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2009年11月のセビリア発信・つれづれ草
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●2009年11月30日(月)

だれ犬の週末

一週間の不勉強が週末に山積みになって
土日はしっかりやらねば!!なんて思っていて
金曜までにノートもいっぱい集めて完璧にしておいたのに
ずうっと やらなきゃと思って焦るだけで
ついに日曜の夜遅くまで取り掛からなかった。

この焦りと 怠けと後悔は
いつか来た道♪〜〜〜〜て感じです。

今これから五分で学校に行くのだけど
つれづれの更新もしていなくってきになって仕方ない。
いつも頑張っている健気なわたくしでございっていうのをやめて
こういう私も晒さなければ!!

今日は地理だけれど全然予習していない。
私は地理とスペイン語のつまり国語で今度の試験は落ちるだろうと思っている。地理って凄く大変。
全部が専門用語なので暗記に次ぐ暗記。
適当な解釈はさんで底上げしたり膨らますインチキが通用しない。
そういう意味では数学的だ。
気圧配置とか外気圧とかそんなような言葉
日常で絶対だれかと話さない用語のオンパレードなので
これならタイ語を習ってますっていうのと同じ困難さ。
この現象を説明せよ、なんていうともうただのスペイン語ではなくて
辞典なみの堅い言葉だから暗記も大変だ。
これ、とても四月までに物にならない。
来年だつたらなんとかなりそうだ。

スペイン語の解釈もそりゃあ試験だから
一ひねりも二ひねりもある引っ掛けるようなのが出る。
難解この上ない著者の評論などで目が白黒する。
これもその辺の教養あるスペイン人に見せてもみんな驚く。
自分も及第すると思えないというので余計に暗くなる。
ま、これも来年にはなんとかなるかな。

けれども こういう五教科をすらすらこなせるようになったときには私のスペイン語は 博士論文が書けるくらいになっているんだなと思う。
いつかはこの最後の仕上げをしようと思っていたので
これがそのいいチャンスなんだと思うことにする。

そうしてこの後大学に入っても 通常の単位の取り方だけはよそうと思う。ヨーロッパの大学の必要単位数というのが凄まじく多く
240単位なんていう凄さだ。
これは文字通り 本を主食にして生きないと足らない。
倍の年数をかけて終えようと思う。
そうでないと何もできなくなってしまう。

ま、こんなことが分かりつつあり
これは新鮮な発見で
げんなりしても そこに楽しみを見出しつつ
私は自分のスペイン語の能力に仕上げをかける。
これは 留学生の最終コースと言えるのではないかと
感じている。
幸福なことだと 感謝しなくてはいけない。

毎日を感謝の気持ちで 心の中を清浄に。
では、行ってきます ぼこぼこになる地理であります~~~~
皆さんも良い一日をね!!!!

●2009年11月27日(金)

ガリレオ・ガリレイー急ぎ調査

(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)イタリアのピサ郊外で音楽家で呉服商のヴィンチェンツォ・ガリレイの長男として生まれる
イタリアの物理学者、天文学者、哲学者である。地動説を唱えて終身刑となり、教授職など全ての職を剥奪され、最後には両目とも失明してカトリックでは埋葬も許されないまま 名誉を剥奪されて亡くなる。

パドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称され、フランシス・ベーコンとともに科学的手法の開拓者としても知られる。

1633年
第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、終身刑を言い渡される(直後にトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑)。


裁判の検証 [編集]
この裁判には疑問が多いことから、20世紀になって検証が行われた

ローマ教皇庁の対応 [編集]
1965年にローマ教皇パウロ6世がこの裁判に言及したことを発端に、裁判の見直しが始まった。最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオの死去から実に350年後のことである。

2003年9月、ローマ教皇庁教理聖省(以前の異端審問所)のアンジェロ・アマト大司教(Angelo Amato )は、ウルバヌス8世はガリレオを迫害しなかったという主張を行った。

2008年1月16日の毎日新聞によると、ローマ教皇ベネディクト16世が17日にイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学での記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言したことに学内で批判が高まり、講演が中止になった。

なお、その後ベネディクト16世は2008年12月21日に行われた、国連やユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績を称え、地動説を改めて公式に認めている[2]。

...................

