昼食の前までに、二時間のバレエレッスン、
ジム、仕上げの二千メートルの
水泳プログラムをこなすとなると、
着替えの時間も惜しまないと日課がこなせない。
だから朝一番でレオタードに着替えて車に飛び乗り、
スタジオのドア口まで乗り付けて
レッスンに駆け込んでいる。
これが終わると水着を下に着込んで
クラブに駆け込む。
バレエの先生は
「そんな事してると
ハイウェイなんかで車がエンコした時に
レオタード姿でボンネットを開ける羽目になるよ。」
と笑ってからかっていた。
まさかぁ…と笑っていたけど、
ある霧の朝先生のからかいが
現実となってまさしく
ハイウェイでレオタード姿で立ち往生した。

驚愕の朝のドライバー達！！
あー、恥ずかしい！！
助っ人はすぐに現れてくれたけど、
ああいう野外舞台は苦しい。二度といやだ。
　バレエスタジオは、
セビージャの中心街の
ゴタゴタした所にあるから、
パーキングに結構苦労する事も度々だ。
もたもたしているとクラスに遅れてしまうから、
よく標識を確かめずに路上に乗り捨てて
飛んでいく事も少なくない。
きついレッスンを終えてドロドロになって、
愛車にたどり着くと
違反切符を切られている事が年中。
高い月謝に駐車違反代をプラスすると、
さすがに太っ腹の夫も
「もう、バレエやめたらどうだい？」と言わしめた。
いやっ！！

　バレエの先生は実に良く見てくれる。
「ボクはね、
アキコには君たちより
余分に見てやらなくちゃならないんだ。
何しろこの子ときたら、
今月は合計五万は払ってるんだよね。
クラス出るのに。
そのうち交通局がさ、
そこの広場に彼女の銅像立てるから。
『度重なる駐車違反により、
スペイン財政に貢献した
アキコ・トモシゲを記念して』ってさ。いい？」
クラス全員爆笑。
エコヒイキされてもなぜかみんな私に親切。
これって喜ぶべきか…。

　二日間たて続けに違反の紙をワイパーに見つけたら
さすがにゲッソリした。
腹筋台でやけくそになっていたら、
いつもの仲間が「どうしたんだい？」とか
言ってあやしんだ。
訳を話したら、「それ。貸してごらん！」
「え？！何？」
「違反切符だよ。何とかしてあげるからさ。」と来た。
ぽかんとしていたら、
なんと、
この、毎朝のように見掛ける筋肉の隆々とした男性は
交通警察のおまわりさんだって言うじゃないの！
へぇ！そうだったの…。
だけどおまわりさんだっていったって
仲間が書き込んだ違反書類を無効に出来るの？
「へいっちゃらさぁ。
コンピュータの係に言ってね、
これ、ない事にしてやってくれないかなぁ。
友達なんだよ、と言えばまずＯＫさ。」
ク・ク・ク・・・アミーガ（友達）！！
国家公務員が公然と。
良いのカナ、お言葉に甘えちゃっても…。

