大人から始めるバレエ・始めてのダンス・バレエなんでも早分かり
サイト クラシック、モダン、ジャズ、コンテンポラリー、民族舞 踊、クラスと教室紹介ページも。 踊るって素晴らしい!!ヨーロッ パからあなたのために発信! |
|
|
| ルドルフ・ヌレエフ(1938〜1993)Rudolf Nureyev
レニングラードのワガノワ記念バレエ学校を卒業後、58年キーロフ・バレエ団ソリストとなる。61年のパリ公演が成功し、ロンドンに向けて出発のその直前、パリ空港での亡命事件が起こる。西側に亡命し世界中の注目となる。 62年から70年代半ばまで、英国ロイヤル・バレエ団 のゲスト・ダンサーとして活躍。ここからマーゴ・フォンテーンとパートナーを組む。 フォンテーンはこの頃、バレリーナとしては引退しようと考えていたというから人生は面白い。ヌレエフの出現で瞬く間に世界一人気の高い二人として君臨するのだ。そしてなんと二人はこの後に続く17年間もパートナーとして踊り続けた。 フォンテーンはヌレエフのバーレッスン一つを取っても感嘆したらしい。そしてここから始まって多くを密かに更新したという説がささやかれている。(美しいお話だと思いませんか?押しも押されもしないプリマは、もう引退かなぁ...と思い悩んでいた時から第二のそして本当の人生を力強く歩み出したのですから。それも一人の亡命の若者によって) ヌレエフは、跳躍力や独特の完璧で情熱的なテクニックを引っさげて世界中のバレエファンを魅了し尽くした。バレエの主役は常に女性であったのを、男性舞踊手の素晴らしさを認識させた大きな功績がある。 どんなに素晴らしいプロであったかは森下洋子さんが昔、語っていらっしゃる。ヌレエフは、公演が済んだ舞台で、おさらいするんだそうだ。客席が空になったところでもう一度舞台に戻っていつも失敗の反省と工夫をしたというからその根性たるや、やっぱり違う。一緒にパートナーとして組んでいて、はらはらするような難しいテクニックも、彼はやむにやまれぬ情熱でやってのけてしまうのだそうだ。これは残されているビデオを見てさえ、その炎が感じられる。 77年には映画「バレンチノ」にも主演し、彼の魅力を拡大したと言われているが私は残念ながらまだこの映画は見ていない。あれほどのバレエダンサーを起用しておいてダンスシーンは一つしかないといううわさを聞いているのみ。この映画でニジンスキー役でヌレエフとタンゴを踊ったのは、アンソニー・ドウエル(現ロイヤルバレエ芸術監督)とのこと。 著名なバレエ団に招かれ、クラシックをレパートリーとしたが、 フレディック・アシュトン、マーサ・グラハム、モーリス・ベジャール等の創作にも出演した。 オーストラリア国籍を82年に取得し、83年〜90年までパリ・オペラ座バレエ団の芸術監督を務め、数々の作品を演出した。
|