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2009年12月のセビリア発信・つれづれ草
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●2009年12月27日(日)

日本のテレビ番組

お元気ですか?
クリスマスなので忙しくてせわしなく過ごしていました。
スペインのクリスマスのハイライトは1/6なのでそれまでずうっとクリスマスです。
お飾りも長く続きます。

さて、この忙しない師走の毎日で ふとしたきっかけで日本のテレビ番組がなんだか見れてしまうネットが出てしまいました。こんなのは皆さんとっくにご存知かと思いますが 私は知らずに居たので
大好きな時代劇が見れてしまうというので ある日の真夜中に篤姫シリーズを見出して夜を明かしてしまいました。

抗議文に署名しているくらいに問題視している偏向捏造番組のNHKですが、ま、大河ドラマ。いいか。

衣装が素晴らしいのとー大の着物好きーあの幕末の日本史はいやというほどやっているのでーどうしても見たくて...

知らない役者ばかりですが その中に近年また日本で活躍しているという松坂慶子さんが出ているというので見たくて見たくて...

まぁ絶世の美女だった松坂さんが 凄い貫禄で出てきて驚きましたが ああいう役どころは本当に上手いなと思いました。昔、赤穂浪士の浅野家のあぐり役で上手だったのを思い出しました。いつもヒロインだった人が脇役になっているんだな、と。

中村メイコさんが出ているというので どんなかなと楽しみにしていたら これまた凄い老女役で圧倒。
美しい美しい星ゆりこさんがお名前だけ出ていてどの役だから分からなかったのですが 村岡の役だと知って ああなるほどと納得しましたが いやーーーーしかし私の知らないうちに往年の理想のマドンナ達は大年寄りになってしまっていて なんていうか昔日の感を強くしましたねぇ。

星ゆり子さんの やっぱりそれだけのことはある名演でした。
大原麗子さんが亡くなってから 突然日本の女優さんに執着を感じる私です。

驚きは連続でして 草刈正雄さんの名前があったので こんな時代劇に何の役かと思えば 実は最初からずうっと見ている大役だったと知り、アッと声を立ててしまう私でした。
あのハーフのもろバターの風貌が なんだか霞が関の官僚みたいになっていてびっくり。

私が子役のモデル時代に あの方は同じ青山のモデルクラブのトップでした。時々事務所でお会いすると もう胸がときめくようなハンサムで 当時資生堂だったかMG5という整髪料のCMに出ていた日本一カッコいい男性でした。その後、役者に転向するとこれまた信じられない演技力で忍者の役だったか沖田総司の役だったか ああいうものを涼やかな姿でいい声でやっていたので感心しました。
そうして年月がどんどん降り注いで 次に見たときは高級官僚もみたいになってました。びっくり...寂しい...でもご健在で良かった。

勝海舟は北大路欣也さんで なるほど上手いわけだと。こういう役者さんというのは本当に上手いですね。勝海舟とは風貌がちょっと違うのですが許せるかなと思いました。重厚な演技。

重厚と言えば 島津斉彬役に高橋英樹さんで、松坂慶子さんと同じ画面に納まるシーンの数々に 感慨を覚えました。この方は確か松坂さんと交際があったと記憶していて ちょっと心配だった頃があります。
というのも松坂さんは 私の実家とほとんど隣くらいの近さで、中学も先輩だったので良く知っているのです。

本当にそれはよく出来た健気なお嬢さんでした。近所でも評判の親孝行で、学校でもずば抜けて素晴らしく教師が理想とするような生徒でした。長く語り草になつていました。進学校に行ってそれなりのところにはいける頭脳明晰、学力抜群でしたが演技の道を志していたので日大の付属に行ったのでした。

私はたまに行くお銭湯でよく松坂さんに会い、真っ白い美しい姿ーといってジロジロ見たりしませんよーに
圧倒されたのを子供心に覚えています。よくお話もしました。
なんていうか そういう健気な立派な人だったのでどんどん売れっ子になって行くのが 心から嬉しかったです。
その後 私がスペインに行っている間にご両親との問題といざこざがあったらしいですが 当時を覚えている人たちは みんな彼女に同情的でした。本当に親孝行な娘でしたから。

私は このシリーズで松坂さんの力強い演技になんだかとても公私混同で感動してしまいました。あの方は立派な女優さんです。
心からご成功をお祈りしたいと思っています。今はどうしていらっしやるのかな アメリカにお嫁に行かれたところで記憶は更新されていないのですが....お幸せで居てほしいです。

●2009年12月21日(月)

