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2002年09月のセビリア発信・つれづれ草
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●2002年09月30日(月)

新学期ーアーティストのつぶやき

 子供も小学校の高学年になると親は選択を迫られて大変だ。
 日本だったらほぼ間違いなく大多数は「お勉強」を選ぶのだろうけれど、
スペインだとまだほんの少しはどっちにするか悩むことが許される。

 スポーツや芸術関係を断ち切らずに進ませるか
進学第一にするか、私の周りでも親は悩ましい日々を過ごしているようだ。

 私の二人の娘達はセビリアで一、二を争う有名私立から
「えーーーー!?」と人がのけぞるような村の学校に今期から転校させた。
水泳をやめさせないと成績が落ちる。来年もっと落ちたら留年させると教師は繰り返し強迫した。(スペインって小学、中学でも落第があるのですよ)

小学生なのに夜の10時近くまでトレーニングがあって、宿題をやるには疲れきっているので早朝に起きてやっている姿を見るのが私はもう耐えられなかった。

勉強は待てるけれどスポーツと芸術は待てないと思ったためもある。

何になれてもなれなくても、とにかく一線を目指す年頃というのは今を置いて他にない。
本人がやりたいのだから思い切ってやればいいと思っている。

オリンピック選手になれるのはほんの一人か二人だ、失敗したらどうするのだ、と前の教師が言い張って激論になったけれど、
「なれるかなれないか、じゃないのだ。今、どう生きるかなのだ」といくら言っても相手は分らなかった。
驚くべき想像力の欠如だ。
この人は何を学んだ人なのだろうか...

 どうしてみんな将来、将来と言うのだろう。
今は?今は大切じゃないのか?

いつか人に尊敬される日が来るように今は我慢してみんな捨てて生きろと言うのか?本当に絶対に安泰な将来が来ると頑迷に信じて?
賭博士のようだわね、まるで。

私と夫の子供だからどうせシートンやファーブルのようにはならない。
アインシュタインやマリー・キュリーの再来になれない事だけは絶対に信じられる。親譲りでさして優秀な頭脳でもないのに、みんなが出来る程度の勉強を無理やりやらせて人類のために貢献できるわけでもないのだ。

じゃ、いいじゃないの水泳に取り柄があるんだから泳がせておけば。

法学部に行ったからと言って総理大臣になれないなら意味がないって誰か言う?
経済学部に行ったら第二のドラッガーになれと誰か強制するか?
しないでしょう?

じゃ、オリンピックに行けないかもしれないし行けるかもしれない選手でいいじゃないの。
バレリーナだってオデットを踊れる地位を勝ち取る人は一人だけなのだ。
じゃ、コールドバレエは意味がないか?立派なものじゃないですか。

将来の何に不安を抱いて無難だと思う道を勧めるのか?
無難な道など一つもないのに。
人生で一番大切なものはことごとく無形で、どこにあるかも本当には良くわからない私達の「心」の中に輝いているばかりなのだ。
私達はそういう曖昧で、不安で、確証のつかみ難い、掛け替えのない物を胸に生を全うするばかりだというのに.....

●2002年09月26日(木)

バイラオーラの母、ギタリストの父

 昨日から王立舞踊学校の新学期がやっと始まった。
レッスンの第一日目、ユニフォーム指定とお道具のメモを一昨日手渡されてもう、ちゃんと子供に着用させているのには私はちょっと驚く。
うちの娘はどこに行っても舞踊関係は一人違ういつものレオタードとスカート、履き古したバレエシューズだったりする。
紺屋のなんとかだ。私には暇がない。必要とも思えないし。

 まだ一年生なのでレッスンは二時間だけ。内訳はクラシックバレエが一時間とダンサ・エスパニョーラが一時間だ。バレエの専門過程をいづれ選ぶ予定の子供でも、ここではスパニッシュを三年か四年必修させられる。

どちらにより天分があるかわからないのだからこうして両方やらせる。
後で専門は二つに分れる。
これはそれなりに利点があると思う。

クラシックバレエのレッスンは何もできないうちはとても退屈だ。
子供が二時間も基本姿勢だけで我慢できるものではない。カスタネットなんていう鳴り物でも習わせてもらった方が元気が出るかも知れない。

