●2001年10月31日(水)
【残念なことなど....思い出される夜更け】
引き続き、本の見直しをしている。 史実の食い違いがないように更に文献を漁っている。 果てしない作業だけれど、今日は何度も胸に迫って来る思いを耐えるのが難しかった。 アントニオに関する著述に目を通していた。 この人がどんなに素晴らしい踊り手だったか、どんなに言葉を尽くしても言いきれない。 どんなに心からの賛辞を贈っても十分とは思えない。 同じセビージャに住んでいながら、どうして晩年のこの巨匠をたずねなかったのかと悔やまれる。 あともう数年長生きして欲しかった。どんなに素晴らしい舞踊談義が聞き出せたことだろうか....98年に亡くなっている。 アントニオは真の天才であった、今日読んだ本はこういう叙述で始まっていた。まさしくその通りだ。 天才であり、生涯その天分を発揮し続けた人なのだ。 あの、匂い立つような気品と男性美。マヌエル・デ・フアジャの作品をあれ程見事に振り付けた人はかつてなかったのだから。 今も誰も踊れないだろう。 私はこの人の舞台を見ている。一足遅れて生まれて来たらこの栄誉に浴することができなかったに違いない。 アントニオに目が釘付けになって、エンリケ・エル・コホを書き忘れていたことに先週気がついた。 1912年生まれの、このセビージャきっての巨人は長寿を全うし、 私にはあまりに身近だったので、20世紀初頭に生まれた人だという気がしなかった。 ついこの間までそこいら辺で会っていたのだもの。 ラジオのフラメンコ番組に一緒にゲストとして出たことがある。 留学生としてこちらに渡ってすぐのことだ。 「あなたにとってフラメンコとは何ですか?」という質問をされたのだ。 ああ、困ったどうしよう、と弱り切っていた私に、「フラメンコとは、かつて踏み入って未だ出口を見つけられない道なのです」て、言いなね、とエンリケに言われたのでした。 おお、まさにその通り!それそれ、それが言いたかったの! 大喜びしてスペイン語でぶつぶつ練習して本番に備えていたら、 アナウンサー始めスタッフが苦り切った。 「だめだめ、そんな練習したセリフなんて!」とNG出され、 えー!?でも、私これ、言いたい!....で、言わせてもらえなかったのでした。 何を言ってお茶をにごしたのかさっぱり思い出せないのです。だってエンリケがちゃっかりこのセリフを自分用に言ってしまったのだもの。 そしてぐぐぐ...と泣いたのでした。 びっくりしてしまった!さっきまで冗談ばっかり飛ばしていたのに。 そうしてしんみりして、みんな、「エンリケ、お願いもう泣かないで..」などと言ってですね、すごい感動的な感じで番組が終わったのです。 巨匠、エンリケ・エル・コホ!その純粋なる心はフラメンコへの限りない求道とたゆまぬ.....どんどん出てきてしまう、この感じで終わったのです。 私は呆然。だってぇー、ほんの二分前まで冗談ばっかりよ。 それなのに突然泣いたりして..... でもまだこの後があるんですよ。 録音が終わって、スタッフも軽口なんかたたいていると、突然、お前等はなんだ、ろくなギャラも払わないで、オレはもうこれ以上は何もしゃべらんぞ!ケチ野郎ども!!(...まださっきの涙、くっついてますけど?) ブースの向こうに向かってわめき散らしたのでした.... 私はあっけにとられてしまいました。もう、わめいてわめいて大変!わめいて笑って、笑ってわめいて。 エンリケは、お金にものすごく汚くて有名だったし、この番組でもスタッフの女性が「エンリケ、どうしてあなたってそんなにお金に汚いという悪名が高いの?」て聞いたのですよ。言う方も言う方よね? スペインに行って最初の、そして最大のショックでしたね。 だからこの方が舞台に現れて、感激のあまり僕は泣いちゃいます、みたいにして踊ると、観客は総立ちになったけれど、私は以来、全然虚心でこの、みなさん絶賛の巨匠を見ることができなくなってしまったのでした。 ついに本当にそんなに素晴らしいのか判断できないうちに亡くなってしまいましたよ。だっていつでもこの調子の人だったのですもの。三重人格みたいな。 スペインの巨匠と言われている人というのは、日本人の単純な頭と心ではつかみがたいものがあることだけは確かです。 もう一度、見てみたかったと思う人ではあります。今ならその芸を正しく評価できたかも知れないのに。
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