誕生日

パコ・デ・ルシアの一日前が私の誕生日でございまして
これは終生変わらないので毎年 クリスマス寸前に祝います。
今年は 素敵なレストランでみんなでお祝いしようというので
Abadesという 最近出来た川べりのガラス張りのそれは素敵なレストランを予約して行って来ました。

さて、何を着ていこうかなぁ....楽さとカッコよさでは洋服なのですが 仕付けも取っていない袖も通していない着物が沢山あるので
この機会でなくて一体、いつ着る?というので昨日からいそいそと出したりしていました。
三年前に誂えたと記憶していますが 黒に金と古典の模様がセンス良く道長取りになっているこの訪問着は本日晴れて外出着に。

帯はどうしようかなぁと思案の結果、千八百織りの源氏物語絵巻。24金箔という組み合わせ。この帯はそれは見事なもので、絹芯仕立てのそれは美しい帯ですが 黒い着物と合わせるとぐっと格が上がります。ただ、二重太鼓が大嫌いな私は この素晴らしい芸術の傑作とも言える袋帯を半幅扱いで結んでしまうことに。
勿体無いという声もありますが、私は確実に死に向かって年月を重ねているのであって このような宝物を今日おろさないでどうするのだ! と叫んでですね、着物のプロが見たら目を覆わんばかりの半幅扱い。
立派な帯と言うのはもうやたらと長いですから やっぱり最後はちょっと大変で 今からでも洋服に変更しようかと迷うくらいに
めんどくさかったです。
と言うのも 私はボディをデブにするための補正というのが嫌いで
ウエストが細いから 当然ギャザーが寄ってしまって帯の上下がなんとなく収まりが悪くなり勝ちです。
ああ。やっぱり訪問着はプロに着付けてもらわないとカッコがつかないなと苦りきる。
日本だったら着付けしなおしてイライラしたかもしれないです。
でもスペインだから多少はいいやって思うのでこのままのいでたちでお出かけ。日本はプロの目があちこちにあるので完璧なまでの着付けをしたくなりますが。昔の人っていうのはこんなにきっちり着付けなかったそうですね。ちょっとだらしなくなっても平気だったようです。

会食が終わって帰宅してからは せっかく髪が結ってあるので紬の着物に着替えました。すると紬っていうのはぴたっと寄り添うような着心地の良さと着付けのきりっと早く決まる嬉しさに 感動。
つくづく紬っていうのは優秀な生地だと感心しました。

それと着なれた着物っていうのは新品の仕立て下ろしと違ってこちらに馴染んでいますから 気安いですね。

こんな今日みたいな寒い日は 着物に限ります。
腰や背中が暖かく、帯できりっとしますからなんていうかやっぱり着物はいいなと思いました。
でも着付けがあんなに日本みたいにきちーーーーんとしないで
昔のように適当に着てもいいようだったら楽なのになぁと思いました。帯結びが適当なので 私は日本だったら外に出る勇気がないですね。帯揚げしないし。
着物好きの人はこうした小物に懲りますが、私などはこれでもか これでもかと細かい物で巻いていくうっとおしさに堪えられません。
髪は美容師みたいに上手なアップができるのですが、それでも一時間かかってしまいましたね。着付けは仕付けを着てから取らないといけないので時間かかりました。髪と着付けで二時間ですね
あーーーめんどくさい。帯がもっと簡単だといいのに。
伊達巻みたいにぱちっと留めてお終いの帯があれば 着物ライフもぐっと増えますが....

こんなに大好きでもやっぱり着物はめんどくさいと思いましたね
残念だけれど めんどくさい。手間がかかる。

でも又着ようと思う私でした。あはは

●2009年12月11日(金)

お勉強 闘魂編

今している勉強が 結構内容が濃くて厳しいので
嫌だなぁと思いつつ、もう少しスローでやれたら
多分、自分がしたい勉強はこれであって大学の勉強ではないかもしれないと思い始めている。

要するに格調高い いいスペイン語がやりたいのだ。
それもどの分野が出てきてもいい文章が書ける実力が多分欲しいのだと思う。
スペイン語で科学も生物も歴史もみんなやりたいのだと思う。
とすると高校に入りたいのかもしれない。

いつだつたか マノーロ・マリンに道でばったり出会って
どうしているの?と聞けば
中学校に通っているのだと言う。
夜学の中学に通っているのだと嬉々として言うのだ。
今朝は初心者のクラスをやったよ。でも僕は楽隠居なんて嫌だから
いろんなことを習って楽しくしているんだ、と。
数学もやっているんだと得意そうに手にしたノートをちょっと持ち上げた。
挨拶をして笑顔で別れた彼の後姿は、踊りの先生と言う感じがしなくてただのその辺のおじさんみたいに幸せそうな浮き浮きした足取りだった。私はなんだかとても嬉しい気持ちになったものだ。

マノーロは随分熱心に仕事をして来た人だけれど、本当に働き者だったけれど こうやって健気に学校に通っていて そういう人を見るのは嬉しいものだ。ああ、そうだなぁ....

