ここ近年、日本で盛んに売り出されている舞踊留学ツアーで
セビージャに来た入門クラスの生徒が、
町で往きあう他の日本人留学生が
自分のことをバカにすると言って
憤然としていた。
穏やかならぬ彼女の様子に、
私はちょっと興を覚えた。
「どうしてよ。なんで知らない人なんかにバカにされちゃう訳?」
つい、語尾に笑いがにじんでしまう。
生徒の話に寄ると、
フラメンコ用品を買いに入った店や、
劇場やなにかで、
たまたま一緒になった日本人と
口をきくような機会がよくあるのだと言う。
そこでお互いに舞踊留学だとわかって、
情報交換の最中に、
このツアーで来たと言うと
相手は掌を返したように
軽蔑の色を隠さないのだそうだ。
私は笑ってしまった。
情景がはっきりと目に浮かぶ。
ははぁん、そういう事ね!
この、トウシロが!って態度ね。
「ツアーでぇ?って、大袈裟に驚くんですよ!」
そうしてありったけの専門用語と
アーティストの誰彼を批評したりして、
煙に巻くんだそうだ。
その上、次に練習スタジオで会ったり挨拶しても、
迷惑そうな顔をすると言って憤然とした。
私はまたもや笑ってしまった。
だってぇ、いかにも大人げないじゃない?
みんな若いと言ったって、もう10代ではないのだ。
しかし、毎度のようにこの手の話を聞く。
留学時期も場所も違うから、
いつも同じいじめっ子ではないはずなのに、
どうしてみんなして同じ目に合うだろう。
あるいは、どうしてみんなして
同じような愚劣な優越感を持つのだろう・・・・かしら?
そうして、そういう人は何年滞在しているにしろ、
絶対踊らせてみて上手かったりしないのだ。
恐らくこの人は、スペインに渡って
本当のフラメンコとその土壌に初めて触れて、
相当ショックを受けたに違いないのだ。
その潜在的な劣等感を、
次に来た「ひよこ」にぶつけているに違いない。
「まぁまぁ・・・・・・」ふくれっつらの生徒をなだめる。
一番初めのスペイン留学は、ツアーで十分だと、私は思う。
期間も短いし、「目次篇」的にすべてが網羅されていて、
とりあえず様子がわかる。
それに信じ難いくらいに安上がりなのだ。
安いだけの事はある、
と言って大いに不満がる子もいるけれど、
まぁいいじゃない。
それも次回の参考になる。
とにかく決心して来るのは、
それだけでなかなかの大仕事なのだから、
完璧を期するといつまでも実行に移せない。
段階に従うというのは、
時に人生を簡潔にしてくれる。
ついでながら、私は長期留学の味方ではない。
長くいればいいというものじゃないからだ。
意外に思う人があるかもしれない。
これは、また別の機会に詳しくお話することにして、
敢えて言えば、
物事が成就するのに一番大切なエッセンスというのは、
その人の資質と、
運と、
時期、
によるのであって、
「かけた時間」に左右される訳ではないからだ。
長期戦にはそれなりの落とし穴と挫折があり、
短期に攻め落とすほど簡潔で楽ではない。
また、どんな専門と職業にも言える事だけれど、
長年それに関わっているからと言って、
必ずその道で優秀であることの証明にはならない。
だから、短い旅行だからって、
卑下する事は何もないのだ。
一晩にタブラオを2,3軒かけもちして見て回り、
ショーをしっかりテープに盗み撮りしてきて
向こう1年分の練習テキストを手作りし、
翌日は移動のバスの中で印象をメモり、
あっちで驚き、
こっちでしょげ返って、
明日への闘志を、情熱の胸に宿して帰る。
日本に帰るとスペインの印象が強烈で、
何もかも嫌になってしまうけど、
そこをがんばって、
盗み撮りテープを取り出して、
あのパルマ、
あのハレオをコピーしてみる。
曲の呼吸を再現してみる。
サパテアードを同じような感じでやってみる。
似て非なるものができて、がっかりするけど、
とりあえずこういう事をやれる根性とセンスは養えた。
これは、すばらしい前進なのだ。
こういう勉強なしに、
即興性は身につかないからだ。
ここまで読んだだけで、
拒否反応を起こす人があるかもしれない。
じゃあ、盗み撮りテープを毎日、
リズムとアイレが自分の身に染みてくるまで聞く。
これくらいなら、できる。
たとえ1週間でも
入ってきただけの事はあるというものだ。
前向きに、前向きに、
自分の環境の中で心を引き立てて、
幸福な気持ちで暮らさなくちゃあ。
芸術の本命はここにあるのだもの。
踊りをやっていくのは、容易ではない。
うまくなりたいと思ったら、それは大変だ。
あたりまえの事だ。
世の中の人間は2種類だけなのだ。
舞台に立つ人間と、客席に座る人間。それだけ。
本来客席側なのに、無理やり舞台によじ登ったら、
そりゃあ、苦しい思いぐらいレッスンしてくれなくっちゃあ、
不公平というものだ。
でも、こういうのも楽しい事のうちだと思いません?
世の中そんなに何もかもが簡単だったら、
生まれてきた甲斐がない。
何かがだんだんできるようになって来る事ほど、
感動的なことはないじゃないですか、
そうじゃない?
集中レッスンを受ける人の中には、
土日に組まれるすべてのコースに
出づっぱりの人が少なくない。
6時間、全部に出るのですよ。
びっくりしてしまう。
こういう熱心な人もそれはかわいいけれど、
私は、覚えも悪くって、いつもたどたどしているのに
一生懸命やめずに続けている人も
同じくらいにかわいい。
この人の毎日に、何らかの意義を持っている
フラメンコという趣味の大切さを思いやって、
とても嬉しい気持ちがする。
「ただの趣味」と幾分卑下して言うこともないのだ。
仕事と生活だけで人生が終わらないように
苦心するというのは、
とても尊い事なのだから。
この種の「無駄」は、心を支えてくれるのだ。