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アンナ・パヴロワ(1881〜1931)Anna Pavlova
20世紀初頭にバレエ界に勇名をとどろかせたロシアのバレリーナ。彼女のジゼルと、とりわけ瀕死の白鳥は歴史上決して忘れることができない。 この、名高いサンサーンス作曲の瀕死の白鳥は、1907年 にフォーキンがアンナ・パブロワのために振り付けた。以来 パブロワの生涯を通じての代表作となり、彼女の死後何年経っても、おそらくは20年近く誰もこの曲を踊らなかったという逸話さえ残っている。 アンナ・パブロワは、1881年にロシアのペテルブルグで生まれ、ロシア革命の騒乱を逃れて1912年、ロンドンに移住した。 彼女は、バレエを世界中に広めたいという情熱を持ち続けてあらゆる国々に巡業してついにはその無理がたたって1931年1月オランダのハーグにて病に倒れ、帰らぬ人となる。死の間際に「白鳥の衣装をここへ!」と言ったという。 1922年には、日本にも来日したというから驚愕する。当時の文化人達に強烈な印象を植え付け、芥川龍之介はこの時のパブロワの素晴らしさを絶賛している。 どうしてこのバレリーナを忘れてはいけないかというと、それは彼女を見たからこそバレエの道を選んだ、という後に続くバレエ界の天才秀才を多く出すインパクトになった人だからだ。今のように交通の移動手段が簡単でない時代に船を乗り継いだり、あらゆる困難な旅を続けたに違いない。この時代の巡業は非常に辛いものだった筈だ。 名もない遠い国にバレエという芸術を携えて旅するパブロワの心中を思いやるだけでも胸が熱くなるというものです。まして母国は革命の混乱にあって帰ることができない、そういう歴史の中を漂ったバレリーナでもあるわけなのですから....。 パブロワの写真とビデオその他の情報:
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