 クラシックの教師はこの舞踊学校で一番信頼できそうだと思っていた先生なので結構嬉しい。
スパニッシュの方は、レッスンが始まるなり
「タマーラ!タマーラはどこ?」といきなり先生が生徒名簿片手に自分を名指したと子供が言う。
おずおずと手を挙げると先生はじっと娘の顔を見つめて
「あなたのお母さんはバイラオーラでしょう?お名前は?」
「ふむふむ...で、お父さんはギタリストでしょう?何てお名前?」
と、言われたというのだ。

そして自分はあなたの両親を知っていると言ったらしい。
今度はこっちが聞く番だ。その先生のお名前は?
「マリアなんとか...」
マリア・オリベーロだったら仲良しだったから心配はないけれど何となく警鐘が鳴る感じだ。

 どうしよう...ここで暴露しようかしら?舞踊界の複雑さを。

王立舞踊学校の教師というのは複雑なのだ。
最高権威だと自負している割にはアーティストとして勇名をとどろかすチャンスに恵まれなかったという密やかなフラストレーションを持ち続けている人が少なくない。
だからアーティストに対しては批判的な人が非情に多い。
一方、私達は彼らの心理の複雑さを知っているし辟易としている。
正しい踊り方を教えるのと観客の心を虜にする人とは同一人物ではないと思っている。こっちは相手にしないがあっちはいつも小姑のように目の敵にしている。機会さえあれば厳しい批評をしてやろうと待ち構えているのだ。

勿論、全員がそうではない。
でもこの傾向はとても強い。
端的に言いたいために少し乱暴な説明になったけれどざっとこんな感じなのだ。
 娘はなるべくアーティストの子供だと知られないようにしていたい。
何があるか分らないからだ。
...でも恐らくは無駄だろう。きっともうみんな知っているに違いない。
理不尽な目に遭わされなければいいのだけど。

 舞踊学校の前校長がまだ20才前後で、バレリーナにしてはちょっとおデブで本人も気にしていた頃の事まで私は知っていたりする。
...まずい。

●2002年09月24日(火)

フラメンコー靴について


 フラメンコの靴ではみんな意外と苦労しているようだ。
まず第一に高い。
手に入りにくい。
色がない。特注してさんざん待っても違う色で上がって来る。
返品できない。

 先頃の発表会で、私達は結構画期的な案を実践した。

安い黒い靴にする
これに自分で色を塗ってしまう。
二度塗りしてさんざん稽古して慣らし、本番前日にもうひと刷けすれば
見事に美しく上がる。
思い通りの色で言う事なし。

 何ヶ月もいらいらしながら特注の靴を待つ煩わしさが全然ない。
使い込んだ靴に塗ってしまっても良いわけで、無駄もない。
これはかなりいい方法なので練習生の皆さんご利用下さい。

 ここで一言。
スペインと一口に言ってもセビリア市とマドリー、グラナダ、バルセローナのフラメンコとそのアーティストが衣装に気遣う思い入れは、全然違う。

一番着道楽で通っているのがセビリア(セビージャ)だ。

こちらでは、色物の衣装にはほぼ絶対に黒靴で済ませない。
普段の洋服でも靴は必ず色をコーデイネートする。
靴は洋装には大事な決め手なのだ。

プロというのでもないのに、高価で難儀なカラーシューズをいちいち揃えるには練習生は辛いと思いますが、以上の理由と対策で是非、衣装もすっきり、大切な足元まで決めて下さいね。
何と言っても足で決める踊りですから。
あ〜ら、私はブラソ派よ、と自負される方も足元麗しくよろしくご検討下さい。

●2002年09月19日(木)

 Estas orgullosa de mi?