娘が学校の行事の一つとして 今日、ガリレオの劇を見学してきて
記憶がうる覚えだった私に
この17世紀の天才的な学者の無実が認められて正式に裁判の無効が言い渡されたのは昨年のことだと教えてくれたのでびっくりした。

 調べると上記のようにその死後350年経ってから許され、裁判の無効が証明されるのは更にあとでたったの
私達にとっての去年だと言うのだ。去年!!

驚いてしまった。

なんとまぁ、言葉もありません。
胸の痛む今日の私です。

ガリレオさん、本当にお気の毒でした。

二人の娘は幼いうちから修道院に入れられて
ついに二人とも修道女として生涯を終わる辺り
今度もっと詳しく知らなくては、と宿題が残ります。
子供のときに当然習ったことでしたが ここまでは知らなかったです。多分 授業をしてくださった先生もご存知なかったんでしょうね。2008年だなんて、いやぁカトリックというのも情の強いもんですね。誤りを認めるのは 難しいのでしょうか

そういえば 魔女狩りなんていうのもありました。
しかし 西洋もなかなかどうして野蛮なものです。
そう思いませんか?

ということで今日は 堅いお話のまま おやすみなさい


●2009年11月24日(火)

ふえーーーーー!!

いやぁ 大変です。毎日一教科三時間の講義があって
ディクテーションも結構きつい。
つれづれが気になっても 勉強の事書くのが気が引けて
それに時間も無いしで 更新できないでいました。
でも、こういうスペイン便りも面白いに違いないから
なんとか書くことにしますね。

結局どの教科でも スペイン語なわけです。
英語は英文解釈だけしかないそうで 英語のテキストが例えば新聞記事とか文学とかが出る。読むと全部分かる。軽いと思いきや
これをスペイン語に逐語訳しないといけない。
ここで同じ意味の同じニュアンスの言葉を書かないと減点になるわけですね。
これが大変だ。減点式なんです。私にとってはどれもスペイン語の試験に該当します。

でも全教科やってみて一番どうにもならないと感じたのは地理でした。低気圧の定義をせよ とかそういうのが出る。緯度と経度を説明しろと言われて これは話し言葉で説明しちゃだめなわけです。
技術専門用語でやらないといけなくて こういう地理のボキャブラリービルディングが一度に20も30も出る。
スペインの地質について、山脈と海岸線と降雨量とか そういうやつが 今まで翻訳だってやったことがありましたが お天気おばさんになれるほどじゃないから もう知らない言葉、聞いた事も無い言葉のオンパレード。

あとはこれらの定義だから 本当に難しい。低気圧がどうした前線がどうしたとかこの現象を説明せよ、なんていうのは私は今年の春までに出来るようにならないですね。

あとは言わずと知れたスペイン語文法。これが結構嫌だ。
毎日一教科に三時間ずつ進んでしまうから 本当にあっぷあっぷになってしまう。週末に勉強しただけでは間に合わない。

偉いことになっちゃったなぁ と言う感想です。
それと昔子供の頃に勉強していたような集中力が無い。

何時の間にこんなにダレ犬になったろうと呆れてしまいます。
すぐお茶なんか煎れに行っちゃったりして がーーーーっとやらないんだな。
五ヶ月でものになると思えないくらい難しいです。
まぁ 浪人でしょう。
来年までかかるだろうという気がします。

でも、ここ何年もこういう勉強をしたことがないので
さび付いた頭をメンテナンスするためにも 私はこれを真面目にやろうと思っています。
宿題をやり遂げるまで夜中までやるってことだけができない。
寝ちゃう。ここが真剣みの限界かなぁ。

ま、趣味でやる勉強なんだから これくらいで勘弁して欲しいですね。何にでも全力投球はできない。唯一できるのがフラメンコだけですね。あと、日本の将来。これは同じように守ってもらった幕末、明治、敗戦直後の偉い日本人達に顔向けできないからです。

フラメンコと日本。

さあてと、宿題はやってから寝よう! 笑

●2009年11月18日(水)

いよいよ予備校

はぁーーーーご無沙汰しています
月曜から予備校に通い始めたので
まぁ もう忙しいのなんのって なんか息つく間もないくらい。
どうして私はこういう過激な生き方しか好きじゃないんだろうと
つくづく思いますね。

簡単だから大丈夫だからって 予備校の事務で言われて
そうかなぁと半信半疑でいましたが
第一日目の地理が三時間、始まってみると
えらいこった!!

