スペイン発不定期便〜友繁晶子フラメンコ・バレエ・アカデミー
スペイン発不定期便
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― 第41回 舞踊、観客に問う物 ―
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デイエゴは曖昧が嫌いで徹底して質問してくる事がある。
昨日の稽古で、私が使う小道具について思いがけない追撃をされてしまった。
「どうしてここでそれが出て来る?」
「だって、それが一番ストレートで分かりやすいからよ」
「で、どういう象徴にしたいわけ?なんでそれでないといけない?他の物ではダメ?」
ダメよーーーー勿論!!と思ったけれど、彼から代替をあれこれ列挙されてたじたじになった。
ダメと言ったらダメなのだ。
何故なら私がダメだと思うからだ。
「それでこの話は観客に結局何を訴えたいの?どの部分、根幹は何?
どれにしようと思ってる?」
驚いてしまった。そんなのは観る人の勝手なのだ。
「ねぇデイエゴ、私はどう感じろ、どこが主題なんだからそう思えって、観客に押し付けないの。
どの場面を取っても必ずそれを生きた覚えがある筈で、その人それぞれの生き方と心のあり方で心に深く突き刺さる場面は違うのよ。終わった時にどこで感激していてくれてもいいの。それはその人の人生であったし、きっと共感する場面が違うはず。私の役目はそこまで。共感と感動を引き出す、と言うところまでが芸術の本望だと思っているの。」
デイエゴはちょっと驚いて、Muy inteligente....と呟いた。
インテリヘンテかどうか知らないけれど、私は踊りから何を感じろ、と観客に対して思った事がない。
これは仕組んだ理論ではなくて私はいつもこうなのだ。
それは何かとても美しい物であったり、何かとてつもなく胸苦しいものであったり、
ショックであったり、甘美なものなのだ。
ただ、むしょうに淋しい美しいもの、とか。
汚くて不愉快でおどろおどろしくてはいけない。私はこういうものはやらない。
芸術は美の反対側にあるようなものを演じても絶対に何がしかの美がそこに存在しないといけないと思っている。だから私は怪しいモダンバレエだの、コンテンポラリーを見るくらいなら、いつもの白鳥湖を取るのだ。
モダンとコンテンポラリーの時はいつまでもどうしようかなと私は用心する、のが正しいかも知れない。
又、ヘンなものが出てきたら嫌だな、と思うからだ。
一分間くらい箪笥が出ていて30秒後にスリップ姿のダンサーが傘さして出て来る、なんていうのは
かなわないからだ。
コンテンポラリーなダンスの恐ろしさはここだ。
一体何を表しているのだろうと常に観客に考える事を強要してへとへとにする。
人は癒されたくて劇場に行くのだ。こんなのはかなわない。
「私ね、舞踊は分かりやすくないといけないと思っているの。誰が見ても、ああ!て一瞬にして
理解できるような象徴、それが台本を作る者の才覚だと思ってる。頭をひねらないと分からないような物は
もうそれだけで失敗の駄作よ」
デイエゴは唸った。
実は私も自分の言葉に驚いた。
かみしめてみて、うーーーん、なるほどねぇ、と少し感心した。
自分の思っている事って、つまり意識の底に沈んでしまっている本質みたいなものは
自身でも、こういう機会を得て始めて言葉になるものらしい。
どんなに独創的なものでも、観客の胸に一秒で届くものでないと私はやりたくない。
無駄はみんな省いて、そういうものの結晶だけでできた舞台しか踊りたくないのだ。
長いだらだらした踊りは好きではない。
お客もきっと嫌いだろうと思っている。
デイエゴが来てくれて嬉しかった。
自分の持っている大切な何かが自分で確認できた。
ちょっとした舞踊論だな。
もう既に誰かがどこかで言っていたとしても、自分がこう考えているってはっきりと意識できた。
それは、なんとなく新鮮な驚きだった。
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