考えてみると私も同じようにして学校に通っている。
スペインの大学って240単位もとらないといけなくて
こんなのは勉強漬けになって生きた心地もしないから もっとスローにやれるか聞いてみないといけない。
昔から世界史が好きだけれど スペイン語でやると辛くて楽しい。
あーーー身のためになるなぁ、てそんな感じです。
なんたって日本語のようにはすらすら暗記できない。
ここが苦しくて、面白い
では、苦しいことは素敵だってことで。

良い一日を。

●2009年12月09日(水)

せっかくの連休

金曜日から昨日までせっかく連休だからと普段やれない勉強や宿題をみんな片付けようと思っていたのに 風邪を引いてしまって全然何もできないまま まだベッドでくずくずしている。
むかむかするから食べたものが悪いのかというと どうもそうでもない。寒気とむかむか、頭痛。これだけで熱も出ない。無理すると出そうな嫌な予感。

大したことないじゃん、
それでいて気分がこんな風に悪いと使い物にならない。
熱が出ていると集中力がそげてしまってダメダメだけど
むかむかするっていうのも 根性が出ない。頭痛はなんとかごまかしごまかしやれなくもないけれど 三つが重なると急ぎの抜き差しなら無いアポイントくらいしか無理を押してやるべきではないかもしれない。クリエイティブなことはできにくい。

自分の半生を顧みて どの程度の健康だったかなと思うと、貧血やら何やらで本当にめんどくさかった弱い10代、大病はしないものの年中立ちくらみやらリンゲルやらのお世話になっていて「青春だ 元気!!」みたいな絵に描いたようなぷくぷく健康児というのとはわけが違った。陸上では選手として借り出しされたし(いつもは美術部なのに大会の時だけ駆り出された選手)身体脳力はあったけれど、という感じでしたね。あとは年を重ねるごとに血圧も一般人並になって行き、良くなっていった。風邪で寝込むこともほとんどない。まぁ 仕方ないか、この程度の病歴なら今日一日休んでも。
止せばいいのに本なんか読み出して頭痛が一向に治らないんだな。

こういうのはやっぱり貧乏性と言うのだろうか。

スペインではようやく朝晩が寒くなってきたけれど、冬と言う感じはしない。それなのにもうすぐクリスマスだ。毎年、この季節的にちっとも冬の感覚が無いのにクリスマスになり、お正月をさんさんたる太陽で迎えるのが どうも馴染めない。
よって あの古風で素敵なお正月を今年こそ演出するぞ という気概がいつも打ち砕かれる。子供達に素敵なお正月を体験させたいといつも思うのに実現の時期になると季節感が伴わなくて挫折なのだ。

日本は お正月に家族が晴れ着を着てお雑煮を祝うという ああいうけじめがもう無いと聞く。本当に寂しい。伝統というのはめんどくさいものだけれど 誰かが一生懸命これを守ろうとしないと続かないものなのだろう。それはほんの少しの諦めとか手抜きからなし崩しになるのだ。多くは主婦の怠惰から始まるのかもしれない。
ちょっと悲しくて ずきんとする私だ。

●2009年12月04日(金)

スペイン慣例集 その@dasayuno

何年住んでも 馴染めないというか不思議で仕方が無いスペインの習慣というものがある。
その一つがdesayuno 朝御飯だ。

社会全体として会社でも学校でも11時までの間に朝食をするために仕事を休んでいいのだ。
銀行のような忙しい職場でもスペインでは窓口を閉めて係りが朝食に外に出かける。ハンドバック持って コート着て。

午前に20分認められた正式な権利だというのだ。

これと昼休みの長いことで 本当に仕事がはかどらない。
けれどもバルセローナのようなスペインで一二を争う大都会でもこの朝食の時間というのは無上の喜びで カタルーニャ人からこの習慣を取り上げることは出来ないだろうと 知り合いの銀行家が言う。

巷のBar、カフェテリアも商いの重要ポイントがこの午前の朝御飯に立ち寄る人々を当てにしているから この習慣がいつかなくなるということは有り得ない気がする。
それよりも このちょっと一段落の朝のひとときにBarに立ち寄るとそこには結構幸せな活気が満ちているのだ。

