あれは去年のことだったと思う。
バレエ・ナショナルの団員試験に、
バレエ仲間のエステルという子が合格したのは。
私は、内心少なからず驚いたのだ。
なぜってこの人は
フラメンコのアーティストとしては
名もなく、経験もない上に、
どう見ても
ばりばりのクラシックのダンサーだったからだ。
彼女のクラシック・バレエのレベルは素晴らしく、
ピルエットから跳躍、
どれを取っても
バレリーナとしかイメージできなかったし、
そもそも私達が毎朝受けていたレッスンそのものが、
本当のクラシックの教師の免状を
持っているような人ばかりのクラスだったのだ。
そこにイスラエル・ガルバンとバーを共有して
私が居たし、
先ごろ日本に行った
ハイロ・デ・モロンという
バイラオールも
四苦八苦しながら通っていた。
月曜から金曜までの毎朝だ。
今のバレエ・ナショナルの監督は
アイ―ダ・ゴメスだが、
果たして
ホセ・アントニオが監督だった時から
団員の採用試験に
クラシック・バレエが
重要な点稼ぎになっていたかしら?
ホセ・アントニオの時に団員だった人の
顔ぶれを思い起こしてみると、
どうもそうは思えない。
クリージョ・デ・ボルムホスだの、
ハビエル・バロンは
後で多少はクラシックをやったかもしれないけれど、
生え抜きのフラメンコのバイラオールだ。
バイラリンでは決してない。
そうだった事もなければ、
この先にもそんな事はあり得ない。
ホセ・アントニオの時には、
クラシックの人と、
生粋のフラメンコの人が
混成されていた。
いや、私が思い出す限り、
バレエ・ナショナルというのは、
ずっとそうだった。
先週、ビエナルの一環として
バレエ・ナショナルの日が
セビージャの劇場で二日あったが、
私はアイ―ダ・ゴメスが監督になってからの
バレエ・ナショナルというのは、
今回初めて見た。
そしてとても驚いた。
前の素晴らしい団員達は
どこに行ってしまったのだろう!!
一人も居ない気がした。
今度、是非、事情をどこかで聞いて来なくては!
実は一部知っている。
アイーダ・ゴメスがクビにしたのだ。
裁判に持ち込んで大変だったという話を
クビになって訴えた
当の本人からじかに聞いている。
でも、他の人が全部そうかどうかは分からない。
私はジャーナリストではないから
事実をかぎまわって立証しなくても
厳しく弾劾されないだろう。
また、ここは私の気の置けないHPなので
憶測でとりあえず発言しても
まぁ、許される範囲か、と思う。
で、憶測。
そうねぇ、どうもこれはアイ―ダ・ゴメスは
自分の思い通りの絵を
自由に描くために
美術室の絵の具とキャンバスを、
一つ残らず取り替えたのだという気がする。
おまけに、自分は絵描きだけでなく、
絵のモデルにもなるから、
自分が引き立たなくなるような
美形のモデルも
排斥してしまったんじゃないのかな、
という感触がする。
まちがったら謝罪するまでだが。
だって、あの素晴らしいローラ・グレコは
どこにいっちゃったのよ?
日本のフラメンコ専門誌か何かで、
彼女がどこかの地方都市で
集中レッスンをやる、
という広告を
割と最近見た気がするのだ。
あの時、え!?と思ったものだ。
あの人の素晴らしい「メデア」について
マティルデ・コラールと賞賛し合ったのは
この間の事だもの。
あの、長い、長い、腕と脚。
絵から抜け出たような
美貌の父親譲りの容姿。
彼女はフラメンカではない。
勿論、バイラリーナと呼ばれる種類のダンサーだ。
クラシック大好きのバレエ・ナショナルには
ぴったりの筈の人材だ。
監督が変わったからと言って
排斥されるような人材では決してない。
じゃ、ローラが勝手に愛想をつかして辞めたとしても、
クリ―ジョはどうしちゃった?