　しばらく違反もなしに平和な日々が過ぎて、
さてはパーキングのコツが
玄人はだしになったのかしらん。
と喜んでいたら、
止めておいたはずの場所に
愛車が見つからない。
記憶違いか？
ノイローゼか？
確信が持てずオロオロ。
私が止めたと思った所には
身障者用のバスなんか止まってる。
このマイクロの運転手と
思しき人物が近寄ってきたので聞いてみる。
「あのう…」
「あ、あの車ね！さっきレッカー車が引いていったよ。
ホラ！そこに三角のシールが貼ってあるでしょ？
どこにもらい下げに行かなくちゃ
いけないのか書いてあるはずだよ。」
がっくり肩を落として
地面の三角シールを手にする。
タクシーを拾い、
運転手にシールを渡すと、
座席に深々と寄りかかり、
ため息をつく。
今日のレッスンは
全力投球してもう力が余っていない。
そう言えば余分なお金も持っていないし、
どうやって車を返してもらおうか…。
悲しくなって
運転手に相談してみる。
３万は取られるという。
「あなたは身障者専用スペースに
間違って駐車しちゃったんだね。
うっかり見落としたんだよ。
『あっ！空いてる！』
と思っちゃったわけだ…」
しばらくこの、
人の良さそうな
初老のプロドライバーに説明されて、
うなづいていると、
いきなり、
「あなたはバイラオーラでしょう！」と言う。
え！？と驚く。
どうしてわかっちゃったのだろう。
レオタード姿じゃないのに…？
「ああ、そう。
日本人のフラメンコ留学生が
とっても多いので
そう思われたのね。」と答えた。
「いや、あなたはエル・アレナルのソリストだ！」
…「！」びっくりしたのなんのって…。
　「運転手さん、どうしてご存知？
私、今はもう、タブラオはやめたの。
それにしてもどうして？」
「私はあなたのソレアを見た事がある。
あなたは上手いよね。
とっても外国人には見えないよね。
あのアイレと存在感はサ。」
あまりの展開にしばし茫然。
この運転手さんの話はまだ続く。
何とこの人、
プロのギタリストで
ヨーコ・コマツバラに契約されて、
日本にも３回行っているって
言うじゃないの！
今は引退して昼間だけの（夜勤なしの）
タクシードライバーを
しているんですって。
驚いたなぁ…本当に。
　あわてて自分の姿を点検。
ヒドイかっこう。
バレエの後は、髪はボーボーだし、
スっピンの上に疲れてドロドロなのだ。
こうとわかっていたら、
もうちょっと何とかしたのに…。
後悔先に立たず。
　ちなみにこの人、
お仕事中だって言うのに、
交通局まで車をつけると、
心細いだろうから…と
タクシーを降りて
私に付き添ってくれたのだ。
その上、自分が万事説明してあげるから、
絶対にそんな流暢なスペイン語は
話しちゃダメだよと、言う。
そうして青い制服の係官に向かって、
「このスペインに来て日の浅い気の毒な女性は…」
としきりに言ってくれたのでした。
私は眉を下げ、
せいいっぱいの微笑みを浮かべ、
何か質問される度に
"I see."とか、"Well.."なんか言って
英語なまりのカタコトスペイン語で
返事をしたのでした。
あー、難しかった。(:-P

　…で、どうなったと思います？
ハイ、おかげさまでおとがめなし、
無罪放免となったのでした。
ウッソー！
こぉんな調子のいい話、
信じられない！って？
本当に本当に本当の事、神に誓って。

おまけにまだあるのです。
天下晴れて愛車を返上してもらい、
喜びいさんでキーを差し込むと、
さっきの係官がコツコツと
車の窓をたたくじゃありませんか。
ドキーッ、さては思い直したか、
何か露見したのか！？
そろそろとウィンドウガラスを降ろす。
「何でしょう…？」おそるおそる聞く私に
ブルーの瞳の係官がちょっと口ごもり、
「ね、あなた、
その…今週末ディスコにでもどうかな、
と思って…」
ダイナマイト級の驚き！！
どうしちゃったのよ、今朝は！？
こんな事ってあるぅ？
あまりに数奇な運命のいたずらに、
さすがのアキコ・トモシゲも、
もうフラフラじゃ。
水泳はやーめたっと、今日は。
家路を急ぐ帰り道、
笑いがこみあげてきて、
１２０Ｋｍですっ飛ばしてしまった。

　全半生振り返ったって、
最高にドロドロのヒドイなりをしてて、
こんな事ってあったかしらん、ねぇ？
おまわりさんにデートに誘われちゃうなんて！
これが又、
若くてちょっと素敵な男性だったのだから。
ワハハー！とは笑わずに
"Perdon?"とか言って
わからない振りをしちゃったのダ。
もしかしてこんな日は
ペテネーラが上手に踊れちゃうのかも…。
ああ、自慢じゃないけど、
私はギンギンにドレスアップしていても、
日本じゃ絶対にこんな風に
男性から甘やかしてもらう事なんてないの！