なんていうのかなぁ 本当には怠けたい私達の本性とともに
ああ 嬉しい、ああ ほっとする、そういう人間味の溢れる本音とため息、生き生きと同僚と話し込んでいる人々。

昔はなんたることかと 呆れたのだけれど
最近の私は 気づいてみると早くコーヒータイムにならないかな、なんて あの至福の時間を心待ちにしていたりする。

どんなに長くても10分。
20分も30分も、というのは認めないからね、学校の講師にぐっさり釘を刺されてしまうのは こっちなんだから結構笑える。
ふぁーーーい、と返事してみんなでどっと階段下りて隣のBarに雪崩れ込む。するとそこには あの教科どう?ノート貸して、と言う言葉が飛び交っていて みんなのいい顔とコーヒーの香りが立ち込めているのだ。
ああ、この雰囲気!!最高だな。あれぇ?何年住んでもって冒頭始めなかったっけ?

●2009年12月03日(木)

冬支度

昨日 今日と朝早く外に出てもなんとなく生暖かいな、と思う不思議さだったけれど こんなときは夜明けなのに10度前後もある。でも三日くらい前には本当に冷え込んで絨毯なんかを取り出したりしたくらいだ。
日本はいかがですか?

私の日本の冬の驚きは 水道をひねると水が冷たいことです。
これは長いスペイン生活で忘れていたことでした。
この本当には寒い日本のきりっとした冬と 電車などの人いきれでもやもやうそっぽく利いている暖房とで よく分からない気味の悪さがないまぜになりますよね。
もっともこれは都会型の冬で、山の有る美しい地方の冬はどんなかなと思います。
私が日本に帰ったら住みたい地方の一つに四国がありますが 山河美しく、家並み古風で日本の昔からの伝統が生きている懐かしさを感じるのです。美しい日本の断片がしのばれる素晴らしい街ですね。

さて、とりとめないですが昨日ハンドルを握っていたらラジオから突然 クリスティーナ・オヨスへの非難の声がアナウンサーを通して上がりました。あらら、と思って耳をそばだてるとなんとどうもあのフラメンコ博物館をインターネットで売りに出しているというのですよ。後でもっと調べないとと思ったまま忙殺されているのですが、あれは確か9億かかっていて拝観料が10ユーロ。フラメンコ関係者やプロデューサーでも無料で一度はどうぞと言わないというのであんなもの行くか!てみんな怒ってましたがどうも経営が上手く行かないのでしょうか。ビジターが少ない日はクリスティーナの機嫌が悪いって漏れ聞いていたのですが それにしてもネットで売却....
アンダルシア自治政府とは昵懇なので そのお友達のよしみで円換算で一億以上の支援金を出させたって言うのです、これを返せと。このようにアナウンサーは怒りをにじませていました。
クリスティーナがこの博物館を建てると発表したとき、私の構想とあまりに似ていたので ちょっと打ちひしがれたのですが踊りの名手には このような大きな箱の運営はちょっと手に余ったのでしょうね。健闘をお祈りします

では、あと五分で学校に行く私です。
今日は世界史と美術史 本日はイスラム美術でーーーーーす。
頑張って行って参ります 皆さんも良い一日を。

追記
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●2009年12月02日(水)

レールに置かれた風船の気持ち

学校が結構楽しい
楽しいのだけど 辛い
辛いのだけど 嬉しい
嬉しいのだけど忙しなくて嫌だ。
嫌々だけど結構充実している。

こんな感じです。

家庭の事情で大学に行きそびれた人が
来年受験しようと本気になって通っています。
25歳以上の人。

20代で働きながら通っている人と
子供がまだ小さいのたけれどジャーナリストになりたいという
30代後半の結構文学的な才能のある女性
私とはクラスか違うのだけれど恐ろしく勉強家の
老人。この人は美術史を大学で専攻したいと思っている。
立派な老人だと、私は一目で尊敬してしまいました。
それから プロスポーツ界で一秒の半分の記録を出すには
どうするか、などの研究をするアスレチックトレーナーを目指している現役のジムの先生。体育の先生なのたけれど
もっと専門を勉強してより良い職業に就こうとしている
多分40歳くらい。

こういう人たちに囲まれて と言っても
いつも選択科目が違ったりしておなじみのメンバーは四人だ。
ママさんジャーナリストと
トレーナーと私とそれから素晴らしく性格のいい青年。
この人は日本や中国にも結構詳しくて勉強家らしい素質がのぞく。

講師も結構良い。
さぁ、次の問題解いてみて!みんなに輝く君を見せて!
なあんて言うんだな、英語の若い講師が。
授業は展開が速くてきびっとしたリズムがあり、
こういう輝けなんていう素敵な台詞をさりげなく入れたりする。
いい展開で魅力的な授業をするのは私には感心の的だし
勉強になる。
授業は淀みが無くて講師に実力があるのが見て取れる。