あまりに多くの、
ほとんど全員のクビが
すげかわってしまっている。
みんながにこにこして辞めたと判断するのは
とても不自然な気がするのだ。
今回の舞台で真っ先に気がついたのは、
バレエ・ナショナルが、
総バレリーナになってしまったな、
という感慨だ。
勿論、フラメンコもとても上手に踊る。
けれども、全体から濃厚に漂って来る雰囲気は、
バレエダンサーのそれに他ならない。
体形もみんな細くて、
少なくとも、
アンダルシアのフラメンカの
むんむんとした
あの、土着のアイレは
ひとかけらも出てこない。
若い、セビージャの踊り手達が血相変えて、
大議論するのも
無理はない気がする。
ああいうものを引っさげて
世界を回らないで欲しい、と
いう気持ちも分からなくない。
もっと手厳しく、
ビエナルのプログラムに
バレエ・ナショナルなんか出すな、と
いう声も今朝は聞こえた。
ビエナルをなんだと思っている、
フラメンコの祭典だゾ!と。
とにかく、このところバレエ・ナショナルは
採用試験に
全員、
クラシック・バレエを
課しているのだそうだ。
マティルデのところのバレエ教師が言っていた。
彼女は、自分がバレエのプロであるにも関わらず、
そんな試験を義務づけしたら、
本当のフラメンコの優れた踊り手は
一人も入れないことになる
と言って憤慨していた。
フラメンコダンサーでも
クラシックの素養があって
何の支障もないけれど、
クラシックのかなりのテクニックを
必修科目として
フラメンコアーティストに課するのは
全く賛成できない、と言っていた。
私もこれには同感だ。
昔のフラメンコのフィルムを
見たことがある人なら気づくだろう。
フラメンコの、特に男の踊りでは、
決まりの姿で一瞬、
足が気持ち内側に入ることがあるのだ。
それは闘牛士の
クライマックスの時の
ポーズから来ている。
こんなのは、どうしてくれる?
バレエだったら、死んでもこれは出て来ない。
バレエ・ナショナルが
アイ―ダ・ゴメスを監督にして
一目瞭然なのは、
これからコンセルバトリオ組が
はばを利かせる、という事だ。
初耳の人のために直訳する。
コンセルバトリオは
日本ではおそらく、
王立舞踊学校とか、
そういう名称になっているはずだ。
日本語にすると
大変な権威の感じがするけれど、
スペインではそんなにものものしく響かない。
何故なら、スペインの義務教育には、
音楽と体育
(日本の学校で教えるようなスポーツ)と
美術がないのだ。
主要教科しか教えない。
だからスペインの公立の小中学校は
みんなお昼で終わるのだ。
よって午後に時間はたっぷりある。
家で子供をぶらぶらさせておきたくない親と、
音符や絵の具や
バレエ・シューズに
心が動かされる子供は、
この、たっぷりの午後、
コンセルバトリオに通って、
好きなものをやるのだ。
選択科目のようなものだ。
ただ、日本と違うのはここに舞踊もある。
フラメンコも含まれているが、
主な必修はバレエだ。
フラメンコの比重はとっても少ない。
公立だから、お月謝がとても安く、
今、うろ覚えだが、
三ヶ月で1500円か、
一ヶ月1500円かのどちらかだったと思う。
あんまり安くてびっくりした事しか
はっきり思い出せない。
八歳から入学できる。
さて、アイ―ダ・ゴメスは
ここで踊りの過程を終了しているのだ。
セビージャにコンセルバトリオができて20年。
そろそろクラシックを
がっちりたたき込まれた踊り手が、
この人口70万かそこいらの街に溢れ出している。
クラシックからフラメンコにいっぱい流れてくる。
フラメンコが浸食されている、と取るか、
豊になってきている、
と取るかは別の問題だ。
私は、自分がとてもバレエが好きなくせに、
この傾向には少なからず戦慄を覚えることもある。
たとえば、先週のバレエ・ナショナルの舞台を見て、
座席に深深と沈んだ。
楽しい出し物だったけれども、
失われて行きそうなフラメンコの前途を憂えて
悲しく、辛い気持ちになった。
どんどん消えてなくなってしまう、
古い踊り手達の独特な
ムイ・フラメンコな踊りっぷりを
感慨を持って思い出してしまった。
チャノ・ロバートに
来週は会いに行かなくっちゃ、
となぜか決然と思った。
コンセルバトリオについては
また、ページを設けて説明するつもりだ。
今日はここまでで許して欲しい。
明日の朝も早くから
きついレッスンがつまっている。
夜、考えると少し憂鬱になるくらいなのだ。
では、何か少しでも手がかりになったら、幸いです。
おやすみなさーい。