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歴史に残るダンサー達


  

1●ニジンスキー

2●アンナ・パブロワ

3●ガリーナ・ウラノワ

4●ルドルフ・ヌレエフ

5●マイヤ・プリセツカヤ

ワスラフ・ニジンスキー(1890〜1950)Vaslav Nijinsky

両親はポーランド人だが、1890年にロシアのキエフに生まれて育った。当時の一流と言われたマリインスキー劇場付属舞踊学校に入学し、早くからその天分は認められた。 とても現実とは思えないような跳躍力で20世紀初頭のヨーロッパに名を馳せ、人々を魅了し尽くし、 クラシック界にありながら当時では理解を超えるような斬新な振り付けを残した。

人々に衝撃を与えたこの天才の現役はわずか八年で精神分裂病となり、バレエ界からは姿を消し去った。61才で死ぬまで精神病院の入退院を繰り返すという、数奇な痛ましい生涯をたどった。

芸風:
ニジンスキーがその名をとどろかせたのは1904年頃と言われている。 後に当時の辣腕プロデューサーのデイアギレフに引き抜かれてロシア・バレエ団で活躍。 フォーキン振り付けの「バラの精」でバレエ界に勇名がとどろいた。 この作品では最後にバラの精が窓から飛び出して行くのだが、ニジンスキーが飛ぶと、 まるでそのまま夜空高く飛んで行ったような錯覚に襲われたという。

実際、彼の跳躍についてのエピソードはこの種のもので溢れている。 跳んだ後に空中にとどまっていてしばらく降りて来ない、という類のものだ。 跳んだ途端に舞台の視界からしばし消えてしまった、そのくらいに高く跳んだというような話が 沢山残っていて、これがニジンスキーの伝説、神話と言われる所以だ。

私個人としてはこの感じは十分に信じられる。 今でも優れたバレエ・ダンサーの跳躍は一瞬、空中にとどまっているように見せる人がいるからだ。 ふわりと跳んでそのまま宙に浮かんで見える事はあるのだ。 つまりそのように素晴らしかったのであろう。 ニジンスキーの残された写真からは、そういう神話が信じられるような彼の卓抜した肉体が 強いエネルギーを今も放っている。

伝記:
デイアギレフという、バレエ史に燦然とその名の輝くプロデューサーが彼の悲劇に 大きく関わってくる。二人は愛人同士だったと伝えられているが、このデイアギレフによって 彼は磨かれ、名声を得た。

不世出の天才と謳われたニジンスキーは、1912年「牧神の午後」であまりに性的な振り付けで当時のヨーロッパでは不興を買い、次第にデイアギレフにも疎まれてしまったという。 失意の彼を救ったロモラという女性と翌年結婚するが、これがデイアギレフの逆鱗に触れ、 バレエ界から追放されてしまい、ニジンスキーは狂気の淵に落ちて行き、 二度と回復しなかったと伝えられている。

ニジンスキーはバレエ界を追放されて以来、生きながら伝説化した人で、彼の類いまれな 天才とともにその悲劇的な生涯が、今日に至ってもなお多くの人々の心を揺さぶるのだろう...。

二ジンスキーの写真とビデオその他の情報:
http://www.ivc-tokyo.co.jp/details/IVCF-259.html

http://www.flamencoole.com/ballet/index.html

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