あらら...来週はもう、
日本に発たないといけないみたいだ。
なんの用意もできていない。
この頃は全部一式日本に置いてあるので、
小さなハンドバックだけで
飛行機に乗ってしまう。
私は旅行の準備というのが
とても嫌いなのだ。
行く時も帰る時も苦手だ。
荷造りというのがよくできない。
色んな物を入れ忘れる。
旅先でなくしてしまう。
そんなんでよく、こういう職業を
今までやってこれたと思う。
まぁ、なんでも百点、とはいかないものね、
苦手な事だっていっぱいあって当然だ。
....と点を甘くしてしまうから余計だめだ。
クラスのことだけは真面目に準備できてる。
今回はなんか、
あっと言わせようかと思って
....楽しみにしている。
後で自習が楽しくなるような、
そういうテクニカクラスを工夫してみた。
どうかなぁ、気に入るかなぁ。
「スゴイ!!難しい!!」と言って
脱落しそうな人が
少なくなかったので、
「ていねいに根気良く、親切に」教えると、
なんかこの頃つまんない、
みたいな顔する。
ホント、やってられないわ、
というのはこっちのセリフだ。
集中レッスン受ける人はよーーーーく、
ここのところを読んで欲しい。
つまり、私のクラスで
みんなは私に魅了されたい。
来ただけの事はあったと、
圧倒されたい。
ホントだ、全然違うわ!
お値打ち!と感動させて欲しい。
いいじゃないの、望むところだ。
アーテイストが本業なのだから
エンターテイメント分野は専門中の専門だ。
ところが、圧倒されたいが、
実はこぉんなに簡単だよ、と言われたい。
そして最後は、ほーんとだ、出来た!!
わたしにも!
こう言って二重にお得で帰りたいというのが、
受講者の本音なのだ。
前半はいつでも期待にこたえられる。
中間部分の謎解きも、勿論。
私は親切が売り物なのだ。
でも、最後の仕上げだけは
受ける人の心構えと
努力に帰することなので、
ここまでは世界のどんな教師も、
保証しない。
だからせめてクラスを4回は取って欲しい、
と但し書きしている。
このくらいは続けて来てくれないと
自分で効果が自覚できないからだ。
一週間でもない、ただの4回。
それでも都合がつかない人というのは、
これより回数が下回る。
はじめのクラスでびっくりする。
びっくりしたかったのだから、これはOKだ。
2度目のクラスで「なんか、こうらしいな」、と思って帰る。
3度目で、ああ、ここが違うか、と前向きになる。
4回目でここのとこを
頑張ってやらないといけないんだな、
これが一般的過程。
こういう過程を何回も繰り返すうちに
自分の感覚とか見方が変わってきて、
めざましく上達するのだ。
1回、2回だけだとびっくりして終わる。
大変結構なことなのだ。
びっくりすることがあったのだな!
と早期発見できたというのは。
ガンの発見と同じ。
早ければ早いほどよい。
自分のレッスンや
フラメンコの取り組みに
ヒントが掴める。
10年たってから初めて驚いたら、
間に合わないかもしれないのだから。
落ち込む、という言葉は便利だから、
あらゆる人の口から
あらゆる場面で簡単に出る。
そんなに簡単に
いつでもどこでも
落ち込んではだめだ。
フラメンコだってね、
ある意味では
スポーツなんだから
手芸じゃないんだから、
そりゃあちっとは根性入れないと
カッコ良くできないのが
理屈じゃあないですか?
血が滲むほどやれと言ってない。
クラスに来る前の電車の中で
ちょっと振りの復習くらい
頭の中でやってらっしゃい、と言ってる。
ボサーっとしてスタジオに立って
初めて、えーと、
こないだ何やったっけ、
みたいな人は
それでも私はかまわないけど、
こんなに怠惰なのだから
純情そうに落ち込んだりするな、というの。
できなくても当然なのだから
からっとしてたら
いいと思うのよね、後でも。
自分が注ぎ込んだ
努力と愛情と根気分だけは
必ず報われるのが、フラメンコだ。
注いでなかったら
報われなかったと言って
ひがんではいけない。
あははは、と言ってたらいいじゃないの。
怠け者だし、時間もないし、
でもフラメンコ好きだし集中レッスン出たい。
私はこれだって
この人が幸福だったら
全然かまわない。
クラスに「えへへ...」
て可愛く笑っている人がいたって
いいんじゃない?
なんでみんなして
法律で決まっているみたいに、
脅迫観念みたく、
一様に「落ち込む」?