もう普段話さない地理用語だらけでね、目が丸くなっちゃいましたよ。日本語でだって言うじゃないですか リアス式海岸のなんたらかんたらで、なんていうのでしたっけ今から100万年前の地層のこととかその材質が何とか いやーーーーもう大変なの大変でないのって、ノート一つ取るんだって私が一番苦労している。

これ、四月の入試で暗記できると思えない。
おまけに私はみんなより一ヵ月半も遅れて入ったので
どさーーーーっと終わっている教材渡されて途方に暮れちゃう。

今日は英語だから 一息だろうと思ったら、英文解釈しか出ないのだと知る。つまりスペイン語に訳すだけ。その反対の作文は無い。
これは大変だ。
スペイン語が完璧でないといけない。
英文読んで全部分かるのに スペイン語の語彙が足りないとか
つづり間違えちゃうとかで減点になってしまいます。

大体においてはできそうなのですが 日本語の訳語は知っていてもスペイン語で知らないのが そりゃあ、ある。

つまり五教科の全部が私にはスペイン語の試験としてのダブルパンチなんですよね。これ、猛勉強しないとクリアーできないですよ。
もう、いいや この四月で駄目でも来年もやろうって気がしています。早くも諦めるのかというと だってどの教科も持つのが嫌ってくらいに大きくて凄く思い本なのだ。

これ全部暗記かえ?

すぐ諦めちゃうな もう。
メソポタミアなんかをスペイン語で暗記する。おエーーー大変。
けれども これ、急いでやらなくていいのだったら結構面白いです。中々いい勉強だと気に入っています。
地理の用語がどばっと増えるのは楽しいし
海底の山脈の続きとかを知るのは驚きだし興味深い。
みんなは受験として速記しているけれど私はいちいち感心して驚くので先生が笑う。

今日の英語なんてスペイン語の作文って気がしました。
若いカッコいい男性の先生ですが そうかなるほどむしろスペイン語の添削になっちゃうわけかと 僕気を入れて見てあげるよということで スペイン人だからこの調子で四ヶ月続くか疑問ですが
まぁ スペイン語の勉強として地理、世界史、美術史、英語、スペイン語文法を勉強すると思うと結構ぎっしりしていて楽しいです。

ま、暗記と思うとぞっとしてしまうので 好きなだけ予備校に行こうと思うことにすれば 楽しいです。

とは言うものの 行くだけでせいいっぱいで予習復習が全然できない。一日って本当に短くてなんにもできないとつくづく思います。
やりたいことは沢山あるんだけど 一日は12時間くらいしかない。
正味時間は、六時間くらいですよね

さぁて、明日はスペイン語文法と長文解釈です。
どうなることかなぁ....

では、皆さん、難しいことに挑戦しましょう!!
生きてるって感じです。やれるだろうか、という不安な気持ちこそ
人生を明るく彩る秘訣です。
楽しいときはなおさら、辛いときこそもまた、難しいことに挑戦しましょう!!!

人生は いいものですって。あははははは げーーーぐるじいーーー

●2009年11月12日(木)

予備校

その昔、タブラオにデビューして10年選手になる一歩手前、つまりプロデビューして八年目に「知的生活への渇望」に苦しんでいた。
フラメンコのジプシー達との生活に疲労していたのだ。

この辺の経緯を説明すると一冊になってしまうので 後日に譲るとして、私は自分が受けてきた高等教育を絶対に否定できないことを身を持って知ったのだ。

つまり自分を取り巻くフラメンコの人々とは芸で繋がっていても もっと様々な文学とか世界史とか時事とかそういうものとかけ離れて断絶して生きていることの辛さが少し身に沁みて来た。
身に堪えて来ていた。

誰も自分の慣れ親しんだ環境を忘れられないように、
懐にナイフを忍ばせているような人々との緊張感から開放されたかったのかも知れない。

そうして夜はタブラオで踊り、朝はセビリア大学に通い始めた。
昼は稽古。ふうーーーー大変な毎日だったなぁと今になると少し呆れるのだけれど、自分の半生を振り返るとどのページもこんな風なごった煮なのだ。