 私の水泳選手の方の娘は、何て言うかスポーツをやる子らしく無口で、
自分の気持ちを表現するのが器用ではない。
あんまり生真面目で、黙っていられるとちょっと落ち着かない気分になる事もある。辛い事があってもじっと耐え忍んでいるような所があって、なんとはなしに不憫な思いがする娘だ。

うんと小さな頃にたまたま病気で高熱を出しているような時に限って、私の舞台が重なった。
熱で赤いほっぺたをした苦しそうな息の幼子をベビーシッターに託して出て行く辛さが今でもこの子を見るとかすかに疼く。

自分はなんという職業を持ってしまったのかと出番の前の鏡に向かって自問した事も一度や二度ではなかった。
メイクをしようとする傍から涙が盛りあがって来て途方に暮れたものだ。

 お蔭様をもって健康できれいな娘に育ってきてくれているのに、やっぱりどこか気持ちがとがめるのだ。
できることならああした晩の全てをやり直したい。
一晩中傍についてやってもう一度やり直したいという愚にもつかない衝動に駆られる。
子供は私の踊りの犠牲になどなっていない筈だけれど、どうしてもどこか気がとがめるのだ。ついていてやるべき時にいられなかったという心の責めは消えない。

時間としての不在もさることながら、傍にいる時でも全く気持ちがどこかに行ってしまっていることが私は頻繁なのだ。

頭の中が音楽でいっぱいだったり、振りつけを追っている時、アレンジや構成を考えているとなにもかも上の空になっている。
舞台間近になろうものなら居ないも同然になる。
誰の声も聞こえないし、そうと知らずに返事もしないことが連日だ。

 私の母は事業を持っていてとても忙しかったので、自分は物語に出て来るような平凡で心優しい母親になりたいと心に堅く決めていたのに、元祖を上回るような非凡さだ。

「ひどいお母さんだと思ってる?」数ある愚行の上にこんなバカな質問までする始末だ。
「思ってない」
「本当に?」
「うん、本当!心配しないで」

 競技会やクラブで友達に大勢囲まれているような娘に行き合ったりすると、必ず娘の顔に一瞬の羞恥と歓喜が横切るのだ。
無口だからこの気持ちの説明がない。

Estas orgullosa de mi?
まさかと思ってと聞くと、こっくりとうなずく。

へぇ!誇りに思ってくれているの?...なんだかいじらしい。

●2002年09月17日(火)

強いフラメンコ/筋トレのパートU

 あんまり筋トレ、筋トレというものだからBBSに質問が来てしまった。
フラメンコで筋肉痛になったり、疲れきったりするのだったらもういいのじゃないかしら?
プロとアマチュアは絶対に違うのだから。
というと悔しがって俄然やろうとする人があるかも知れないですが、私は会社に行っていない。あなた達の多くは行っている。この時間差は越えられないです。

もしもフラメンコの他に時間が余っているなら是非、踊りの他に柔軟。まだ余るならバーレッスン。それでもゆとりあるなら、軽い筋トレ。この順番です。

 トレーニングって際限がないです。
つまり筋力アップ。筋肉をほぐす、リラクゼーションしないといけないとか、何をどの順番で、何を何時にやった方が効果的、呼吸するならこう、などいっぱいあります。
 気をつけないといけないのは、こういうことを勉強するあまりに頭でっかちになってしまうことです。

 科学的にはこうしないと、ああしないと、と整然としてあります。

じゃ、こういうのもああいうのもできない期間、又は都合の悪い日はやめてしまうか?やめちゃえ、どうせこの方法では効果ないのだから、て考えがちになります。

 全ての基本はなんだと思います?

「つべこべ言わずにやれ!」だと思うのです。
だから私も本当には朝一番でやらないといけないなどのメニューがあっても夜中の12:00にやることもあるわけです。
昔から真夜中にどうしても気になって寝られない、ということがよくありました。そういう時は何時だろうと起きて稽古します。精神的に落ち着かない場合、心に安定をやらないといけない。
それはどんな化学式にも書けない。
どんな理屈より勝るのですから。

逆に、どうしても忙しくて筋トレが出来ない。疲労困憊しているのに夜中近くなって決められたメニューをいやいややった、とある日トレーナーに打ち明けたら、そういう日は早く休んでしまいなさいって言われました。
びっくりしました。当然だな、と思って。

