●2002年08月25日(日)
フラメンコー感情について
集中レッスンが佳境に入る土日。 地方から参加の大決心の人達や、常設クラスの面々が一堂に会して 壮観となる。 でも、どうしていつもこうやって始めの数日は驚くだろうかと昨日も考え込んでしまった。 何て言うかみんなの表情が読めないでしっくりしない。 自分が外人のように孤立する感じなのだ。 何ヶ月も会っていないという訳でもないのに、この感じはいつもおなじみだ。 みんなが戸惑っているように見える。 レッスンがつまらないのかな、失望したのかな、という感じがするのだけど 聞くと全然そんな事はないと言う。これは嘘と言うわけでもなさそうなのが益々不思議だ。 すごく楽しかったという意見を聞くともう、更に不思議。 じゃあ、あのしーーーーんとした顔、雰囲気は何なのかな、と思う。 東洋の神秘に戸惑う私です。 自分が練習生だった頃を必死に思い出してみようとするのだけど、内気だったかも知れない。もっとも10代の子供だったのだから仕方ない。私がみんなに求めるような内的充実、成熟というのはあの頃の私にはなかったのだから。 感情の表現というのは、上手になってからお菓子の仕上げの卵黄みたいに塗って光沢にするのではない。 下手なうちからちゃんとやらないといけない。 少なくともやろうとしないといけないのだ。 そうしないと血の通った魅力的な自然な表現というのがいつまでたってもできない。 フラメンコの素晴らしさは人の目にどう映るのかと研究したり、心配しなくていいことだ。 自分という人間の全てで勝負なのだ。 気に入っていただけたら幸い。そうでなかったらお互いに残念。 でも仕方ない。 そういうすっぱりとしたものだ。 媚びないところが素晴らしい。 そうね...敢えて言えばこの、真実一路って言う感じが私を今でも捕らえて離さないフラメンコの魅力なのかな。 明日はいよいよ九州宮崎に飛びます。私のレッスンを楽しみに待っていてくださる100人近くもの練習生がいるそうだ。 びっくりしてしまった。 この土地の練習生はどんなかしら?やっぱり内気なのかな? でも昨年のドランテとの公演では、三回もカーテンコールがあってなかなか情熱的な土地柄だな、ととても感心したのでした。 私は自分の娘は踊り手にしないので、なるべく多くの人達に自分の体得したものを引き継いで欲しいな、といつも思っているのです。 奇しくも本日は、長女ノエリアの誕生日です。あれやこれやで感慨深く、早起きしてしまった私です。 皆さん、今日のレッスンも頑張りましょう!
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