この間仕事でバルセローナに行ってきた。
週末にかかっていたので、
そのまま二日も残って楽しく観光した。
いつもは仕事がらみの時は、
こういう悠長な事は絶対にしない。
バルセローナという、
スペイン第二の大都会は、
スペイン国内と言えど、民族も文化も違うのだ。
いや、完全に違うことが、
視覚ではっきりわかるくらいに顕著なのだ。
だから、アンダルシアに住む私には、すこぶる面白い。
おまけにセビージャからは、
首都マドリーよりも更に遠い都市なので、
このチャンスは逃さず
見落としているものを
今度こそしっかり見ておきたい期待でいっぱいだった。
私は、かつてバルセローナに吹き荒れた
前世紀初頭モデリズムの心酔者なのだ。
建築と家具には
他のどのジャンルの芸術作品よりも
心が惹かれる。
ガウディ、とつぶやいただけで穏やかでいられないくらいに、
もう、目頭が熱くなってしまうくらいに、
呼吸が止まりそうなくらいに、
正気がなくなるのだ。
ガウディが、ある建物のデザインに際して
インスピレーションを受けたと言われている山がある。
そうと聞くなり、
その「山」まではるか車を駆ってどれどれ、
ははぁん、と現物を見に行くほどの徹底ぶりだ。
ガウディの建築が天才的なのは、
今更私ごときが言うまでもないけれど、
この不世出の芸術家は、
泣けてくるようなカーブの、
斬新にして革命的な「家具」も
ずいぶんデザインしているのだ。
その、魔法のように素晴らしい家具は何度見ても、
感動で脳天がしびれてしまうのだ。
今回、実に良くできた複製のイスと鏡を見つけた。
値段を聞くと、バタ・デ・コーラより高い。
複製と言ったって、ちゃんとした工芸技術で仕上げた
ガウディの素晴らしい曲線なのだ。
旅先だし、どうしようかと
しばしその場を動けずに
煩悶したのだけれど、
無情な連れに、
ひきずるようにして拉致されてしまった。
....フランス国境近くの街にある、
ダリ美術館は120キロも車を飛ばさないと、
見に行かれないのだ。
団体旅行ではなくても、
レンタカーは夜には帰さないといけないし、
そんなに、わなわな感動に震えている暇は取れない。
バルセローナの街は大きくて、
とても徒歩では全体が掴めない。
その上、中心街はほとんど例外なく
高さ20メートルを越すような建物で
びっしり組まれていて、
威圧される。
建物と建物の間から、
かろうじてどんよりした空が見えるという
典型的都会のつれなさは、
人間を卑小にしてしまう。
勢い、車を駆って郊外に出たい欲求が募ってきて、
レンタカーの助けを借りた。
......やぁ、素晴らしい!
中心街を後にして、
一挙に視界がひらけた。
空がそうあるべくして、丸みを帯びて広がった。
みどりが五速に入れた窓外を飛んでいく。
ああ、これでなくっちゃね。
ラジオからはごきげんなピアノ・アレンジが流れて、
やっと自分がいつもの五体に戻った気がした。
セビージャに慣れ親しんで暮らしているうちに
本当の田舎ごのみになってしまった。
日本にはもう、帰ってこないのですか?と
よく質問されるけれども、
人口が70万以上の街には住めない、
という方が正確かもしれない。
けれども、その半分の30万のコルドバとか
グラナダのような街では
あんまりなのだ。
私には15分もあれば、はじからはじまで行けて、
かつ、なんでも間に合うセビージャの街が
とても合っているのだ。
多分、高い建物を認めない厳しい規制のために、
美しい空がいつでもどこからでも見えるというのが、
何にも増して好ましいのかも知れない。
アンダルシアの特質は、青い美しい空だけれど、
私はその青をキャンバスにして日々、
姿と光沢を違えて広がる、
美しい雲に心を奪われている。
....という、感傷に多少浸りながら、
バルセローナの北、
フィゲーラスの街に到着する。
まぁ、なんと小さなひなびた村....!
ダリ美術館を探していると、賑やかな市役所前広場に出た。
びっくりしたことに、
そこには沢山の子供達が
泡だらけになって
歓声を上げているのだ。
クレージー・フォームのような石鹸の泡を、
見たこともない大砲のような不思議な機械で
盛んに噴出させている人がいる。
機関銃掃射よろしく、
集まっている人々に向かって
狙い撃ちして石鹸まみれにしているのだ。
よく見ると子供だけではなく、
大人も大勢混じっていた。
さあ、皆さん、大いに参加してください!
とかマイクで怒鳴っている声と共に
パソ・ドブレのような
陽気でクラシックな音楽が、
がんがん鳴っている。
トマトまみれになるお祭りは見たことあるけれど、
本物の、目に入ったらうんとしみるような石鹸にまみれるお祭り
というのは聞いたことがない。
傍でにこにこしながら見物している女性に、
これは一体なんのお祭りか、
とたずねたら、肩をすくめて
「別に。毎年春になるとこうやって、
みんなで楽しむだけのことなの。」
....なんだか嬉しくなってしまった。
ダリ美術館は、土曜日というせいもあって、
又いかにもフランスに近いせいか、
フランス人の観光客が団体でひしめいていて、
ゆっくりした気分では鑑賞できなかった。
けれども、割合、無難な、性的暗示などあまりない
ダリの作品しか知らなかった私は、
全く仰天してしまった。
ほんとに、すごい作品ばっかり、
まぁ、笑ってしまうというか、
あきれてしまうというか、
赤面してしまうというか、
ごっそりあるのだ。
なんて人なんでしょう!
そばで鑑賞している人の顔を、
思わず見てしまうような、
不思議な経験を致しました!
この人とピカソは、
初期の頃のものすごくまともな絵以外は、
むずかしくって理解できない。
特にダリは、どこから本気で
どこから冗談だか
わからない人だったのだから、
まともにしかつめらしい顔で立ち止まっていると、
あの世で作者は
笑い転げるのではないか
という疑心が湧く。
本人に是非、お会いしてみたかったな、と思うのでした。
ダリは文字の方の筆も非常に達者で、優れた自叙伝があると、
彼の伝記作者が著書に書いていたので、
フィゲーラスの街で執拗に探したけれども、
ついに見つからず。
それでも訪ねただけのことはあったし、
もう、すぐそこがフランスなのだもの、
そのまま国境を超えて
ちょっと道草したい誘惑に必死に抗いながら、
こちらもいつかまた、
と自分に言い聞かせ、
やり残しの宿題抱えて
ハンドルを握ったのでした。