 一昨日実行したメニューでは、重くて全然頑張れなかった。
3セットと決めてあるのを、12,5,4回しかできないで唖然とした。
コーチに泣きついてどうしましょう?重さ減らしましょうとなった。
で、
重量をたったの2キロ減らしてもらっただけで翌日は10X10セットもできてまだゆとりがあったって、どう解釈します?
これ、報告できないなぁ、と実は困り果てているんです。

なんていうか自分の限界って全然わからない。

踊りだったら際限なく頑張れてしまう。

体育界系の頑張りになると全然自信がないし、本当に辛いのかなんなのかもわからない。どこに線を引くべきか全くわからないのです。
一昨日のは嘘じゃなかった。
本当は48時間空けることになっていて翌日にまたやってしまってはいけないのにちょっとやって見てしまった。そうしたら昨日の筋肉痛の残る体でいくらでもやれてしまう。
ん、もう!いい加減な筋肉ね!!
そういう気持ちで今朝は途方に暮れています。

10X10セットもやれてしまうのだったらやっぱり元の重さにしないといけないんじゃないのかしら。
重いのを数少なくやる方が、軽くしていっぱいやるより基本なんじゃないかと
思うのです。
毎日のように支離滅裂な結果報告して、最後にはコーチに捨てられてしまうかもしれない危険を犯してもメール出そうか、やめておこうか....
遠慮なくちゃんと報告してくださいって言われてもこの辺は微妙。
うじうじ.....

●2002年09月16日(月)

強いフラメンコー筋トレ開始


 この夏は実り多かった。
このところの疑問がみんな晴れた思いだ。

どういうレベルに行こうと必ずコーチなり、先生なり、高度な技術に精通している人のアドバイスが必要なものだが、出頭する場所を間違えると的確な助言が返って来ないばかりか、間違った道を指し示されて遠回りしてしまう。

 私の筋トレがそうだったのだ。
私がスペインで会員になっているクラブは大変由緒あるスポーツクラブで、ここは営利経営ではない。各界のベテラン(+スポーツもやる人)が首脳部にいて、会員が運営しているのだ。
平たく言うと、これを商売にして儲けようとしている人がいない。
泳ぐ弁護士や泳ぐ実業家や泳ぐ会計士や医者、泳ぐ技術者がどうせスポーツに入れ込んでいるんだから立派なクラブを運営しよう!というので1934年から運営されている立派でユニークなクラブなのだ。
水泳が主で、オリンピックの引退選手は各方面で会員として存在する。

 ここのスポーツジムでも、優秀な人がいるらしいのだけどどうもみんなで色んな事を言うので混乱してしまう。

マシーンを使っていると必ずと言っていいほど、そうじゃないよ!こうしないと!ていう人がいるのだ。
それなりに聞くと合理的でもっともな感じだけれどなんだかどうしていいかわからなくなってしまう。
バレエ教師の言う筋トレも、だいたいにおいて同じでも、細部で全く違う助言をする人がいるから、あの人とこの人とどっちを信じてやろうかな?
になる。

 さんざん迷った挙句、クラブの筋トレコーチではマルテイネスに勝るのはいない、とみんなが言い出した。
あの人にプログラムしてもらいなよ、と言う。
誰?マルティネスって?
おそらく顔は知っているけれど名前がわからないだけだ。
ほら、重量上げのスタジオに出入りしているこれこれの風貌の....

「ああーー!あの人?金髪の、あごひげの?」
「うん、そうだ、それそれ!」
「私、あんな人嫌だなー、信用できないぃぃぃ」

私が驚きを隠して気がすすまない風にしていると
みんなして何故だ、どうしてだ、マルテイネスはオリンピックだって二回も出たメダリストなんだよ、と言う。

えーーーー!?本当ぉぉぉぉ?あの人がぁぁぁ?
オリンピックねぇ.....