私は昔とったキネヅカで、英語は何にもしなくてもすらすら翻訳できる。つまりはそのくらいに簡単なのたけれど、
翻訳のスペイン語に詰まることが多い。パッケージ旅行って何ていうのかななどと したこと無い私は困ったりする。
英語のミスがあるとすれば スペイン語のミスばかりなのだ。
ちゃんと全部赤を入れて丁寧に直してくれるのには感心する。
こうしているとスペイン語が良くなるなぁと思う。

難点は午前に三時間の授業のあと、午後に同じ時間をかけて
勉強しないと効果がないと分かっているのだけど
こんなにこればかりに割けない。
水泳もあるしフラメンコもあるし とてもダメ。
HPとブログとメルマガの更新もある
日本史の勉強もしているし....

少し辛い気がしている。
クリスマス休暇にまとめてどさっと勉強しないと追いつかないと思っている。何しろみんなより一ヵ月半も遅れて入学したし。

歴史と美術史は結構高度で やりがいがある。
地理も相当に難しい。
だいたい日本語でも気圧とは何か、なんて言われたら
とても説明できない。分かっている気でいて本当には
前線も気圧配置も何も説明できないのだ。
これをスペイン語でやっているんだから難しい。
こういうのがみんなすっきりと分かって
すらすらすらっとコンセプトが説明できるようになると
頭の中の霧がすーーーーっと引いて
どんなに気分がいいだろうかと思う。
そんなには険しい道ではないと分析している。

そう思うそばから げっそりするのだけど
楽しみと喜びをもってやらなくては、と励ます。

どんなことも楽しみと喜びを見出す
これが出来るか出来ないかで違ってくるのよね
何がって、幸せだと感じる度合いが。
さ、頑張ろう....明日は国語としてのスペイン語だ。
国語じやないから結構きつい。


●2009年11月30日(月)

だれ犬の週末

一週間の不勉強が週末に山積みになって
土日はしっかりやらねば!!なんて思っていて
金曜までにノートもいっぱい集めて完璧にしておいたのに
ずうっと やらなきゃと思って焦るだけで
ついに日曜の夜遅くまで取り掛からなかった。

この焦りと 怠けと後悔は
いつか来た道♪〜〜〜〜て感じです。

今これから五分で学校に行くのだけど
つれづれの更新もしていなくってきになって仕方ない。
いつも頑張っている健気なわたくしでございっていうのをやめて
こういう私も晒さなければ!!

今日は地理だけれど全然予習していない。
私は地理とスペイン語のつまり国語で今度の試験は落ちるだろうと思っている。地理って凄く大変。
全部が専門用語なので暗記に次ぐ暗記。
適当な解釈はさんで底上げしたり膨らますインチキが通用しない。
そういう意味では数学的だ。
気圧配置とか外気圧とかそんなような言葉
日常で絶対だれかと話さない用語のオンパレードなので
これならタイ語を習ってますっていうのと同じ困難さ。
この現象を説明せよ、なんていうともうただのスペイン語ではなくて
辞典なみの堅い言葉だから暗記も大変だ。
これ、とても四月までに物にならない。
来年だつたらなんとかなりそうだ。

スペイン語の解釈もそりゃあ試験だから
一ひねりも二ひねりもある引っ掛けるようなのが出る。
難解この上ない著者の評論などで目が白黒する。
これもその辺の教養あるスペイン人に見せてもみんな驚く。
自分も及第すると思えないというので余計に暗くなる。
ま、これも来年にはなんとかなるかな。

けれども こういう五教科をすらすらこなせるようになったときには私のスペイン語は 博士論文が書けるくらいになっているんだなと思う。
いつかはこの最後の仕上げをしようと思っていたので
これがそのいいチャンスなんだと思うことにする。

そうしてこの後大学に入っても 通常の単位の取り方だけはよそうと思う。ヨーロッパの大学の必要単位数というのが凄まじく多く
240単位なんていう凄さだ。
これは文字通り 本を主食にして生きないと足らない。
倍の年数をかけて終えようと思う。
そうでないと何もできなくなってしまう。

ま、こんなことが分かりつつあり
これは新鮮な発見で
げんなりしても そこに楽しみを見出しつつ
私は自分のスペイン語の能力に仕上げをかける。
これは 留学生の最終コースと言えるのではないかと
感じている。
幸福なことだと 感謝しなくてはいけない。

毎日を感謝の気持ちで 心の中を清浄に。
では、行ってきます ぼこぼこになる地理であります~~~~
皆さんも良い一日をね!!!!






