世の中には資格と言う便利なものがあって、
その人の技能が簡単に信用できるか否か
判断がつくようになっている。
資格免許や免状が掲げてあれば
まずは安心というものだ。
これが、本来計ることが難しい
あるいは不可能な、
芸術の分野に入ってくると
少し問題がややこしくなる。
日本語訳の「王立芸術音楽院」
スペイン語のCONSERBATORIO―コンセルバトリオの事だ。
スペインの義務教育は主要教科しか授業がなく、
音楽、図画、などがない事は以前ちょっと触れた。
日本で教えているような
ハードル、跳び箱、などの体育もないのだ。
よってこれらを補うために、公立の機関として
上記のコンセルバトリオが存在するのだ。
自由意思で好きなものを習う。
音楽の嫌いな理科系天才坊やは
無理やり音符や楽器に苦しまなくてよい。
それなりにいい制度だと思っている。
ここに舞踊科がある。
クラシックバレエの専科と
スペイン舞踊専科の二つのコースだ。
どちらもクラシックバレエの基本が
かなりの比重で必須科目になっている。
ようするに
「スペイン舞踊コース」でも
フラメンコの専門の人は修めにくいのだ。
脚が厳格なアンデオールで
90度の高さで
かつ前後左右に均等に
キープできないといけないのだ。
そうでないと免状が出ない。
私はバレエの愛好家だし、
バレエの激しいトレーニングが好きだから
たまたまレッスンをしているが、
フラメンコの舞踊家に
この技術が必須だとは、
絶対に思っていない。
これができないといけない、と言うのなら
例えばあのフラメンコのゴッドマザーというか、
大家のマティルデ・コラールだって
真っ先に落第してしまう。
だからこのコンセルバトリオの
スペイン舞踊コースの終了者が
フラメンコの生え抜きのアーティストより
芸が上だとは絶対に言えない。
言えないのだけれど、
あの免状は玄関に掲げてあると
それなりに
教師としての信頼を得られる。
よってあの免状取得を目指す人がかなりいる。
いや、あれを取らせようとする母親が
かなりいる、かもしれない。
つい数年前まで、
この資格は30才を過ぎた
プロの踊り手としての芸歴があれば
たった一日の外部試験でもらえた。
ところが卒業生が巷に溢れ出して
どこを見ても
教師の免状取得者だらけになって来ると、
基準を厳しくしだした。
コースの終了も6年だったのが8年になり、
去年頃?から
この先14年になりつつあるといういい加減さだ。
8才で入学して
14年も試験にしばられたら、
例えば現役時代の短いバレリーナなど
舞台に一度も立てなくなるという批判の声が高い。
今現在でもこの資格試験に通るための
予備校のような形になっている
マティルデ・コラールの舞踊学校は、
校長のマティルデより
他に真の意味で踊れる人が
一人もいないのではないかという疑いが起こる。
レッスンでは
どうやって試験に受かるか、しか教えない。
当然、発表会なんて無駄な事はしないのだ。
踊りの心、踊りの感性、
そういうものは誰も心に浮かべない。
芸術性というものに思考が向かないのだ。
大学受験だけが命になってしまっているみたいに、
日々試験に通るコツだけをさらっている。
私は、前に通っていたバレエ学校が、
日本に行っている間に消滅してしまった一時期、
仕方がないので
このマティルデ・コラールの
バレエコースに半年近く通っていた。
まず、バレエ教師が劣悪なので驚いた。
試験に通る、通らない、しか教えない。
レッスンに使う音楽が何かの冗談か?と
いう程にひどいのだ。
CDですらない、何か録音の継ぎ合せで、
途中、ぶちっと切れてる。
延々と6コンパスくらい切れたままでその先が来る。
しかもグラン・バトマンになると、曲があろう事か
ビートルズのミッシェルになるのだ。
みなさん、ミッシェルですよ、ミッシェル!
クラシックバレエのバーレッスンで!
あら?それがどうしたかって?びっくりしません?
....じゃ、これは?
フラッペのエクササイズでは荒野の七人か何かの
映画テーマになるのは?
驚かない?
今にも騎兵隊が出てきそうなやつ。
チャールス・ブロンソンがならず者の笑いを
浮かべて大アップになりそうな、あれ。
ショパンとかストラビンスキーという
穏当な曲は考えつかないのか。
えー!?何これー!?先生のお茶目?とにたにたしたら、
誰も、誰も、にやついているのがいないのだ。
みんな荒野の七人でまじめに脚を上げたり下げたりしている。
ぶちっとテープが無音になろうが真面目くさって続けてる。
ミッシェルに合わせて
ダサいエクササイズを平然と繰り返している。
....こんな感性で何の教師になるのか。
私が試験官だったら誰にも免状はやらない。
この教師の分も剥奪する。
ほう!世にこんな舞踊の修行法があるのか、
と目の覚める思い。
私はここに通う朝が耐え難く、
胸にいっぱい砂を詰めこまれたような気分に
ふさいでしまうのをどうする事もできなかった。
レッスンの後は必ずジムに飛んで行って
精神を清潔にしたい思いに駆られたくらいだ。
そう、毒殺されてしまったのだ、毎朝。
資格を取ろうと躍起になっている気持ちは、
芸術とはとても遠い位置にある。
あれはあれで、私には物を考えるいい機会ではあった。