男が女に与えるべくして宝石は存在するのだ、
とは誰の言葉だろうか。
原典は知らないが、
私にはその通りだと思って暮らしていた節がある。
節がある、なんて他人事のように書いているのは、
今日まで深く反省してみた事がなかったからだ。
ニ才の頃に父から赤い玉のイヤリングと
おそろいのハート型のロケットを贈られた。
丸い厚みのあるハートはパチンと開くようになっていて、
フタの裏側には「父」と彫刻してあり、
中には父の写真が納まっていた。
迷子になった時のおまじないに
首からかけられていたようだ。
これを私はずっと持っていて、
つい何日か前にも娘達に見せてやっていた。
壊れてしまったフタを直しにやりたいと
思い続けていたのだ。
父の肖像はすっかり古びてしまっているが、
その端正な顔立ちは時の流れの中で
なお私に何かを語りかけてくる。
とても幸福な幼児期を過ごし、
とても不幸な思春期を生き延びて、
この父にそむいたまま
スペインに渡ってしまった事はいつか触れた
........ロケットはそのまま父の形見となってしまった。
ニ才を皮きりに、
私の宝石箱には両親からの贈り物が増えて行く。
こういう習慣はスペインでは普通だが、
日本の家庭でも一般的なのかは私は知らない。
10代に入ってから結婚まで、
母からは毎年誕生日に指輪を贈られた。
若い娘にふさわしい、
あまり高価ではない美しい物であったり、
父が母に贈った婚約指輪のような、
大切な物も含まれた。
15才の年に母から銀のロケットを贈られた。
子供の頃のと同じようなハートの形だったが、
精巧なアラベスクの彫刻がしてあり、
長く私のお気に入りだった。
ただ、ハートの形には、
銀より暖かな印象の金色がいいと思うようになった。
そうしてできれば、
それはまだ見ぬ恋人に
いつの日か贈られたいと密かに夢見ていた。
二十歳も間近という頃に、
ミキモトの宝飾を手がけている人を
知り合いのつてで紹介された。
銀のロケットを見本に、
金製の見積もりをしてもらった。
そんな恋人は現れないだろうと見切りをつけて、
自分でさっさと買ってしまおう
と思ったのかも知れない。
見積もりが来て、
いよいよ発注してしまおうと思っている頃に、
友達だった筈の友繁から、
そんなものは自分で買うものではない。
是非自分が買ってあげたいから、
どうか就職して初めての給料を貰うまで待ってくれと、
意外な申し出があった。
もう手の届くところにぶら下がってしまっているロケットを
先送りするのはじれったくもなかったけれど、
相手の態度には清々しく心に響くものがあって、
私はしおらしくうなづいた。
それがどうした事か、
見積もりをしてもらっただけの筈が、
現物が出来あがったので
引きとって欲しいと知らせが来てしまったのだ。
私は少なからず狼狽したけれど、
間に入ってくれている人に迷惑がかかってしまうので、
ひとまず引き取った。
さあ、どうしたものか......。
ビロードの箱を開けると、
そこには見事な彫刻のロケットが
暖かな金色に輝いていた。
私は一つ、溜息をもらして、
それから厳重に包装した。
包装した上に箱に二重にしまって、
友繁に手渡した。
「これ、来年の4月まで絶対に開けてはいけない大切なものなんだけど、
是非、保管しておいて欲しいの」
苦肉の策だ。
相手は不審に思ったに違いないけれど、
不審な行動は若い娘の専売特許だから、
深く詮索したりはしない。
「うん、わかった!来年までだね!」
「絶対に開けないって約束できる?」
「ああ、できるよ」
一年たって約束のロケットを注文してくれると言われたので、
初めて真相を明かした。
お金はとっくに払ってあって、
その同額を手渡されるのも恥ずかしいので
銀行に振り込んでもらった。
厳封した通りの姿で箱は渡され、
中から胸のときめくようなビロードの箱が現れた。
どうしてこんなつまらない事を延延と書いているのかというと、
今日の精神状態があまり思わしくないからだ。
あの、恥ずかしがり屋で純情だった
二十歳そこそこの私はもうどこにもいない。
あのロケットに触れた時にだけ
かつての自分の思いがよみがえってくるのだ。
それは馬鹿げた感傷に違いないのだけれど、
女にはこういう思い出が
とてもかけがいのないものなのだ。
実は今日の午後、
空巣に入られて宝石箱を全部持って行かれてしまった。
また今日に限って
私の指には一本の指輪もはまっていなかったので、
婚約、結婚指輪の果てまで取られてしまった。
心無い泥棒は、あんなフタの壊れた、
他の人にはなんの価値もないに違いない
子供の頃のロケットまで持って行ってしまった。
つまり生まれてから今までの、
私を愛してくれた人達の思い出を
みんなわしづかみにされて持ち去られてしまった。
宝石なんか、欲しければいくらでも買えるけれど、
何カラットあろうとも、
そんなものでは心のなぐさめにならない。今から過去に向かっての買い物は、
どんなにお金を積んでもできない。
無残にひっかきまわされた部屋で、
せめて何か一つ、胸に抱きしめて
「ああ、これがあった」と思いたかった。
子供のように泣いてしまいそうだ。