●2009年11月27日(金)

ガリレオ・ガリレイー急ぎ調査

(Galileo Galilei、ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日)イタリアのピサ郊外で音楽家で呉服商のヴィンチェンツォ・ガリレイの長男として生まれる
イタリアの物理学者、天文学者、哲学者である。地動説を唱えて終身刑となり、教授職など全ての職を剥奪され、最後には両目とも失明してカトリックでは埋葬も許されないまま 名誉を剥奪されて亡くなる。

パドヴァ大学教授。その業績から天文学の父と称され、フランシス・ベーコンとともに科学的手法の開拓者としても知られる。

1633年
第2回異端審問所審査で、ローマ教皇庁検邪聖省から有罪の判決を受け、終身刑を言い渡される(直後にトスカーナ大公国ローマ大使館での軟禁に減刑)。


裁判の検証 [編集]
この裁判には疑問が多いことから、20世紀になって検証が行われた

ローマ教皇庁の対応 [編集]
1965年にローマ教皇パウロ6世がこの裁判に言及したことを発端に、裁判の見直しが始まった。最終的に、1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオの死去から実に350年後のことである。

2003年9月、ローマ教皇庁教理聖省(以前の異端審問所)のアンジェロ・アマト大司教(Angelo Amato )は、ウルバヌス8世はガリレオを迫害しなかったという主張を行った。

2008年1月16日の毎日新聞によると、ローマ教皇ベネディクト16世が17日にイタリア国立ローマ・ラ・サピエンツァ大学での記念講演を予定していたが、90年の枢機卿時代にオーストリア人哲学者の言葉を引用して、ガリレオを有罪にした裁判を「公正だった」と発言したことに学内で批判が高まり、講演が中止になった。

なお、その後ベネディクト16世は2008年12月21日に行われた、国連やユネスコが定めた「世界天文年2009」に関連した説教で、ガリレオらの業績を称え、地動説を改めて公式に認めている[2]。

...................

娘が学校の行事の一つとして 今日、ガリレオの劇を見学してきて
記憶がうる覚えだった私に
この17世紀の天才的な学者の無実が認められて正式に裁判の無効が言い渡されたのは昨年のことだと教えてくれたのでびっくりした。

 調べると上記のようにその死後350年経ってから許され、裁判の無効が証明されるのは更にあとでたったの
私達にとっての去年だと言うのだ。去年!!

驚いてしまった。

なんとまぁ、言葉もありません。
胸の痛む今日の私です。

ガリレオさん、本当にお気の毒でした。

二人の娘は幼いうちから修道院に入れられて
ついに二人とも修道女として生涯を終わる辺り
今度もっと詳しく知らなくては、と宿題が残ります。
子供のときに当然習ったことでしたが ここまでは知らなかったです。多分 授業をしてくださった先生もご存知なかったんでしょうね。2008年だなんて、いやぁカトリックというのも情の強いもんですね。誤りを認めるのは 難しいのでしょうか

そういえば 魔女狩りなんていうのもありました。
しかし 西洋もなかなかどうして野蛮なものです。
そう思いませんか?

ということで今日は 堅いお話のまま おやすみなさい







●2009年11月24日(火)

ふえーーーーー!!

いやぁ 大変です。毎日一教科三時間の講義があって
ディクテーションも結構きつい。
つれづれが気になっても 勉強の事書くのが気が引けて
それに時間も無いしで 更新できないでいました。
でも、こういうスペイン便りも面白いに違いないから
なんとか書くことにしますね。

結局どの教科でも スペイン語なわけです。
英語は英文解釈だけしかないそうで 英語のテキストが例えば新聞記事とか文学とかが出る。読むと全部分かる。軽いと思いきや
これをスペイン語に逐語訳しないといけない。
ここで同じ意味の同じニュアンスの言葉を書かないと減点になるわけですね。
これが大変だ。減点式なんです。私にとってはどれもスペイン語の試験に該当します。

でも全教科やってみて一番どうにもならないと感じたのは地理でした。低気圧の定義をせよ とかそういうのが出る。緯度と経度を説明しろと言われて これは話し言葉で説明しちゃだめなわけです。
技術専門用語でやらないといけなくて こういう地理のボキャブラリービルディングが一度に20も30も出る。
スペインの地質について、山脈と海岸線と降雨量とか そういうやつが 今まで翻訳だってやったことがありましたが お天気おばさんになれるほどじゃないから もう知らない言葉、聞いた事も無い言葉のオンパレード。

