この所、ずっとフィエスタが続いている。
フィエスタ、すなわちパーティの事だ。
スペインのパーティは、
日本では想像もつかないくらいに、
こってりしている。
どんな風に?まず、時間が長い。
1日がかりだと覚悟していてもまだ足りないのだ。
始まるまでに2―3時間、
始まってからまともで5−6時間、
もう帰りたいと思って更に2時間、
では、と別れの挨拶をして、
また元に引き戻されることだって年中だ。
うまく帰れそうでも、
戸口で更に二−三十分は、
招待してくれた人や友人、
知人の両方のほっぺにキスしてまわらないといけない。
これがとっても面倒だけど、
端折ると、ひどく礼儀知らずという事になる。
男の人には握手でやめたいと、
切に願うことが多い。
すごく強そうなヒゲをはやしていたりすると、
あれにさされたらランコムのクリームだって
後でお肌を回復させられないだろう、とたじろぐ。
けれど、こんな時ばっかり外人の
「別の習慣、握手」
という風に手を差し出しても、
「とんでもない!そんな薄情な事はできない!!」
とばかりに
ごわごわのヒゲで
親愛こめて顔をよせられてしまうのだ。
ランコムの敗北。
日本とスペインの習慣の極端に違う例の最たるものは、
日本はあっさりとしていて、
控え目なのが美徳だけれど、
スペインでは何はともあれ、
冷たい感じに距離を置くのが
一番興ざめで、
失礼なのだ。
甘えたり、
甘えられたりするのが大好きな傾向が強い。
だからと言って
やたらと男の人に
しなだれかかってしまっては、駄目。
この辺のさじ加減には
不慣れなうちは相当苦労するかもしれない。
どこの国でも
様子がわかるようになるのは大変だ。
私はこの、スペイン式の
たっぷりした親愛の表現の方が
日常になってしまっているの
で、
日本に帰ると、
なんだか冷たくって
気持ちのやり場に困るのだ。
さて、フィエスタ。
クーロ・フェルナンデスの長男で
ギタリストの
バコ・フェルナンデスの愛娘、
ソレダ−(SOLEDAD)の洗礼式に、
このあいだ招待された。
洗礼式というのは、
ほとんど結婚式のように盛大に行われる。
教会での洗礼の儀式の後に
披露宴さながらの大パーティが、
百人近い招待客を迎えて開かれる。
内輪でとりしきったとしても、
大家族のスペインでは、
相当数の人々が賑やかに集まるのが普通だ。
この日は、すごかった。
まず、洗礼式からして、
クーロ・フェルナンデスと、
あの、素晴らしいカンテ・ホンドの
ヘスース・エレディア・フローレスが、
ミサ・フラメンカを歌った。
シギリージャのリズムで、
神韻としていた。
感激してしまった。
本当に素晴らしいたたき上げのカンタオールが、
ものすごいキャリアとともに
60歳ともなると、
もう、胸がしめつけられるように、
その芸が極まるのだな、
とつくづく思った。
こんな風にして老いていくのなら
どんなに人生、
生き抜いて行くことが報われることか、
としばし瞑目した。
フラメンコの良さというのはここにある。
若いうちより、
むしろこのあたりから、
真髄に近づけるのだ。
ああ、私も心して精進して行きたいと、思った。
たとえ、それが若さと引き換えであっても。
クーロ・フェルナンデスは、
私にとってはほとんど恩人のような存在なのだ。
スペインに渡って一年もしない頃に、
(おそらくは何かの間違いで)
非常に重要なフェスティバルで
共演させてもらった。
今でもどうしてあんな、
キラ星のようなスターが続出した
大フェスティバルに、
日本からおまけの航空券と
名誉留学生の身分証を
握り締めて来た女の子が
ソロなんかで出られたのかよくわからない。
同じ舞台にアンへリータ・バルガスと
アウロラ・バルガスに挟まれて、
心臓が口から飛び出るのではないかと思った。
でも、この時の踊りが認められて、
次々と契約が切れることなく
飛び込んで来たのだった。
私なんかを応援してくれても
何の得にもならないのに、
ク−ロはあちこちで私の事を誉めてくれたのだ。
そのくせ私には面と向かっては
特に何も言わなかったのに。
スペイン人にありがちな、
恩着せがましい事も、
ついに一度も言われた事がない。
この人の長女は今、
飛ぶ鳥を落とす勢いのカンタオーラ、
エスペランサだ。
弟のホセリートは、
バイラオールで、
素晴らしいリズム感の持ち主だ。
トマティートのグループで共演している。
ソロ・コンパスの新しいブレリアのパーカッションは、
ホセリートがやっている。
あの、ものすごい切れ味は、
さすがヒターノだと思いませんか?
マヌエル・サラードもいいけれど、
私はホセリートのブレリアが出てから、
ブレリアのクラスがとても熱血に進んで嬉しい。
うっかり脱線してしまったけれど、
洗礼式では名付け親、
ゴッド・ファーザーにマザーが要る。
スペイン語でパドリーノ、
マドリ−ナと言う。
パドリーノはギタリストにしてギター製作家の
アンドレス・ドミンゲス、
マドリ−ナは、
踊り手のファナ・アマジャでした。
ファナも九才になる女の子がいるし、
先に紹介したエスペランサにも
6ヶ月になる赤ちゃんがいる。
みんなで小さな子供もひきつれて、
真夜中過ぎまでフラメンコ・パーティ、
ひと呼んで「フェルガ」で
リズムとカンテの洪水に突入しました。
ちょっと日本の常識では考えられないけれど、
小さな子供も夜中の三時過ぎまで
その辺を駆け回ったり、
パルマやバイレに参加したりするのだ。
この夜は、何百人もの著名なアーティストが集まり、
テレビ局までカメラマンを引きつれて取材に来たので、
ものすごい事になった。
カメラを見ると
みんな突然ライバル意識の焔を燃やして、
「次の契約」、「アピール」、
という文字が頭に浮かぶらしくて
和やかさなんか微塵もなくなり、
熾烈な戦いのような様相を呈して、
私は呆然とした。
ともあれ、そんな中で
マヌエル・フローレス(ローレとマヌエル)の
即興のレトラがすばらしかった。
みんなはこの、ギタリストにして入魂の歌い手、
マヌエルを詩人と呼んでいた。
彼の素晴らしいレトラの数々をご存知のファンは
日本に多いと思う。
実際は、本当にすごい。
その場でどんどん即興のレトラが
口をついて出てくるのだ。
ああ、この人が敬愛されているのは、
このためだったのか!
と今更ながらに感動した。
写真1 左から、エスペランサ・フェルナンデス、
筆者、
パコ・フェルナンデス、
愛娘ソレダ−、
その母でアンドレ・ドミンゲスの娘ピリ、
左下、筆者の長女ノエリア
写真2 筆者右、
ファナ・アマジャと娘のナサレ、
イニエスタ・コルテスと
筆者の次女タマ−ラ、
パコ、パコの叔母(コンチャ・バルガス姉)