先週末は、仕事に追われて
とても物が書ける状態ではなかった。
それにとても面白い
新聞記事を見つけてしまって、
私個人の中では
ビエナルの感想は終わってしまったのだ。
すっかり片がついてしまって、
今更どうの、という気がなくなってしまった。
それにこの頃の空の美しさといったらどうだろう!!
私がスペインにぞっこんなのは、
光を含んだ雲の色、
雲の形、
大きな空をキャンバスに、
日々、刻々と変わるその様子の、
えも言えない美しさに
心を奪われているからなのだ。
青い空、ではない。雲だ。
朝、ハンドルを握って発進させると
目の前の大地に湧きあがるようにして
まぁるい空が広がる。
おお、大地よ、アンダルシアの大地よ!
という気持ちに心が満たされる。
夕方にはまた、別の趣がある。
夜色が迫る一瞬の雲の輝き!
紫とピンクと黄色に染め分けられて行く様の
なんとも言えない風情。
清少納言を連れてきたらなんて言うかしらん...
うおおおおおっと、高速道路を120で
飛ばしている時に
ぼんやりするのはやめましょう。
いとおかし....なんて言っているうちに
自分が雲の上で
「神様こんにちは!」になってしまうぞ。
せんせーーーい、それはないですよーーー、
予告編を出しておいて
自分だけコースをあがっちゃうなんて、
という声が聞こえるようだ。
だって、フラメンコの突っ込んだ話しは、
ホント、骨が折れるのですよ。
話しの本筋に入る前にいちいち人名やら、
歴史やら、
習慣の説明と補足をしないといけないし、
展開部でも、
1歩踏み出すごとに休憩して、
ちんぷんかんぷんの子に
脚注ばかりつけないといけないのだ。
私は、日本から生徒が来る度に、
どこに連れて行ってやっても
これをやらないといけなくて、
とっても大変なのだ。
挙句の果てに説明も飲み込めないから、
こっちが期待しているような驚きました―!感動!
みたいな反応がまず帰って来ない。
難しい病気の治療法を、
専門医同士で意見交換して
検討している白熱の内容を、
昨日医学部に入学したばかりの子に
リトールドするくらいに無味乾燥。
私がフラメンコの話しを
すらすら淀みなくできる相手は、
筆頭が子供の父親。
次席が高橋英子。
日本人では、この二人以外に一人も思い当たらない。
誤解してはいけない。
スペイン人だって専門家でなかったら、
とても話しをする気にならない。
ついでに、最近ぽっと出てきて
フラメンコの変革を
自分の目と耳で経験していない
スペインのアーティストも勿論、ぽけぽけだ。
.....と、はじめにもう、書きたくない、
次に説明が面倒、なんて言い出して、
さすがにひどい態度。
おいしいおやつがある、
と子供に言っておきながら、
今日はあげない、と言うくらいに
残酷にして卑怯!
「不親切!」とそしられるといやだから、
ちょっと書こう。
まずね。
ここのところ数年、私個人の感想では
ビエナルは
とてもつまらなくなっている。
日本で見るフラメンコの公演並に様式化して、
ぴったり二時間かそこらで終わる。
こんなものはスペインのやり方ではない。
じゃ、どんなのがスペイン式か?と言うと、
公演の最後は必ず、
全員が出てきて
フィナーレのブレリアが
延々と続いたものなのだ。
ギタリストも踊る。
歌い手がギターを弾く。
踊り手が歌う。
ひゃーーー、面白い!というブレリアの洪水。
これを、ビエナルに限らず、
この頃のスペインの舞台では、
全くと言っていいほどやらなくなった。
終わる時間がわからない、というのこそ、
アンダルシアのフラメンコ公演だったのにだ。
やけに気取りだしたのだ、この頃は。
次に踊りに関して言えば、
ものすごくモダンになってきている。
ジェルバブエナは、
こんなに人気が出る前までは
マヌエラ・カラスコのコピーの
全く同じ振りを踊ったりする、
かなり伝統的なフラメンコだったのだ。
例えば。
それが人が変わったように
違う踊りになってしまった。
ベレン・マジャと組んでいた事も
影響しているかも知れない。
ベレン、ラフアエラ・カラスコ、
イスラエル・ガルバン、
ラファエル・カンパージョ、
と言った人達はお友達同士だし、
みんなバレエを多かれ少なかれやっている。
バレエをやっているからモダンなのではない。
フラメンコがよく出きる人は、
もう、行く所がないのですよ。
お互い同士の教室に通ったって
仕方ないのだし、
どこかに行きたい。
自分のレッスンは自分でやるけれど、
朝起きたら、どこか行く所が欲しい。
じゃあ、モダン・ダンスでも行くかなー、
ヒントになるし、
という事に割となる。
それなら昔はどうだったか、というと
みんな、もっとのんびり
フラメンコだけで暮らしていた。
仕事が終わって、公演の後にエンジンのかかったアーティストは
車でベンタ
(郊外の朝までやっている、
フラメンコのためのバー、
レストラン)に
大挙して押し寄せて、
さっきのは小手調べ、
ここからが本物!