私と言う人間は 常にこのようにして生きてきた。
それが自分への活力だったし、夢だったし、生きがいだったのだろうと思う。

私は短大の卒業なので四年制大学への編入の手続きが必要だったのだけれど、スペイン側の手続きが実にもたもたしていて要領を得ない。どのくらい学部の事務局に足を運んだか知れない。

当時はまだ スペインというのが全てこうだとは認識していなかったので この手続きに二年余りかかった辺りで頭に来てやめてしまった。
正式の手続きもしないでどうやって授業に出ていたかと言うと(笑)英文学の先生に事情を話してラチが明かないのだというと
構わないから 出ていなさいと言って頂けた。
お友達まで出来てしまって それなりに楽しかったのだけれど、あんまり手続きに手間取るのでそのうちに妊娠してしまった。

マンモス教室の真ん中あたりに席を取っているとつわりで気分が悪くなることが続いて お友達も「つわりだと思う」なんて言うと
驚きのけぞるので あはは、大丈夫よ結婚してるから、なんて言い訳もしたりして、ここで私の知的生活への渇望はちょっと頓挫してしまう。いや、お腹がせり出した五ヶ月までまだちゃんと入学して博士号まで行こうと思っていたけれど 大きいお腹でまだ学部の事務局とすったもんだしていて嫌になってしまった。
後で分かったことだけれど セクレタリーが私の書類一式を机の引き出し奥深くに仕舞いこんで教授会にすらかけなかったのてだと知るのだ。なんという国かと、国立大学でこれかと....で、頓挫です。


この時のつわりの子供が今年、セビリア大学の法学部に無事入学すると じゃ、私も例の一件、再開したいなと言う気持ちに傾き始めた。スペインの事務のいい加減さにも慣れたし、こういう国なんだから仕方ないさ、と思えるくらいに私も日本人離れしてきたし。

またもや 知的生活空間への憧れ。渇望。
昔、不足していた色々な書類の外務省の証明とか 今度は一発で受けてもらえるだけの準備はしているのだけれど 万が一に備えて「大学入試試験」も受けた方がいいと知り合いの教授に説得されている。来年の四月に国立大の入試がある。これ、受けておきなさいって言うのだ。また編入には時間がかかるし卒業単位の吟味にも時間がかかるから 兎に角入学してもう何か勉強していなさいと言うのだ。

この年になって又入試から始めたんじゃ 命が終わっちまうぜ、と
これだけは嫌だと思っていたのだけれど だって五教科も試験がある。けれども いや、この際だから子供が通った難関をトライしてみるのもいいではないかという気持ちに傾いた。
英語、スペイン語論文、スペイン語文法、地理、世界美術史
この五教科を突破しないといけない。
ここだけで二年かかるんじゃないの?という感想を持つけれど
セントロにちゃんと予備校もあるからいきなさいと
ロドリゲス教授は勧める。

そうして私は どこから時間を捻出しようかなと困りながらも
月曜日から予備校に通うことにしました 笑

四月に合格できるだろうか....物凄い分厚い本達なのだ。
スペイン語、完璧になるんじゃないでしょうか。
今度こそ 頓挫しないで頑張ろう、そんな気持ちです。

●2009年11月10日(火)

スペイン内戦からこっち

最近、子供の教育の変遷を考えていて
スペインの近代というものを長いスパンで捉えないといけないなと
遅まきながら気がついた。

スペインは内戦があって、その後国土疲弊し、経済は破綻し
世界からのけものにされてフランコ独裁政権がずうっと続いた。
日本の高度成長時代にスペインはずっと独裁政治のぱっとしない国であり続けた。これが社会面ではスペインをずっと古風にしていた。
父母を敬い、礼儀正しく、目上の人に敬語を使い、という
なんていうか昔の日本と共通する そういう社会が私が留学した80年には 色濃く残っていたのだ。

先日、1932年生まれの老人とこの件をお話しできた。
ほとんど100年近いスペインの歴史の証人みたいな人と色々な社会の移り変わりを
まるで今目の前で映像で見ているようにしてお話を聞いた。

すると私がバービー人形で遊んでいた時代に
スペインにはこんなお人形はなくて、とにかく物資が何も入ってこなかったのだと聞かされた。
スペインは停滞した経済の中で 古風に生きていた。
これは 極端な物不足と質素を強いたけれど
物が無いっていうのは 若い人を堕落させなくていい面もあるなと
私は思うのだ。

