と思わされて過ごすほど
辛いものはないと思う。
下手でもいい、できなくてもいい、
とにかく何と何があるのか参考にしたい、
と思うのは当然の欲求なのだ。
そうして飢えた心にまず、
一応の満足と安心を与えて、
自分の頭の中にも
明確なフラメンコという芸能の
デッサンが出来あがって、
初めてじっくり取り組めるのではないだろうか。
一応基本骨格として持っている曲の中から
本当に心をひかれる一曲を選び出して、
バージョン・アップをしていくのもいい。
趣味なのだもの、
全部を楽しくおさらいしていくのもいいし、
自分に合った方法を各自が選ぶのだ。
自分だけの、自分のためのフラメンコへの取り組み方を、
自分で考えてみるのだ。
この段階で私は、
全ての生徒に責任を持つ覚悟だ。
それぞれの決定したこの先の取り組み方に付き合って、
力の及ぶ限り伸ばして行くのを楽しみにしている。
伸びたくない人には一緒に足踏みだ。
集中レッスンの、私の真の目的は実はここにあるのだから。
誰も行き詰まらないで済むように。
それはつまり、私の教師としての責任と、誇りだ。
けれども黙って悩みを内向させていたのでは、
さすがに私はそこまで心が読めないので、
相談して欲しい。
個別にレッスンの合間というのではせわしなくて
十分な手当てができないので、
ゲストブックに書き込んでください。
直ちに答えられない多忙な時も多いけれど、
きっといつか読んで時間をとって
答える努力をするので。
匿名は基本的に、私は好きではないです。
本名をきちんと載せてください。
悩みの焦点が本名を明かすのに問題がある時は
お手紙か、ファックスで、
簡潔で明確な内容になるよう
努力して書いてみて。
勿論、私には本名を明記して。
なるべくお返事はゲストブックでします。
一人の悩みは多くの人に共通している事が多く、
みんなのためになるので。
差し障りのある所は
勿論配慮するつもりなので、
心配なく。
さて、ここで、
「まだ10年早い」
「まだ、生意気かも」について。
よく耳にする言葉だ。
もしもあなたが15才を過ぎていて、
もしかして25才もとっくの昔だったとしたら、
この二つのフレーズは口にしなくてよろしい。
どんどんやるべきだ。
私のレッスン科目に、
バタ・デ・コーラとマントン・テクニカがある。
「まだ、私なんてとんでもないです。」
そして上記の二つの言葉が飛び出す。
マントンの扱いを習うということは、
上体の正しい軌跡を習得する一番の早道になる。
だからこれは実は上体テクニカと
名づけていいくらいなのだ。
入門生以外の全ての練習生は、
この科目の対象になる。
バタ・デ・コーラは、
上体が更に要求されるし、
踊りが平面的でいつまでたっても上手くならない人ほど、
早くやった方がいい。
実際にはバタの踊りが好きでなくても構わないのだ。
舞踊の基本的な軌跡とか、
遠心力とか、重心の移動法が
とても楽に、
目に見えて習得できるから、
私はこのテクニカは
初級が2〜3ヶ月過ぎたくらいのレベル以上の
全ての練習生を対象に選んでいる。
全てのことは相対的で、
微妙な効果を上げて行く。
だから簡単なことと一緒に、
難しく見える事にも一応手を出してみて、
元になっている基本練習の
盲点の反省に使えたりするのだ。
基本というのは一元的な、
あのつまらない練習を指すのではない。
盲点に気付き、反省し、
驚嘆しながら、
自分の舞踊度を磨いていくことなのだ。
これには「まだ早い!」
などというフレーズは
全く介入の余地なしだ。
ただし、フラメンコはあくまで趣味なのだから、
経済的、時間的ゆとりがない人は、
がんがん飛ばして行くお友達を見て
落ち込んではいけない。
自分というものを的確に把握して、
妬みもなく、落胆もなく、
清浄な、気長な気持ちを
持てるように
修行して行く事が肝心だ。
この態度こそ、
人生を幸福に渡って行く鍵だと思いませんか?
芸の力によって、
人格をぶ厚く養って行くのだ。
何かを全うして行く過程で、
こういうおまけが、
嬉しくもついてくるのですよ。
私も、その意味では勿論、修行中です。
技術の点でも、勿論、練習生。
このままで終わるつもりは、全然ない。
もっとうまくなるぞー!