でも、やっぱりあのマルテイネスは嫌だ。

実はこのマルティネスっていつでも用もないのになんとなくあちこちに触れるので有名なのだ。
いやあ、しばらく!なんて言った途端にウエストが引き寄せられているって言う感じの、油断もスキもないタコなのだ。
落ち着いてダンベルも持っていられやしない。

真面目で清潔と言ったら日本人に限る。
それならダンベルを取り落とすこともないに決まっている。
これこそ、集中してトレーニングに励めるというものだ。

かくしてタコのマルテイネスには相談せずに
今回の夏の帰国で、三人の優秀にして清潔な紳士にプログラムしていただけた。うーーん、紳士ではありますが、その言葉でイメージするにはあまりに筋肉が強靭っていう...生徒はお姿を見て驚いてしまうような...。

 昨日は立てていただいたプログラムを実施してみた第一日目で、早速悲鳴を上げて修正をお願いする私のスタート。

根性はどうした?ていう情けないダンサーの私でありました。

ベンチプレスでもう、生きているのが辛くなるようなスタートでした。
明日から重さ4キロ減。(これでVセットやれなかったらどうしよう!)

フラメンコダンサー、「日本体育界系コーチに蔑まれ、疎んじられないで済むだろか編」を生きる今期の私であります。
皆さんのご声援とお慈悲を.......

●2002年09月14日(土)

すれ違いのバレエに思うこと



バレエサイトを準備していたお陰で、今までの気ままなだけの乱読から一歩踏みこんでなにもかも系統的に勉強し直している。
...と言っても学者じゃなくて踊り手のする事だから、その整然さもたかが知れているのだけど。

 私は告白するのに非情な苦しみを伴うのだけど、ヌレエフは生前に生の舞台を一度も見れていない。敬愛してやまないマヤ・プリセツカヤはスペイン国立バレエの芸術監督だった時期があったのについに見れていない。バリシニコフのホワイト・オークがセビリアの劇場にかかっている時には毎晩幕間に往復できてしまうほどの傍のタブラオで踊っていた。が、見ていない。

いつも自分も踊っていてどんなに見たい人の舞台も見れないことが多い。

 今こうしてあらゆる振りつけ家、ダンサー、ブロデューサーの伝記を追っていると無念さに打ちのめされる思いだ。
今、落ち着いて精読して行くと、専門のジャンルは違っていても彼らの焦燥や痛みは自分のことのように共感できる。
どういう無念さかというと、何らかの形で生きた舞台に馳せ参じることができなかった無念であり、もっと時間を都合できなかった無念さだ。もっと早く勉強しなかった後悔であり、反省だ。

少し自分を甘やかせば、つまりフラメンコでひとかどの物を手にすることに懸命で何のゆとりもなかったのだ。

 私のバレエ歴は長い。
フラメンコより古い。
そしてフラメンコより手にするのが困難だった。

永遠の練習生として余生も継ぎこもうと苦笑しながら考えている。
この経緯はいつか落ち着いて少しずつここで書き綴ってみようかと思ってもいる。
バレエは何度も何度も中断しなくてはいけなかった。
その度に一から始めている。

子供の頃の理由は両親の都合で、後にティーンエイジャーの頃は、経済的に続けられなかったし、プロのダンサーとしてデビューしてからは二つの稽古時間がぶつかり合ったために、常にバレエは「従」の時間割でフラメンコに主力を投入したためだ。

それでもいつでもまるで始めて習う時のような切ない、苦しいまでの情熱で胸が焦げそうになっている。

 バレエの教師は、「君の傍らを通るとその熱情がびりびりと伝わる。アキコ、アキコ、人生は長いのだから落ち着いて!」と冷やかすのだ。

 そうだろうか?長いだろうか。私にはすげないまでに短く感じるのだ。これ程の思いにも関わらず、思い通りに運ばなかったのだ。
茶番のようにすれ違ってばかりの私のバレエ歴だ。

こうなったらどこまでも諦めない記録を打ち立てるまでだと肝をすえている。
子供の時にできなかったあらゆるレッスンを死ぬまで追ってやろうと思う。

8才の娘がスペイン王立舞踊学校に今月から入学を許された。
私の無念さの、ささやかな勝利だ。

子供に私と同じ情熱と忍耐があるかどうかはわからない。
でも、これで仲間ができた。
この子と一緒に世界中を回ってやろうと思っている。

舞踊学校の待合室の母親にはならない。

彼女が留学したら私も留学する。
今まで培って来た全ての舞踊の知識と経験と何もかもを投げ出して
これから貪欲にフィニッシュを決めようと燃えている。
スペインを根城に、あらゆる国、あらゆる舞踊家にこれから会いに行くのだ。
どんな小さな工夫や秘密も嗅ぎ出してやろうと思っている。

もっと上手い踊り手になるのだ。
気分は上々。体力充実。胸は期待ではちきれそうだ!