あとはこれらの定義だから 本当に難しい。低気圧がどうした前線がどうしたとかこの現象を説明せよ、なんていうのは私は今年の春までに出来るようにならないですね。

あとは言わずと知れたスペイン語文法。これが結構嫌だ。
毎日一教科に三時間ずつ進んでしまうから 本当にあっぷあっぷになってしまう。週末に勉強しただけでは間に合わない。

偉いことになっちゃったなぁ と言う感想です。
それと昔子供の頃に勉強していたような集中力が無い。

何時の間にこんなにダレ犬になったろうと呆れてしまいます。
すぐお茶なんか煎れに行っちゃったりして がーーーーっとやらないんだな。
五ヶ月でものになると思えないくらい難しいです。
まぁ 浪人でしょう。
来年までかかるだろうという気がします。

でも、ここ何年もこういう勉強をしたことがないので
さび付いた頭をメンテナンスするためにも 私はこれを真面目にやろうと思っています。
宿題をやり遂げるまで夜中までやるってことだけができない。
寝ちゃう。ここが真剣みの限界かなぁ。

ま、趣味でやる勉強なんだから これくらいで勘弁して欲しいですね。何にでも全力投球はできない。唯一できるのがフラメンコだけですね。あと、日本の将来。これは同じように守ってもらった幕末、明治、敗戦直後の偉い日本人達に顔向けできないからです。

フラメンコと日本。

さあてと、宿題はやってから寝よう! 笑





●2009年11月18日(水)

いよいよ予備校

はぁーーーーご無沙汰しています
月曜から予備校に通い始めたので
まぁ もう忙しいのなんのって なんか息つく間もないくらい。
どうして私はこういう過激な生き方しか好きじゃないんだろうと
つくづく思いますね。

簡単だから大丈夫だからって 予備校の事務で言われて
そうかなぁと半信半疑でいましたが
第一日目の地理が三時間、始まってみると
えらいこった!!

もう普段話さない地理用語だらけでね、目が丸くなっちゃいましたよ。日本語でだって言うじゃないですか リアス式海岸のなんたらかんたらで、なんていうのでしたっけ今から100万年前の地層のこととかその材質が何とか いやーーーーもう大変なの大変でないのって、ノート一つ取るんだって私が一番苦労している。

これ、四月の入試で暗記できると思えない。
おまけに私はみんなより一ヵ月半も遅れて入ったので
どさーーーーっと終わっている教材渡されて途方に暮れちゃう。

今日は英語だから 一息だろうと思ったら、英文解釈しか出ないのだと知る。つまりスペイン語に訳すだけ。その反対の作文は無い。
これは大変だ。
スペイン語が完璧でないといけない。
英文読んで全部分かるのに スペイン語の語彙が足りないとか
つづり間違えちゃうとかで減点になってしまいます。

大体においてはできそうなのですが 日本語の訳語は知っていてもスペイン語で知らないのが そりゃあ、ある。

つまり五教科の全部が私にはスペイン語の試験としてのダブルパンチなんですよね。これ、猛勉強しないとクリアーできないですよ。
もう、いいや この四月で駄目でも来年もやろうって気がしています。早くも諦めるのかというと だってどの教科も持つのが嫌ってくらいに大きくて凄く思い本なのだ。

これ全部暗記かえ?

すぐ諦めちゃうな もう。
メソポタミアなんかをスペイン語で暗記する。おエーーー大変。
けれども これ、急いでやらなくていいのだったら結構面白いです。中々いい勉強だと気に入っています。
地理の用語がどばっと増えるのは楽しいし
海底の山脈の続きとかを知るのは驚きだし興味深い。
みんなは受験として速記しているけれど私はいちいち感心して驚くので先生が笑う。

今日の英語なんてスペイン語の作文って気がしました。
若いカッコいい男性の先生ですが そうかなるほどむしろスペイン語の添削になっちゃうわけかと 僕気を入れて見てあげるよということで スペイン人だからこの調子で四ヶ月続くか疑問ですが
まぁ スペイン語の勉強として地理、世界史、美術史、英語、スペイン語文法を勉強すると思うと結構ぎっしりしていて楽しいです。

ま、暗記と思うとぞっとしてしまうので 好きなだけ予備校に行こうと思うことにすれば 楽しいです。

とは言うものの 行くだけでせいいっぱいで予習復習が全然できない。一日って本当に短くてなんにもできないとつくづく思います。
やりたいことは沢山あるんだけど 一日は12時間くらいしかない。
正味時間は、六時間くらいですよね

さぁて、明日はスペイン語文法と長文解釈です。
どうなることかなぁ....

