この間帰国した時に、
子供の頃ある教室で一緒だった
男性に再会した。
確か当時私は、15才だったのだ。
初めに通ったフラメンコの先生の所には、
青年座の研究生、役者の卵、
いろんな大人が習いに来ていて、
10代の真中辺りの少女には
24だの5だのの男性は
自分とは何の関わりもないような
「すっごい年」に思えた。
かわいがっていただいたのに、
恩知らずみたいだけれど、
TBSでアルバイトをしながら、
早稲田大学の大学院に通い、
日曜の朝にフラメンコに通っているFさんとは
親しいながらも、
遠い存在だった。
それから二人の間には
どんどん年月が降り注ぎ、
私はスペインに渡り、
更に年月が経った。
人の噂であのFさんは、
有名バレエ団の教師に抜擢され、
振り付け師として活躍している、と
いうことが耳に入ってきていた。
TBSのアルバイトと、
早稲田大学と、
あの、日曜のフラメンコが
Fさんにとって何だったのか
さっぱり繋がらなく、
その上更にクラシック・バレエが
いつの間に入り込んだ要素なのか
首を傾げるばかりだった。
94年のリサイタルでは
わざわざ見に来てくださったのだ。
最前列に、当時の日曜クラスの大人全員が
にこにこして陣取っていたので
舞台からも目に入った。
!!如何せん、
こっちは舞台の上だもの
「お久しぶりです、ありがとう!!
その後如何おすごしですか?」とは行かない。
それっきりだ。
それが、鷺沼にアカデミーを開校した
昨年の12月に、
Fさんがスタジオに尋ねてくれたのだ。
「いつか会おう、会おう」と
電話でせわしなく叫んでいるだけでも
2年は実現しなかったと思う。
こっちから電話すると
パドドゥの振り付けの最中だったり、
あちらからかけ直して戴くと
こっちが集中の真っ只中。
稽古の合間にすっ飛んでいけば
正味50分は話せるよ、というので
(悲しい!一時間ですらないのだ)
すっ飛んではいけない私は、
あちらに来ていただいた。
秋葉原も鷺沼も、
背骨に負担のかからない
クッションフロアの上に、
バレエ用の、
すべりがちょうど良い床にしてある。
まだバレエクラスは開いていないけれど
いづれ近いうちに開講するつもりでいる。
まずは床を検分していただく。
バーその他も見ていただく。
驚いた事にヨーロッパでは
バーの高さは115センチ前後なのだけれど、
日本は主流が100センチなのだそうだ。
鷺沼のバーは一部を残して、
低くするつもりだ。
まぁ、柔軟にして高く上がる人も
日本にもいるだろうから
ヨーロッパサイズも多少は残さないとね。
天井は思いきり高くしたが、
これはFさんのお眼鏡にかなってほめられた。
バレエのリフト
(男性がバレリーナを高くかかげる振り)
にも耐えるから、
素晴らしい、
こんなスタジオはちょっと得がたい、
とお墨付きをいただいた。
四室は作れますよ、
という業者の意見をはねのけて
目いっぱい大きいスタジオ一つと、
中スタジオをもう一つだけしか
作らなかった。
ほとんどの現存する大ホールの舞台面と
同じ大きさにしてあるので、
リハーサルに良い。
これから落ちついたら企画する
様々な講習会やパーティにも
人を断らなくて済むに違いない。
やれやれ、今年は多少の残工事が宿題になっているが、
まずまずの出来あがりか.....。
スタジオの検査に通ったところで
残る時間を、Fさんと舞踊論に花を咲かせた。
昔は子供で話しにもなんにもならなかったとしても、
子供が一端大人になると
先に大人になっている人と対等になる。
まるでお友達みたいに
気楽に話せるから不思議だ。
人生の妙味ここにあり。
そもそも、Fさんは昔早稲田で、
しかも大学院まで進んで
何の勉強をしていたのか、
聞いてみたのだ。
そうしたら意外や意外、
舞踊史を専攻していたと言うではないか。
なんでもこういう専門は
早稲田にしかないらしい。
それでさまざまな舞踊の研究の一環として
フラメンコも
研究していたらしいのだ。
クラシックは
その前からやっていたと言う。
そう言えばFさんは
フラメンコのレッスンの前に
必ず一通りのプリエなんか
厳格にやっていて、
不思議に思ったような記憶がある。
よって著書もいろいろあるらしい。
まあ!ちっとも存じませんで!