●2002年09月11日(水)

フラメンコ的アイレで...イベリア航空妥当!

 
 帰国後の翌日(スペインに帰っても帰国!)心配のあまり憔悴してしまっているギタリストのトゥデラの奥さんに電話してフランスの彼らの行方と詳細を聞く。
 同じANAでパリに着いた後、私は15分で乗換えられたのに、彼らはどうしたのか?

 シャルル・ドゴールの職員にイベリアへの乗換えを聞いたのが運の尽きだったらしい。(私はANAに聞いた)
全然間違った方向に案内されてなんと外に出てバスにまで乗ってしまったらしい。おかしいというのでそこから引き返してやっとイベリアのカウンターに着いたのは離陸10分前だったと言うのだ。

 10分前まで私は心配して機外で待機していたのだから、いよいよ職員に嫌な顔されてもう、席についてくれと言われた数秒後に彼らが着いたに違いないと推察。

 そこでどんなに掛け合っても乗せてくれなかったというのだから怠慢もここまで来ると非情だ。
イベリアの機体を間近に見ていてドアが閉まったというのだ。

私にもういい加減乗ってくれと言ったのと、彼らにダメ!と言ったのと同じ女性だというところまで調べがついてる。
茶色の瞳の周りにソフトコンタクトがはみ出ていたあの人ね!!!

 お前達の切符は、オーバーブッキングだから他の乗客に売っちまった、とか、色々嘘八百並べられたらしい。次の便は火曜日までない。ホテルの世話なんかしてやる義務はない、....まあ、数え上げたら切りがないくらいの待遇だったらしい。こういう場合にきちんと対応してもらえる高いチケットが買ってあったのに。安いタリフのは買わなかったのだ、彼らのために。

ANAカウンターに行ってやっと翌日のロンドン経由を手配してもらえたらしいが、ホテルの主張はしなかったので自力でどこかに泊まったらしい。
それでもANAでなかったら見捨てられたままだったよ、と言うのだ。
話が前後するが二日目にセビージャの自宅から電話で本人から聞いたのはこの通りだった。

 ちょっと笑ってしまったのは、エンリケ・エストレメーニョとホアン・ホセ
、ボケロンもイベリアに拒絶されてこの、同じ便を逃したということだ。パリでフラメンコのアーティストが5人、とてもフィエスタでもやろうぜ、という元気なしに残された。
(この豪華キャストで何か一稼ぎできるくらいなのにね)
エンリケ・エストレメーニョとホアン・ホセ・アマドールは、私の長年のバック・アーティストで、ソロコンパスのホアナ・アマジャのCDで歌っている二人ですよ。
あはは...なんでぇ?どうしてバリで一緒に不遇に遭う?て、笑ってしまうのはイベリア以上に薄情だけど....可笑しいなぁ!男が5人そろって。
私は二人の娘を連れていたのだけど、この男達の手も引いてやらないといけなかったみたいね。やれやれ...ちょっと油断するとすぐこれだ。

 彼らを拒否して離陸したイベリアの第一声は、「この便は10分早くマドリーに着きます」だった。頭に来てスチュワードを捕まえて抗議したけれど、そんなのは俺の知ったこっちゃねーよ、というのを生意気な口調で言われた。どうしてそうに決まっているのにいつもまともな抗議をしようとするのだろう、私は!

