昨日、集中レッスンを終えて、
今日はもうセビージャの自宅で
元気いっぱいに目覚めた。
成田空港周辺のホテルに前泊して、
搭乗前にジムと水泳でがっちり鍛えると、
そのあとの飛行機も辛くなければ、
帰って来てすぐに何事もなかったかのようにフル回転できる。
これが、この春までの実験結果だった。
今回は、更に研究を進めて(?)成田でなく、
箱崎のホテルにしてみた。
こっちのがもっと快適だ。何故か....。
プールもジムもバレエ・スタジオも
朝の6:30からオープンしているのだ!
おまけに、優秀で機敏なホテルのベル・ボーイが、
あの大きくて憂鬱なスーツ・ケースを
さっさとANAカウンターに持って行ってくれて
あっという間に荷物から開放してくれる。
文字通り「朝飯前」に
飛行機のチェック・インが終わってしまって
手ぶらになれた。
夢のように嬉しい!!
それから、ホテルでらくらく2時間もプールとバー・レッスン、
サウナにジャぐジーに水風呂で、
鋼のような体にがっちり作り上げてから、
生まれて初めて小さなハンドバック一つで成田に行った。
出発ぎりぎりに着いたって、
もう、カウンターに行かなくていいのだから何一つやる事がない。
ウソのように楽ちん。
なんでこれをもっと早く思いつかなかっただろう!
あのものすごい飛行時間を快適に過ごす究極のアイディアは、
これが決定版だ!是非お試しを・・。
今回の集中レッスンに初めて加えた、
初中級プログラムが受け付けるなり
申し込みが殺到して〆きりになり、
ずいぶんお断りしなければいけなかったと
担当者から聞いた。
受講できなかった方達、
本当にごめんなさいね。
あと1ヶ月で八月のレッスンスケジュールが決まるので
今度は早めにトライしてみて下さい。
集中レッスンを始めて10年になるけれど、
一度としてびっくりしないことがない。
日本国内の北や南の遠い地方から
一生懸命来てくれる人達も、
私は頭の下がる思いがするけれど、
皆「先生よりは近いですもの」
と言って屈託なく笑うのだ。
可憐にして健気な事だ。
上手くスケジュールを調整して、
私も二泊三日くらいで
地方に教えに行ってもいいと思っている。
実は東京の生まれで旅行嫌いなので、
日本国内はほとんどどこにも行っていない。
知り合いもいないのに、
多忙をおして自分で計画して
長崎や北海道を訪ねようとは、
なかなか思えない。
昼間はその土地を案内してくれて、
夜は集中レッスンというのはどうかしら?
スペイン生まれの二人の小さな娘も、
学校がお休みの時なら連れて行きたい。
生まれて一度も雪を見たことがなくて、
北国のかまくらに二人ともとても憧れているのだ。
ついでながら、私も憧れている。
そういうところでフラメンコを頑張っている人達の力になれたら、
更に嬉しい。
今回、長崎からの参加生が
「本当に来て下さいますかァ?」
と瞳を輝かせていたので、
いつか、あの、ロマン溢れる日本史の舞台となった
土地と人々を知ることができるかもしれない。
お互いに良い思い出が作れて幸福かも。
今回は香港から参加してくれた人があった。
ここ数年、外国からスケジュールを合わせて
参加してくれる人が
増え続けている。
スペインの方にもやって来るから、
実にインターナショナルな、
明るく、開放的ないいスクールになりつつあると、
とても嬉しい。
同時に皆の希望や懸案も聞いて反省したり、
次のプログラムの参考にしている。
前回、「困っている人は、
1時間の個人で問題点を見てあげる」と書いたので、
早速申し込んだ人が何人かいた。
既存のスクールに飽き足りなくて、
ありとあらゆるクルシージョに参加して
勉強している人が割といるみたいだ。
それはそれで良い事だと私は思うのだけど、
本人にはそれでは満足できない
重大な問題点もあるようだった。
つまり一口にスペイン人と言ったって、
そのスタイルがバラバラだから、
やたら足ばっかりで終わってしまったりして、
特に上体の使い方は
誰もよく教えてくれないみたいなのだ。
色々な人に習うから、
バラエティではあっても、芸風に一貫性がなく、
自分のものがいつまでもまとまらないと嘆いていた。
だから、「習ったもので気に入っている曲を、
自分で振り付け直してごらんなさい」、と指示してみた。
次回は、彼女が振り付けたものがOKか、
変えるとしたらどこか、
添削してあげる事にした。
2ヶ月おきに添削してもらったら、
とても良い踊り手に育つと思う。
自分が好きなだけでなく
自分に本当に合った曲が、
これで踊り込める。
「自分で作って御覧なさい、
と言ってくれる先生に
会ったことがないです。
本当にいいんですか?」
と聞かれて、そう言えばいないかもしれない、
と初めて気がついた。
昔、全日本のコンクールで優勝した時の二曲は、
自分で振り付けのアレンジをしたのだった。
当時、この勉強法は先生にも、
同じ教室に通う生徒からも
よくは思われなかった事を突然思い出した。
でも、フラメンコというのはいつかは、
自分だけの物を踊らなければいけないのだし、
そういう力をつけなくてはいけないと、堅く信じていた。
それ以来、ずっと自分で振り付けたものしか踊っていない。
先生にまともについたのは、
スペインに渡ってはじめの数ヶ月だけだった。
マノーロ・マリン自身が
「もう、自分でやりなさい。教えることがない」と言ったのだ。
集中レッスンを始めてから、こういう風に驚く。
つまり、自分の歩いてきた道を忘れてしまっていて、
生徒の質問で突然思い出すのだ。
それは、新鮮な驚きでもあり、
胸によみがえる切ない思い出の時もある。
そう言えば、ずいぶん苦労したんだっけ、と。
「大丈夫よ。方向さえ間違えなければ、どう転んだって、
そのやり方で
私くらいにはなれるのは
保証つきだもの」
そう言ったら、生徒はにっこり笑った。
なら、ちょろい!と思ったか、
「滅相もございません、有り難いです」と思ったかそれは謎だが、
どちらにしても私には構わない。
不安と緊張の悲観的な感じでやって来た人が、
にっこりして帰ってくれるのが
私には大事なのだから。
私はそのために居るのだもの。