びっくりしましたわぁ、だ。
舞踊のことならなんでもござれ、
聞いてちょうだい!
の頼もしい人なのだ。
「私、去年はグラハム・テクニックをやったの。
すごかったわぁ、きつくって!」
そうしたらFさん
「グラハムやったの?あれはすごいんだ、きつくって」と
言うではないか。
やっぱりねぇ、
膝があざだらけになって
歩行もままならなくなったのだ。
体に悪そう、
と怖気づいたくらいだ。
それから現代舞踊全般の話しに移行して行き、
怪しい現代舞踊家でない、
本物のモダン・ダンサーというのは
すごい体をしていて、
スポーツ選手並の鍛え方なのだと
Fさんも同意した。
とにかく、反クラシックの旗印を掲げている以上、
モダンの振り付けは
斬新で
非常に難しいから
道具となる肉体は
クラシックダンサーを
追い越す勢いで
鍛え抜いているのだそうだ。
Fさんによると、
反クラシックという美名のもとに
怪しい稚拙な
自称モダンバレエダンサーも沢山居るのは、
どの世界も同じことらしい。
怪しい抽象画と同じだ。
そうでなくて、
本物のダンサーの話しを、
山盛りした。
分野が違ってしまうと見分けも難しいが、
同じ「舞踊」という土俵の上では
他のジャンルでも
かなり精密に真偽がわかるみたいだ。
それはフラメンコが専門で、
クラシックやモダンを勉強していると
更にこの理論がくっきりする。
こういう事があった。
グラハム・レッスンの時に、
非常に上手くて年若いダンサーがいた。
彼女のテクニックは
おそらく生まれつきの条件が
非常に良いため(柔軟ないい骨格)
ナチュラルで伸びやかに目に映る。
本人の感受性も素晴らしいけれど、
今一つカラが破れないもどかしさがあった。
おそらく若過ぎるために
心の奥の感情の爆発とか、
クライマックスの持って行きかたがわからないのかな、
と常々感じていた。
グラハムの校長だった人が
レッスンをしてくれていたのだけれど、
最終日に、このダンサーを呼んで
私と同じ事を言ったのだ。
怖がらないで
もっともっと壁の向こうまで行きなさい、と。
それがいつか
きっとあなたを立派なダンサーにするわ!と。
私は我が意を得たり!
と思ったものだ。
私の通うモダンの研究科は、
二週間毎に講師が変わるが、
他の国のどんな先生がやって来ても
テクニックは違っても
底流に流れるものは同じなのだ。
「どうしたの!もっと心にひそむ怪物を出して!
それが見たいのよ!!」と
先生は時々叫ぶ。
私が集中レッスンで叫ぶみたいに。
ああ、同じなんだな、
と今更ながらに感動する。
舞踊という、真に上手と言われるには
非常に難しくて、たゆまない努力を強いられる
この芸術の、最後の仕上げは、
心の中に棲む怪物を出す事なのだ。
その一瞬は、美しく見えるか、見えないか、
そんな事は計算しないのだ。
鏡で自己を確認するような偽の舞踊でなく、
魂の強さを技術の端々に
みなぎらせる事ができなくてはならない。
これは、どんなお姫様役の
クラシック・ダンサーだって同じなのだ。
よく言われるところの、
「技術だけでなく」、ではない。
技術の習得は「絶対」なのだ。
これこそが、プロとアマチュアの違いなのだから。
更に、その技術の上に怪物を引き出すのは、
どんな分野のどんな踊りにも
最後の仕上げであり、
最後の課題なのだな、と
この頃しみじみと思うのだ。
同時に、どんなに優れた踊り手でも、
ここまでたどりついておきながら、
怪物を引きずり出す事ができなくて
もがき苦しんでいる人も沢山見かける。
私は、毎日のレッスンでこんな風に
バレエ仲間のみんなを眺めて、日々発見し、
Fさんのような人と再会しては
意見の一致を見たりして
ますます舞踊という自分の選んだこの道に
強く惹きつけられて行く気がする。
それはあたかも、物事の本質というものに、
常に向かい合っているような緊張を伴う。
.....自分はこういう緊張が好きなのだ、と
いう事も最近わかり始めたことの一つだ。