 マドリーに着いてから彼らが次の便で来れる可能性が二つあるところまで突きとめた(実際は火曜までないと言われていた時分だ)けれど老けたバービー人形は子供の言だと分かれ際に舌を突き出したというのだ。つまり私があんまり専門的に突っ込むから。この空港職員の舌を出したところは私は見ていない。子供の目には油断したのかちゃんと見られている。

何か言う度にあなたはどうしてそう思う。最低乗り継ぎ時間についてどうして具体的数字を挙げたりできるのか、と逆に疑われる始末。このバービー人形はくし目をきりっと入れたブロンドの自慢の髪を揺らして意味もなく笑い顔を挿入して結局何もしてくれなかったのだ。最後に舌を出す以外にはね!

イベリア航空!
マドリー・セビージャ間は一時間も出発が遅れた!
私のアーティスト達は乗せてくれずに!10分稼いで出ておきながら!

この会社が何かまともな態度で真面目に困っているクライアントの世話を焼いたということが一度でもあるか?
この重大な赤字を抱えた半官半民の企業は、経営難を口にした途端に従業員が一斉に昇給を要求して一気に潰れそうになったのだ。

会社が潰れる前に取るだけのものは取っておこうとして。

経済学者が新聞に登場して本当にこの国は企業経営が難しいと嘆いた。
私達クライアントは、さっさと潰れてまともな外国航空会社が乗りこんでくれないかと大いに期待しているのだけど....。

セビージャに住む限り、この航空会社抜きのフライトはどうしても組めないのだ。無念極まる。

●2002年09月09日(月)

また引き寄せてしまった?ー今度はコンテンポラリー・ダンス


 帰りの飛行機はパリ経由だった。

 髪の長い金髪の、いかにも白人、まったくもっての白人!ていう感じのひょろりと背の高い男性が、同じように真っ白で金髪なんだけど目が黒くて愛くるしい赤ちゃんを抱っこバンドで一対になってうろうろしていた。

お父さんよりは赤ちゃんの方が目が黒い分、迫力がある感じだ。
お母さんと思しき日本女性がうちのアカデミーの笹岡インストラクターによく似ていたので、更に私の目は奪われがちだった。

座席が通路を隔てただけの隣同士で、うちの娘達を親しげに振りかえる、この女性はきっとお母さんになったばかりで、「子供が育つとこんななのかな、いいな」、と思っているのが察せられてお話をする機会になった。
「お嬢さん方はおとなしくておりこうさんですね。お幾つですか?」と案の定聞いてくれた。金髪の赤ちゃんは6ヶ月の男の子で、うちの子達に盛大な愛くるしい親しみの笑顔を振り向けるのでもう、娘達は傍から離れなくなってしまった。そうしてみんなで笑み崩れてお話していると、このご夫婦はコンテンポラリーダンスの踊り手だと言うのだ。
ああ、道理で....お父さんは職業不明。写真家か何かのアーティスト?と踏んでいたところだ。

 最近立ち上げたばかりのバレエ・サイトでは、コンテンポラリーになると詳述が難しいという辺りで筆を置いた。マース・カニングハムの辺りでぱったりなのだ。
 実は私はこの、マーサ・グラハムの高弟と言われた人(マース・カニングハム)に心を惹かれていたのだ。とても気になってこの続きを早く勉強しなくちゃ、と思っていたのがここ数日のことだ。赤ちゃんのお母さんの口からニューヨークでカニングハムのワーク・ショップにいました、と出て来た時はもう、仰天してしまった。

それからBBSでどうしてるんでしょうねぇ、バリシニコフ、という話題が出たけれど、この人の口から消息が聞けた。割と近年彼と仕事をしたということだったからだ。もう、洪水のように名前があらわれて、あとはもう、手帳を取り出してのインタビューになってしまった。

面白い対談をずっと続けたのだけれど、この女性は日本にいた時は私と同じ吉祥寺の牧阿佐美バレエ団に学んだ、というのでびっくりしてしまった。あの建物はもうないのかもしれない。私はあそこのジュニアクラスに通っていて、森下洋子さんの代教で教わったこともあったのだ。

 なんていうか、昔話のバレエには思いがけない接点があったし、彼女はその後アメリカに留学してニューヨークに出てコンテンポラリーに目覚めたらしい。ご主人はノルウエー人だというので風貌に納得。

ノルウエーはノルウエー語だから、こういう人に娘がみそめられると「英語、スペイン語、日本語圏から選んでよー、もう、語学嫌だからネー」と言っている私の主旨は変えなくてはいけなくなる....しんどい〜ノルウエー語!!