今は この物不足であえいだ人たちが親になって
もうスペインはECに加盟してすっかり周辺諸国と物質的な豊かさが同じになったから もう我が子には何でも与える。
自分が持てなかった全てを与え尽くす。
これが 一昔前のスペインの若者より格段に質の悪い若者を作ってしまうのだ。

私は日本のことは逆に良く分からないのだけれど
スペインの若者は ちょっと前の子達よりずっと何もできない。
だいたいが 王立音学院が20年前には願書が裁ききれないくらいに人が入学したがったのだけれど 最近の若い子はあのような情熱が欠けていて お陰で楽器がやりたいと思う中高年は結構楽に入れると言う。
うちの窓を直しに来たアルミ屋のおじさんが 商売の片手間にバイオリンを習いに行っているというのだもの。もうじき音楽博士かなんかになれるらしい。このおじさんが、今の若い子は10年もバイオリンをやろうという根気が無いよ、最近の子は何にもやりたくないんだから、と言う。

それはちょっと言い過ぎだけれど 昔はあまり行かなかった大学にみんなして行くようになって来ているので とにかく勉強さえすればもう何もしなくて良い、みたいになって来ているかもしれない。

物が豊かだと 何故か人は結構薄情になって根気続かず
思いやりが欠けるみたいだ。
ちょっと貧乏な家で家族が愛情で繋がっているっていう
そういう環境に素晴らしい人格が割合と育つのかなと
まぁ貧乏はいいものではないのだけれど、どうもなんでも足りてしまっているとろくなことにならない。

この匙加減の難しさと言ったら、ない。
人が育つ環境の様々な要素の なんと難しいことかと思う。

●2009年11月06日(金)

スペインの変遷

外国にちらっと出かけると それはその場の印象だけを抱えて帰ることになります。
三年暮らせば 三年の流れが見えます。
五年暮らすと違いが分かってきます。
10年一昔と言いますからこれだけ長く暮らしていると
その国の歩みというか 変わって来ている社会の流れが
見えます。

そういう意味で、日本にいたときより長いスペインでの生活は
私に色々と感慨深い思いを起こさせるのです。

スペインは変わった。

それはそうでしょう、日本だって昔の日本ではない。

スペインのどこが違って来ているかというと
アメリカ化というかアメリカへの傾倒というのが
若い世代に見えます。
どの若い世代かというと自分の娘の世代をじっくり見てますから
聴く音楽 みんなアメリカの物ばっかり。
これをMP4に入れて闊歩している。

それから夜の外出が当たり前になりつつある。
私がスペインに渡った80年代というのは
スペインはまだまだ親が強くて びしっとした教育をしていた。
それなのに 一体いつから今のようにティーンに甘くなったのかと呆れるくらいに、15歳くらいから週末にディスコに出かけたりする。昔は夕食の時間には家に帰っていないといけなかったはずなのに ここ数年、若い子達が真夜中の12:00に待ち合わせして午前様をやるんですね。
私はこれは どうしたことかと驚きます。
今、ティーンを抱えている親達は、自分が未婚のときに
絶対にこんなことは許されなかったはずなのです。
ですから甘くなったのは この世代が親になってから初めてなのです。
これは何なのかと思います。

スペインっていうのは死刑が無いので
連続殺人事件を起こしたようなのが 恩赦で平気でシャバに出てきます。そうしてどこに出没するかというとディスコに勿論行くわけです。15歳だの17歳の娘達を持っていて12時に友達と待ち合わせて
出かけていく。シンデレラと反対に。

日本の親もだらしなくなったけれど
スペインも私なんかにはどうしちゃったのかと呆れます。

学校の送り迎えまで毎日やっていた親が
突然 手放しになる。
これって酷いですね。物をどんどん与えるし、門限なんて無いも等しい。ほんの少し前のスペインでは 未婚の女の子には必ず誰かが付き添って行かないと外出も許されない古風な国だったんですよ。

どうしちゃったのかなぁ、スペイン

●2009年11月04日(水)

マイケル・ジャクソン

マイケルの亡くなる前日までの練習風景が収められた
話題の映画が 九月に入ってもちっともスペインで封切られなくて
もう これはもしかして来ないのかなと思っていたら
突然先週末に家の近くで出ていた。

