足なり大抵整理して、割と助言者の言いなりになる。けれどもこれは絶対に秘密にして何食わぬ顔をしている。
だから次に伴奏してと言うと必ず嫌な顔をする。

いつだって人の言う事を何も聞かないのに何でだ?
と言われるのだ。

聞いてるって!というのもやっぱり言わないで、かわいくなく肩をすくめる
のでした。 
これ、密告しないでここだけの話にして欲しい。

●2002年08月02日(金)

とってもフラメンカな〜瀕死の白鳥

 今月最後のバレエレッスンで、いきなり最後の一時間は創作だと言われて焦ってしまった。おまけにこともあろうに私には「瀕死の白鳥」が当たってしまった。
うへーーー!冗談みたいだ。
瀕死ーーーい!?
前の晩にアンナ・パブロワの伝記を読み返していたばかりだ。
また、引き寄せてしまったのかしらん。

...ああ、久しくなかった冷や汗と逆上の創作。
非常に「フラメンカな」白鳥でありました....恥かしかったなぁ
家で最後の白鳥の死ぬところは好んでいたずらでやることはあるんだけど
まじでやらされるなんて拷問のようでありました。

みるだけで絶対にやりたくないものに「4羽の白鳥」もある。
子供の頃にやらされて、「動物園の調教師になった気分だわ」(そのくらいに私達はひどかった)と先生に言われた屈辱が、お腹の震えそうな笑いとともに思い出されてしまうからだ。

ああいう、美しくないと絶対にダメな踊りというのは下手な初心者にはカッコウがつかなくてどうにもならない。

ちなみに私はクラシックバレエの発表会にだけは夫と行きたくない。
憮然として最後に
「あれはみんな本気でやってるのか?俺にはどうしても高木ブーの再来としか思えないけど」
なんて身もふたもない事を言うのだ。

もっとも一流有名バレエ団の公演でも、プリンシパルが足長でハンサムで素晴らしいダンサーであってすら「俺はバレエだけは二度と遠慮させてもらうぜ。ああいうものをやろうっていう男の気が知れないからな。タイツだけは見たくない」なんて言うのでした....あれからこの方とは行っていない。

彼がこのセリフの前に見たバレエ公演というのは、4才の時で所はロンドン。
出し物はロイヤルバレエのくるみ割り。
この栄えある本場のバレエ公演で開幕間もなく子供特有の透き通った声で
「マミィ!どうしてみんなズボンなしではだかで出てくるの?男の人達!」
と叫んだというから怖い。
この声はイギリスの善男善女の耳にことごとく響いたらしい。
しかも彼は当時は英語しか話せなかったという。
これ、義理の母から結婚してすぐに聞いた話。

 その点、フラメンコっていうのは硬派の踊りだから下手でもそれなりにまぁ、悲惨にはなりにくいかも知れない。こっちのが同じ下手でも救われる余地がちょっとはあるみたいだ....ということでですね、
こういうオチになりましたので一つ、生徒の皆さん、これを励みに今週末など稽古にいそしんでください。頑張ればカッコはつくらしい、ということで。
じゃないと先生帰って来るし、怖いかもよ。発表会だったりなんかするしね、忘れているといけないから喚起しておきますから。よろしく。

http://www.flamencoole.com/

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