何をどこから勉強したって全然かまわない。
早く上のクラスが知りたい、
行きつくとこはどこなのか、
うんと早くから知っておきたい、
と
いうのは少しも生意気ではないし、
早過ぎるということもない。
他の人の邪魔になるかも、
と遠慮することもない。
他の人は他の人を
気にしている暇がないからOKだ。
ただ、この段階だったら、
インフォメーションとして
受け止める覚悟でないといけない。
できるようになって帰ろう、というのはだめだ。
まして落ち込むなんぞ、
それこそ初めて使わせていただくところの
「5年早い」だ。
ここで、もしかしたら
みんなが喜ぶかもしれない
私の近況をお知らせする。
去年までやっていた
クラシックバレエの
時間帯が変わって、
毎日行きにくくなった。
仕事があるから
朝一番で始まるクラスしか、
自分用には都合がつかないのだ。
困った挙句に、
スペイン国立モダンバレエ団に
入団してしまった。
ここの団員のレッスンは
毎日、朝一番で始まって、
昼まで四時間びっしりある。
普通は入れてもらえない。
でも、ディレクターは知り合いだし、
客員研究員として
レッスンだけ受けさせてもらえる事になった。
怪しげでない、
本物のモダン・バレエというのは
ものすごく難しい。
クラシックの基本が
きちんとできていないと、
やれないのだ。
ここの研究員はほとんど全員、
クラシックは教授の免状を持っている。
国の援助が出ていて、
舞踊団として
活躍している人達ばかりだから、
犬の中に混じってしまった
猫のように心もとない。
誰が?て、私がよ。
うん、そう.....
猫みたく心もとないわけです。
フラメンコ・ダンサーなんて
一人もいないし、
モダンのプロでない人も私だけ。
モダンの基礎もよくわからないのも、
私一人だけ。
講師は2週間ごとに変わる。
それもヨーロッパ中から、
世界で第一級という人を
国費で招いている。
こういうところは本当に感心する。
日本のような大国がここまでやらないのに、だ。
(日本て、本当に文化にお金出さない。
この点ではスペインには全然勝てない、
私達の国家は。)
先週までは、
ニューヨークの
マーサ・グラハム舞踊学校の
元校長自らがやってきて
レッスン開始となった。
突然毎日、英語になる。
2週間の間、膝小僧の周辺アザだらけ。
ものすごい訓練でした。
コンバットとか、
パレスチーナゲリラにだって
なれるかもしれないと思った。
2週間のレッスンの終わりが
待ちきれない程でした。
ひょっとして
みんなもこんな感じに
私がスペインに帰ってくれる日を
指折り数えるのではないかと、
想像してしまったくらい。
この次は、フランスの国立音楽院の
舞踊科のディレクターが
一週間招かれてやって来た。
これもすごかった。
今度は解剖学で博士号が取れるか、
と言う程、
体のありとあらゆる筋と
筋肉と
呼吸器の関連を
綿密に解明していくレッスンで、
ホント、まだ驚くことが、
世の中あるのかと思いました。
この、解剖学のレッスンが2時間!
アンデオールに開いた時に
モモに六つの筋肉が働いている、と
言って
各自にその筋肉を自覚させる、
と
いったすごいレッスン。
そうやって全身について自覚させ、
呼吸との関連を解明していく。
耳に流れていく血液に至るまで、
感覚としてつかめるような
気分になりましたよ。
その後に、こういう自覚のもとに
バレエのバーレッスンその他が一時間続いて、
いよいよ振付けに入る。
この最後が突然、急ピッチになる。
一気に一曲振り付けてしまうのだ。
実は私はこのクラスで近年になく、
めちゃめちゃに落ち込みました。
ありとあらゆるフィニッシュのスタイルが、
見た事もないような
難しさと斬新さに溢れていて、
手も足も出なくなりました。
みんなは、はいっと言って
たった今見たばかりの一曲を
即座に暗記して、
決死の覚悟で踊るのです。
家無き子、
孤児、
みにくいアヒルの子、
おかぁさーん!と
いう気持ちに打ちひしがれましたね、
この、鉄の女も。
ああ、辛い....。
こんな孤独感に比べたら、
私の集中レッスンなんて
明るくて、面白くて、
お空に舞い上がる程楽しい!簡単!
ってなもんですよ。
本当ですってば。
あなた達の先生なんかね、
もう、全身すりきずだらけで
毎日格闘していますよ。
モダンの本物の踊り手というのは、
すごいと感心しました。
クラシックの男性は
割となよっとしている人が多いのだけど、
モダンの人はスポーツマン風が多い。
女性もがしーっとした肉体と根性を持っている。
「スポーツの世界の女」
っていう硬質な人が多い。
全身、これ、筋肉。
よく、無駄の無い体と言って、
日本ではやたらとやせたがるけど、
これは違う。
いつも言っている事だけど、
ここに来てまた思った。
全身が筋肉によって
ヨリ上げられているのだ。
ほうっ!すごい!!
という肉体を随分見ました。
60歳過ぎても、
そういう体をしているのを
この目で見て、
ああ、できるんだ、こういう事って....と
溜息が出ましたよ。
フラメンコは
こんな縄編みみたいな体でなくって、
ぷくーっとした
おでぶちゃんでもいいのだ。
ここがこの、フラメンコの素敵なところだ。
どんな肉体的ハンディが
あっても問題ない。
心意気だ。
全人格だ。
魂だ。
ただし、
フラメンコ的粋さ、というものに磨かれた、
という条件は満たさないとね。