という生活をしていたのだ。
麻薬も回って来る、
サツが来たら逃げる、なんて生活。
おー、あなたは誰かと思ったら、
さっき舞台で見かけた
パコ・デ・ルシアさん、
おや、ホルヘ・パルドさんもおそろいで!
なんて事は年中だったのだ。
だから例えば、ビエナルなんか行かなくても、
そろそろ舞台の終わりそうな時間に、
本当の通のファン達は
ベンタの方に直接出勤して、
舞台よりもっと素晴らしいフラメンコの饗宴を
白々と夜の明けるまで、
と言う事がどれくらいあったか知れない。
私は誓って麻薬はやらなかったけれど、
こういう生活を10年はやっていた。
つまり本物のフラメンコの学校は、
これしかない、と思いつめていた。
老人の昔は良かった、式の
回顧談に陥る危険を回避するために、
先週見つけた新聞の文芸批評を、
抜粋してここに翻訳する。
題も「規制なきフラメンコ」この場合は否定的な意味で。
規制なきフラメンコ
A.R.ALMODOVAR
ちょうど二年前、第10回のビエナルが終わった時点で
この、同じページで次のような批評をした。
ビエナルは変貌に継ぐ変貌を遂げている。
気を付けろ!本元のところを忘れちゃおしまいだ、と。
この言葉で、私達の危機感を訴えたかった。
なぜならこの調子で行ったら、
本当にビエナルというこの催し自体が
ダメになると懸念しているからだ。
もっと遠くに、もっと広く、ということではだめなのだ。
芸というものは、少なくとも、その深みと内面に向かった
成長こそが真髄だと思うからだ。
ここで、ビエナルも区切りのよい10回は終わったのだから、
前述の危機感をしっかりと見つめなおす必要があるだろう。
33日間に、60公演。
あまりに多すぎる出し物と、あまりに長い公演日だ。
どんなにフラメンコが好きでも、
こんなに多くてはさすがにぼうっとしないのは困難だ(財布の方もね)
―中略―
なんと言っても一番重大なのは、
規制なく、どんどん膨れ上がるフラメンコというよりも、
この芸自体が、苦しんでいるということだ。
実質的に言っても、何でもかんでも取り込んで、
しかも質を維持しつづけるということは不可能だからだ。
今回のビエナルでは、あまりに多くの即興と、
ぎっしりしすぎた内容と、不要な冒険が満ち満ちていた。
誰が一番か、という隠れた野心のもとに、
本当によい振り付けというものの不在が目について、
後になって記憶の中にしっかりと残るような
優れた出し物というのは、半ダースもなかったような気がする。
―後略―
私は、これを読んでとても嬉しかった。
今回のビエナルでは、
ひょっとして自分の目と耳が
もう、だめになってしまったのかな、
という不安に襲われてしまったからだ。
私が好きなあれらのフラメンコは
もう、フラメンコじゃないのか、
という錯覚に一瞬とらわれてしまったからだ。
昨日までの1000年の城が一夜にして、
32階建てビルになって、
まるでいつもそうだったような顔して建っている。
なんだか、得体の知れない不安感に
慄くではありませんか。
わ、私は、き、気が狂ってなんかいません!!
本当なんです。
昨日までここに、た、確かにあったんです。
し、信じてください、お願いです.....という
こわぁぁぁい映画みたいな気分になった、今回のビエナル。
そして前回のビエナル。
同じ思いの多くの地元の評論家、
アーティスト、いたのでした。
よかったぁ。孤独でなくて。
そして気楽に秋の空を愛でる日々が帰ってきた
というわけです。
今日のところはここまで。
本場、本場、と大騒ぎして、
やれ、ビエナルだ、ツアーだ、
と日本で聞けば来れない人は
心穏やかではないかもしれないけれど、
どんなものでも、
その課題と危機とを抱えて生きているものなのですよ。
今の代表的人気フラメンコを見て、
これだ!!と安易に思ってしまわないように。
何によらず、芸にはその前後の時代が必ずついて回るのだから。
象の耳だけさわっていても、
尻尾だけでも、
論じられないのと同じこと。