おお、いつから出ていたのか分からないから
早くしないとまた忽然と消えてしまうのではないかと
恐ろしいような気がしたものだった。

私は と言えば何だか風邪を引いてしまって頭は重いし
胃腸は様子が悪いし
寒気はするしで 最低の体調だったけれど
ポスターを見てからは一日中気がせいて仕方無い。

どうしようかなぁ.....と迷いつつも
翌日消えてなくなっている恐怖に勝てなくて
ついにこの体調が最低の今にも熱が出そうな
そういう晩に しかも映画の最終回の夜半に
のこのこ一人で 観に行ったのだ。
映画を一人でもかまわず観に行くなんて
もしかして生まれて初めてかな とぼんやり思いつつ。

リハーサル風景というのと
なんだかやたらと手回しのいいソニーピクチュアの商魂とで
少なからず気分が悪いと言うか 最後まで他人に食い物にされ続けるのかというマイケルの痛ましさとで 映画の封切りにはいい印象がなかったのだけれど あまりに早い死に一目会いたい気持ちが抑え切れなくて画面に期待して座ったものだけれど
始まってみると記録映画以上の出来と
ああ、なんと才能のある人だったかという無念と憧憬とで
発熱一歩手前の私の胸はじんとする。

生前の出来上がった完璧な録音やDVDからはうかがい知れない
マイケル・ジャクソンの絶対音感というものが リハーサルの中ではっきり見て取れて圧巻だった。
全身全霊で指揮をする その表れが彼のあのダンスなんだということが良く分かる。
バンドに注文つける時の口三味線というか擬似音の素晴らしい正確さ、凄さが何回もそこだけ巻き戻して見たい欲求に駆られる。

気がつくと映画館の座席で「オーーーーレーーー」なんてツブヤイテいるんだな、両脇の人の思惑なんかどうでも良くなってしまって。
それでいて終始 悲しい気持ちが付きまとっている。
マイケル・ジャクソンを苦しめたあの一連の長い長い起訴と汚名。
家族までが暴露する真偽のほどが分からないような醜聞。

いかにしても気の毒なことだったなと 痛ましい。
あの手のスキャンダルのやるせなさと言ったら無い。

私は知り合いのロック系のギタリストが マイケルと共演しているので昔から 彼がどんなに物静かで 頭が良くて 素晴らしい人の思いつかないアイディアがあるんだということは聞かされていたので ギタリストの言うとおりの、ショーを組み立てて行くマイケルの姿を見て ああなるほどと合点した。

リタ・ヘイワースのヒルダを使う辺りなど 素晴らしい。

それから、自分のバックダンサーを選ぶオーディションの凄さ。まぁ こんなに沢山の人の中から選んだのかという世界えり抜きのダンサー達。その全員がマイケルに心酔しきっている素晴らしさ。

そうだろうなぁ、これだけの人と舞台に立てる夢に胸がはちきれんばかりの練習だったろうなと 私にはうなずける。
そうして開幕一歩前で潰えてしまった彼らの夢。
マイケルと幕を開けるはずのコンサートが一日も実現しなかった無念を彼らはどうやって乗り越えたのかと想像するに余りあった。

本当に悲しい。
フレッド・アステアーが絶賛したマイケルの素晴らしいダンス。
その声の震えるような高音部。
亡くなったフラメンコの女王、ローラ・フローレスがどんなにマイケル・ジャクソンを賞賛していたか 私の記憶にまだ生々しく残っている。
彼女はこう言ったのだ。
「あの子のあの、帽子持って ちょっとこう粋に決めるあの呼吸、あのコンパス、あれって全くヒターノじゃないの!!マイケル・ジャクソンはフラメンコの生粋のヒターノのアルテとアイレだわよ!」

そうなの。私もいつもそう思う。
あのファンキーなヒップホップって ブレリアの粋なんですよね。
顔のつけ方とか 全くフラメンコの呼吸。
凄いコンパスだなっていつも思っていたけれど
全くそれ以上の映画でした。

始まるときよりも もっと悲しいしみじみとした悲哀で
胸がいっぱいになって 一人暗い映画館のエンディングを後にして
家路へと向かう私でした。

ああ、なんて惜しい人を亡くしてしまったろうか

http://www.flamencoole.com/

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