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ミハイル・フォーキン(1880〜1942)Mikhail Fokine
この振り付け家を語るのは困難で、非常な紙面を要する。 何故ならあの歴史的大事件のロシア革命のおさらいから始めないといけないからだ。ああ、ロマノフ王朝!...世界史から始めないといけない。 これを打ちこんでいる筆者自らあの時代の混沌をもう一度把握し直さないといけない。受験の頃にこの辺りはざっと飛ばしている。ソ連の成立は複雑だ。挙句にまたロシアになったりしているのだから...。現代に近い程歴史的事実がくっきり見えて来るので抜粋が難しい。(げっそりしながらも結構嬉しい。こんな事でもないとやらないものだ)ロシア革命の後は世界大戦もある。とても手に負えない。とりあえずこれらは宿題として脇に置き、ここでは世界史的大事件は割愛させていただく。 フォーキンは前出の振り付け家達同様、ロシアの帝室舞踊学校出身で、同劇場では第一舞踊手だった。しかし、プティパによって確立されたクラシックバレエの型には若い頃に既に強い不満と独自の舞踊論を持っていた。これを内包したまま、バレエ・リュスの振り付け家としてバレエに革新的な展開をもたらす。20世紀初頭に、現代に至る舞踊の門戸を大きく開いた祖として伝えられるのはこのためだ。フォーキンの開いた門から抽象バレエも発展して行くのだ。 後に詳述したいバレエ・リュスは、辣腕プロデューサー率いる20世紀初頭の世界最高水準のバレエ団だった。その規模は当時のヨーロッパ最高の文芸、芸術家のほとんどが関与した事で証明される。 このバレエ団の最初の振り付け家としてフォーキンの勇名はとどろいた。 モダン・ダンスの祖と言われたイサドラ・ダンカンは1905年にロシアで公演し、フォーキンに少なからぬ影響を与えたという説もある。 ー以下、その主な作品の簡略ー 1905年 サンサーンス作曲「瀕死の白鳥」振付/アンナ・パブロヴアにより一躍有名に。 1907年 「レ・シルフィード」の原型となる作品を振り付ける。(ショパ二アーナ/マリインスキー劇場) これ以降、シハラザード、火の鳥、二ジンスキーが踊ったバラの精、ぺトルーシュカと言ったセンセーショナルな作品を次々と発表していく。 精力的な活動の中で50〜60を越える作品を世に出したと言われている。
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