 赤ちゃんにおっぱいを含ませながら、おしめを替えに中断しながら、色々な興味深いお話をたくさんした。うちのBBSにそのうち来てくださるというので楽しみにしている。バレエサイトではヨーロッパを中心に活躍しているバレエダンサーとの対談記事も載せるつもりだったから第一号になりそうだ。

 なんていうか、人生は素晴らしい。驚きに満ちている。求めれば巡り会う。
...でもねぇ、こんなにいつもいつも考えているとぴったりの人にばったり出会ってばかりいるとさすがに驚く。

善玉コレステロールの数値が感動的に高いってお医者に感心されたばかりだけれど、どこかに磁石もついているんじゃないかとちょっと思ったりする。
また、ニューヨークに行けという人が一人増えたし。

とりあえずはここまで。お話の内容は5〜6時間にものぼるしね。

私は、無事スペインに帰りました。
唯一の心配はヘスースとトゥデラがパリから先、同じ飛行機に乗れなかった事。今日あたり別便で帰るかなぁ、どうしちゃっただろう....乗り継ぎが一時間しかなかったんですよ。成田で遅れて。さんざんだったかしら?
心配。

●2002年09月01日(日)

模範プログラム

 もう、発表会まで一週間を切った。
...とこう書いただけで胃が収縮しそうになる。とにかく、コンパスを外すな、というのがうちの最小にして最大のハードルだ。
何はなくてもこれだ。

 二年前の会では出演者の誰一人として外さず、多くの関係者が驚嘆した。二次会にまで参加してくれた高橋英子が感心して生徒を祝福、ねぎらってくれていた。
今年はどうかな?
うちのカリュラムが相当レベル高く、きついのはこのハードルが特徴なのだ。みんな頑張って頂戴。期待しています。

本日の午後は「発表会後」のカリキュラムの相談をする。マネージャーやインストラクターと会議だ。全クラスの12月までのプログラムを来週には完成させて残して行く。上級。中級には指導用のビデオ録画も済ませる。
会の後のみんなの虚脱状態を許さないためだ。
本当に真面目なスクールだと、さすがに呆れる。

昨日は子供クラスの成績表まで出した。
下は4才に至る全部の生徒のクラス状況は、2週間ごとに全員の分が担当のインストラクターからスペインの私に届く。
コメントと指導についての返事も出す。
留守を預かってくれているインストラクターは本当に真面目に努力している。これで不満だったらいつでも退会してくれと堂々と言えるのだ。

集中レッスンの期間中は上級インストラクター以下全員が毎日、自分の生徒達と混じってクラスに出ている。
とても好ましい。
芸を習得しようという人はこうでなくてはいけない。

明日はスペイン人のアーティスト達が到着する。
私は自分の当日踊る曲の合わせに、上級生の見学を許している。
どうやってバックアーティストに説明し、どういう勘違いを是正するのか、という過程をちゃんと教えるためだ。

自分の思い通りにならない時にどの程度妥協すべきか、その妥協がどういう思わぬ効果になるのかも、生徒には説明する。

私が思い出す限りの記憶をたどっても、普通、先生というのはこの過程を絶対に生徒に見せない。ちゃんと踊り込んでからでないと失敗するかもしれない過程は誰の目にも曝さないものだ。

私は自分を解剖台に乗せて生徒に説明する。
自分に教師の適正があると信じるのはこの一点のためだ。

踊りと関わってきた全ての疑問と失敗を率先して生徒に教える。
今回は、計らずも帰国以来の多忙で、いつもの自分の稽古が何もできていない。これはとても苦しい。
金曜の晩はこの状態で踊らないといけない。
そういう、いつもに似ない環境と条件でどこまでカバーできるか、あるいはできないかの証明になる。
私の模範演技、模範プログラムとはそういう全てを含んでいるのだ。
しっかり見て、これを踏み台にして欲しい。

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