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ジョージ・バランシン(1904-1983) George Balanchine (本名Balanchivadze)
彼は、現在キーロフ・バレエと呼ばれるロシア帝室バレエの出身で、ロシア革命直後に故国を離れ、のちにアメリカで活躍した。 生涯に膨大な数の振り付けを残したことでも有名。代表作に「アポロ」「セレナード」「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」「シンフォニー・イン・C」など。 根底にはプティパがあるに違いないが物語り性を除去し、新しいバレエの方向性を示した。それは鋭角で研ぎ澄まされた技術とバランスと速度を要求し、従来のクラシックとは非常に異質なものへと発展して行った。 ここで少し詳しく生涯を追ってみたい。 声楽・作曲家の父とピアニストの母の長男としてサンクトぺテルブルグに生まれる。1913年9才で同市のバレエ学校 に入学。音楽の勉強も続け、それが後に比類なく優れた創造を可能にして行った要素になったと思われる。面白いのは、本当はバレエ学校の入試は彼の姉が受けに行ったのに付き添っただけだった。姉は落ちて、何故かバランシンが合格してしまった。 1917年のロシア革命をはさんで1921年に卒業、Soviet State Balletに入団(後のキーロフ)1924年自分のバレエ団を組織し、ドイツ公演後にイギリスに亡命。続いてパリでデイアギレフと出会い、二ジンスキーの後継者としてバレエ・リュスのバレエ・マスターとして活躍。この関係で、ストラビンスキーと出会い、1928年に名作「アポロ」を生み出す。
曲を無視したダンサーの勝手な物語を嫌うストラビンスキーと、物語は排除して純粋に踊りだけを振り付けたいバランシンのコンビが今までのバレエと違った方向へと発展させていく。
その後数年はアーテイストとしてあまり幸運には恵まれない。ところがその後彼の生涯の友となり、パトロンとなるアメリカの財閥リンカーン・カースティンに出会い、ニューヨークに活路を見出して移住。バランシン29才。 ここから華々しいニューヨーク・シティ・バレエの創立(NYCB 1935〜)と、バレエ学校の設立がかなう(1934〜スクールオブアメリカンバレエ(SAB)) バランシン独特のバレエ団の技術を支えて行くにはまず、バレエ学校が必要だと考えたのだ。ここからのバランシンの活躍は同バレエ団と学校の歴史に重なる。アメリカのバレエ界はバランシンの出現と同時に技術ともに大きくし飛躍し、独特の芸風に発展を続ける。 [筆者メモ書き}
それまでの提案として以下に主な振り付け家とその初期作品を挙げておきます。 順次更新して行くことをお約束して....ひとまずこれにて。 レオニード・マシーン/三角帽子
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