●2009年10月27日(火)
思い出し笑い 留学生で来た80年代のスペインでは まだフラメンコは黄金時代の泥臭さを残していて なんとなく荒削りのフラメンコアーティスト達が いい感じでごたごたになっていた。 最近のアーティストは高学歴も多くて ー高校卒業とか ま、中学のことー 大卒までたまに居るから 大昔みたいな 派手な喧嘩やカルメンのワンシーンみたいな ああいう二手に分かれての大騒動みたいなのはないみたいだ。 私がタブラオに出ていたころは あった。 あははははは.... どんなに驚いたか想像がつきますか? 何しろ短大出たてのお嬢さんだったし 今見たく面の皮も厚くないし それにスペイン人ったって 日本人ほどでないにしてもそこそこに文明国なんだから ちゃんとしていると思い込んでいたのだから まぁ 驚いたのなんのって! 初めはスペイン語がよく理解できないために 誤解しているのかなぁ なんて善意に解釈したりして そのうち この生粋のジプシー達は このように見えるありのままの人々なのか、と 分かってみれば えらいとこに来ちゃったなと つくづく思ったものでしたよ。 それから90年からこっち、 一般のスペイン人達と付き合うことになると フラメンコの世界の人々と 教育のある一般の人々としてのスペイン人との差が 非常に大きいと感じます。 そうしてスペインというのは教育格差がずいぶんとある国だと 気づきます。 私が年中一緒だったがらっぱちみたいな人は 一般の高学歴の中には滅多に居ないし あっちで使っていた語彙をこっちでうっかり出してしまうと ひんしゅくを買ってしまう。 スノッブな人も多いんだなぁ と思います。 この二つの世界に足を一本ずつ入れてしまっているのは 子供が居るからですね 子供はお上品な学校に行っている その系列の人間関係には フラメンコとは少し遠い人が多い。 あらためて考えてみると 自分が育った環境は この少しスノッブな人たちの雰囲気なのではなかったか? ここで居心地がいいかと言えば 実はそうでもないのです。 あの感情のむき出しの世界、 あれは自分と関係ないかというと とんでもなく、あれこそは私の 文明で飼いならされた、人として調教された人格とは 別の、私の一種の残された野生が共鳴する世界ではあったのです。 みんな知性とか教育とか教養、文化については よく口にするけれど 瑞々しい感情の発露というのには あまり光を当てない。 感情の発露。 これこそ私には フラメンコという媒体が 他の何よりも自分にしっくり来るのです。 二つの世界を行き来して こういう感想を持ちます。 では、良い一日を!!
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