●2005年11月27日(日)
全然取れないフラメンコ よく掲示板で振りが取れないのですぅ、という質問があって しかつめらしく答えていたと思うのだけれど、 今をときめく男性フラメンコのクラスに出たりすると、私がこれになる。 回答者ではなくて悩む方。 膝に悪い、腰に悪い、足が太くなる、というテクニックは全部避けてきた。 その「総悪いシリーズ」の連発なのだ。 コンパスは限りなく複雑で、 これをしていると上体が何もできなかったり そんなところでスカートを離してやれない腕などが続出している。 こういう所でことごとく考えるから取れない。 何とか取ったとしよう、でも、私はこれのどれも踊らないと思う。 一体、これはどういうことなのかな、と少なからず考える。 煩悶する。 昨日、ホセ・ガルバンにたずねてみた。 すると... 「僕はうちの子供達のクラスに出ると一つも取れないよ」、と渋い顔して答えた。 昔、パストーラが「うちのパパは何にも取れないのよ」、という可笑しい台詞の裏書ができた。 小躍りしたいくらいに嬉しくなる。 「でも、ホセ、どこに行っても日本人が過半数で みんなそれは良く取っているの。本当に驚いてしまうわ。 どうしてあんなにすんなり取れる? なんで私とかあなたは駄目?」 −少なからず劣等感を感じてしまうのだー 「簡単だよ。あの人達はあれが最初で僕らみたいにフラメンコ・プーロやってないから。真っ白の頭の中にあれだけが疑いなくある。あれだけがフラメンコだから目の前の皿を食べる」 ああ、そうか... 「それに日本人にはあれのがきっと簡単だよ。」 意外!! 「簡単???まさか」 「いや、簡単。足だけに追われて上体とか曲線を描く暇も要求もされない。日本人は棒状に立った形しかできにくいから、あれだとそれで済む」 なるほどーーー、私は曲線の人だから、入らないところに入れようとしてことごとく遅れるのね! ホセ、とにかく何年かはやってみようと思ってるの。 でもね、歌が始まって、ギターが鳴ると、私はあれらの一つもできないと思う。自分の中のフラメンコに対する感情が ああいう振り付けには伴わないのよ。 フラメンコが始まると、すっと出で来るのは 自分の心の中に沁み込んでいる いつもの自分の生きた時代とアーティストの香りのフラメンコなのだ。 なんだか随分遠回りをしたけれど、 これは真実の芸なのだと実感している。 夕べ、自分のソレアにアンドレス・ペーニャに振付けられた 何か一つでも入れてみようと二時間も苦戦したけれど、 結局ただの一コンパスも入れられなかった。 それがやりたい感じに気持ちが高まらないのだ。 来月はもう、こういうのはやめないと。 自分の糸でちゃんと全部紡ぐのだ。 勉強は一月の公演後まで中断。
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