では、皆さん、難しいことに挑戦しましょう!!
生きてるって感じです。やれるだろうか、という不安な気持ちこそ
人生を明るく彩る秘訣です。
楽しいときはなおさら、辛いときこそもまた、難しいことに挑戦しましょう!!!

人生は いいものですって。あははははは げーーーぐるじいーーー





●2009年11月12日(木)

予備校

その昔、タブラオにデビューして10年選手になる一歩手前、つまりプロデビューして八年目に「知的生活への渇望」に苦しんでいた。
フラメンコのジプシー達との生活に疲労していたのだ。

この辺の経緯を説明すると一冊になってしまうので 後日に譲るとして、私は自分が受けてきた高等教育を絶対に否定できないことを身を持って知ったのだ。

つまり自分を取り巻くフラメンコの人々とは芸で繋がっていても もっと様々な文学とか世界史とか時事とかそういうものとかけ離れて断絶して生きていることの辛さが少し身に沁みて来た。
身に堪えて来ていた。

誰も自分の慣れ親しんだ環境を忘れられないように、
懐にナイフを忍ばせているような人々との緊張感から開放されたかったのかも知れない。

そうして夜はタブラオで踊り、朝はセビリア大学に通い始めた。
昼は稽古。ふうーーーー大変な毎日だったなぁと今になると少し呆れるのだけれど、自分の半生を振り返るとどのページもこんな風なごった煮なのだ。

私と言う人間は 常にこのようにして生きてきた。
それが自分への活力だったし、夢だったし、生きがいだったのだろうと思う。

私は短大の卒業なので四年制大学への編入の手続きが必要だったのだけれど、スペイン側の手続きが実にもたもたしていて要領を得ない。どのくらい学部の事務局に足を運んだか知れない。

当時はまだ スペインというのが全てこうだとは認識していなかったので この手続きに二年余りかかった辺りで頭に来てやめてしまった。
正式の手続きもしないでどうやって授業に出ていたかと言うと(笑)英文学の先生に事情を話してラチが明かないのだというと
構わないから 出ていなさいと言って頂けた。
お友達まで出来てしまって それなりに楽しかったのだけれど、あんまり手続きに手間取るのでそのうちに妊娠してしまった。

マンモス教室の真ん中あたりに席を取っているとつわりで気分が悪くなることが続いて お友達も「つわりだと思う」なんて言うと
驚きのけぞるので あはは、大丈夫よ結婚してるから、なんて言い訳もしたりして、ここで私の知的生活への渇望はちょっと頓挫してしまう。いや、お腹がせり出した五ヶ月までまだちゃんと入学して博士号まで行こうと思っていたけれど 大きいお腹でまだ学部の事務局とすったもんだしていて嫌になってしまった。
後で分かったことだけれど セクレタリーが私の書類一式を机の引き出し奥深くに仕舞いこんで教授会にすらかけなかったのてだと知るのだ。なんという国かと、国立大学でこれかと....で、頓挫です。


この時のつわりの子供が今年、セビリア大学の法学部に無事入学すると じゃ、私も例の一件、再開したいなと言う気持ちに傾き始めた。スペインの事務のいい加減さにも慣れたし、こういう国なんだから仕方ないさ、と思えるくらいに私も日本人離れしてきたし。

またもや 知的生活空間への憧れ。渇望。
昔、不足していた色々な書類の外務省の証明とか 今度は一発で受けてもらえるだけの準備はしているのだけれど 万が一に備えて「大学入試試験」も受けた方がいいと知り合いの教授に説得されている。来年の四月に国立大の入試がある。これ、受けておきなさいって言うのだ。また編入には時間がかかるし卒業単位の吟味にも時間がかかるから 兎に角入学してもう何か勉強していなさいと言うのだ。

この年になって又入試から始めたんじゃ 命が終わっちまうぜ、と
これだけは嫌だと思っていたのだけれど だって五教科も試験がある。けれども いや、この際だから子供が通った難関をトライしてみるのもいいではないかという気持ちに傾いた。
英語、スペイン語論文、スペイン語文法、地理、世界美術史
この五教科を突破しないといけない。
ここだけで二年かかるんじゃないの?という感想を持つけれど
セントロにちゃんと予備校もあるからいきなさいと
ロドリゲス教授は勧める。

そうして私は どこから時間を捻出しようかなと困りながらも
月曜日から予備校に通うことにしました 笑

四月に合格できるだろうか....物凄い分厚い本達なのだ。
スペイン語、完璧になるんじゃないでしょうか。
今度こそ 頓挫しないで頑張ろう、そんな気持ちです。






●2009年11月10日(火)




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